Sonar Members Club No.36

月別: 2015年3月

滋養様

2015 MAR 30 21:21:48 pm by 西 牟呂雄

 喜寿庵の飛び地を見に行った。100年近くウチの者は誰も見たことのなかった土地だ。住所を頼りに近くに行くとその昔は畑だったような山の麓の荒地が、あった。ビニール・ハウスでもやっていたのか、錆びた骨組み。ゴミ。雑草。境界線からは斜面で、ご他聞の漏れず杉が花粉を撒き散らしている。どなたかは知らねども耕作した形跡はあちこちにあって、やればジャガイモくらいはできるかなと思われた。いやトウモロコシでも何でもホンキを出せば可能だろう。これは逆にほったらかしてジャングルにでもなったらクレームがつくのだろうか。隣には農家があった。

 ところが!林の奥の方に何やら構造物があり分け入って見ると古い墓石が並んでいたのだ。ご先祖じゃない。しかしおそらく1世紀以上前の墓だから土葬をしていたに違いなく、いくつかの遺体が眠っているはず。祟りを恐れた僕は合掌して礼をした。長い間誰も手を入れていないのだろう、風化が進み何かの自然災害で割れてしまっているのもあった。今度はお線香も持って来て、ひたすらお鎮まって頂かねば。
 そして更に驚いたことに、直ぐ近くに小さな赤い鳥居が組んであるではないか。
 工場なんかに安全を祈願するお稲荷さんを祀ったりしていることがあるが、真面目に神主さんにお墨付きの御祓いをしてもらう。工事の時の起工式のように、だ。しかしこの鳥居はそんなに丁寧に扱われた形跡はなく、チッポケなミニチュアの社があるだけ。誰かが勝手に建てた鳥居みたいな感じだ。
 写真を撮っているうちに無性にかわいらしく思えて来た。造った人のいじらしさが伝わる。ひょっとしてその昔災害があった後にでも祀ったのだろうか。よし、勝手連神主を名乗ろう、と思った途端天の声がした。

「この鳥居は『滋養神社』である。」

 驚いたことに周りには誰もいない。
 しばし考え込んでしまった。
 例によって脳内化学反応が突如狂ったのだろうが、妙に僕の心の琴線に触れた。さっき自称神主になると思い付いたではないか。そこでブツブツと自作の祝詞を考えた。母方の宗教は神道なので聞き覚えがあるのだ。[/caption]

高さ1mくらいの手造り鳥居

高さ1mくらいの手造り鳥居

滋養様、滋養様 
御国(ミクニ)安んじさせ給え
身共 精進させ給え
心  明るくさせ給え
滋養様 滋養様
かしこみかしこみ
お願い申し奉~る~

 これに合せた『滋養踊り』というのもこしらえて、一人踊りを奉納しようとした時に車が通ったのでやめた。
 良かった、見られたら頭のおかしいアブない人間だと思われるところだった・・・。
 それにしても何であんなものがあるのだろう。暫くしたら写真に何か浮かび上がってこないかなぁ。

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透き通る桜の開花

2015 MAR 28 9:09:24 am by 西 牟呂雄

 喜寿庵の裏木戸の所に梅の古木がある。この老梅はもはや支えがないと倒れてしまうらしい。それでもチラチラと花を咲かせるが、この一本だけなぜこんなに樹齢が古いのが不思議だった。それがどうやら造庭の際に『一本梅が欲しい。』と先々代あたりが言い出したため、あの時代のことだからヨイトマケが大勢でどこからか引いて来てたものだということがわかった。法事で来た叔母が証言したのだ。
 梅が細かい花を付けているのを見ながら『寒いなあ』と思いながら歩いていた。梅の花は香りが漂うので風で感じることもできる。そして散りだすのだが、そのことを注目する人は少ない。南の方から早咲きの桜のニュースが押し寄せてくるからだ。
 
 

