Sonar Members Club No.36

月別: 2014年9月

202X年の怪 (エピローグ)

2014 SEP 29 19:19:35 pm by 西 牟呂雄

「おい、村中。いつでもできると大口を叩いた割りにその時はちっとも来ないじゃないか。結局俺達は退役してしまった。」
「そう言うな、南。時はいつか来る。平和な証拠だ。そういう時にこそ我々同志で結束し引き締めていなければそもそもの意味が無い。」
「だが大室よ、田母神閣下も引退されたし、参謀役の後継者もいない。」
「そんなこと言ったって石原先生も佐々先生ももう完全にボケて使いもんにならん。第五次安部内閣は磐石で上手くいってるんだから。」
「大体村中、お前が前回の時2.26だの切腹だの物騒なことを口走って安部総理に嫌われたのがケチのつけはじめだろう。」
「今上陛下への上奏の随行も叶わなかったな。」
「ところで南よ。例の極秘計画は進んでいるのか。」
「勿論だ。愛子内親王殿下にふさわしい、旧伏見宮系の血を引くお方に内諾を取っている。後は今上陛下、皇太子殿下、そして何より内親王殿下ご本人の了解を得るだけだ。」
「バカ!それが一番大事なんだろう。そっちの工作は進んでいるのか。」
「それがどうにもこうにもガードが固くて・・・・。学習院ルートは頓挫したし、雅子様ルートもはかばかしくない。妹さん達の御一家にさんざん工作したんだが。」
「しょうがないな。何とかしろよ。大室のほうはどうだ。」
「例の光格天皇の御落胤の血筋のお方は確保して、通称『筑波仮御所』に匿われている。こちらのいいところはお顔立ちが先帝陛下にそっくりなことだ。もう一つの南朝正統のお方も『大和仮御所』におわすのだが、こちらは困ったことに素行がね。皇統の安寧は頭が痛い。」
「やっぱり民間暮らしを百年単位でやってしまうと帝王学の方は厳しいか。」
「フーム。我々の工作が実を結ぶようなことは無い方がいいのだが。親王殿下お一人ではお気の毒だ。」
「そろそろ後継者を育成しなければ、オレ達も年だ。この秘密結社も資金が続かなければ終わるぞ。」
「後を託すのは身内が一番いいのだが、オレは娘しかいないしお前等の息子は全く興味がない。」
「ウチでちょっとサワリを話したが相手にされずバカにされた。やっぱりあの後選挙なんかに持ち込まずに力押しすればと悔やまれる。皇居を確保できていたんだからな。」
「その代り陛下の怒りを買って死刑だったろうがね。」
「それでもやっておきたかった・・・・なぁ。」

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202X年の怪 (日本侵略される!)

202X年の怪 Ⅱ(戒厳令ではない!)

202X年の怪 Ⅲ(何かおかしい!)

202X年の怪 Ⅳ(クーデター!)

九月大歌舞伎 千穐楽

2014 SEP 28 16:16:00 pm by 西 牟呂雄

千穐楽を見てきました。これ「穐」の字が正式なんですな。
 まず「絵本太閤記」です。播磨屋・中村吉右衛門さん相変わらずの安定感、高麗屋・市川染五郎さん力をつけています。ですがこの芝居、私はいつも女形の『泣き』の声に注目してしまうんですねぇ、これが。今回は『光秀』の母・妻・嫁と三人女形が出ますが、そのうちの嫁をやる播磨屋・中村米吉が抜群に良かった。他の二人もうまいんですが、米吉は(字に書くと難しいが)『ォォォオオオオおおおおおオオオオォォォ』とただでさえ高い声を一旦更に上げていき低く戻る。まるでサイレンが高くなってから低くなるようで絶品の泣きだったですね。

毛振り

毛振り

 

 そして「連獅子」の舞。松嶋屋・片岡仁左衛門・千之助のお爺さんと孫の競演です。仁左衛門さんは確か去年から肩を悪くして今年にやっと復帰したのじゃなかったでしょうか。コミカルな坊主道中では浄土僧の方をやった萬屋・中村錦之助という人、面白いです。
 その後、紅白の獅子が出てきます。今回は花道のすぐ横の席でしたが、14歳の(多分)千之助の凛々しいこと。体がまだ小さいのがご愛嬌だが鮮やかな身のこなしで楽しみです。最期の毛振りは振りの大きさといい間の取り方といい、仁左衛門さんのお疲れ気味な所をカバーしたわけではないでしょうが見事の一言。

 最期に待ってました男伊達、御所の五郎蔵「曽我綉侠御所染(そがもようたてしのごしょぞめ)」でした。設定は京なので「御所」の「五郎蔵」だが科白は全くの江戸回し。僕はこれを十年前に先ほどの舞台の白獅子、仁左衛門さんがまだ片岡孝夫だった頃、坂東玉三郎とのコンビで見て以来です。五郎蔵・染五郎、対する星影土右衛門・音羽屋・尾上松緑の掛け合いは双方譲らず見ごたえ十分。あの科白は江戸弁の駄洒落のオンパレードでいつか全部暗記したいと思っています。
 花道近くでいいのは足捌きが良く見えることですが、染五郎さん日本舞踊の家元ですから腰が座っていました(当たり前か)。それはいいけど今日はちょっと軽かったんじゃないですか・・・。そう言えば千穐楽にしては入りが少し・・。
 傾城、逢州役の市川高麗蔵は梨園の血筋ではなく、松本幸四郎の弟子から高麗屋入りした人ですが綺麗でした。花魁道中を真近で見ましたがあの飾りはスゲー艶やかで、また後姿がいいのです。

 しかし僕は一度でいいからあの獅子の毛を被ってみたい。ザ・グレート・カブキというプロレスラーが時々被っていたからどこかで手に入るのだろうが良く分かりません。幕末に官軍が被った「熊毛頭」というのがありますが、後ろが短か過ぎてダメ。貸してくれ、と頼んでもだめかな。
 それと最後に、本日の『声掛け』フライングが多かった。

荒事の華麗な芸

九月花形歌舞伎

猿之助四十八撰


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202X年の怪 Ⅳ(クーデター!)

2014 SEP 27 9:09:31 am by 西 牟呂雄

5日目
 朝の大本営発表に安全保障会議の四大臣と石原本部長、佐々議長、村中大佐が並んだ。野田総理大臣がしっかりした目線で始めた。
『お早う御座います。実は昨日ヒラリー・クリントン大統領と電話会談を致しました。我が国の冷静な対応を支持し、日米は全面的に協力することで合意しております。ロシアのコテルニコフ大統領とも電話で約10分会談しております。冷静な対応を高く評価する、とのお話でした。また、中国の劉建国家主席とは本日電話対談の予定です。我が国周辺は平成を保っており、国民の安全はひとまず確保出来ていることに変わりはありません。防衛・治安については大本営より発表です。』
 例によって石原本部長が目を瞬かせながら喋りだした。
『えー、ワタシの方からは二つ。周辺海域の防衛作戦は継続中。しかしながらどうも追加攻撃の可能性は限りなく低くなっております。政府と周辺国、即ち排他的経済水域を接している国家との対話は友好に継続されており、外交上の問題はない。次に、政府機能は既に通常状態に復帰しており、国民生活は平成を保っております。金融関連も昨日システム復帰し、決済・引き出しは正常に行われます。治安に関しては佐々議長から。』
この日は佐々議長は機動隊員の制服を着込んでいた。
『佐々です。まず昨日の一次的な電波ジャックについて、テロによるものと断定しました。その時点で都心部ローラー作戦を執行中ではありましたが、犯人逮捕には至っておりません。尚、捜索中の謎のゲリラ部隊についても同様に捗々しくありません。それから昨日都心部及び大阪で銃撃音が聞かれたという噂がネットを通じて広がっている模様ですが、そのような事実はなかった、と申し上げておきます。今後の展開については村中大佐から。』
驚いたことに村中大佐は第一種礼装に身を固めている。
『今後の方針についてお知らせする。昨日行われたローラー作戦を各地エリアを変えて実施する。エリアについては秘匿情報なので申し上げられないが、自衛隊車両を見ても決して慌てることなく粛々と行動されたし。公的機関は全て通常に戻るため、人通りは戻るので混乱することの無いように。自衛隊はあくまで治安のサポートだがこの国難に万が一のことが無いとも限らない。最高の緊張を持って国境を守る所存だ。総理の指揮の元、石原本部長、佐々議長の命令で一糸乱れず作戦を推進する。士気は極めて旺盛。以上。』
 自衛隊員が集団で街を闊歩していたり、特殊車両が行き交う事に国民は慣れてきているようだった。頭上には大型ヘリも飛び交う。
 心なしか村中大佐の発言が高揚しているのが多少危なげな・・・・。

