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昭和元年 ナニワの花盛り

2014 OCT 13 13:13:34 pm by 西牟呂 憲

 TOYOTOMI/USAからアラスカ支店長に任命されたのは、フランク安田こと安田恭輔である。彼は日本政府の後押しを受けながらアラスカ開発に乗り出す。TOYOTOMI家の跡取り22代目の豊臣秀達も自ら現地に乗り込み調査の指揮を執った。実は安田から『金鉱脈がありそうだ。』との情報がもたらされたからである。
 一方でバルチック艦隊に完勝したことで、もう一つの火種アメリカでは急速に日本脅威論が高まって来ていた。カリフォルニアのゴールド・ラッシュが下火になり、太平天国の建国を嫌うチャイニーズ移民の急増もあったことからサンフランシスコ地域の経営にTOYOTOMIは意欲を失いつつあった。そんな時にアラスカが日本領になったため、豊臣秀達は本格的に進出を決断したのだった。
 又、日本政府も日本人排斥運動が高まりを見せる中、第七艦隊をサンフランシスコに置いておくメリットが無くなって来ており、時の太政大連、大和俊介は『金ばかり掛かってあかんわ。』とこぼしていた。

 ところが、サラエボの一発の銃弾がヨーロッパでとんでもない戦争を引き起こした。ドイツ側同盟国とフランス側連合国の間で始まった。
 1914年から戦闘が始まりタンネンベルク、マルヌと激突。ガリポリ、ヴェルダン、そしてユトランド沖海戦と陸でも海でも総力戦が続く。ヨーロッパから中東、アフリカまで世界中で大戦争が繰り広げられた。あまりの殺戮の物凄さにどこも疲弊する中、太平洋と北米は平和なものだったが、日英同盟の誼で派兵の要請が英国首相からしきりにあり、日本も応えざるを得なくなった。『そんなことして、ナンボになるんや。』『しょーもない。』と評判は散々だったが時の太政大連(首相)大和俊介は『貸しつくっておくのもええやん。』と第五艦隊の一部を地中海に、香港外人部隊をヨーロッパに派遣した。
 ところが1917年になってロシアで2月革命が起こってしまう。一種の内乱状態で東部戦線は訳がわからなくなり、そこへ商船を沈められて頭に血が上ったアメリカがたまらず参戦。結局これが流れを作った。
 しかしボリシェビキが単独講和を結んだあたりから共産主義への脅威を感じた大和太政大連は第七艦隊をサンフランシスコからアンカレッジに移動させ、排斥運動に悩まされていた日本人も半数近く艦隊を追いかけるように移民してしまった。この動きは大きな社会問題になり、大西洋とヨーロッパにかかりきりだったアメリカをビビらせ、後に日英同盟への参加の流れを醸し出したのだった。

 ヴェルサイユ条約が調印されようやく平和にはなったのだが、世界には二つの潮流が出現した。一つは国際共産主義、もう一つが恒久平和を組織化する動きである。
 共産主義はコミンテルンが各国に共産党を結党させては指導した。ただ、日本にも共産党は出来たことは出来たが「そらなんや。余計に働いたら損やんけ。」「ワテ等そんな難し本よう読まん。学者のセンセに任しなはれ。」「そんな主義いらん。」のノリで全く流行らない。
 恒久平和はその後国際連盟が設立されたが、「300年も戦争やっとらんのに何で入らなあかんねん。」「そんなもん金取られるのがオチや。自帆倶さんがおれば守ってくれるやろ。」の声が強く、人種差別禁止条項を入れなければ参加しない、と言い張って無視を決め込んだ。それを見たアメリカのウィルソン大統領も参加を思い止まってしまった。

