Sonar Members Club No.36

月別: 2014年10月

喜寿庵の秋 Ⅱ 地方創生

2014 OCT 31 9:09:22 am by 西 牟呂雄

  喜寿庵にいたら、夜に地元の大学生が大勢訪ねて来た。これも不思議な集まりで、某大学のサークルが地元との交流目的でやってきてはみんなで料理したりお喋りしたり。校風は概して真面目で公務員・教職志望が多いが、エリアがエリアだから世間ズレしていない子ばかりで驚くほど社会を知らない。そこでオジサンが世の中の話をしたりする。僕がやっているような世界のアチコチで滑って転ぶような話がそんなに役に立つとも思えないが、それでも目を輝かせて質問してくる学生に語り掛けているうちに、いい気持ちで酔っ払ってしまった。
 その中の一人の女の子は今年卒業するのだが、ここに残って起業するそうだ。いまどきの子らしく『女性であることを前面に出したくない。』『今やらないと一生できないかもしれない。』等と元気です。地場のお菓子屋さんや織物屋さんと一緒に何か商品開発ができないか、市役所の観光課と組んでイベントの目玉になるものを考える、そういったことを仕事として行くようだ。勿論応援するが、若い女の子の超えるべきハードルは高い。資金の目処はつくのか、消費者はどこにどれだけいるのか、流通はどうするのか・・・。ご他聞に漏れず、街中には空き家とシャッター商店だらけで人口は減っている。繁華街もフーゾクもない。彼女が徒手空拳でやろうとしていることが上手く行ってくれること応援してやりたい。
 地方創生が政策課題になり、大物大臣が就任した。この人話し方もゆっくりだが人の話もじっくり聞いてくれそうでだが、地方の陳情なんかも真面目に聞いてくれるのだろうか。いきなりこの女の子の事業計画に予算をつけろとは言わないが”じっくり”聞いてもらえばこういったネタはたくさんあるのではないか。規制緩和も大都市でやるより、物凄い田舎でマリワナを解禁するとか離島にカジノを作るとかした方が効果がありそうだが。今頃日本法人を立ち上げる外資はファンドか外食くらいだろう。

 冗談はさておき、あしたは手作り感溢れる地元産業展示会もある。ここは江戸期中頃まで将軍家に献上する為の『御茶蔵』があった所で、本当に御茶壷道中があった。あの「茶壷に追われてトッピンシャン」のお茶壷道中だ。それを復活させて神社から会場までパレードというか行進というか、道中して見せるのだそうだ。市の観光課が主催し、学生さんたちがボランティアで行列に扮する。ちゃんと「したにー下に」とやるらしい。どうせそれ目当てで観光客が来る訳はないのだから、参加者と地元の人が楽しけりゃいいのだ。そういえばここは火事で焼け出された松尾芭蕉が半年ほどいたことがあったり、その昔秋元藩だった時の大名行列を再現したりもしている(九月の八朔祭り)。何回か見たが参加者は楽しそうにちょんまげの鬘を被って毛槍を投げる芸をしたりしてゆっくり長い時間をかけて進んでいた。考えて見ればお江戸の昔は文化は地方にあったのだ。江戸の旗本は勉強なんか全然しないでヘラヘラしており町人は税金なんか何にも払わずチンタラ暮らしていた。各藩の藩校で鍛えられて頭角を現した秀才が昌平坂学問所で朱子学をやる。そしてクニに戻って私塾を開いたり師範になったり。廃藩置県は時代の趨勢だが、300諸侯の国割りは現在の小選挙区と重なるのは、エリア分けとしては良く出来ていたのだろう。

 話がズレたが要は『地方創生』は上から目線で無理矢理予算をつけたりするパフォマンスではなくて、そこでみんなが楽しんでいることを見て少し助ける、そのあたりからやるのがよろしい。地震復興も現地に張り付いている役人はいるのだろうから(自治体でもいいんですよ)、仮設住宅に住み込んでやる位の気概があった方がベターでしょうね。復興予算の名の下に各省一度査定で切られた予算を一斉に復活させたという噂は根強い(民主党時代)。

 そう言えばパートナーのロシア人を招待した時にも学生達がバーベキューをやっていて、酔っ払った彼は『ロシアで仕事がしたければ無条件に採用する。』と言い出して僕を慌てさせた。