10日目
 官邸地下に設置された大本営に安全保障会議並びに石原本部長・佐々議長・村中大佐が談笑していた。更に石原本部長付きの南大佐と諜報担当官の大室大佐が加わっていた。石原慎太郎がにこやかな表情で一同に語りかけた。
『いや総理はじめ各大臣、ご苦労様でした。計画通りに進みました。』
これまた満面の笑みをたたえた野田聖子総理が返す。
『石原本部長、佐々議長そして村中大佐、お疲れ様。いやはや名演技でしたね。』
『いやいや、役者がそろった今だから出来たんですよ。私が都知事になったのはこの計画のためでしたからね。』
『僕が言っただろう。いざとなったら日本は大丈夫なんだよ。このガバナビリティーを見ろよ。』
『石原さんと佐々知事や田母神さんが計画を打ち明けた時は正直冗談かと思いましたよ。』
『発案はこの村中君ですがね。大した男ですよ、実際。』
『小官は田母神閣下の部下時代に本作戦の根幹を着想しておりました。しかしチャンスが来ない。野田総理が安全保障会議担当大臣を全てしっかりした女性で固められ、田母神閣下が福島県知事に、佐々先生が都知事に当選されたのを見て今しかない、と思料いたしました。』
『まず地方をガッチリ固めてから首都を中心に警察と協力して制圧する。米軍の協力を仰ぐ。凄い着想ですね。』
『小渕先生、仰る通りであります。申し上げにくいのですが2・26の失敗に学びました。』
『いや、実際には犠牲者は一人もいないのですからね。初めの秘匿潜水艦隊からのミサイル発射も全く外さなかった。空砲とはいえ狙いの正確さはさすがに錬度世界一の海自だ。』
『オイ!村中!そう軽々しく口に出すもんじゃない!』
『総理、ローラー作戦中に威嚇射撃で多少のケガ人は出ました。何しろ右も左も過激派は根こそぎやりましたからね。暴力団もほぼ壊滅でしょう。現場は多少荒れたようですが、テレビを封鎖したり偽の画像をバラ撒いたり。戦車部隊の首都侵攻やF35まで飛ばして陽動作戦をやったのが効きました。第七艦隊を洋上に追っ払ったのも良かった。』
『現場で挙げた奴らは全部それをテロリスト対策として始末したんだから完璧ですよ。いずれ発表しますがね。心配の種だった岩国と沖縄の海兵隊が中東に行っていたのもいいタイミングだった。三沢の空軍は自衛隊とはズブズブの関係ですしね。』
『わたしと佐々は人生最後に夢を見られたので悔いはない。弟の歌ではないが、我が人生に悔いはない、だな。』
『慎太郎さん、じじいは引っ込みましょう。これで日本は一万年安泰だ。』
『いざ本当に我が国にどこかが侵攻してきたらもう一度これをやればいいのですから。何ならいつでもやってのけてご覧にいれます。』
『村中!そんなことお上が許すはずないだろ!研究するのはいいが2.26の時の先帝陛下のお怒りを忘れたか!バカ者め。』
『ところでチルドレンにしろ野党にしろアホ政治家は本当に何の役にも立たなかったわ。ため息が出るというか少しは知恵をめぐらせたり自分で情報を普段から取るなりしていればと・・。手応えないのねぇ。』
『ですが総理、残された大仕事が三つ残っておりますぞ。』
『わかっています。それこそまず陛下への上奏。そしてヒラリー・クリントンン大統領へのお礼と十分な安保条約堅持の説明。そして一か月後の参議院選挙に合わせて衆議院の解散をして衆参同時選挙に持ち込む。フゥ、大変だわ。断固やり抜かなければ。山谷大臣、早速アメリカに飛んで下さい。』
『かしこまりました。お任せ下さい。』
『それにしても上奏は気が重いわ。陛下はお厳しいから。まあ、私の内閣も総辞職でしょうね。後は・・。』
『イザという時はこの村中が皇居前で腹を切れば済むことです。』
『やめなさいよ、村中大佐!そんなことしたらバレちゃうでしょ。』
『村中君、そんなことしたらメディアの格好の餌食だぞ。アメリカだって気味悪がる。ここは先帝陛下に習い、耐え難きを耐え、忍び難きを忍んでこそだ。あくまで民主的にやらねば。』
 その時扉が開いて一人の男が姿を現した。皆が拍手を持って迎える中、にこやかに挨拶しソファに腰を降ろした。
『安倍先生、お待ちしておりました。』
『総理、お疲れ様でした。皆さんもご苦労様でした。』
『去年の禅譲・後継指名はこの為だったのですね。私達最初はすっかり体調を崩されたのかと思いました。』
『前回の内閣で、このままではどうにもならない、ということが良く分かったからね。綿密に計画し、一切洩れなかったのが良かった。外圧を演出するしかなかったんだよ。アハハハ。』
『選挙後のプログラクは大丈夫ですか。再登板で第5次安部内閣の発足ですよ。』
『石原先生の「ひまわりの党」と連立して組閣します。維新の会も期待空しく無くなっちゃったからね。石原先生は自主憲法を言いふらして選挙を戦って下さい。ズバっと連立しますから。』
『任せておけよ。だけど最近は聖徳太子の17条憲法と五箇条の御誓文だけでいいやって考えだからな。そんなに細かくいらないだろう。』
『ところで、侵入テロリスト部隊は民間軍事会社への委託だったんですか、村中さん。』
『エッ!違いますよ。私の方はブラック・ウォーター社を使おうとしたのですが東洋人の数が確保できずに断念しました。石原先生が手配されたのでは・・・。』
『何言ってんだ。僕の方はロイヤル・グルカをスカウトしそこなってアメリカから日本語の喋れない連中を一個小隊手配しただけだぞ。佐々さんだろう。』
『冗談じゃない、日本人を使ったらあとでペラペラ喋られて大変な事になる。私の方こそブラジルの日系人コンバット・ゲーム・マニアを一個小隊手配しただけですよ。』
『なんですって!それじゃあの大部隊は・・・・。』
『えっ。』
『まさか・・。』
『総理!』

おしまい

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202X年の怪 (日本侵略される!)

202X年の怪 Ⅱ(戒厳令ではない!)

202X年の怪 Ⅲ(何かおかしい!)

202X年の怪 (エピローグ)

202X年の怪 Ⅲ(何かおかしい!)

