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あの頃の海 

2015 MAY 30 11:11:10 am by 西室 建

 かねてから白状しているが、子供のころのテリトリーが下町だったので神田川も隅田川も悪臭ただようドブ川で、その先に注ぎ込んでいる海はこげ茶色のイメージを持っていた。

幕張の潮干狩り

昭和30年代後半 幕張の潮干狩り

 学童前に今の幕張あたりに潮干狩りに行ったことを覚えているが、なんとなく汚らしい海岸で熊手でニチャニチャ砂を掘ってみたら貝が取れた。恥ずかしい話だが、翌日のおみおつけに貝が入っていて「きのう自分で採ったんだよ。」と言われびっくりした。お魚屋さんで真水で洗われたようなモノが砂から掘り出したのだとは思いもよらず、一瞬怯んだ。幕張の記憶は、帰りの電車がやたらと混んでいて、車窓に夕日が差し込んでいたのが鮮やかだったことの方が印象的だった。

 これも学童前だが、伊東の温泉に行って海岸を歩いた。写真が残っていて僕が祖母と映っている。ここの印象は『寒い』。子供だから温泉なんかタダの銭湯と同じで、毎日入っていたから珍しくもなんともなかった。海の印象はすこぶる悪く、暗い感じの記憶になっている。
 葉山の海岸にも行ったはずだが、当時の海水浴場の混雑振りは満員電車並みで『楽しかった』というような思い出になっていない。プールで十分といったところだろうか。
 小学校高学年に観音崎海岸に行ったことがあった。この時強烈に印象に残ったのは、ほぼ視界一杯の巨大さに圧倒された米原子力空母『エンタープライズ』の威容だった。とにかくデカい。迂闊にも『日本にもあんなのがあればなぁ。』と思ったものだった。子供の感想なんでお許しを。海岸に降りるのにゴジラのモニュメントがあって尾のところが滑り台になっていた。

 長じて海水浴場はおぞましいことに巨大なナンパ場となっていた。もっと昔もそうだっただろうが、子供は水遊びや砂遊びが忙しくて気が付かなかったのだ。高校時代の自分の行状を思い出すとゾッとする。所は三浦海岸が多かったが、後先考えない出たとこ勝負はほとんど迷惑行為だっただろう。聞いた限りでは新島なんかもっとひどいことになっていたらしい、おそろしや。その後あまりの後味の悪さと恥ずかしさでしばらく海とは無縁になる。

 古をたどると僕の爺様は夏中沼津に長逗留してヨットに乗ったそうだ。オヤジは大学ヨット部のエースだったから、後年海にのめり込むのもこれは遺伝的体質だったのだろうか。
 学生時代はやっていないが社会人5年目くらいからクルーザーのクルーになった。一世を風靡した岡崎造船のパイオニア10、これは早い船だった。楽しい船で、クルージングと酒・麻雀がセットになっていた。従って残念ながら女の子がビキニで遊びに来るなどは皆無だった。

パイオニア10

パイオニア10

 だから3日も乗っていると(港伝いだが)酒と博打漬けになりつくづく『遊び暮らすのも命懸けだな。』という実感があった。
 子供がうんと小さかったときに船に乗せる際、腕に小さな浮き袋を付けて即席のライフジャケットを作ってやったら、面白がって甲板や桟橋からわざと落ちて見せていた。後年、海水浴というのは海岸でやるもんだということを知らなかったと言っていたが、あれが癖になっていたら危なかっただろう。湾内でも潮の流れは速いのだ。

 さて、これから僕の海の楽しみ方はどうなっていくのだろう。水上バイクはチョット怖いし、サーフィンは年齢的に無理だ。以前熱過ぎる夏に干からびる恐怖に書いたようにだけはなりたくないのだが。

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Categories:遠い光景

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