 ひとつ明日はその『産業展示会』と手作り『お茶壷道中』を見に行こうか。

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喜寿庵の秋 懺悔の値打ちもない

喜寿庵の秋 Ⅲ 

喜寿庵の秋 懺悔の値打ちもない

2014 OCT 29 7:07:21 am by 西 牟呂雄

 久しぶりに喜寿庵に来て、庭を掃いたり芝生の雑草を抜いたりして過ごした。夕日はまだ冬至のポイントに落ちないが、楓は少し色付いた。朝・夕はもう冷えるので暖房を入れている。この冬も去年のような物凄い雪が降るのだろうか。

喜寿庵から見た桂川渓谷

喜寿庵から見た桂川渓谷 この光景がもう直ぐ真っ赤になり そして冬枯れになる

 良く考えてみると、何年も前から次の事しかやっていない。酒・旅・ヨット・ゴルフ・スノボだ。えっ?仕事はどうした?そりゃまぁその~・・・。
 そしてツラツラ思うに、どれもこれも絶対にこれ以上腕が上がらないだろう。もっとも『旅』の腕が上がるとは言わない。今までのような破れかぶれ、行き当たりばったりとはいかない、という意味なんだが。何しろこれから後の時間の方が確実に少ないからだ。酒・旅は少し違うが、その他は夢中になってセッセと打ち込んだ訳でもないから、そんなに上手くなるはずは無いのだ。
 そして書いてきて気が付いたが、振り返って見ると人生全般に渡って集中して基礎から練り上げてモノになった物など何もない。これは大変にマズいのではないだろうか。放り出した事は正に死屍累々といった感じで、水泳・バスケ・ギター・麻雀・語学・ドラムと続く。いわんや勉学に於いておや。今までの人生を殆ど一発芸とアドリヴで生きてきてしまった。
 行き当たりばったりとはこんな感じだ。学生時代。
 大昔には、今ほど厳しくなかったから車でどこへでも行ってそこらじゅうに停めては、少し飲んだ後に世田谷通りのラーメン屋までジェームス・ブラウンをガンガン鳴らしながら何台も繋がって行き、そこでもビールをあおった。又、ある時は飲んでいる内に『踊りにいこう。』と盛り上がり、横浜は本牧の米軍御用達のディスコ(当時はクラブとは言わなかった)まで行った。ヘトヘトになって第三京浜を帰った明け方にクールス(舘ひろしがやっていたバンド)の紫のハイ・ウェイという曲を大合唱。こういうのをはっきり言ってバカという。もう二度とやりませんがね。第一酒に弱くなって電車でも帰り損なうのだから。そして信じ難いことにこの頃のメンバーはドサクサ紛れに全員が固いサラリーマンになっている。よく『もう一度若かった学生時代に戻りたい。』という立派な人もいるが、僕はゴメンだ。
 遡って高校・中学・小学校と思い出したくもないことばかり。『会った途端に往時に帰る』といった感想を同級生交換なんかで見かけるが、僕が往時に帰ったらば恥のあまり途端に悶死するだろう。節目の年ということでこの秋同窓会が二つあったのだが、良くしたものでどちらも都合が悪かった、ゴメンなさい。
 こんなことを書くのは因果応報を身に染みてこのごろ味わっているからで、現在のマヌケな状況は全て自分自身が原因だと分かっている。おまけに我慢・努力・反省といった美徳をかけらももっていない。だからその後も僕の新入社員時代僕の駆け出しヒラ時代で詳述したようなアホ暮らしをしていた。ただ、大げさに言えば意識はしていなかったが『命懸け』の勢いはあった。

喜寿庵の夕日ポイント

喜寿庵の夕日ポイント 鮮やかな紅葉がはじまる直前

 それが、冒頭の『これ以上は腕が上がらない』とか『ムチャはできない』となると話が違ってくるのではないか。懸ける命の時間が残り1/3になったと考えれば宜(むべ)なるかな。放っといたって時間は勝手に減るのだ、イマイマしい。
 しかし不思議なもんで、そこで一段と元気になるのが僕のいい加減な所だ。少し前の初夏の頃、ついにここにいてすることが無くなったので、一人で渓谷まで降りて上流から流れた空き缶を拾った。ある時川に降りてみると、わざと捨てる人もいないと思うのだが物凄い数で、他にも発泡スチロールやカップ麺のゴミとかビックリするほど流れ着いていた。これを仕分けすることなんか到底できないので、思い立って空き缶専門に拾った。いずれ燃えるゴミもやらなければと張り切っている。
 ついでに何も作る予定もないのに、猫の額ほどの畑を耕運機で掘り返したりもした。これは思ったより遥かに疲れたが、歌いながらセッセとやった。来年はジャガイモでも植えてみようか、そうでもしなけりゃ何のために掘り返したのか忘れてしまうかもしれない。