2014 SEP 25 12:12:43 pm by 西 牟呂雄

3日目
 警察官大量動員による山狩りは徹夜で行われたようだが、何のニュースも入らない。東北・北陸およびその他数県で県警に迷彩色の自衛隊員が常駐する画像が流れるばかりで、肝心の山狩りの成果はさっぱり伝わってこない。
 新設の大本営統合会議は朝から非公開で行われており、午前9時に記者会見が行われた。野田聖子総理を中心に安全保障会議の小渕優子官房長官・小池百合子防衛大臣・山谷えり子外務大に加え新設「大本営」の石原慎太郎特命本部長が驚いたことに迷彩服を着ている。またしても佐々淳之東京都知事の姿が見えた。野田聖子総理がマイクの前に立つ。
『一昨日に一連の海上及び陸上への攻撃について、現在分かっていることは極めて正確なミサイル攻撃であったことが判明しました。どこから飛来したものかはただいま調査中。不正確なことは申し上げられません。但し標的であった可能性の非常に高い各所の稼働中の原発について、操業に支障をきたす物的人的被害は出ておりません。放射能の漏えいもなし。電力の不安は全くありません。東京をはじめ各所で起こった磁気爆弾の爆発は明確なテロ行為と判断し警察総力を挙げての捜査中。人的被害は軽微とは聞いておりますが、大量のテータが破壊されておりバックアップ体制が間に合いません。今以上の混乱を拡大させないため、1昨日申し上げた金融・株式市場の閉鎖は続けざるを得ません。従って大都市部はカード決済もできずスイカ等も一部機能は失われています。混乱をこれ以上拡大しないため、本日は全ての公的機関を休み。国民の皆様には今少し辛抱をお願いします。但し、物資の流通は政府が万全を期しており生活に不安は生じません。今しばらく待機下さい。』
続いて石原本部長がマイクを握り締める。
『えー、現在進行中の防衛作戦について説明します。米第七艦隊及び護衛艦隊は日本領海内で作戦行動中。場所は申上げられません。ところで護衛艦隊は第一郡・第二郡の二つで別々の海域に展開。第一郡の旗艦は新型の垂直離陸可能型F-35改を搭載した「いずも」。第二郡は同型艦の「かしま」。それぞれオスプレイを搭載した「ひゅうが」「いせ」を配備しました。それから海上保安庁所属の一部とイージス艦「みょうこう」は沖縄方面を厳重警戒中です。もう一つお知らせします。テロ行為をし得る進入部隊の山狩りについて、都道府県知事並びに各県警本部との連絡体制を構築中と昨日申上げたましたが、一元的に管理するため暫定的に大本営に直属した「治安統合連絡会議」を設置し議長に佐々淳之都知事を任命しております。これによって防衛・治安の一体化が図られ、より早く国民の安全が回復されるものと考えます。それでは佐々議長から。』
『急遽議長を拝命した佐々です。全警察総力を挙げての山狩りでの逮捕者は全くございません。ただこの画像をご覧ください。』
会見場に映し出されたのは山の中の景色だ。
『これは某県の山中のものです。鑑識の分析では24時間前には30人程度が潜伏していた形跡があります。毛髪・指紋・排泄物が確認されておりますが、人種、性別、年齢は明らかになっておりません。次の画像。このミニ・バンの車列は昨日東北自動車道で確認されたものです。ネットで寄せられたものですが、次のこの写真、もう一つ、すべて同じ車列でNシステムでもヒットしました。明らかに組織的な行動です。同様の事例は中国自動車道、中央自動車道でも確認されています。従って正体不明のテロリスト集団が既に都市部の繁華街周辺に潜伏している可能性、更には国内にこの集団を支援する団体が有り得るということです。治安連絡会議は仮にそのような事態があるとすれば、断固として破防法の適用を執行します。更に深刻なのはサイバー攻撃を受けていることです。磁気爆弾テロ後、防衛・治安・公安関係に被害が出ております。初めて明らかに致しますが、政府内部での連絡はすべてアナログ通信に切り替えました。国民の皆さんにおかれてもネットでのやり取りは非常に危険です。一両日中には現在の山狩り体制から、地下に潜ったと思われるテロリスト捜査に切り替えます。警察の総力はそちらに傾注しますが、治安は引き続き陸上自衛隊の協力の下大本営の指揮下にあるとお心得下さい。ご安心ください、私には遥か昔ではありますが、浅間山荘で連合赤軍と対峙した経験があります。』
あまりの迫力に質問は出ず、水を打ったように静まり返った。大本営発表以外ロクにニュース・ソースがなく、又唯一の情報元のネット・SNS等も危ない、となっては何が何だか誰も本当の事を知り得ない事態となる。いつのまにか不審集団はテロリストと呼ばれるようになり、国民は現金が底を尽きかけ、自衛隊は生活空間で可視化され、海も空も封鎖され、大本営の呼称は違和感がなくなった。おまけに海上自衛隊がヘリ搭載空母にF-35まで載せているとは、野党が活発な頃には大問題となりそうな話もなし崩し的に受け入れられてしまう。更に不思議な事に一人の犠牲者もいないのだった。
 新聞は情報を載せられず、論評も出来ず、テレビは娯楽番組(アニメ等)を流す以外することがなくなり、NHKは大本営発表に備え静止画に音楽を流し始めた。
 夕刊が出た。一紙は裏側が印刷されていない。ある紙は『首都 さながら戒厳令』と打った。又、『テロリストどこに消えた』とやったところもあった。更には『どこに行った政治家』の記事も出た。確かに情報もなく、官僚も寄って来ず、指揮する組織も無いチルドレン議員は衆参ともに何の役にも立たず、テレビにも呼ばれない。この非常事態に頼りにならない、とばかりに軽んじられるばかりだ。
 しかし、一般の日本人は別に大慌てでパニックに陥ることなく淡々と日常を過ごしていた。農村部に至っては、この騒動の影響が全く無いと言って良かった。度々の大災害の時と同様で、ましてや暴動など起きない。国民は緊張しつつも寝苦しい夜を過ごした。自主休業した都市部の繁華街はともかく、地方ともなるとさすがに客足は落ちたものの飲み屋は平然と営業していた。因みにプロ野球は全試合中止された。

四日目
 この日は6時に大本営発表が始まった。国民は固唾を飲んでNHKを見た。今回は石原本部長と佐々議長だけの発表だった。石原本部長がまず登壇する。
『おはようございます。私から申し上げるのは防衛作戦継続中ということだけです。』
こう言ってマイクを今は『車椅子の議長』となった佐々淳之議長にさっさと渡す(シャレじゃない)。
『まことに遺憾ながら山狩りの成果は全くありませんでしたので作戦終了しました。テロ部隊は既に都市部に移動していると断定しました。たったの四日でこうも機動力があるのは、ある種の軍事訓練を受けていることは間違いありません。本日よりは公安捜査中心に切り替え、具体的に言えば国民の皆さんの隣りに紛れ込んでいるテロ集団を摘発するローラー作戦になります。御協力をお願いします。特に滞在中の外国人等の方々、不快に思われれるかもしれません。ですが国家存亡の危機といっても大袈裟ではありませんですぞ。一時滞在中・長期滞在中・特別永住者等の皆さんは、積極的に協力をむしろお願い申し上げます。尚、関係各所の懸命な努力により、本日より株式・金融・公的機関を再開させます。ただ、空港及び海上の海外との出入国はまだです。当面は貿易閉鎖。失われたデジタル通信機能は徐々に回復しておりますが、万全ではありません。又、海外でもこの事態について報道がなされております。日本がテロに乗っ取られた、日本で革命が起こった、ひどいのは日本が侵略を始めた、と言ったような風評を流している形跡が確認されています。従って外国人記者クラブにて大本営からの正式発表を致します。本日の午前11時です。以上。』

 外国人記者クラブに詰めかけた報道陣の前に現れたのは、大本営報道官の村中大佐と名乗る軍人だった。流暢な英語で以下のような内容を伝えた。注)東京オリンピック時点で自衛隊の階級は旧軍の呼称が復活していた。
『日本版NSCの指揮の元、都市部に流入したと思われるテロ・ゲリラ部隊の摘発は順調とは言い難く、警察当局だけでは人手が足りません。従ってまず東京23区・名古屋市・大阪市・広島市・福岡市を封鎖し、自衛隊も動員させて大ローラー作戦を行います。首都圏をはじめ各地の高速道路出入り口は封鎖、一般道路にも交通を制限、各外国機関の出入り封鎖、宗教団体へも協力を願います。しかしこれは法令に基づく調査であって、対テロ封じであることをご理解されたし。12時を以て作戦開始。尚、報道は自由ですが捜査の邪魔になることは避けていただきたい。質問を多少受けます。』
『AP通信のライマンです。どの程度の期間になりますか。』
『できるだけ速やかに、としかお答えできない。』
『ワシントン・ポストのリューゲですが。どういった勢力の侵入と考えられますか。』
『全く分からない。敵対勢力なのかどうかも不明。』
『ロイターのマンソンジュと申します。指定された都市部以外への同様の作戦はありますか。』
『勿論だ。西へも東へも北へも南へも、日本中隈なくである。失礼。これより作戦行動に入ります。』
会場はざわついた。村中大佐の声が次第に高揚してくるのが画面を通じて国民に伝わった。

 午後から自衛隊の走行車両と兵員輸送車が轟音を上げながら現れた。首都圏に限っては実際には環状八号を、大阪地区は大阪環状線を、他地域も県庁所在地及び市庁舎を中心に、繁華街を囲み込んだ様だった。
 この時第二のテロが起こってしまった。
 テレビの全画面が砂嵐状になり、ラジオからは物凄いハウリングが溢れ出す。何がしかの電波ジャックが起きたらしい。国民は一瞬情報難民となったようだ。
 この間30分程、不思議な時間が過ぎた。どうも電波ジャックを受けたのは在京キー局のみだったようで、キー局配信の番組は写らなくなったが、地方のテレビ及びBS・CSは見られた。地上波も直に回復したが、その間唯一の情報共有手段となったネットに流言飛語が飛び交った。警告にも関わらず多くの人はSNSを使い、実際一部を除いては繋がりにくい程度の支障のため、不自由は感じていない。噂の類は様々で、都心で機関銃の乱射音が聞こえる、UFOの目撃情報が多数アップされる、某国が日本上陸の準備中だ、揚陸艦が接岸した、在日米軍が横田基地から逃げ出した・・・・。

 深夜、都内某所で声を潜めた会話が交わされた。
「なあ、テロだか何だか知らないけどあれだけ撃ち込んで来て一発も当たらないってよっぽど下手なのか。」
「死傷者ゼロのテロって何だろうな。」
「上陸部隊って何するんだろう。本土の実効支配ったって現実味ないよな。」
「オレたちこうして酒飲んでるもん。」
「そろそろ仕事しないとまずいぜ。」
「うん。」

つづく

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202X年の怪 Ⅱ(戒厳令ではない!)