見上げる三分咲きの桜

見上げる三分咲きの桜

 日一日と開花が進む桜の季節。蕾が恐るおそるという具合に開いていく。
 この時期の桜の中身というか蕾の芯の色をご覧になったことはお有りか。開いた淡い色とは大違いの物凄い濃い色なのだ。文章というのは便利ではあるがこの色を表現するには見てもらうしかない(しかも私は色覚異常)。言い過ぎかもしれないが実に毒々しい色合いである。煮締めたようなピンクで日本っぽくないような・・・。
 花染めという技法があってちゃんと桜色も出せるが、その際はこの蕾を使う。開花してからでは色が着かないのだそうだ。咲く前の花の命が最も旺盛な時期でなければ綺麗に染まらないとは何がしか示唆を物語っているような気がしてならない。
 蕾が少しづつ開き出すと今まで桜の枝を通して見えていた風景が遮られていき、直ぐに満開を迎える。満開は満開で結構至極であるが三分咲きの2~3日が大変に儚げで、散り出した後の風情とはまた違うのだ。コレカラ感が健気だ。
 もっとも満開~散り初め~葉桜のプロセスも悪くなく、その頃には柳の新芽が出だす(繰り返すが私は色覚異常)。葉桜にもなる。この色合いは何故か助け合っているような錯覚を引き起こす。桜のバックにはあまり猛々しい色は似合わないのかもしれない。今年も九州だったか少し咲いた桜に季節外れの淡雪が積もった画像があったが、寒そうなもののえも言われず風情があった。逆に真っ赤な緋毛氈や漆の上だったらハラリと散っている程度がよろしい。
 私自身が身に着ける普段着は原色を好むが、風景としてはこちらの淡色も捨てがたいのだ。
 災害に合った方々にはそれ所じゃないという感想をもたれる方も多いだろうが、調和しているときの日本の自然の色は概してやさしい。

冬枯れとのコントラスト

冬枯れとのコントラスト

 枝垂桜の地面に着きそうな枝のドームの中で、ソメイヨシノよりも更に小さい蕾を下から眺めていると軽い陶酔感があるが。これは二日酔いなのか夢なのか。

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行く春や 昭和は遠くに なりにけり

行く春や 昭和は遠く なりにけり Ⅱ

夏本番 昭和は遠くなりにけり

国境を考える Ⅳ

2015 MAR 26 19:19:10 pm by 西 牟呂雄

 中国とソ連は実は長いこと国境でモメて、武力衝突も繰り返された歴史があるのだ。両国のイデオロギー闘争とは別に領土問題もあったのでややこしい。しかしソ連の崩壊直前の1991年には川の中州のダマンスキー島が中国の帰属で合意した。それでも未確定地域(総面積:375平方キロ)は残り、アルグン川の島(ボリショイ島 アムール川とウスリー川の合流点の2つの島、タラバーロフ島と大ウスリー島は帰属がはっきりせず実際にはロシア人が住み着いていた。
 川の中州でもめるとはさすがにスケールの大きい大陸である。川が氾濫でもして土地が変わっていたらどうなっただろうか。
 2004年に最終的な中露国境協定が結ばれた。この協定では、アムール・ウスリー合流点部分では、係争地を二等分するような合意がなされたのだ。どうもこの時点で随分ロシアが譲歩したように今では思えるが。これは北方領土解決の大きな示唆にならないか。

 先日おかしな夢を見た。北方領土問題が解決して面積等分となり択捉島に国境線が引かれたので、何故か羽田からヘリコプターで見に行った。着くとその場にプーチン大統領がいて、国境に案内してくれたのだ。
 すると石ころだらけの川原に案内されて水がチョロチョロと流れている。大統領は何故か日本語で
「ニシムロ。この川の向こうがロシア。こちら側が日本だ。」
と言うではないか。見てみるとロシア人の家族が向こう岸(と言っても2mくらい先)で遊んでいるではないか。これが国境?という顔をしたのを見た大統領は笑いながらロシア人家族の一番小さい女の子を手招きした。すると女の子が『ダー、ダー。』と言うと走ってきてピョンと川すなわち国境を飛び越えた。彼女は何の手続きもしないで軽々と国境を越えたのだ。
「大統領。彼らは自由に国境を越えられるのですか。」
「そうだ。いつでもだ。」
「住むのも自由ですか。」
「そうはいかない。国籍のある方にしか住めない。」
「ブツが移動する場合に関税は掛からないのですか。」
「島内で消費される分はフリーだ。持ち出される際には日露貿易協定に沿った分が取られる。すべての島の生産物と外からは入ったものは明確に区別される。密輸・トンネルなどは有り得ない。君がヘリで移動する際にロシアの物を検査されるだろう、空港は完璧だ。海岸は両国の最強コースト・ガードが固め海からも持ち出せない。マフィアもヤクザも手が出せない。ここはタックス・ヘヴン特区ではあるが犯罪の温床にはしない。」
「しかしマフィアやヤクザは来てるでしょう。」
「フハハハ。安全保障条約を結んではいるがロシア軍はいる。ジエイタイもクナシリに来ることになる。しかもケイサツは最も優れたコーバンを設置するだろう。我が方の秘密警察の機動力はご存じの通りだ。」
「犯罪はお互いに裁くのですか。」
「国境を挟んだ発生主義で裁く。ロシア人が日本領内で犯罪を起こせば当然日本が裁く。犯罪日本人がロシア領内に逃げ込んでもロシア警察が捕えて引き渡す。ニシムロ、ロシア領内の石ころ一つでもポケットから見つかればシベリア送りだぞ。ハハハハハ。」
「ポケットに入れても国境を跨ぎ、領海に投げ捨てたらわからないでしょう。」
「(物凄い目つきになって)厳密に言えばその通りだがロシアを甘く見てもらっては後悔するぞ。」
「しませんしません。当たり前ですよ。」
「ハラショー。それならば構わない。」