木漏れ日が射す芝生

木漏れ日が射す芝生 奥に紅葉(モミジ)

 こういった感じで、人から見ればどうでもいいことに精を出す。傍から見れば少しアブナいおっさんに見えるかも知れないないが、いちいち説明するのも面倒だ。
 右の木漏れ日が模様を作ったような芝生を見ていると、ついつい手が出る。
 その先には植木屋さんがもう手を入れなくなって頭が爆発したようになってしまった庭木が隠れているのだが、その剪定も始めた。およそ20年は鋏が入っていないと思われる物で、いくらやっても丸くならない。上を思い切り刈り込んで見たら返って変なカタチになってしまい、慌てて裾を切っている始末。そのうち三角にでもなってしまわないか・・・・、まさかね。
 今晩は学生さん達が大勢訪ねてくるらしい。

つづく

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喜寿庵の秋 Ⅱ 地方創生


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出雲に初めて行きました Ⅱ

2014 OCT 26 15:15:06 pm by 西 牟呂雄

 一泊のあわただしい旅だったので、あそこはもう少し、こっちにもアレがある、は山ほどありますが、流れ旅というかあんまり詰め込んだり人の世話にはならないのが僕の流儀です。
 宍道湖のほとりをドライヴしましたが、ここ広いと言うか細長い。640px-Yomegashima_Island[1]

 湖の中に松が生えていてアレッと思いましたが、ちゃんとした島でした。岸から200m程の所にポツンといった感じで浮いています。そこまでの水深も1mチョットだそうで、本気を出せば歩いて渡れるとか。名前は嫁ヶ島といって、かわいらしいお嫁さんを想像させます。この島の右奥が出雲方面なのですが、モヤっていて対岸が見えませんでした。
 朝には蜆取りの小船がたくさん出ていて、水質汚染もあるのですが蜆は今でも物凄く取れるようです。斐伊川が流れ込んで、隣の中海とも同じ水位でつながっているため、海水の半分くらいの塩濃度といった珍しい環境がいいのでしょうか。
 
 一泊した後はフライト時間が余っていたので、松江のあたりを車で通ったら何とも言えない看板が目に留まり、これが旅の醍醐味のマイナー・スポットなのは直ぐ分かりました。黄泉比良坂(よもつひらさか)!
 日本神話のスタートのイザナギ・イザナミ命の物語に登場する坂の事です。火の神を生んで亡くなったイザナミを追いかけて黄泉の国まで行ったイザナギは『見ないで。』と言われた禁を破って一目見て、腐り果てたイザナミのあまりの恐ろしさに逃げてしまいます。必死にこの世までたどり着いて千引岩で道を塞ぎ事なきを得るのです。

恐ろしげな石柱

恐ろしげな石柱

 この場所は『古事記』に「出雲国伊賦夜坂」とあり、今日の東出雲町とされています。しかしまぁ、いくらなんでもその時代から”ここだ”と特定されてはいなかったように思いますし、あの世とこの世の境目というのも無理がある。
 写真の石柱にしても立てられたのは昭和15年であり、これは恐らく皇紀二千六百年のムーヴメントに乗って造った物でしょうから、太古の昔からここであるという確たる証拠にはならないでしょう。

 ところがですな、少し歩いて見ると不気味なんですよ、これが。少し登ってみましたけれど心霊スポットの趣はありましたね。そもそもこの坂に至る細い道を車で来た時点で、ドン詰まりの所なのです。何と言うか他にルートがない。IMG_0037そこにこのような手づく風の道案内が立っていて『この坂 伊賦夜坂』と書いてありました。更にサクサク行こうとしても、どうも気が進まないというか・・。僕自身は霊感は全く無いので、何か写らないかと同じ方向で何枚か撮ってみましたが、ご覧の通りです。

