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宝暦元年 難波(なにわ)の花

2014 OCT 5 20:20:25 pm by 西牟呂 憲

 第九代摂政関白を継いだ豊臣秀重は、生来聡明でなく近習達は常に気を揉んだ。何を言い出すか予測不能な上に、言語不明瞭で何を言っているかさえもわからないからだ。側近右大臣石田康成がいつも控えており、配下の者に伝える役目を一手に引き受けていた。
 ある日はあまりに暑いので『雪を降らせよ。』と言い出した(らしい)。元々常軌を逸してばかりなので誰も相手にしなかったのが勘気に触れた。
「何で雪が降らんのや!降らなんだら皆打ち首や。」
 甲高い小さい声でそう喋った(らしい)。石田康成はほとほと困り果てて一計を案じた。曇天の日を選び大阪城天守閣から紙吹雪を降らせ、寝所からそれを見せた。
「上様、雪でごじゃります。恐れながら時節は夏ですゆえに積もることはあらしゃいませぬ。」
「ユーキー。雪や雪や。」
右大臣以外のもの達には『ウーイー。ウウウヤア。』としか聞こえなかった。

 初代豊臣秀吉は、破竹の勢いで天下を統一した織田信長の後継となりおおせた後、摂政関白となった後は野心満々の徳川・毛利・伊達等をたくみに競わせ権力の頂点に君臨した。結果徳川は江戸周辺の田舎大名に、毛利・伊達を始め有力大名も削られた領地に押し込められ、後に太閤刀狩と言われる武装解除までされてしまった。
 政権運営は五奉行を中心に極端な重商主義を取り、南方との交易を盛んに奨励して莫大な富を独り占めすることに成功。一方で倭寇を密かに後押しして軍事的にも圧迫を加え続け高砂・呂宋・越南・ジャガタラ方面の制海権を常に握った。これは信長の時代から蓄積された大安宅船の建造技術を発展させて、世界最強の海軍力を持っていたためである。
 宗教的には常に宗派同士の緊張を維持させ南蛮寺にはプロテスタントとカトリックを、浄土宗には日蓮宗を、伊勢神宮には出雲大社を対立軸を立てて政治には介入させなかった。即ちキリシタン追放や鎖国などする必要は無く、交易すればそれだけ豊臣政権の財政基盤が強くなる結果を招く。
 有り余る金銀をバックに技術革新が進み宝暦年間には産業革命と言われる発明が日本で先行した。元々世界一の鉄砲大国だった日本は飛躍的に戦闘力が上がった。これによって、英蘭の東インド会社の勢力範囲はカルカッタまでに限定された。この時期日本海軍は対外的に『自帆倶(ジパング)』を名乗った。
 一方大陸においては突如女真族が清を建国し、明を圧迫しだした。明は飢饉が続き人口が減って国力を弱めていたため簡単に清の侵略を押さえられず、自帆倶に救助を求め日本は派兵した。隊長は勇武の人、山田長政。
 山田部隊は連戦連勝で清の侵攻を食い止め、かろうじて長城ラインまで押し返した。永暦帝はこれに感激し山田長政に香港の地を与え、かの地は代々自帆倶の正規兵が常駐することになった。豊臣政権の直轄部隊として主に薩摩人から選抜した軍団を派兵した。
 さらに絶妙な外交センスで李氏朝鮮を通じて清とも盛んに交流し、自帆倶艦隊も日本海を北上、浦塩あたりまでその威容を見せつけた。更にそのズバ抜けた機動力と磨かれた航海術で太平洋を渡ってもみせたのだ。後にハワイ・カリフォルニア航路となる。

 宝暦年間、西暦では1750年代の秀重時代に大阪の繁栄は当時の世界一で人口は200万人、張り巡らされた掘割で上下水道は完備。文化的にも様々な小説・戯曲・詩歌・絵画・建築等の独自様式が発達し、全国に発信されていった。全国どころか大阪発の流行は自帆倶風(ジパングフェン)として半島経由で清に、香港経由で東南アジアへあっという間に広がり、遥か喜望峰を越えてヨーロッパにまで伝わった。
 都市機能が発達したため『市民』の意識が芽生えるに至る。正確には公家と五奉行以外に特権階級というものは事実上存在せず、武士と百姓は身分上の境界線は無い。大名は直轄の事務方を除けば治安奉行しか配下に置いておらず、いうなれば百姓の親玉である。図抜けた財力に物を言わせて兵を養うのは摂政関白家のみであり、自然とその位置づけは『国軍』ということになる。ヨーロッパのようなブルジョア革命などしないで『市民社会』が日本中に形成された。革命などする必要がなかった。

 ボンクラだった秀重の後は名君が続き、太平の世が続く。難波はいつしか浪花と表記されるようになり、社会的には各種産業が興り文化の華が咲く。
 日本の場合、一般的には基本的には長子相続を基本とする直系家族を構成するが、大阪の商家に見られるような養子縁組・いとこ婚も容認する独特の社会を形成するに至る。結果として次男・三男は『イエ』を継がずに軍人、製造業、商業、芸術と別の分野に進み、この階層が分厚い中間層を形成した。蝦夷地開発も、野心的商人が次々と進出し、ギリヤーク・オロッコ・ジョルシンといった異民族との交流が進む。
 しかし『算盤の合わんことはやりまへん』の格言が残るように、意味の無い領土拡張はしない。島国なので海軍の充実と交易だけで領土が侵される心配が全く無い故による。その圧倒的な海軍力でこの時代樺太・千島列島から沖縄までが今日で言う領土となっていた。しかも産業革命後の更なる革新と石炭採掘技術の向上で、世界に先駆けて蒸気船が主流になり、ハワイから北米にまで盛んに移民してカリフォルニアは巨大な日本人コロニーが形成された。これは後に西進政策を取ったアメリカとの対立点となる。

 時が過ぎ摂政関白家の19代目に一種の啓蒙思想家である豊臣秀慶がなった。万延元年のことである。この人はある意味で歴史学者でもあり、改革派でもあり、発明家でもあった天才だった。

つづく
  

万延元年 浪花(なにわ)の華

明治末年 浪速(なにわ)のハナ

昭和元年 ナニワの花盛り

平成28年 大阪オリンピック ナニワの狂い咲き 


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もしも江戸時代が続いていたら


 

Categories:浪速のハナ

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