202X年の怪 Ⅳ(クーデター!)

202X年の怪 (エピローグ)

202X年の怪 Ⅱ(戒厳令ではない!)

2014 SEP 23 15:15:30 pm by 西 牟呂雄

 二日目
 朝6時、NHKは政府特別放送を発表するとテロップを流した。
 今回は小渕官房長官だった。石原本部長が脇に控える。何故か佐々淳之東京都知事の姿もあった。
『総理は官邸危機管理室に詰めておられます。私の方からはまず、金融・株式市場の閉鎖は明日一杯で、本日も決済は行われません。もう一つは本日衆参両議院の本会議を召集します。若干の不備があるやもしれませんが、午前11時から衆議院、午後3時から参議院の本会議です。討議はもちろん公開されます。くれぐれも本日中は国民の皆様の安全を確保するための緊急処置としてご理解下さい。冷静な行動をもって待機して下さい。具体的には石原本部長より発表します。』
 石原慎太郎がゆっくり登壇した。
『えー、これは戒厳令ではありませんよ。』
と笑いを取ろうと笑って見せたが、これは完全にスベった。
『只今から3時間後に全ての民間機の航空機の離発着を禁止します。続いて船舶についても入港出港を禁止。海上保安庁の全艦艇をもって臨検を実施します。アメリカ第七艦隊は海上自衛隊護衛艦隊と有機的に連絡を取りつつ、既に索敵を含めた作戦行動に移っており出動を完了しています。この一連の作戦は他国への領海侵犯及び侵攻を目的としておらず、集団的自衛権の憲法解釈範囲内であります。尚、不測の事態に備えるため特殊車両の市街地通行を許可すべく、道交法の改定を強く進言します。付け加えると昨日以来多数目撃されている、国籍不明の小隊は現在の所在が確認されていない。それこそ目的も何もわからない正体不明の部隊で、治安対策をどうするかここにいる佐々淳之都知事の意見を参考に各道府県知事と連絡体制を構築中。佐々知事、詳細をお願いします。』
車椅子の都知事、佐々淳之がマイクを握った。
『石原本部長の仰る通り、これは戒厳令ではありません。報道も規制されておりません。取材は自由でありますが、各人の安全を最優先すべきことをご理解の上で取材をお願いします。市民生活の安全が確保できるまでは気を付けていただきたい。ご覧ください。』
特別に据え付けられたスクリーンに各地から寄せられたメール等SNSの画像が映された。
『初めの画像は典型的な迷彩服に目出し帽の集団であります。小火器を携行していますね。こちらはGパンの集団ですが、ここを見て下さい、拳銃携行している可能性が高い。又、こちらは背中に背負っている荷物は野営の準備でしょう。目撃されたのは東北から日本海側の各県、北海道、太平洋側は茨木・千葉・静岡・紀伊半島・高知・宮崎・沖縄島嶼部。その後の行方は不明。最悪の想定はこれ等の集団がテロ行為を行う可能性があります。連合赤軍以来の国内での銃撃戦になり得るということです。従ってこれを排除、場合によっては制圧するため、各県警及び警視庁は総力を挙げていわゆる”山狩り”を行います。よろしいですか、警察による治安維持活動です。間違えないように。その間対象からの攻撃への備え、或いは都市部における通常治安維持に齟齬をきたさないよう、陸上自衛隊各県の普通科・施設科連隊を配置し総予備として当たります。その際市街地では軽武装。更に北海道等広範囲にわたる場合は特車連隊の展開が不可欠なので、先ほど石原本部長の言われた『道路交通方』の改定を待って速やかに出動させます。繰り返しますが警察警備行動の範囲内で、個別自衛権並びに集団的自衛権の憲法解釈を逸脱してはおりません。ところで官房長官以下国会の準備もありますので、会見は打ち切り、我々も移動し指揮を取ります。失礼。』
 11時、開催に合わせて議員達が国会議事堂にアタフタとやって来たが、一様に驚きの表情となる。議事堂が昨日はいなかった自衛隊員に護られているのだ。警官の姿も混じっているが遥かに少ない。迷彩服に身を固めた2千人ほど、習志野の精鋭空挺師団が堂々大型のバートルから落下傘降下して来たのだった。水も漏らさぬ布陣に普段はふんぞり返って議場入りする議員達もオドオドしながら入場した。前日、極秘に国会対策委員長会議が行われ、自民党高市早苗委員長から「この事態に国会として対処せざるを得ない。各委員会を開催している余裕はない。」の意見に押し切られ、各国会議員に非常呼集がかかったのだ。ただ、国会対策委員のいない共産党は欠席した。
『ギチョーーーー。本日は、最近のわが国領土への実態のある攻撃及び潜入部隊に対処すべく、状況報告並びに関連法案の審議を、ネガイマーーーース。』
独特の開会の掛け声と共に衆議院議長の指名を受けて野田聖子総理大臣が演説した。趣旨は状況説明以外に目新しいことは無い。最後には、
『何がしかの組織が我が国の安全を脅かしていることは明らかです。実は今まで報道されておりませんが、政府機関、防衛機関、金融機関等、国家の中枢への膨大なサイバー攻撃がなされております。我が内閣は各種関係先と歩調を合わせ、断固としてこれを阻止し、国民を守り抜きます。尚、これらに対する無慈悲な報復を持って対処することは考えておりません。』
と締め括った。準備も何もできていない野党陣営に質問で切り込めるはずもなく、騒然としたまま終わってしまった。もっとも情報の無さは与党も同じで、そもそも『道交法』が採決されたことに殆どの議員が気が付かなかったのだ。続いた参議院本会議は更に盛り上がりに欠けた。
 
 午後3時に、航空自衛隊浜松基地から早期配備されたF-35が次々にスクランブル発進を始めた。この時点の配備は未だ20機だが、3機編隊で轟音とともに離陸する。又、北海道の陸上自衛隊上富良野駐屯地から第2師団戦車連隊が小樽と根室に、静岡駒門駐屯地から第1師団戦車大隊が東京へとキャタピラ音と伴に出動を開始した。道交法改正の狙いはこれだったのである。これらの動きは専らテレビのニュースではなく、ネットへの画像アップにて国民の知るところとなる。又東京に限って言えば、2020年のオリンピックの為に整備された東京の都心インフラ整備によって、全ての高速道路は人知れずヒトマル戦車の通行が可能になっていたことは誰も知らなかった。改正道交法により駒門の戦車大隊はまっすぐに皇居に向かい堀端に配置された。照明に浮かび上がる戦車はさすがに不気味で、近寄る野次馬も出なかった。
 NHKの放送は中継以外に特に流すものが無くなったため、撮り貯めした番組は流せたがライヴ映像はない。泊まりこんだアナウンサー以外は局に来ることも出来ず、警戒に当たっている自衛隊員やヒトマル戦車、時々上空を行く自衛隊機を映す程度だ。駆り出される放送記者や評論家もステレオタイプの「軍国主義復活批判」のコメントは出せない、何しろ攻撃は起きてしまったのだから。夜中12時に石原本部長からブラック・アウトは解除の発表があり、各局も番組は流せたがタレントが集まらないためにバラエティ系の半組は全滅状態、ヘラヘラしている場合ではなくなってしまった。。

つづく

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202X年の怪 (日本侵略される!)

202X年の怪 Ⅲ(何かおかしい!)

202X年の怪 Ⅳ(クーデター!)

202X年の怪 (エピローグ)

202X年の怪 (日本侵略される!)

