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お言葉について

2015 OCT 24 13:13:59 pm by 西 牟呂雄

 先帝陛下の生のお言葉を二つ記憶している。一つ目は前の東京オリンピックの開会宣言。
「第18回近代オリンピアードを祝い、ここにオリンピック東京大会の開会を宣言します。」
 夏期オリンピックの正式名称は『オリンピアード競技大会』と言い、オリンピアードは1896年1月1日から始まる4年毎の暦なのですな。
 ついでにこの日は10月10日の土曜日で、今は休みを増やす政策のため翌月曜を『体育の日』として祝日にしているが1964年時点では週休2日制にはなっておらず、小学生だった僕は午前中普通に登校した。余計な事だが10月10日は東京エリアは雨が降らない気象上の『特異日』なので開会式に選ばれた、という説が流布していたが実際の統計ではそんなことはない。むしろ11月3日の方が(前後日の雨天に対して)晴れの確立は高い。今でこそ『文化の日』等とふやけた祝日だが明治天皇の誕生日でかつては天長節と言った。昭和天皇は晴れ男として知られるが、明治の頃からそうだったのか。
 ドイツ語では『皇帝の晴れ』という表現があって『カイザー・ヴェッタァ』と言うが正にそれだ。
 もう一つはエリザベス女王が国賓として来日された際のスピーチ。
「風薫る今宵、英国女王エリサ(さ と言われた)ベス二世陛下ならびに、エディンバラ公フィリップ殿下をお迎えして、宴席をともにすることができますことは、わたくしと皇后の喜びに堪えないところであります。」
 中継されたこの御言葉を何故か良く覚えていて、高貴なお方は使う言葉からして違うのじゃないか、という感想を抱いたこともはっきり記憶にある。「おりんぴあーど」とか「えりさべす」の言い回しは何やら神々しかった。

 生で聞いたわけではないが『終戦の詔』は繰り返し放送もされる。これやはり皇族の方でなければあれ程の迫力は出ないだろう。子供の頃は別としてプチ・右翼キッドになってしまったきっかけはこの御言葉のミステリアスな響きだった。警察官僚出身の危機管理作家、佐々淳行氏はご大喪の礼を仕切ったが、現役の三重県警本部長の時に伊勢神宮に行幸された陛下にお召列車の中で対面した。そしてその間の記憶が全くなかったことを告白している。あの自信過剰気味で恐いもん無しの筆致を紡ぐ佐々氏にして、だ。あの抑揚によって(爆撃を受ける一方だった銃後の市民は別にしろ)大陸においては健全だった100万将兵が黙々と武装を解いた(シベリア行は別の問題として)ことは尋常ではない。艦船を全く失った海軍はともかく支那派遣軍(関東軍除く)は50回近くの大規模会戦には10対1の人数でもほぼ負けなしの上、昭和十九年から猛烈に頑張っていたのにも関わらずだ。原爆・特攻含めて犠牲者は増えたが。( 8月15日に聞いた話 をご参照ください)

 そして大地震の際に自ら国民に語りかけられ、被災地に祈られ、先の大戦の犠牲者の眠る地に赴かれる今上陛下のお姿に打たれる。
 天皇制などという言葉はコミンテルンが作った造語で、ヨーロッパのツァリズムの直訳だ。日本語にはそんな表現はなく、ただ『初めから天皇がおわした』だけだ。昭和先帝は天皇機関説に『美濃部が不忠の者とは思わぬ。機関説でいいではないか。』と仰ったと伝えられる。現状日本は立憲君主国・議院内閣制です。
 この血脈、私見ではどうしても男系を維持することで受け継がれたもののような気がしている。維持のためには旧宮家の男子を少年期に直宮家の養子にする手か、それっぽいのを連れて来て内親王と婚約していただくか。この高貴なお血筋は唯一後醍醐天皇くらいがヤバい例外で(後白河法皇も多少エグいが)ひどいのは出ない、出さない。そういうもんでしょう。

 元右翼キッドの考えそうなことだ。

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Categories:言葉

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