で、目が覚めた。思わずジャージのポケットを探って何も無いのを確認した。

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劇団俳小の「子供の時間」

2015 MAR 24 19:19:18 pm by 西 牟呂雄

 早野さんが出演した「子供の時間」を観劇してきました。リリアン・ヘルマンの原作で、オードリ・ヘップバーンの映画「噂の二人」にもなった作品です。
 病的な嘘つきの少女が他の生徒を支配して人間関係をメチャクチャにした挙句、女性の先生二人がレズビアン関係だとの噂を撒き散らし、一人を自殺にもう一人を婚約破棄に追い込んでいく。昨今もありそうなテーマのお芝居でした。
 見所は自殺してしまう女性は苦しんでいるうちに自分はそういった恋愛感情を持っていたのではないか、と思い詰めていく所でした。まるで冤罪の被害者が自白に至るような緊張したやりとりが続くのです、これ結構怖い。閉鎖された小社会のヒステリーが極限を越えてしまう。
 早野さんはちょっと小意地の悪い自殺してしまう先生のおばの役で(ご本人はやさしい方です、念の為)さすがに華がありました。黒テント出身の新井さんという方も凄い存在感。
 私は見ていて婚約破棄に追い込まれる女性の相手であるジョーという役が気の毒で気の毒で。

 ところでこの原作はスコットランドで実際に起きた裁判沙汰がベースとなっています。古い翻訳を元に台本ができているらしく、途中からは台詞の原稿の英文を想定しながら見ていました。後で一緒に観劇していた東 兄も全く同じ作業を頭の中でやっていたそうで笑えました。
 ふと思ったのですがせっかく現代に上演するのだから台詞廻しも今風に変えるとか、思い切って全部ネイティヴ京都弁でやるとかいったことはできないものでしょうか。冒険かもしれませんが、もともとメアリーとかジョーいった名前を使ってやっていることですし、女学生の狭い凝縮された環境にいる小道具として方言を使えないかアイデアを練っています。
 
 話はかわりますが、舞台業界の関係者のような私の隣りに座ったオヤジ、「腰が痛いので座布団寄越せ。」と偉そうに言っていたくせに始まった途端にいびきをかいて御就寝とはいい度胸だよな。どっかのOBか知らんが演劇鑑賞は殆どできなかっただろう、寝に来るんじゃねぇ!
 早野さんが楽屋から出てくる前から私・東兄・阿曽さん・ハリーさんで飲んだのですがテーマが重いだけに厳しい批評が飛んでいました(酒も飛んでいました)。あの女学生が使う「~~~しちまった。」という言葉が印象に残ったのですが、あれは翻訳の際に残った言い回しで舞台が想定している女子寄宿舎はもっと丁寧に喋ったはずでしょう。上述のように上品な京都弁を使ってみたいところです。

 そのあたりで焼酎2本を空け、東兄と私の言動がおかしくなり、経済予想の激論から歌舞伎の物真似にまでなって、観劇の夜は更けていくのでした。早野さんきれいでしたよ。

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ストゥコ・バクニンスキー 東京滞在記Ⅱ(翻訳)