2014 SEP 20 12:12:11 pm by 西 牟呂雄

一日目 
 北陸の某所、午前11時。原発が再開されたことにより、人の流れが戻った地方都市の沖合いに轟音とともに水柱が上がった。数発連続して爆発した後一瞬静寂が訪れが、直に数倍の規模の水柱が立ち、山間部でも煙が上がった。住宅街の市民も作業中の農民も、仕事を放っぽり出して逃げ惑った。ただ、作業中の発電所職員は、徹底した危機管理マニュアルに従って通常運転は粛々と続けられた。
 同じ頃、北海道・東北数箇所でも似たような水柱がいくつも上がり、何者かによる攻撃があった模様だが、何れも30分もしないうちに第一波が終わり、近隣の人々からのツイッター・SNS等でネットに攻撃時の動画や被害状況がアップされ、騒然となった。
 ところが実際の事変が全て人里離れたところばかりでテレビ・クルーが間に合わず、ヘリを飛ばした頃には海面は穏やかに、山間部には白煙が登るのが少し写される程度の画像しか撮れない。
 臨時ニュースがテロップで入った。どの局も進行中の番組を打ち切り、のんびりした映像の前で『何者かのテロ行為の可能性があります。』とアナウンサーが伝えた後に、あわてて体育館等に避難した人々の『いやもう物凄いキーン・バーン・ドーンという音に慌てて逃げ出したんだけど。』というインタヴューが流されるのみで、一体何が起こっているのか、誰にもわからないのだ。
 午後1時頃から、又ネットに奇妙な画像が現れた。数名の目出し帽を被った武装集団が隊列を組んで駆け足で移動しているのだ。ビデオに撮られた映像では、どこに行くのか整然と走っていく姿が映り『何かあったのですか。』などと言う質問には一切返事をしていない。すばやいテレビ局はその映像を流し始めた。
 午後2時、県庁所在地と東京、大阪、名古屋、横浜、神戸、博多で爆発が起こった。こちらはいずれもほぼリアル・タイムで報道され、焼け焦げた事務所等の画面とともに『同時多発テロ』という言葉が飛び交うようになる。日本中が騒然となった。
 爆発のあった大都市ではそれまで普通に機能していたインフラが一斉にダウンした。特に爆心に近い所で全ての家電やATM・カードが機能しなくなり、パソコンから携帯から全部駄目である。中心部はパニックになった。
 無論、官庁も企業も警察も全部だ。事態を重く見た野田聖子総理は急遽安全保障会議を招集。そのころ原発を抱える地方首長から、風評により治安維持が困難との報告が寄せられ始めた。
 安倍内閣から後継指名を受けて、盤石の船出だった野田総理は慌てていなかった。驚いたことに官房長官・小渕優子、防衛大臣・小池百合子、外務大臣・山谷えり子、の四大臣会議メンバーが全て女性であることに多くの国民は『アッ。』と息を呑んだ。そして、
『いずれかの国家および組織のテロ攻撃の可能性を捨て切れない。国民の皆様におかれては、どうか冷静に対処願いたい。国家の安全は全く問題ない。』
との声明が出された。
 午後五時、警視庁は大都市の一斉テロは時限型磁気爆弾の爆発、という見方を発表した。官邸と警視庁は磁気爆弾の影響はシールドされて無事なのだが、パニックに陥った人々には伝わらない。しかし郊外の周辺部や地方は何の影響もなく、日常が進行しつつあったが、各紙夕刊は『日本に本格的同時多発テロ』の見出しを打ったが、不思議なことに実際の死者・けが人といった犠牲者は殆ど存在しないようなのだ。
 大都市中心部は帰宅困難者で溢れかえり、警視庁機動隊の出動が時の首長『車椅子の都知事』こと佐々淳之から命令された。同時に佐々知事より自衛隊に治安出動要請があり、練馬と朝霧の普通科連隊が皇宮警察との協力の元、皇居と官邸の警護が始まった。何故か国会議事堂は警備対象から外された。
 ほぼ同じ頃、原発を抱える各県の知事から、地区自衛隊への治安出動要請がなされた。村井宮城県知事、田母神福島県知事はじめ、自衛官出身の知事が多いことに気が付いた人はあまりいない。各地では原発の内部・敷地内に各普通化連隊を中心とした部隊が配備され、周辺を機動隊が警備活動をするシフトが整然と敷かれた。
 午後7時、沖縄地区警戒活動中の海上自衛隊のP3Cが墜落したと政府が発表した。緊張は一気に高まり、メールが飛び交って全国民の知るところとなった。
 野田総理以下、安全保障会議の四大臣はNHKの画面に現れた。
『複数の発電所付近に原因不明の着弾と、国籍不明の武装部隊の目撃が報告され、また大都市部に機能麻痺を狙ったかと思われる磁気爆弾が爆発しました。被害は調査中ですが、国民の皆様の安全を確保するため自衛隊の治安出動をかけ、警察警備も全力を挙げて展開中です。どうか冷静な対応をお願い致します。必要ない外出は控えて頂きたい。尚、明日から公的機関・小中学校並びに高校大学・各種専門学校等、金融関係、株式取引は当面2日間を目途に休止。役所、製造業は2日間は必要最小限の出勤とします。通勤、通学の安全が確認でき次第早急に平常に戻すべく新たに布告致します。』
 一気に喋ると、続いて小池防衛大臣が登壇し、
『事態を収拾するために、安全保障会議に海上保安庁を管轄する国土交通大臣と警察を管轄する国家公安委員長を加えた「大本営」を設置し、その下に在日米陸軍・空軍・第七艦隊・海兵隊並びに自衛隊統合幕僚会議を並列して大本営作戦本部とし、石原慎太郎衆議院議員を特命本部長とすることにしました。事態の進展に逐次政府発表をお待ちください。』
と締めくくった。石原慎太郎議員は既に90歳を幾つも超えていて、会見場はどよめきが起こった。
 その後、さすがに中心部の盛り場の表通りは人通りが減っって夜が更けていくが、よく見ると飲み屋は普通に繁盛しており、パチンコ屋もゲーム・センターも普段と変わらず営業している。地方都市では何の変化も無かった。
 しかし真夜中12時に突然「緊急政府発表」のテロップが流れ、再び野田総理が画面に現れた。
『容易ならざる事態が進行中です。但し、良くお聞きください。現在何者かの攻撃があることが想定されていますが、現実に十分なる抑止がされて国民生活になんの支障もきたしておりません。しかしこれから24時間を情報遮断、ブラック・アウトと致します。なお各社の報道は規制されませんが、通信障害を起こすので地上波は随時制限させていただきます。以下具体的な状況は石原本部長より申し上げます。』
代わって石原慎太郎がスックと立ち上がる。例によって偉そうにマイクの前に歩いてきて目を瞬かせた。
『まぁ戒厳令などと言えば騒ぐバカもいるかも知れんから、外出控え勧告ぐらいに思ってくれ。各地に攻撃を受け、一部ゲリラ部隊の侵攻があったやもしれないのだが、確認に至っていない。被害状況は現時点では極めて微小。しかし万が一に備える意味でも慎重に行動して頂きたい。尚、自衛隊全部隊に出動準備命令を、在日米軍に緊急即応準備要請、海上保安庁全艦船に出港待機、警視庁並びに各自治体警察に機動治安体制発動、全消防に防災体制準備発令。交通規制はしないが、24時間の情報遮断。即ち地上波の一部使用禁止だな。娯楽番組を止めろ、なんて言わないから。次の発表を待っていてくれ。NHKは自主報道と政府発表のため、私のところで管理せざるを得ない。答えられないことが多すぎるので、質問はなし、だ。』
 画面は解説者とアナウンサーのスタジオに切り替わったが、結果として何がどうなっているのか誰にも分からなかった。

つづく
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202X年の怪 Ⅱ(戒厳令ではない!)

202X年の怪 Ⅲ(何かおかしい!)

202X年の怪 Ⅳ(クーデター!)

202X年の怪 (エピローグ)

春夏秋冬不思議譚 (これはグローバルか)

2014 SEP 18 14:14:32 pm by 西 牟呂雄

 今日(9月17日)ロシア人の知り合いとお昼を一緒に食べた。『ズドラーストヴィーチェ。』と右手を差し出すと、分厚い掌でガッチリ握手してくれる。食事はおいしく、話は弾んだ。何しろ彼は日本に20年以上住んでペラペラだからだ。東京における共通のロシア人の名前も出たが、最近の祖国のややもすると強権的な姿勢は好みではないらしく人間関係は複雑なようだった。これは嘗て(かなり昔)のアメリカ・チャイナ・ソサイエティでも国民党派と共産党派の間で対立が見られたし、戦後日本の半島出身者間で北と南の仲が悪かったとされるのと同じ構造だ。『空手バカ一代』のゴッド・ハンド大山倍達が南派の行動隊長だったのは有名。
 EUと事を構えるとロシアは中国になびく、渡りに船とばかり中国は蜜月を演出する。だが、5年以上かかる大プロジェクトの金の算段を誰ができると言うのだろうか。片側で対立が深まると遠心力が働き反対側に求心力が生ずる、地政学のイロハである。何よりもウクライナ・ロシア・中国と国境が接しているのだから、今日の事態は色々な意味で緊張を呼ぶのは解るが。
 どんなカリスマでも常に15~20%位の反対勢力というのが存在するのはある意味健全で、100%の支持などは余程の弾圧および操作が無ければ有り得ない。大国ロシアであるならば、色々な思惑あって然るべきだろう。
『ダスビダーニャ。』
と言って別れたのだが、僕は少し考え込んでしまった。大国であるが故に国家がどちらの方向を目指すのか、ベラルーシ・カザフスタンとは経済統合に進む動きがある。さてはEU型を目指すのか。
 