 結局引き返しましたがこの感じ、やはり出雲ならではじゃないでしょうか。
 一つはやたらと観光地化していない。出雲大社は確かに一大観光地ではありますが、印象に残ったのは「観光」というよりも「信仰」でした。
 出雲井神社は誰一人来そうに無いのに、丁寧に掃き清められていました。
 伊賀武神社は維持し続ける強い意思を感じました。
 更に長い歴史に裏打ちされているせいか、どこもおざなりにせず常に手を加えています。先ほどの看板のような手作感のような感じがいいですね。
 昔「ふるさと創生」の名目でバラまかれた金で俄観光の為に作られたハコモノが、その後飽きられて朽ちているのを見ると、単なる流行り物では維持し続けられないのだと分かります。もっとも時の竹下総理も出雲人でしたから、まさかそういういい加減な使い方をされるとは思っても見なかったのでは。

         ともあれこの不気味感を味わって下さい。
IMG_0036

出雲への誘惑 

出雲への誘惑Ⅱ 

出雲への誘惑 Ⅲ 左白 ーさじろー 

出雲への誘惑 Ⅳ  トミという謎 

出雲への誘惑 Ⅴ オマケ 

出雲に初めて行きました

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出雲に初めて行きました

2014 OCT 24 9:09:51 am by 西 牟呂雄

 1413900856622
  以前特集までしたくせに大きな声では言えないが行ったことがなかったので、こっそり出雲を訪問してきた。
 何しろ先日、千家の跡取りさんと内親王殿下のお目出度い話で報道されたので出雲大社は勿論、もう一つ出雲への誘惑 左白(さじろ)でも書いた左白にも足を伸ばしたかった。

 10月は世間は神無月だがここはその間全国の神様が来ているので神在月。厳かな気分で大社にお参りしたところ、初めからコケた。多くの観光客にボランティアと思しき方が解説をしているのを後ろから聞いたら『神在月は旧暦でやりますから今年は12月からです。』と言っていたのでガックリ来た。しかもお賽銭を入れて二礼四拍手一礼したところは遷宮の間に神様がいる仮のところで(それでも立派だったが)、ホンモノはその後ろだった。今年は60年に一度の遷宮なので、その間はそっちにおられたそうだ。と言っても伊勢神宮のように丸ごと遷るのではなくて屋根の修理程度の事らしい。
 そして、周りの建物も順番にメンテナンスするために、何年もかけて”遷宮”する。高さ24mで神社としては図抜けて高いが、近年の発掘によりかつては40m以上あったことが確認された。面白いのは大国主命は正面=南側ではなく写真の方角=西側を向いて祭られているので、そこでも拍手を打つ。
 ここで気が付いたが、高い柱を立てるのは諏訪神社の御柱に通ずるのだ。出雲への誘惑 Ⅱ で考証した通りだった。
 向かって左側が千家さんの社務所で重さ4トンの注連縄があった。右側に同じ千家でも北島さんのほうの施設があって、こちらは出雲教になっている。14世紀に国造家の兄弟が2家に別れ、明治の国家神道管理の方針で別の教団になった。出雲教はイマイチ新興宗教風になっている印象。
 
 そこで佐白に行くのだがその前に出雲大社のすぐ近くにあったその名も出雲井神社を覗いてみた。出雲への誘惑 トミという謎で書いた富家が信仰していたクナト神の神社だが、本当に小さい寂れた神社だった。やはり大っぴらに信仰できない事情があって、わざと目立たないようにしているのだろうか、僕としては大国主命直系の家系に敬意を表してお賽銭を入れて来たが。
 

人っ子一人いない出雲井神社

人っ子一人いない出雲井神社

 小さい社の裏手に廻るとにらんだ通り巨岩があり、成る程大昔の自然信仰の源はこれだったか、と思わせる。

 例の左白にたどり着いたころは夕方になっていた。出雲大社からは結構な距離で、中国山地を縫うように奥に入っていく。そして峠の分水嶺を越えた辺りが奥出雲だった。いかにもオロチがいそうな所といった佇まい、少し寒かった。当たりを付けていたのは伊賀武神社というこれもマイナーな神社だ。何しろ山の中なので住所でナビを検索しても出ない。
 一瞬、視界が開けた時に山間に続く鳥居を見たが、そこがそうだった。この神社は冒頭の『左白 (さじろ)』で紹介した〇〇家の一族が先祖を祭った所で、即ち足名椎命・手名椎命(アシナヅチ・テナヅチ)の子孫のフランチャイズという訳だ。鳥居の後ろに石段が山中にまで続いていて、いかにも、な感じで登っていく。するとボウっとした社の輪郭が見えてきた。ちゃんとした出雲式の屋根の神社でしっかりと手入れされ案内板もついていた。長者屋敷跡とある。地元の伝承なのであろう、足名椎命・手名椎命が娘の櫛名田比売と住んでいたところらしい。毎年娘を一人づつ八岐大蛇に食われて、最期の一人が素戔男尊(スサノオ)に救われるのだ。この山深い里に代々そう言い伝えられていたことを思い、ぼくはとても嬉しくなった。
 そして、隣接した八重垣神社はその櫛名田比売が鏡に見立てた鏡ヶ池の跡のようだ。1413901121037