2015 MAR 19 23:23:04 pm by 西 牟呂雄

 さて、あさってにはダラスに戻ることになった。すると日本人チームはフェアウエル・パーティーとして何回も食事会を開いてくれた。それが不思議な事にいつも実験している仲間がやってくれるモノ、そのマネジャーが主催するモノ、ジェネラルマネジャーがしてくれるモノとそれぞれ分けてやる。一度にやればコストも安いのに不思議なことだ。
 印象では一番暖かかったのは、直接接していたボーイズがやってくれたのだ。イザカヤに行った。ジェネラルマネジャーはその人の秘書さんと3人で、ROPPONNGIの高そうな部屋でやってくれた。秘書さんは英語も上手くセクシーなレディ。当人は私の父くらいの年で昔のダラスを良く知っている。面白いジョークを聞いた。二ヶ国語を喋るのはバイ・リンガル、三ヶ国語を喋るのをトレ・リンガル。一つの言語しか喋れないのを何と言うかと聞くので、モノ・リンガルと答えたら違う『アメリカン!』大笑いだ。そして自分は中国語と韓国語ができるからクァルト・リンガルだと。
 最悪だったのはマネジャーがやってくれたもの。元々マネジャーには大して話をしてもいないのに。それどころか私とスタッフが相談してやろうとしたことを(追加実験)セイフティの問題とか自分達の技術開示になるとか予算がないとか、とにかく自分のミスにならないようにどうするかばかりを考えるてネガティヴなことばかり言っていた。私は日本語はサッパリだが、ミーティングから帰って来るスタッフが暗い顔で『ストゥ、悪いんだけどそれはできない。』と告げることが多かった。そのくせ本人から私に直接の説明は決してない。そもそもこの男は自分で理解できないと怒り出すところがあり、皆は苦労していた。しかも何か決断しなければならない時は時間がかかるのを躊躇せずに長い会議をしたり、大勢を引き連れてジェネラル・マネジャーに説明(自分ではやらない、スタッフにさせる)に行っていた。
 こいつは英語が全然できないらしく、食事には通訳代わりに関係ないセクションのマネジャーを二人連れてきた。彼らはアメリカ留学もしたそうで、聞き取れてはいたようだが英語を喋るのは5年振り言っていた。私の方も既に6週間も毎日チームの仲間とやりとりをして彼等の英語には慣れてきたので会話自体は滞りない。それで私のカウンターのマネジャー氏、やたら面白いことを言っているらしく大声で良く笑う。だがその内容は翻訳してもらっても良く分からない。恐らく下品な話をしていたのだろう、顔がバカみたいだった。私の方が良く思っていないせいだろう、普通の会話は問題ないがそう楽しくもない。しかしマネジャー氏はお構いなしに酔っ払い4人でカラオケにまで行き、自分でエンカを何曲も歌った。なかなか上手いのだが私には全てイーグルスのホテル・キャリフォルニアに聞こえてならなかった。他の二人はやたらと騒がしいアップ・テンポのJ-POPと言うのを歌う。面倒なのは『あなたも歌おう』と勧められることだ。いやではないが、私がやりたくなってからでいいではないか。次に、次に、とプッシュされるのはまるで拷問だ。このカラオケ・ボックスというのは会話をするところではなかったのだ。一応ビートルズを2曲歌った。
 しかしカラオケとは面白いものがあるものだ。誰が発明したのか知らないが、最近ではシングル・カラオケといって一人でやるボックスもあるらしく、歌の練習を大声でやるには誰にも迷惑にならなくて結構だ。それはいいのだが、私は地元のテキサスでカラオケがビジネスとして成り立つか考えて見た。
 結果はノーだ。一人で楽しむのだったら自宅のガレージか地下にマシンを置くし、集団で懇親するなら好きなジャンルの者だけが自前のバンドを組むかプロを呼ぶだろう。そう、カラオケがコミニュケートの手段になるのは、聞きたくもない歌でも黙ってしばし受け入れる日本だからではないのか。それにテキサスは移動は車だからあんなに酔っ払ったら家に帰れない。

 色々楽しかった。日本を大好きだ、TOKYOは楽しい。実は私はテキサスに帰ってから事業を起こそうとあるアイデイアを持っている。そのパートナー及びスポンサーは日本人と決めている。
 ただ一般の日本人は口が軽すぎる。私が付き合ったのは合計で14人。彼等は全員口が軽かったが、固い人も大勢いるだろうから心配していない。
 あのマネジャーは口が固そうだが・・・。

ストゥコ・バクニンスキー 東京滞在記(翻訳)