 一方でスコットランドは独立の是非を投票で決める。こういうニュースは結果が出ないうちに論評してしまうのがミソだが、イングランドとの間に国境線を引いていいことは無いように思われる。半数近くが反対しても独立をするものだろうか。現に国境だらけのEUでいい思いをしているのはドイツだけ。
 フランスの人口学者エマニュエル・トッドが警鐘を鳴らしているが、強引なブロック化は競争優位差が追いつかなくなり強弱がはっきりしてしまう。即ち格差が広がる。『近隣を食い尽くす。』という表現で分析していたが、僕はこの意見に賛成だ。300年ぶりに分離独立して、財政は成り立つか。
 EU内部でもスペインのヤバい地方の独立運動等も激しくなると思われる。
 クリミアも一応『投票』の結果だった。
 それでもやはり『自主独立』の響きは抗し難いのだ(話が進まないので我が国についてはチョッと脇に置く)。

 片やTPPは最早何が何でもやる方向に違いない。世界の文脈からすると少し危ない様にも見えるが(農業への影響・食料植民地化・地銀乗っ取られ等)民主党だろうが自民党だろうが、はたまた公明党だろうが賛成してしまうのはアメリカの圧力が相当なものとしたら、ちょっと穿ち過ぎか。

 そんなことを思いながら吉祥寺の駅を降りて歩いていると、地元のおいしいカレー料理「ナマステ カトマンズ」の御主人が人を案内しようとして英語を喋っていた。この人は地元の名物男で僕も良く知っているネパール人だ。困っているようなので『ナマステー。どうしたの?』と声をかけると、傍らの東洋人が道に迷ったらしい。台湾人だと言う。
『ニィ・チュ・ナーリ?』
この「チュ(チィ)」はQとchの間のような発音で、蘇州や無錫で散々道に迷ったからこの発音には自信がある。彼は困り果てた顔で
『ウォ・チィ・〇〇〇・ツァー。』
何のことかさっぱり分からない。するとネットから打ち出した地図を出して
『ウォ・シャン・チィ(ここへ行く)。』
そこは『〇〇〇』というお茶屋さんだ。ツァ=茶のことだった。場所まではアヤフヤだったので番地を頼りに連れて行ってあげた。英語は喋れない。そして着いた〇〇〇は何と休みだった。これは仕方が無いので、彼も諦めて『シェイ・シェイ』と言い残してイケブクロ(らしい)に帰っていった。又来るのだろうか、今度は迷うなよ。
 そういえば台湾は『独立』をあんまり表立って声高に言う環境に無い。

 しかし僕は今日、三カ国語で挨拶をしたが、これはグローバルとは言わないな。

異邦人のあれこれ


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台湾旅情 Ⅲ

2014 SEP 16 11:11:52 am by 西 牟呂雄

 思い出深い台湾だが、もう少し書きたいことがある。国民党が上陸してしまったから、リパブリック・チャイナとなってしまったが、果たして概念的にチャイナに入るのだろうか。
 極めて大雑把な歴史的背景から考えれば、中原にある中華は農耕を良くし年貢を納めてこそチャイナ文化の華が咲く。
 すると、古来万里の長城の外側は関係ないと言って差し支えない。「西の方、陽関を出づれば故人無からん」唐の時代の詩だ。そして中華は海の向こうには除福の伝説や鄭和艦隊の派遣を例外として興味を持たない。オランダが台湾を統治した際にも文句一つ言った形跡はない。
 僕はこのエリアで上海・台北・香港と渡り歩いたが、それぞれ性格が違う。言葉も本当はマンダリン以外通じない。悪口はSMCの趣旨にのっとって書かないが、台北が一番お人好しだった。
 例の『素食』でご飯を食べたときに、量り売りの料金を払ったあとにお婆さんがチョコチョコっと寄ってきて「おいしいおかゆだよ。」とサービスしてくれた。こんなことは上海や香港では絶対に起こらない。しかも上手な日本語だった。

 言葉に関しては、前編でミンナン語、北京語、現地語(アミ語やタイヤル語)を紹介したが、客家も多い。僕は客家語の1・2・3・4がイチ・ニィ・サン・シィという読み方だということを台湾で知った。
 更に北の日本人妻ではないが、台湾人と結婚していたり(男も女も)何らかの事情で引き上げなかった旧日本人が(国籍はまだあるが)暮らしているとも聞いた。
 
 AOさん(怖くて本名は書けない)という不思議な日本人に会った。日台の交流促進のNPOの名詞を持っていたが、謎の多い人だった。一度台北で酒を飲んだときに、例によって僕がベロンベロンになって地元の酔っ払いに絡まれた(絡んだ?)。すると早口の中国語で何かまくし立てると周りが怯んだそのスキにサッと僕をタクシーに押し込んでくれた。当時の僕より20歳以上年長のおじいさんで大した貫禄だった。確かその時だったと思うのだが「自分は陸幕の別班だった」と言った記憶がある。
 この人、大陸の事情に通じていて実際に香港にも活動拠点があったらしい、いやマカオだったか。2000年頃。李登輝の後任の総統選挙では大陸からの猛烈な工作が仕掛けられていた。その際突如として独立派として知られる大物財界人の許文龍(シィ・モン・ロン)氏が独立反対の意見を発表して少なからず驚いた。このときにAO氏と会ったのだが『あれは許(キョと言っていた)の奴が大陸に入れ込み過ぎて共産党にカタを取られたんだ。』とギョッとすることを言ってみたり、又なんの用があったのか知らないが、(もちろん戦後)海南島に住んでいたような話もしていた。段々ヤバいと感じて、上記『陸幕』の話はとうとう確認せずに僕が台湾から足を洗ってしまった。
 
 あれからもう長いこと行っていない。色々変わっているだろうが、あの人たちの人懐こい笑顔が懐かしい。

台湾旅情 

台湾旅情 Ⅱ


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藤の人々 (終戦編)

2014 SEP 14 12:12:45 pm by 西 牟呂雄

 ある日聡子は父親から呼ばれた。
「空襲も酷くなってきた。お母さんと弟を連れて疎開せい。」
「お父様はどうなさるんですか。」
「ワシが東京を離れる訳にはいくまい。陛下も皇居に居られる。」
「何処に行くのでしょうか。」
「なまじ東京に近いと里心がつく。新潟の造り酒屋に行く所を手配した。ところでお母様は妊娠中だ。」
「まぁ!」
母親はこれまたどうしようもないお嬢様育ちで、聡子とは逆に実務能力は皆無であった。
「すまんことだがお母様はあの調子だ。頼りになるのはお前しかいない。ここはひとつ頼む。」
「わかりました。」
実は聡子の実母は早くに死別していて現在の母親とは血のつながりはない。慌しく身の回りの物を取りまとめ引越しさながらに疎開先に向かった。無論敗戦などは考えもしない。

 江田島の兵学校で腕章を巻いた週番生徒が叫び声を上げた。広島の方で物凄い光が走ったのだ。続いて轟音、猛烈なきのこ雲が目視された。兵学校は騒然としたが、陽は敗戦まではまだだ、これから一戦と思っていた。
 しかし、15日には終戦の詔がはっきり聞こえた後、兵学校は粛々と解散を決める。生徒は各々郷里へ帰っていった。省線のダイヤは正常だったのである。広島を通過しているが放射能の危険性は喧伝されておらず、駅舎の水道水も平気で飲んだ。

 貴が普請道楽で心血を注いだ隠居のための喜寿庵は、戦時統制の様々な制約を受けてしまい、本来の広さを確保できずに一応の完成を見ていた。ここで終戦の詔を聞いたことになる。既に企業統制に戦時協力して家業を継続する気がなかった貴は玉音放送を聞いた後、女学校に通う長女の知(とも)、小学生の行(いくえ)と泰(やすし)に言った。
「日本は戦争に負けたようだ。」
 貴は庭に面した部分に大きく藤棚をせり出させて、家紋でもある藤の花を楽しんだのだが、この日に鞘が一房ポトリと落ちた。
 丹精込めた庭を眺めながらつぶやいた。
「これからは、もはや余生だな。」
一口、お茶を啜った。46才であった。
 幸い、神田の店は焼けなかった。下町は文字通り焼け野原になったが、当時は銀座エリアには多くの川があり、火は山手線の内側まで拡がらなかったのだ。
 