 しかし幹線道路が整備されて偶然目に入ったが、その昔は到底人目につかないひなびた場所だったろうに。
 周りを見回しても見通せるところは棚田があるくらいで、村落は形成されてもいない。
 出雲について書くきっかけになったある高齢の方(93才!)のお手紙の通り、薄く層雲がたなびくような山間に秘かに伝わっていた口伝が生き生きと蘇る思いだった。
 更に驚いたのは、そのお手紙にあった〇〇家の墓所らしき所も近くにあった。たくさんの墓石に刻まれていたのは確かに〇〇家のもので、神話の御子孫の営みには恐れ入る他はない。
 とてもじゃないが、東夷(あずまえびす)の太刀打ち出来るものではなく、下の写真の社に出雲大社と同じ金額のお賽銭を入れた。
 
 14139008883271413901033618
 ところで話は変わるが、この辺の人達は一般道路(それも山道)でも物凄く車を飛ばす。軽トラもダンプも普通の車もだ。
 東京界隈で滅多に煽られたことのない僕の運転が、気が付くと必ずピッタリと付けられているのには驚いた。
 戦国時代でも尼子の本拠はもっと西の安木の方で、このエリアは一種の神域としてあまりガサガサした戦闘もなかったはずだが。
 人心も穏やかそうな印象の出雲の方々はハンドルを握ると何かの血でも騒ぐのだろうか。もっとも、やたら事故が多いとも聞かなかったが。

出雲への誘惑 

出雲への誘惑Ⅱ 

出雲への誘惑 Ⅲ 左白 ーさじろー 

出雲への誘惑 Ⅳ  トミという謎 

出雲への誘惑 Ⅴ オマケ 

出雲に初めて行きました Ⅱ


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平成28年 大阪オリンピック ナニワの狂い咲き 

2014 OCT 18 8:08:30 am by 西 牟呂雄

 ヒトラーは独自の思想とオカルティズムを統合させ、ドイツのみならずヨーロッパを巻き込んでいく。戦勝国のはずのフランスも恐慌の最中にあっては実に意気が上がらない。経済疲弊により従来の体制から革新したい思いはどの国も一緒で、バカバカしいことに一般世論にはファシズムを歓迎する向きも色濃い。イタリア・スペイン・オーストリア・ウクライナと燎原の火のように拡がった。
 このため、ヨーロッパ中でユダヤ系の迫害がひどくなる。ドイツもフランスも似たようなもので、財産没収など当たり前のように横行しだした。
 ヒトラーは対ソ連を意識してしきりに日本に秋波を送って来る。日英米の三国同盟に楔を打とうとするが、時の太政大連葛城衆太郎を筆頭に米内光正自帆倶総司令官といった有力者は相手にしなかった。ヒトラーは一般にも評判が悪く、理由はその著書に日本人を指して『あの黄色い猿』と表現していたことが翻訳者によって明らかにされていたからだ。
 この時期日本はブロック経済による縮小を脱するべく、不況ではあったが盛んに設備投資を行った。豊田重工業の名古屋地区の自動車、帝国機械工業の江戸エリアでの航空機といったものは、国防国策としてこの時期に大発展の基礎が作られた。 