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ホンダのF1復帰は楽しみだ Ⅱ

2015 MAR 17 20:20:48 pm by 西 牟呂雄

 やはり久しぶりのハンデだろうか、オーストラリア・グランプリ決勝にマクラーレン・ホンダは1台しか出せなかった。アロンソはテスト走行中にクラッシュして欠場。サブのマグヌッセンは予選18位だったが30分前の周回でトラブル、決勝には出られなかった。
 ジェンソン・バトンはキャリア十分の元世界チャンピョンで、後ろから抜きに来るドライバーに対するイジワルなんかはさすがと言わざるを得ない。結局15台のレースとなり完走11台という厳しさの中、最下位ながらも完走した。
 高度な技術を維持し続けることがいかに難しい事か良く分かる。レギュレーションも変わってギリギリの限界に挑んでいる技術は撤退による空白を如何ともし難い。結局1戦目ではまだエンジンをフルで回せない。現在では投入できるエンジンはセカンド・カーの分をいれて4個と決まっている。F1サーカスはこれを皮切りに年間20戦という長丁場のシーズン中パワー・システムとマシン・セッティングの最適を目指し、コースにも合わせながら追及するのだ。
 一方ドライバーは平均3秒に一回のシフト変えをする反射神経が必要であり、長時間の緊張に耐えられる体力・精神力たるや大変なもの。で、その維持のためとんでもない努力をしている。上述の『フルで回せない』のは、分かりやすく言えば、ここで思い切りアクセルを踏んづけたらばエンジンが火を吹くかボディが壊れる、という感覚がドライバーからチームに報告されていることらしい。 

 フェルスタッペンというルーキーは弱冠17歳!親子2代のドライバーで天才的速さだ。だがFIAはドライバーの低年齢化を危険視し、今後は18歳以上とレギュレーションを変えたため永久に17歳のF1参加という記録が残ることになる。17歳とは解説していた片山右京が現役の頃生まれた勘定になって、さすがに右京さん「こんなときが来ないで欲しかった。」と苦笑い。
 ライコネンのリタイアは気の毒というかバカヤロというか、ピットインのタイヤ交換の際に左後輪が完全に装着されないままにスタートしてリタイア。映像を見たが、スタートするとき後輪のピットクルーが『まだだ』のように慌てていたのが映っている。シーズン第一線の緊張もあったのか完全にチーム・ワーク・ミス。後輪担当は今回様々なチョンボが見られ、あとで大目玉を食らうかクビになっているだろう。僕は一度あのピット・クルーっをやってみたかったのだが下手に混ざりこんでレースがメチャクチャになる絵を想像すると恐ろしくなった。

 メルセセス強し!

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国境を考える Ⅲ

2015 MAR 15 15:15:24 pm by 西 牟呂雄

 国境とは税金を取っていい範囲。すると国の中にあっても税金を払わない所は国家に守ってもらえない。最低限のナントカ税を払ってまるで独立した国家の様な組織を樹立するのは、オウムが思い出されてはなはだよろしくないが、ISもそんなもんだろう。国境も何も従わない者は排除する原理だ。あのN田という人は研究者なんだろうが、一度は兵士を送り込みかけたこともあるヤバい人でしょう。ISとの窓口になんかなるようなことを言っていたが、そんなペースに乗ったら明らかに国益を損なうんじゃないのか。公共の電波に載せたり出版物を出すのは理解に苦しむ。マッ報道・表現の自由なんですがね。

 もうちょっと穏健な例を挙げればアメリカで自給自足で暮らすアーミッシュがそれだ。ルター派のクリスチャンなのだがチューリッヒで発生した後ドイツに移住、その後アメリカに移民してペンシルバニアやカナダのオンタリオに約20万人いる。言葉も英語ではなく、ドイツの方言を話していて一般のアメリカ人とは交流しない。兵役も拒否しているのじゃなかったか。固く信仰を守り(一部観光化しているところもあるらしいが)基本は『何事も変えない』こと。電気もガスも車もない。多少の経済活動はあるものの、消費もしないで自活しているから税金の取りようもない。こちらは徹底した平和・非暴力主義なのでオウムのようなことにはならないが、国に頼らず何でも自分でやるからサービスを受ける必要もない。今頃でもインターネットなんかを拒否して暮らしていることだろう。
 それはそれでいいのだが、今日のように下手にテロリストが侵入したりすると。その時は警察権によって守ってもらうことになるのか、火縄銃で戦うのか、心配の種は尽きない。これ大いなる矛盾を孕んでいる。

 

 人口学者のエマニュエル・トッドの言説によれば、隣接する国家同士は必ず比較優位差が発生し一方から収奪されることになるらしい。トッドはTPPによる経済の囲い込みに異を唱えている学者で、その文脈からEUの将来の分裂を予想している。僕もEUはどうも危ない気がするのだ。某国のように借金だらけになって、あとは知らん、とやったら50年前なら戦争だったろう。
 少し北に登ってウクライナでは、ガス代払うの払わないのからモメはじめ、キエフ中心部で百人単位で狙撃したのはウクライナ右派。そこから本当に戦争になった。