 9月になって、江田島から陽が帰ってきた。多少の遅れはあったが、電車は概ね正常に運行されていたという。
「おお、無事だったか。」
「ただいま帰りました。無念ながら兵学校は解散となりました。」
「広島はどうなった。」
「駅は爆心から離れていましたので列車は運行されましたが、焼けただれた市街地は見えました。」
「やはり新型爆弾だったのか。」
「長崎もそうです。針生分校の連中が同じようにキノコ雲を見たようです。」
「ウム。これからどうする。」
「2号生徒なので、卒業資格がありません。募集のある高校を受験しないと。」
「ああ、それならM高にでも行け。ワシはチョッと神田の店を見に行ってくる。幸い静さんの姉さん達の嫁ぎ先から米だけは何ぼでも手に入るから。」
 ともあれ無事を喜び、一家は記念撮影をした。深刻な状況はまだまだこれからだったのだ。
「何もかもこれからやり直しか。」
陽は妹弟達に目をやって呟いた。しかしこの家系は不思議としたたかで、弟達はニコニコしながら『まだ、僕達は負けてない。』と言い張った。一族郎党に戦死者が出なかったせいかも知れない。

 同じく聡子の実家も焼失を逃れていた。敗戦とともに帰京を促す手紙が来る。しかし、乳飲み子の末っ子が生まれていたのだ。母親は赤ん坊の世話で手一杯で、なおかつ例によって実務能力はなくオロオロするばかりだ。ジリジリしながら生まれたばかりの弟の首が座るのを待った。
 ようやく目処がついて年末には帰京した。未だ復員の大混乱のちょっと前だったが、頼りにならない母親を連れて幼い上の弟の手を引き、汽車の座席にはマナジリを決して乗り込んだ。
 帰ってみると父親は戦後処理でこれまた手一杯で家族を構う余裕はない。通っていた女学校は戦災で焼け、移転して仮校舎の有様。大人達は建国以来の敗戦・占領に一様に我を失い、食うに困る有様だった。
 ところが、占領は思ったほど暴力的ではなくGHQは暫くは融和的な姿勢にさえ見えた。実際は巧妙な統制が施されていたのだが・・・。
 しかし、聡子の実家は経済的には苦しくはなった。もっとも日本中が贅沢のゼの字もなくなっていたのだ。海軍兵学校一号生徒だった兄も帰ってきて旧制高校に編入したが、一家の稼ぎは無くなった上に父親は公職追放となる。しかしまだ若かっただけに切り替えも早い。元々外国文学が好きだったこともあって、英語への抵抗はあまりない。聡子は更に闘志を燃やす。
 しかし世間はそれどころではなかったのだ。まずはインフレ、そこへ持ってきて新円切り替えで資産の殆どを失いとどめを刺された。闘志は別の形で発揮された。
 先祖伝来の鎧兜、名刀『備前長船』を売り払い家計をやり繰りする、17歳の娘がである。この備前長船兼光は数代おり、いずれも室町・南北朝時代の大業物のうち天文年間の兼光モノだった。同時代の兼光モノで現在重要文化財になっている物が現存している。一振りで一家は三年食えた。

 大幅に売り食いしたのは藤家も同じだが、貴が最後に建てた喜寿庵のみ残った。そしてたわわに下がる藤棚の花の下で、陽と聡子は長男穣(ゆたか)を抱いていた。敗戦から数年が過ぎていた。
「しかしオヤジがこの喜寿庵を売りとばしてヨーロッパに行く、と言い出した時は慌てたな。」
「お父様そんな事仰ってたの。」
「ああ。オレとお袋で必死に止めさせたんだ。」 
 二人は結婚したのだ。ただ、スタートは前途多難だった。両家共々落ちぶれかけていたのだが、結婚の段取りの流儀が違いボタンが掛け違った。双方体面を重んずるあまり当主は前面に出ず、叔父に当たる者同士が話し合い大喧嘩となってしまったからで、きっかけはどちらも『そっちから来い。』と譲らなかったというつまらない理由のようだった。結局結婚式はあげられなかった。しかし我儘一杯の貴も昨年父親と同じ脳溢血で他界、その後の整理がやっとついたので実家への出入りは自由となった。
 風が吹いて藤の房が揺れる。この花が大好きなクマンバチが飛んでいる。穣が幼い声を上げる。
「ハチ、ブンブン。」
 世相は慌しく、サンフランシスコ条約は成って占領軍は帰ったものの、吉田総理の政権は安定しているとは言い難い。陽の学生時代もそうだったが、左派勢力は社会の一角に根付いた。米ソの対立が言われ、先は読みづらい。誰もが不安を抱えながら生活に追われた。
 フト穣のあどけない表情をみて二人は同時に同じ事を考えた。『この子の代までこの藤の色は同じだろうか。』と。
 
おしまい

 ちなみに、この家系は一代おきに真面目と遊び人がかわるがわる出るが、2014年時点でもその循環を繰り返している、穣(ゆずる)から剛(つよし)へと。

藤の人々 (戦前編)

藤の人々 (昭和編)


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藤の人々 (昭和編)

2014 SEP 11 19:19:27 pm by 西 牟呂雄

  貴の長男誕生と逸の急死がその前触れとなった。
逸は本当にあっけなく逝ってしまった。大酒飲みで血圧が高く脳溢血だった。この病は当時は倒れてからは早い。遺言も何もない。陽(あきら)が生まれ逸もたまに神田に顔を見せてかわいがっていた。ともあれ貴は三十前に当主になってしまったのだ。当時は旧民法で、貴は順調な家業を一人で相続した。妹節はとうに陸軍将校と家庭を構えていた。
父の死という現実も、こうも唐突だと現実感からは遠い。しかも後世と違い人の死というものが、戦死・病死等日常事であり、従って細々とした葬儀の手続きも事務的に行われるうち、悲しみが引いていく。特に藤家は淡々としていた。