 1939年9月、ヒトラーは突如ポーランドに攻め込んだ。電撃侵攻は世界をアッと言わせたが、これはドイツとソ連スターリンの領土的野心ミエミエのデキ・レースみたいなもので、ヒトラーはポーランドを分割した後に矛先を直にフランスに向けた。
 フランス軍は自慢のマジノ線が何の役にも立たずにあっという間に総崩れし、腰の引けていた英軍はダンケルクで殲滅されてしまう。あまりの仏軍のふがいなさに雪崩を打ってイタリア・スペイン・フランス(ビシー政権)で汎ヨーロッパ連合が出来上がる。チャーチルは地団駄踏んで怒り狂ったが後の祭りで、ペタン元帥と喧嘩別れして転がり込んできたド・ゴールを取り合えず亡命政権として反抗の機会を待った。もっともこの二人、心底お互いをバカにし合っていたようでウマが合わなかったが。
 これによって最も迷惑を蒙ったのは欧州に散らばっているユダヤ人であった。必死の脱出工作を展開し地続きのシベリア鉄道で脱出を図る。この時一身を顧みずにかたっぱしからヴィザを発行したのが『スギハラのリスト』で有名なリトアニアにいた杉原知畝である。事は一刻を争う。杉原は独断でスタンプを作る間もなく手書きのヴィザを発行しまくった。難民達は次々と脱出しシベリア経由で日本領アラスカまで移動しやっと腰を落ち着けた。アラスカでは元々人口が少ない所に持ってきて石油が採掘されだしていたために、多くは油田の周辺に定住する。その他、樺太から北海道に移民した者もいた。実は、以前フランク安田が組織したユダヤ人ネットワークがここで更に強化され、TOYOTOMI/アラスカはインテリジェンスの中心地となるのである。
 又、他に職がないのでアンカレッジの自帆倶で軍人になったグループも多い。

 しかし前回をしのぐ大戦争になるかと米英は大いに闘志を燃やしたが、意外に早く終結を迎える。
 こともあろうに、不可侵条約を結んでいたソ連にドイツが攻め込んでしまったのだ。バルバロッサ作戦である。緒戦の圧倒的勝利にヨーロッパ・ユニオンの気勢が上がり、一時はモスクワまで数キロまで攻め込んだが、兵士出身の叩き上げで名高いソ連軍参謀総長ジューコフ大将の指揮の元、冬場に持ち応えて反撃する。
 その時、あまりのヒトラーの気違い振りに嫌気がさしたドイツ国防軍内で、ロンメル元帥によりヒトラーが暗殺されクーデターが起こってしまう。

 戦争は終結した。
 独ソ戦時点で日本の葛城太政大連は『ヨーロッパの情勢不可解。』と政権を投げ出し、新たに米内内閣が発足し、この時点でアメリカとの緊張を嫌ってハワイの第六艦隊はアンカレッジの第七艦隊に吸収させる腹を固めた。アメリカがカメハメハ王朝を戦略的に取り込むのが時間の問題だったからだ。
 だが、世界には新たな試練のときが来る。調子に乗ったスターリンは矛先を本格的に清に向ける。張作霖はロシア支配を敏感に察知していたが、息子の張学良はソ連派に寝返ってしまい、太平天国で弾圧を受けた毛沢東・周恩来等、長城を越えて逃げて来た一派と手を握り中国共産党を名乗って本格的な革命を起こし、その名も中華人民共和国と大きく出た。清も又、時代の変化に飲み込まれ滅びたのだ。国境を接する朝鮮も金日成の反乱を抑えきれず、38度線で李氏朝鮮と分裂、金氏朝鮮を打ち立てた。全てコミンテルンが糸を引いていたのである。
 太平天国は袁世凱がクーデターで洪秀全を処刑したが、蒋介石・閻錫山といった軍閥が跋扈しており、戦乱に次ぐ戦乱の大混乱が続く。
 ただ太平天国はキリスト教を国教にしておりアメリカはそのせいかヤケに入れ込んでいた。アメリカ留学を果たしクリスチャンであった宋美齢を妻とした蒋介石は日本に相手にされないため大いにアメリカに擦り寄り、ライバルを蹴落として大統領を名乗ることに成功する。
 そして冷戦期になる。長城を境に対峙しつつ、中国と太平天国は小競り合いを繰り返した。よせばいいのに太平天国は何をトチ狂ったかベトナムにも攻め込み、結果無様に跳ね返されたが、10年にも及ぶ中越戦争をやる。
 