 どこでもそういった過去の経緯に加えて歴史じゃ宗教じゃ資源じゃマーケットじゃと縺れまくって国境線が引かれる。

 中村兄の直線国境の考察を読んで、カナダーアメリカ国境というのはまぁまぁスマートな引き方だと思った、ネィティヴ・アメリカンの都合は誰も考えなかったが。それでいて昨今の二国間協定の結果カナダはボロボロにされっぱなしだと考えれば先述の比較優位差理論も頷ける。反対側のメキシコは同じようなことになってもっと酷い。
 それでは国境線のない我が国の隣国とは・・・。僕は半島・大陸に深入りするのに慎重派故、ハワイあたりでアメリカさんと馴れ合っているくらいが一番良さげかとも思う。もう一つ意外と近いロシアという手もある。実は中国は日本海には面していないのですぞ。

 いくら何でも今更まさかの鎖国はできっこないし・・・(移民も反対なもんで)。
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ストゥコ・バクニンスキー 東京滞在記(翻訳)

2015 MAR 13 22:22:09 pm by 西 牟呂雄

 東京に来て3週間経った。物凄くエキサイティングな街だ。
 旅行者にとってこんなに有難い街もない。人のいる至るところにショップがあって、本当に大勢の人が買い物をしている。私のいたダラスの外れでは人の集まる所はボール・パークとかモールに決まっていたのだが、東京は街全体が一つのアミューズメントのようだ。
 特に鉄道網の異常な発達は驚いた。こんなところはアメリカにはまず無い、いや世界中に無いだろう。東京の場合は人口密度が最初から高かった。それでJR・サブウェイ(二種類あるらしいが)にターミナル駅からのシテツ(これも会社が違うらしい)といった数種類のレール・システムが整備されている。更に各大都市を結ぶ有名なシンカンセンがあって日本中どこでも簡単に行ける。ネットワークは完璧に維持・管理されており、ジーザス・クライスト!毎分単位で狂い無く運行する。案内してくれた日本人がアイフォンをいじると何分に着くと言う、そしてピッタリその時間に着く。車で移動して遅れると百種類の言訳を並べるテキサンとは同じシビリアンとは思えない。
 少し電車に乗った辺りーOGIKUBOとKYOUDOUのことだがー駅の廻りはギッシリとショップがあり、バー(IZAKAYAという)があり、レストランが完備している。そして歩いている人の多さ!日本人は働き者と言われ事実忙しそうにしているのに帰りがけにも忙しく食事をし酒を飲む、かどうか知らない。尤もこういったターミナルは独身の若い男女が多いから店が多いのだ、と連れて行ってくれた日本人が言っていたが多分嘘だろう。ダラスにだって独身は大勢いるからだ。ダラスの独身は必死で相手を探す努力をするが、私の見る限りそんな日本人の独身は少ない。一度日本人グループと飲みに行った時に一緒だったある人のことを『アイツは女癖が悪い(crazy for girls)』と言った奴がいたが、その人と話してみると普通のハンサム・ボーイなだけだった。

 東京のバランスは全く絶妙だ。あの込み入った街にJINNJYA(神社)やOTERA(お寺)がある。余程の信仰心があるかというとそんなことはない。日本人とは宗教の話をしても全くかみ合わない。彼らはGodとキリストの関係には興味を持たない。僕の育ったエリアはバイブル・ベルトと言われるくらい教会が一つの社交の場となっているのだが、神社もお寺もそういう場所ではない。普段は大きな神社でも人は少なく、静かな場所だ。年に一度のフェスティバルの時に大騒ぎをするというのでその内連れて行ってもらおう。MIKOSHIという小型の神社のような物をかついで街中を練り歩くカーニバルらしい。

 酒に関してこれ程寛大な人々も珍しいと思う。夜の地下鉄に乗っていると飲み過ぎて座りながら寝てしまった人がたくさんいるが、あれで良く家まで帰れると不思議だ。女性も中にはいて、あんなことをニューヨークでやったらそれは恐ろしいことになるだろう。もっとも私はニューヨークは行ったことがない。ドラッグに関しては非常に厳しい。しかし事件になるのはほとんど『Kakuseizai』といってアメリカでは流行らないスピードの方ばかりでコケインとかヘロインはない。日本人はどうも少し違うようだ。しかし『キャバクラ』というバーの騒がしさは凄い。

 ところで私の名前から多くの日本人はロシア人だと思うらしい。確かにロシア系の名前ではあるがもう六代続いたテキサンでロシア語なんか話せない。不思議な刷り込みだ。確かに日本から一番近い白人国家はロシアだが、そんなに昔からつきあいがあったとは聞いていない。
 