 黒紋付きの染抜き技法はいくつかの専売特許に守られほぼ無競争であり、宮内庁にまで納入していた。菊の御紋章は工場総出で水垢離をし、隅々を塩で清めてから全員白装束を付けての仕事であった。無論黒染めであるから一回で汚れてしまい使い捨てだから、大した儲けにはならなかったが貴はお構いなしである。
 長男陽はどちらかといえば静に面立ちが似ていて、よく笑う子供だった。二年後長女知(とも)が生まれる。このあたりから貴のタガが外れだした。静と子供達を工場のある地に母ひろと住まわせ、自分は神田・京都・工場をまさに神出鬼没といった風に渡り歩き、住所不定状態になっていた。
 神田の店には新たに、お気に入りで帳場を任せていた生真面目な沼田を番頭にし「支配人」と呼ばせた。ある日沼田が算盤を入れていると円タクが停まり、中から大きなバッグを担いで貴が裏口から入ってきた。振り返ると目が合った。
「おかえりなさいまし。何ですかその大きな物は。」
「うん。これはな、ごるふ、というスポーツの道具じゃ。」
「ごるふ。何ですかそれは。野球のようなものですか?」
「そんなアメリカ人がやるような野蛮なもんじゃない。歴とした英国貴族のたしなみじゃよ。」
 話しぶりまで貫禄をつけているつもりである。当時は東京も新宿を越えれば十分田舎であり、生活圏は山手線の内側だけで足りる。ゴルフなど、ちょっとした遠足気分でいくらでもやれた。ただ、上達はしなかった。
 その点山登りは競技ではないので、一人で満足感に浸れる。こちらの方は生涯の趣味となった。貴の周りには取り巻きのような遊び仲間が始終出入りするようになり、「旦那」とか「大将」などとチヤホヤし出す。思いつくままに突然『よし、山に行くぞ。』となるとたちまち装備一式が用意され、全て貴持ちで出発することも頻繁にあった。
 昭和初期は色々と事変も起きているが、いわゆる読書階級は平和なもので、悪いことに静の姉たちが嫁いだ先の大庄屋、造酒屋といった輩は誰も働いている者はいない。それぞれ鉄砲撃ちだの弓だの、挙げ句の果てには自分は何もしないでクルーを集めヨットに乗る者までいた。貴の性格からして、人がやっている面白そうなものには手を出さずにはいられなかった。
 次男行(ゆくえ)が生まれた。狂喜した貴は高価な帯を買い与える。実は前年に双子を死産させてしまい、その後の精神的落ち込みに手を焼いていたからだ。こういうときの貴はまるで役に立たず、それは悲しいに違いないのだが掛ける言葉もなくオロオロするだけだった。
 大陸での事変は手を変え品を変えとさっぱり終わりが見えない。しかしながら藤家周辺では兵役に行く親族もおらず、さしせまって慌てることはなにもなかった。むしろ昭和八年は好景気に沸いた。ヒマを持て余した貴は現地調査と称して満州旅行に出かけてしまう。
 陽は学校帰りにブラブラと大通りを歩いていた。小学校では図抜けた秀才だったが、それもそのはずで、東京のど真ん中ならいざ知らずこのあたりでは百姓の子供は勉強することはまずない。中学受験をすること自体が地域ではエリートと言える立場であり、更に農地解放以前ともなれば小作農が大多数を占めていた。秋風が感じられる涼しい午後だった。遠くの方から大通りをこちらにくる大柄な男を見てギョッとした。一目で貴と分るシルエットが支那服を着てよせばいいのに満州国皇帝のような丸い色眼鏡をしながら歩いていた。この前満州旅行に行った時に新京で仕立てさせたと言っていたが、まさか町中を着て歩くとは思わなかった。あわてて横道にそれて家に帰った。すれ違う人は皆下を向いたりして、とにかく顔を合わせないようにしているのだが、貴はニコニコしながらむしろのぞき込むようにゆっくり歩いていた。暫くして貴が帰ってきた。
「おい静さんや。陽、陽、あきらー、ともー、どこにいる。」
大声で家族を呼んだ。陽は話の内容が容易に想像がついて舌打ちしながら階下に降りていった。
「どうだ、町中で誰もワシだと気が付かなかったぞ。」
「あれまあ、そりゃそうでしょうが、まあおよしなすって。」
 かろうじて静が取り持った。しかし既に町で噂になっていることを知っていた。陽が耳にしたところでは、『また藤の大旦那のおふざけが始まった』であった。すれ違った人々も下手に気が付いたことがわかれば、大げさに驚いて見せなければならず、バカバカしくて知らん振りを決め込んでいるのだった。
 暫く面白がってその恰好で喜んでいたが、さすがに町の人々もすれ違う際には挨拶をするようになってしまったら貴はもう飽きて以後見向きもしなくなった。
 ところが、今度は真っ赤なブレザーに乗馬ブーツに身を固め、拍車の音をチャラチャラさせながらウロつきだした。英国紳士の嗜みとでも思ったのか、手には乗馬鞭を持っている。しかしながら本当に乗馬しているのを見た人間は皆無であった。大体そういった奇抜な恰好をするのは地元に限られていて神田や京都では決してしない。周りは自然に飽きがくるまで放っておくしかなかった。
 三男泰(やすし)が生まれる。
 この頃から風向きは変わった。まず昭和八年が暮れると不景気が襲った。世情騒然とする内に二・二六事件が起きる。
 貴は気質としては、はっきり保守派であり大の共産主義嫌いであったが同時に役人も嫌いであり、今日の言い方を持ってすればノンポリもいいところ。事件のときには折しも神田にいたが、わざわざ野次馬根性まるだしで反乱軍を見にも行っている。そして世間に背を向けるように、今度は普請道楽に凝り出した。
 まずは材木の手配から始め、渓谷の崖の上の土地を物色し、庭の設計を始めた。場所については、富士の裾野のちょうど冬場の夕日が遠景の谷間に落ちるポイントを見つけて狂喜した。
「門前の小僧習わぬ経を読む。骨董の目利きはいい物を見て磨かれる。」
と称し出入りの大工の腕利きを二人、京都の支店に半年も神社仏閣を見るように居候させた。二度ほど顔を出しては自ら案内するように「このたたずまいをマネできるか」「庭から見上げたときに同じように日が入ることを考えて見ろ」等と言いながら連れ歩いた。
 大石を川から運び上げ、家相に凝り、挙げ句の果てには庭からの景観に気に入らない人家があったのでわざわざ大枚をはたいて樹木を植えさせた。相手にしてみれば酔狂にも金まで払って人の家に庭木を植えてくれるのだから有り難い話である。
 更に一角に父逸の業績を記した記念碑を建てることを思いつき、デザインからブロンズのマスクに文案まで自作した。そして母ひろの喜寿を記念して喜寿庵と名付けた。
 言ってもどうなるものでもなく、静はほったらかしにしていた。工場は五十人程度の人間が居り、面倒見が良かったので工員の相談事に乗ってやったりしていたが、周りの方も大旦那に言ってもロクに取り合ってもらえないので静の方に行くようになっていまい、そのうち帳簿のやり繰りから経営全般は静がやっているような状態になった。
 陽は中学生となり、知と行は小学生、よちよちしていた泰を従えて、夏は沼津の海水浴に冬は赤倉のスキーにと一ヶ月以上も逗留する有様で、その間の切り盛りは全て静だ。静は利口に全てをこなした。

 一般人にとっては、寝耳に水の十二月八日、後の運命を暗転させることになる対米英蘭戦争が真珠湾攻撃で始まった。負けるなどとは夢にも思っていない国民は初戦の成果に狂喜した。
 貴はというと、喜寿庵の仕上げに水をかけられた恰好になりどちらかといえば不機嫌だったがまさかふて腐れる訳にも行かず無聊を持て余した。
 ミッドウェーの大負けを知らされない国民は2年程「勝つぞ勝つぞ」のいさましさに酔いしれていたが様子がおかしくなってきた。
 工員にも神田の店にも徴兵が来だして統制色が色濃くなる。さすがの貴も慌てるかと思いきや、工場統制が始まり染め物どころでなくなると、これ幸いとお国のために協力とばかりに工場を閉じた。兵隊に教師がとられた女学校の英語と化学の教師まで買って出て、一方で弓に凝り出す。
 しかし成績抜群の陽が海軍兵学校を受験する意思を固めると人ごとではなくなった。海軍兵学校は苛烈な教育を持って知られるが、戦局が厳しくなってくると拍車がかかるように厳しさが増す。実態は下級生を殴ってばかりで些か粗製濫造の感が拭えなくなるが、ともあれ陽は合格し呉の江田島に行った。
 ガダルカナルは撤退。サイパン陥落。アッツの玉砕で国民にも敗戦という言葉がちらついたが、口に出す者はいなかった。一方の中国戦線では連戦連勝の記事がまだ新聞紙上に踊るのである。
 工場(こうば)のある街に学童疎開がやってきた。首都空襲があったからだ。

 この頃、東京の山の手で一人の少女は元気一杯だった。
 少女の名は聡子。父親は高級サラリーマンで、家系は御維新でやや傾いたが源氏に連なる名家。戦前のサラリーマンは給料も税金も平成の今日とはケタ違いで、団体役員クラスは特権階級化していた。恐い物なしのやりたい放題だ。普通は単なる我儘お嬢さんとなるところが、何でもトップに立ちたがる性格がいい方に出て、勉強でも体操でもガムシャラにやるのだ。名門女学校に合格してみると、周りの同級生も大体似たようなものでお山の大将だらけだ。世間知らずの女の子同士は俄然意地の張り合いが始まり、聡子は猛烈にがんばる。おかげで一方の旗頭になる頃、戦争が始まった。
この一族は官吏、海軍軍人、裁判官、といった一族でいわゆる平和な時代のアッパー・ミドルを構成していた。それぞれ一家を成していたが叔父・伯父達は例外無く酒好きで、法事等の集まり事があると物凄いことになった。全員愉快に酔っ払い、集まった大勢の従兄弟たちは子供同士で遊んでいる。
「聡子、聡兵衛ー!こっちへ来い。幾つになった。」
「十四です。もう女学校ですよ。」
「オォ、もうそんなか。それじゃ酌の一つもせい。」
「はいはい。おひとつどうぞ。」
「うお、なかなかやるじゃないか。わははははは。」
頭を撫でようとしたが酔い過ぎて手元が狂った次の瞬間、聡子は細身の身体ごと床の間まで吹っ飛んだ。子供達は息を飲んだが、大人は余興とばかり笑う。聡子はこの時のことを後に思い出しては『首がもげるかと思った。』と語る。当の伯父は講道館柔道三段の猛者だった。
 兄が海軍兵学校に進んだ頃から戦況はおかしくなってくるが、聡子は逆に闘志を燃やしていた。アメリカ何するものぞ、負けるものか、と。同級生にも同調者が多くエスカレートする。ある日身内を亡くした一人さめざめと泣きだした。
「やさしいお兄様が戦死なさったの・・・。」
悲しみは伝播しその後高揚する。と、一人の優等生がスックと立ち上り。
「いいこと!うちのお兄様は海兵を恩賜で卒業なのに(上位5番以内のこと)戦死されたのよ。そんなに泣くもんじゃありません。」
今では大問題と言うべき発言だが、聡子はもっともだと思った。他の同級生も「さすがね。」という反応だった。

つづく

藤の人々 (戦前編)

藤の人々 (終戦編)


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