 往時茫々、70年が過ぎ去った。
 昭和は平穏に過ぎ大日本帝国は経済の一人勝ちの状態で、平成の御代に変わってもずっとそれが続いた。ソ連は太平洋進出を試みるも、太平洋は平和の海であり続けた。例によっての妥協の産物で、日米安全保障条約によりアンカレッジの新第七艦隊の共同運営・リース方式という常識破りの条約の結果、ソ連が潰れてロシアになってしまったからだ。この動きはフランク安田の後を継いだインテリジェンス・オフィサー佐藤優の手元に全て筒抜けで、日本が右往左往することは全く無かった。
 アラスカで原油は出る、樺太でガスが出る、移動原発(巨大原子力潜水艦発電システム)は充実、エネルギー大国ニッポンである。
 又、防衛大綱も洋上機動空母郡から静止衛星+海中機動体制に変わり、大日本帝国の宇宙ステーションはその名も『ヤマト』と言う。今では宇宙空間の原子力発電を地上に送電するシステムが実用化目前なのである。
 投機的経済運営を繰り返し、何度も株の暴落によってバブル体質を露呈したアメリカを尻目に一人日本は悠然と我が道を行く。おりしも経済破綻と治安の悪化でリオデジャネイロのオリンピックが不可能になったブラジルに代わり、IOCは困ったときの日本頼みとばかりに開催を懇願してきた。平成の太政大連、安部晋三は軽く微笑んでこう応えた。
「よろし。かましまへん。」
だが、その直後の閣議ではこうつぶやいたらしい。『ほな、あんじょうかせいでや。』
 

 標準語(大阪語)は英語との親和性も良いため、アメリカ人は苦も無くこなす。
「もうかりまっか?」「ボチボチでんな。」『How are you?』『Not so fine.』
「かんにんしとくなはれ。」『Yes, but』
「あきまへん!」『Too bad!』
と言ったように訳され、自動変換もできる。
 豊臣家25代当主豊臣秀道は、首都大阪の大阪城の天守閣にある垂れ幕を下げた。大日本同胞(はらから)教本部の立ち上げである。祝詞には以下の言葉が並んでいた。今やTOYOTOMIは世界的な慈善財団としてビッグ・ネームであり、毎年ノーベル平和賞の候補となっている。ただ現当主は少しアブナイという噂があるため、次の代に見送られるらしい。

『みなは しこたま かせぐがよい
 ためて つかって くるうがよい
 おんとよとみの するごとく
 
 ひのもと ますます さかえるぞい
 へいわは いやさか つづくわい
 おんとよとみの するごとく』

歌い狂う豊臣秀道の手には、黄金の千成瓢箪が輝いていた。

おしまい 

P.S 皆さん戦争はやらない方がいいですね。書いて見たらやってもやらなくても結果は大して変わらなかった。

もしも江戸時代が続いていたら

宝暦元年 難波(なにわ)の花

万延元年 浪花(なにわ)の華

明治末年 浪速(なにわ)のハナ

昭和元年 ナニワの花盛り


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血涙3番勝負 Ⅲ 

2014 OCT 17 21:21:05 pm by 西 牟呂雄

 やはり僕は野球を見る目がない。三振だらけの陽岱鋼が二打席連続でホームランを打つではないか。引っ込めろなどと書いた不明をお詫びします。しかし12点も取るとは、少し明日に回してくれと言いたい。いつもこうならあんな苦労はしない。勝っておいてナンだが、あんなに大量得点をするとホークスがピッチャーをケチって中継ぎリリーフを消耗させられないのでは、といらん心配までした。摂津を引きずりおろした後は東浜一人で済んでしまったではないか。
 最後に武田が投げたが、あんな点差で投げるのも返ってイヤなもんじゃなかろうかと思ったが、やはり今宮・内川・李・松田と連打され1点を失った。ああいうのはいかん、明日に差し障る。
 しかしこれで五分にまで持ってきましたよ。事によるとひょっとして札幌ドームに行くかもしれん。
 あしたは木佐貫か。午後13時からなのでこの決戦の時に中島さんのライヴを楽しんでいる頃だが、どうなってるだろうか。
 斎藤はやっぱりお呼びでないかな。
 こんなのが後3日も続いたら体に悪い。

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血涙3番勝負 Ⅱ

2014 OCT 17 10:10:40 am by 西 牟呂雄

 昨日はしこたま酒を喰らって帰ってきたが、中田がやってくれていた。陽のボテボテを今宮がエラーというかまさかの悪送球で出塁のあとドカーン!こうこなくちゃ。
 といってもそれ以外3~5番で三振の山は築いたが。
 しかし功労者はピッチャーですぞ。あのホークスを1点に抑えたのが勝因です。中村・谷元・鍵谷でつないだのが良かった。皆さん、中田の一発だけで勝ったんじゃありませんよ、って今日は摂津だ敵は。こっちはもうピッチャーいない。また悶えながらBS見るのも疲れるぜ。ホークスって選手層が厚いですね、中島さん。