 食事については回転寿司が素晴らしい。あの寿司を握っている(クッキングをニギルという)人は大変なマーケティング感覚の持ち主で、カスタマーの顔を見ただけで何を欲しがっているのか分かるらしい。ハンバーガー・ショップのように名前は色々だが中身は同じというものじゃないのに、私がトロが食べたいと思っているとトロの皿が来る卵が来る。何も言わなくてもいいのがガイジンには便利だと思っていた。
 ところがギンザのオバマが行ったようなハイ・クオリティのスシ・バーはとても高くて凄い所は一人フィフティ・サウザンド!そういうスシを食べるのは余程のお金持ちに決まっている。

 さてガイジンが必ず行くところは有名なアキバだ。従って多くのガイジンがいるので私が一人で行っても問題なく買い物ができる。それはいいのだが、あの天使のようなコスチュームの女の子がいるコーヒー・ショップは奇怪な店だ。バカていねい(らしい)日本語でテーブルに案内され、注文するとそれをリピートしながら『☆☆☆☆MOE、MOE』というアクションをする。他のテーブルでは常連らしい地味な日本人がそれに合わせて『MOE!MOE!』とリピートする。私もやってみたが何のサインか分からない。他の店でみたことはない。
 
 ところで、私は日本には仕事の長期出張でホテル暮らし。仕事は材料の絶縁被覆を塗る技術を買った企業にそのノウハウを教えに来ている。驚いたが日本人の研究ポテンシャルは極めて高く、英語を上手く話さないような連中が図面を見て原理だけを理解するとアッという間に実験に成功してしまう。私が何か新しい特性材料を思いついたら次は日本人と組んでビジネスをするつもりだ。日本人は顔も肌もチャイニーズやコリアンと区別がつかないのだが、まずやってみることから始めて自分で納得するまで質問をしない。これは同じ東洋人とは思えない特質で、私は驚いた。チャイナは初めに『何故だ。』と聞きたがるしコリアンは『自分たちはこうやっている。』と主張するのに、日本人は全く違う。素直でありかつ表情には出さないが貪欲である。時に自分たちの手の内を見せてまで成果を分かち合おうとさえする。チーム・ワークで日本人にかなう国はないだろう。
 逆に善意の日本人が騙されるケースもあるのだろう。『OREORE詐欺』という不思議な犯罪があるそうだが、そんなビジネス・モデルは日本でしか聞いたことが無い。テキサスでそんなことをやれば追跡されて即座に撃たれるからだ。

 あと3週間は日本にいる予定なのだ。

ストゥコ・バクニンスキー 東京滞在記Ⅱ(翻訳)


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贋作は楽し Ⅲ

2015 MAR 11 10:10:44 am by 西 牟呂雄

 最近知ったのだが試験管レヴェルで培養した人工肉ができており、現時点ではハンバーガー1個造るのに数千万円のコストだそうだ。それどころか3Dプリンターでタンパク質と何かの繊維や脂肪を積み重ねていくとそれなりの食感の様々な食物も可能らしい。
 アリだろうとは思ったが、直観的に頭に浮かんだのは別のことだ。50年ぐらい経って安くできるようになると、現在たくさんいる牛も豚も必要がなくなる。すると家畜として飼育されている大多数は一気に絶滅させられるかもしれない、という心配だ。おまけに人類の農作物の70%は家畜飼料用だからそれも必要なくなる。いやそれも人工飼料で済むだろう。
 その頃は希少動物になって動物園に飼われて、本物の牛肉や豚肉は貴重な『風味』や『歯ざわり』が売りの高価なレアものになってしまうのだろうか。焼き鳥はどうなる、羊はどうなる。家畜として何代も飼われているともう野生化は無理なのではないか。
 いや『風味』『歯ざわり』すら、あるアルゴリズムで再現され、人類もそれを何代も食べ続ければ本物の肉・野菜・穀物を知らないで生きていくことになってしまう。既に野生の牛肉・豚肉の味は我々も知らないのだ。うーむ、贋作が楽しいどころではないな。

 20年ほど前に住んでいた所の近くの大きな八幡様があって、ニワトリがつがいで放し飼いになっていた。夜なんかにノラ猫から襲われたりしないのか不思議に思っていたが、ある夕方に子供と歩いていた時にそのニワトリがバタバタと羽ばたいた。八幡様には大きなツツジが参道に植えられていて五月頃には大変鮮やかな色を付ける。その綺麗に刈り込まれたツツジの茂みにバタバタしながら2m位の高さまで飛び乗ったのでびっくりした。無論ニワトリらしく不器用そうにではあるが。『コッコガ、ネンネニイッタノ?』息子がふいに聞いたので分かった。このニワトリは夜間の安全のために高いところで寝ているに違いない。この都会のど真ん中で大した順応性で、その次に見た時はもっと高い木にとまっていた。しかし良く考えればその樹上で営巣できるはずもなく、その個体だけが飛んだのかもしれない。つまりニセモノのニワトリだな。

