2030年 認知症で自由になる
2015 AUG 1 8:08:09 am by 西 牟呂雄

お医者様が仰った。
「ニシムロさん。あなた軽い認知症です。」
オレは内心ふざけるな!と思ったが一応メモに書いておいた。最近物忘れは確かにひどい。一応書いておく癖をつけないと。
毎日未だに仕事が忙しい。いろんな人が訪ねて来るのでいちいち相談に乗ってあげている。未だにオレを頼ってばかりの人に囲まれて困ったもんだ。
昨日も知らない人が訪ねて来て昔はどうでしたか等と聞くので、関東軍の将校で硫黄島でアメリカ海兵隊をやっつけた話をしてあげたら喜んで帰って行った。
そういえば何か頭のおかしそうな若い女性が『お父さん』等と呼ぶので、どうもお金を借りに来たのだと直ぐに見破って『僕は結婚したこともない。しかもゲイだったからお父さんと呼ばれる筋合いはない。』とよく叱っておいた。
ところで最近周りの人の頭が随分悪くなったような気がする。何回丁寧に教えて言っても『さっき聞きました。』とか『もう5回めですよ。』とか言って自分が忘れていることの言い訳する奴ばかりだ。
古い友達に安倍晋三君という総理大臣をやったのがいるが、彼の相談に乗ってやった秘密の話をしてしてやっても誰も驚かない。皆知らないのだ。TPPも安保法制も本当は僕がレーガンや中曽根に根回ししてやったことを。
待てよ、結婚したことも無い、と言ったが何故か時々家族がいたような気がする。あのちょっちゅうイチャモンを言っていたのはカミさんという人だったかも知れない。たまに訪ねてくる胡散臭い男も自分は息子だと言うのだがあれは何かの勧誘に違いない。
一番困るのは僕の身の回りの物をかたっぱしから誰かが盗ってしまうことだ。眼鏡とかは特にどこかに隠されてしまって必要な時に手許にない。お金もだいぶやられたみたいだが、幾ら持っているのかさっぱりわからないから誰にも訴えることができない。警察を呼ぼうとも思ったが、証言してくれる人も廻りには居そうもないのであきらめた。
今日は随分気分がいいので、久しぶりに部屋から出てみた。部屋にばかりいると結局テレビばかり見てしまうので体にも悪いだろう。しかしやたらといる医者は、オレの体のどこが悪いかは誰も教えてくれないのだ。
テレビはテレビでいつもアクション映画や旅の番組を見ても全部知っていることばかりなので面白くない。体を支える変なボディ・スーツを着させられているので思ったほど早くは行けないのだがズルズルと庭に出てみた。
すると見上げた、と言ってもちょっと首を上に向ける程度の高さのブロック塀の上に猫が昼寝をしているじゃないか。そのまま見ていると気配を感じたのかめんどくさそうに目を開けた。首輪も何も付いていないところを見るとノラの地域猫なのか。こちらの老人用ボディ・スーツが珍しいのかまるで静止物を見るように眺めている。
「認知症なんだって。」
何だ。誰が喋っているんだ。不自由な首を回しても普段ギャアギャア言ってくる奴等はいない。猫はこちらを見たままだ。脅かしてやろうか、と口を開いたら、
「にゃ~。」
というマヌケな声が出た・・・。
次の瞬間、オレの視線が突然その猫の目になってしまって、塀の上からオレを見下ろしているではないか。元のオレはぼんやりとオレを見上げているではないか。そして『猫のくせに偉そうにしないでコッチに来い。』等とそれこそエラソーに言っている。
すると、二人の若いお姉さんが『ホラ、もうどこにいるのかわかんなくなっちゃって。』と言いながら元のオレのところにやって来るではないか。『敷地から出たらダメっていつも言ってるじゃないですか。』等と言われて『ニャー、ニャァ。』と答えている。オレはいつもあんな訳の分からない受け答えをしているのか。これは本当に医者の言うとおり認知症だったんだな。
どうやらオレの意識は猫の体を借りているらしい。しかしこのサイズでいると認知症の脳でもコンパクトに正常には判断ができるらしい。何しろ喋らなくて済むのだから楽なもんだ。説明責任も無い。元のオレがあれこれ怒られながらあっちに行くのを見てムックリと起きてみた。何と軽やかなんだ。いままで介護スーツを着させられていた時のモタモタ感に比べれば空を飛ぶほどの感覚である。
そのまま塀の端っこまで行って高さに少し躊躇したが、思い切って飛び降りて見るとヒラリと地上に立てるではないか。
人間なんざ不自由なもんだ。オレはこの猫のまま人生を安らかに全うしよう。いや猫生か。
認知症は感情が希薄になると言われていて、確かにオレも面白くも楽しくもなくなっていたようだが、この猫の体を借りて喜怒哀楽までが蘇ったようだ。
なにしろこのサイズと身軽さだ。人間の視線では分からない、狭い所も何のその。都心の無機質な摩天楼群の中ならいざ知らず、住宅街のこの辺は言ってみればスカスカの抜け道だらけでどこへでも行ける。どこかのウチの飼い猫のフリでもしてメシにありつこうか。ともかくオレは自由になったのだ。
「ニシムロさん!何が『ニャー。』ですか。猫のふりなんかしちゃって。」
「ほんのさっきまでこんなじゃなかったのよ。相変わらず嘘ばかり言ってたけど。」
「ミャー。」
「何。今度は甘えたフリして。」
「騙されちゃダメよ。この前は犬になってたんだから。」
「困るわねぇ。認知症になっても変なこと考えつくってどういう人格なのかしら。」
「だからこういう人格なのよ。ご家族も持て余してたんだから。」
「どうせなら兎とか鳴かない動物にでもなってくれればいいのに。」
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