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血涙3番勝負 

2014 OCT 16 13:13:52 pm by 西 牟呂雄

 2回負けたらそれっきり。勝負の極意みたいなセカンド・ステージにまでかじり付いてきたファイターズだが、初戦で大隣VS浦野はきついか。
 きのうのブログであまりのチャンスでの三振振りについに頭にきて、陽岱鋼を3番から外せと本気で思ったが、まぁ打線なんてこんな物かも知れない。実はこの選手のバッター・ボックスの応援歌が誠にいいのだ。
『飛ばせ 飛ばせ遙か夢の彼方へ 届けろ祖国の地へと 加油ジャーヨ!岱鋼! 今ここから  かっ飛ばせー陽岱鋼(ようだいかん)』
このー祖国の地ーというところが泣かせますね。彼、王選手をこよなく尊敬する台湾出身だから、相手がホークスなら何とかいい所を見せてくれるんじゃないだろうか。

 という気持ちでBSで観戦したら、浦野は良く投げましたよ、ホント。
 9回は初めから増井で行くべきでしょう。栗山監督は何を考えているのか。浦野が投げたがったかどうかは知らないが、勝ちに行くなら9回に速球派を投入するのが常識でしょうが。逆転サヨナラとは何だ!
 しかもコメントが『もう少し点を取ってやりたかった。』って大隣を相手にガンガン点が取れるとでも思ってたのか。陽岱鋼はやっとこさヒットを打ったが何打席目だ。延長を考えたのか、ふざけるな!
 今日は武田が来るんだぞ。稲葉を3番に据えてくれ。

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死闘ファイターズ 

2014 OCT 14 22:22:00 pm by 西 牟呂雄

 全くBS放送で全部見てクタクタだ。しょっぱな駿太の初球ホームランでガックリ来たが、何とかそこで留まった。
 しかしここのところ出ると負けの西に対して3~4回にかけての4人連続の三振とは何事だ!
 続く5回の満塁大ピンチにお見事な本塁阻止のダブル・プレー。
 その裏またまた稲葉の代打ヒットで何とか追いついて気を良くしたところで後がいけない。
 7回は佐藤達也に2~4番が手も無くひねられ全滅。あの陽岱鋼は9回表でもブンブン振り回して全く球とズレているのに何で代えないのか。あれだけ三振してもちゃんとT-岡田はホームランを打ったぞ。
 この辺で脳みそが煮えそうになったところで延長10回、待ってました4番中田の一発がバック・スクリーンにやっと入った。この時点で10時過ぎだった。『お前ガムなんか噛んでる場合か!』と怒鳴り散らした直後だった。
 増井が現れて先頭ランナー伊藤がヒットだ。もう勘弁してくれよ、と好調の駿太にバント。3番は首位打者糸井だ。送れ送れとの僕の声援を無視して勝負に行った。結果はバンザーイ、なのだが4時間を越えた、こっちの身にもなってくれ。これだけ疲れて2-1のスコアだぞ、って好ゲームではあるが。
 まぁ勝ったので言うことないけど、もう陽岱鋼は博多で使うのはやめてくれ。
 それで明日からピッチャーどうするの。
 
 バッファローズお疲れさん。

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ファイターズVSバッファローズ大予想 Ⅱ

2014 OCT 13 15:15:56 pm by 西 牟呂雄

 さあ、あすの決戦に栗山監督は何を仕掛けるだろう。
 第一戦は大谷の死球に押し出しで青ざめたが、オリックスの自慢の継投陣を打ち込んでメデタシメデタシ。
 唖然とさせられたのは第二戦。引退を決めた42歳稲葉がポテンと劇的なヒットを打った時点で勝利を確信したが、3打席3三振のT-岡田ごときに谷元がホームランを浴びたことだ。どうしてくれるんだ。
 もっと気に入らないのは、ここぞというときに陽岱鋼や中田がガツンとやらずに三振してしまうことだ。中田は打点王なんだろ。あしたはルイス・メンドゥーサが投げるが、こうなったら大谷を3番にでもして打線にカツを入れるとかしないと。大谷のホームランに100万点賭けたいくらいだ。
 しかしその又翌日からホークスとやるのは投手がキツキツで、本当にまさかの斎藤まで投入しなくちゃ回らない。 もう破れかぶれで一人一殺スタイルのラスト・ファイトで決めてくれ。頼むよ栗山監督。

 ダルビッシュが助けに来ないかな・・。見てるだけで疲れるよ。

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