同級生が・・
2015 JUN 18 21:21:04 pm by 西 牟呂雄

突然のメール。同級生が亡くなった、と。小学校の机は当時二人一組で、隣同士だったこともある彼。真ん中に線を引いては「あっ、こっちにはみ出してる。」「そっちこそ肘がぶつかる。」というやり取りをしていました。
とても太っていて座っているだけで少しこちらにはみ出しがちではあったのですが、駆けっこがビリだったり遠足でへたばったりとそれなりに大変だったようです。
しかしガキというものは残酷で、そういうことをからかうのは日常茶万事でした。
彼を苛めた記憶はありませんが囃し立てたことはあります。不愉快だったでしょうがニコニコとやりすごしていましたね。怒ったりしなかったのは、気の小さい彼の処世術だったのでしょう。
中学からエスカレーター式の大学まで続いている学校に進学して、一度だけ同窓会で会いました。『太り過ぎを直すんで(ダイエットなんて言い方はありませんでした)中学でラグビー部に入ったら医者に辞めさせられたよ。』と笑っていたものです。
それっきり彼の噂も聞かずに今日に至ります。
詳しくは知りません。ご家族の問題があったのか事業で失敗したのか。最後は体を壊し病院で、独身で半身不随、天涯孤独となって息を引き取った、と。こういう場合、最小行政単位が火葬と略式の葬儀をしてくれるそうですが(ご家族の入っている墓所への)納骨はタダというわけには行かないらしく、カンパをすることになりました、さっそく一口振り込んできます。
内臓疾患とのことで最後は緩和ケアで痛みと闘っていた、等と聞くと何とも言えません。次々と降りかかってくる様々な困難に、さぞ心細かっただろうに。そしてそれに耐えてきた。
しかし同時にその時に彼の話を聞いていたとしても、一体私は彼のために何ができたでしょうか。
長年消息を知らなかった彼の死を聞いてそれなりに驚きガックリするものの、この年になればこういうことはこれから毎年どころかもっと頻度を上げて起こります。いや、私の知らないところで今現在も起こっています。
宗教家や厚い信仰でもあれば別です。が、いかなる主義・主張・思想をもってしても、一度でも隣同士で会話した知り合いの訃報に対して納得感を醸成できません。どうやら苦労を重ねたことを悼む以外なすことはなく、癒されることも無い。
彼は亡くなり私は生き残りました。
誤解を恐れずに言えばその亡骸に声をかけるとしても、人に迷惑をかけずにやります、慎ましくやります、面白おかしく暮らします、少しでも真面目にやります、程度の言葉しか口に出せないものじゃないでしょうか。
同時代に同じ空間を共有した、大窪よ。
お疲れ様、安らかに眠れ
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