 

故 内田百閒翁

故 内田百閒

作家故内田百聞は猫が好きな人で、庭に迷い込んで来た猫にノラと名付けかわいがった。そのノラがいなくなってしまい顛末を書いた随筆が名作『ノラや』だ。この百聞先生の随筆の実在の舞台は僕の小学校の裏だった。近所の小学校の校門でノラの捜索願いを配る描写がある。ただし子供というのはやれボールが飛び込んだと言って勝手に庭に入り、百聞先生の方も登下校の声がうるさいとクレームをつけたり、学校とは緊張関係にあったらしい。先生は庭に勝手に来る子供を『コラッ!』と怒鳴りつける、ガキの方もまんまと忍び込んでは帰り際に『バカヒャッケーン!』と大声を発して逃げた、という伝説が地元に残っている。
 それはどうでもいいのだが、弟子筋にあたる高橋義孝というドイツ文学者(教授)が酔っ払って『あんなノラ今頃三味線の皮になってらぁ。』とやって絶交された。しかしながらその内なんとかなってやはり猫を飼った。ところが放ったらかしにしているとガンガン子猫を生んでしまうので、高橋教授たまらず避妊手術をせざるを得なかったのだそうだ。ある日百聞く先生から電話があって、子猫はどうしているのかの御下問に事の顛末を伝えると激怒されてしまう。
「そんなもの猫じゃありません!」
猫のニセモノと言うのだが、そんなこと言われても困るよ。

 本物を見抜く『目』を開くのは難しい。

贋作は楽し

贋作は楽し Ⅱ


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国境を考える Ⅱ

2015 MAR 8 11:11:04 am by 西 牟呂雄

 国境に思いを巡らせていると、死ぬまでに行って見たいなぁと思う所がある。国境線は様々な歴史的背景があり、時に大国の思惑でメチャクチャなことにもなるのは、先般の特集『第一次世界大戦を考える』で中村兄が詳述していた。そう遠くもないところに38度線もある。  
 

カリーニングラード

 カリーニングラード(旧ケーニヒスベルグ)をご存知か。現在ではポーランドとリトアニアに鋏まれた200平方キロ程度の地域だが、ロシアの飛び地なのである。元々はドイツ騎士団が入植した港湾都市だった。ハンザ同盟所属の貿易都市としてスタートし、様々な紆余曲折を経た後プロイセン王国発祥の地となり、ドイツ帝国の一角としてケーニヒスベルク大学を中心に文化都市として発展した。『純粋理性批判』のイマヌエル・カントや数学者オイラーはここの出身なのだ。
 それが例の第一次世界大戦でドイツがコケてしまい、ドイツの飛び地になっていた。その後はご案内の通りの二次大戦でソ連のフロントとなり、更にソ連がパァになった時点でバルト3国が独立すると今度はロシアのまま取り残される。ドイツ系住民はスターリン得意の強制移動によりとっくにいない。おかげで引き取り手の無いお荷物になり、本国への移動もままならぬまま一時は無法地帯のような犯罪の温床だったそうだ。そんなことってあるのか。
 今は多少は良くなったと言われる。それはプーチンの前妻がここの出身だったからだ。そのおかげか、それなりの金を投入したそうだが、このかつての文化の都がゴミ扱いとは情けない。
 一度行って、そこの無粋な国境線を見てみたいものだ。都市部は戦争で破壊されつくして昔の面影は無いのだそうだ。

 飛び地といえば、英国は島国ではあるが大陸のジブラルタルがそうだ。残念ながらここも行ったことがない。ヨーロッパ側が英領ジブラルタルでアフリカ側はモロッコなのだが面白いことにスペイン領セウタの軍港が未だにある。この辺はハンニバルの昔からイスラムの侵攻やら大航海時代の経緯やらの長い歴史で複雑になっている。効率は恐ろしく悪いだろう。

だからといって、取替えっこしよう、とはならないのが国際関係の厳しいところなのだ。しかしつい最近クリミアやウクライナでいとも簡単に国境が変わるのを見れば緊張を解くことはできない。
 このこと、平和の国日本でありつづけるためにも十分認識しておかねばなるまい。
 ところでヨーロッパ経験の豊富なSMCの諸兄はカリーニングラードやジブラルタル、セウタに行かれた方はおられるか。是非その印象をお知らせいただきたい。

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