 ソビエトの内戦状態は大量の難民を生み、一部はシベリアを経由し日本領となったアラスカに移住してきた。寒さにはめっぽう強いロシア人である。カリフォルニアから移住してくる日本人よりも多い人数となり、鉱山に開拓にと従事し独自の集落を形成した。まず最初に建てたのは正教会だ。彼らの中にはユダヤ系も多くこちらは国境を越えてアメリカを目指す者も少なくなかった。フランク安田はこのユダヤ・ネットワークに密かに目を付けた。
 赤軍はその後浦塩まで完全に制圧したが、さすがに黒竜江は超えられなかったようだ。その分清の取り込み活動を強化する。軍閥の張作霖に巨額の工作資金をつぎ込み、清朝の弱体化を企みながら秘密裡に中華共産党にも資金提供をする。同じく国境沿いの朝鮮にも反李朝の組織化に着手する。リーダーとして金日成を選んだ。
 時代が混乱を呼ぶのだろうか。太平天国では軍司令長官の袁世凱が力を蓄え、洪秀全のキリスト教偏重主義に異を唱え出し軍を私物化してなお混乱が収まっていない。

 国際連盟に入らない日本とアメリカに業を煮やした英国は、アメリカを説得して日英同盟+米の枠組みを持ち掛け、三国同盟を提案する。お付き合いのつもりで日本から全権大使としてワシントンに乗り込んだ松岡祐介に対し突如海軍船腹の保有制限、すなわち軍縮が提案された。5:5:3に制限するというのである。松岡は一応ビックリする振りをして大袈裟に言って見せた。『えらいこっちゃ!どないしょ。』翻訳は『Oh my God! What shall I do?』だったが。
 実は自帆俱艦隊内部では既に浪速の建造を最後に、これからは航空だと方向転換して老朽戦艦日光・月光は空母への計画があり、又戦略的にもアンカレッジの第七艦隊とホノルルの第六艦隊は再編途上であった。松岡祐介は渋りに渋ってゴネにゴネて見せた後、ズバッと丸飲みして帰国する。帰りの船上で笑いを噛み殺している姿が目撃されていた。
 後で気付いた米・英はその後もジュネーヴ・ロンドンと交渉を持ち掛けるが、今度は自帆俱中将山本三十七の巧みな交渉に手玉に取られ、日本は空母の次は潜水艦、その次は超長距離爆撃機だと充実を図る。無論未だ大量生産には至らないが、涼しい顔をしてケロッと妥協してしまえば英米は気味悪がる。それが抑止力になれば『タダやないか。』という考え方だ。
 世界がジタバタしている中、大日本帝国は大正天皇の崩御により年号が昭和に変わった。聡明を以て聞こえた昭和天皇の即位である。
 アラスカから沖縄まで、そしてハワイ・香港・シンガポールと祝賀ムードに包まれた。各国の大使が揃って京都御所にやってくる。この時期海外からの元首級が来日しても官位が授けられていないために御所に入ることが許されず、従一位を与えられている各国の大使のみが祝辞を述べられるからだった。
 更に、奉祝大評定において段階的普通選挙が実施される旨が決定し、勅使を仰ぐこととなった。
 
 時代は走るように進む。1929年10月24日、ニューヨーク証券取引所の株価暴落が警鐘となる世界大恐慌に陥った。アメリカの供給能力の異常な過剰投資とヨーロッパの疲弊による需給の大ギャップだ。これで又ヨーロッパは迷走し出す。特に巨額の賠償金に苦しむドイツにとってはこのままでは国家の再建は不可能なのは間違いない。影響は米欧に留まらない。植民地は更に過酷に経営されることになり、全世界がブロック化され、特にインド・中東・アフリカはヨーロッパ勢に蹂躙されてしまった。しかし東南アジアはかろうじて日本の押さえが効いて未開ながらも植民地にまではならないで済んでいた。大日本帝国は来るものは拒まないが、地上軍の派兵というコストを伴う異民族支配を好まなかったからだ。
 敗戦国のドイツ語圏には不満が鬱積して、不気味な国民感情が醸成されつつあった。そう、ヒトラーという怪物が動きだしたのだった。

 それでも4月には大阪名物の八重桜が咲き誇り、ナニワの街は誰しも我が世の春を謳歌していた。

つづく

宝暦元年 難波(なにわ)の花

万延元年 浪花(なにわ)の華

明治末年 浪速(なにわ)のハナ

平成28年 大阪オリンピック ナニワの狂い咲き 


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もしも江戸時代が続いていたら


 
 

Categories:浪速のハナ

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