Sonar Members Club No.36

月別: 2016年3月

ヨーシ! やったぞ大谷

2016 MAR 29 22:22:04 pm by 西 牟呂雄

 札幌でも3月に野球が見られる。ドームのおかげだ。
 そして北海道新幹線の開通に合わせるようにファイターズが帰って来た。相手はカモのオリックスだからここで勢いをつける絶好のチャンスだ。

 先発吉川が3人でサッサと片付けるとその裏、制球イマイチの西に襲い掛かって中田のホームラン、ではなく犠牲フライ。そこにDH大谷が登場するという願っても無い舞台を見ることが出来た。これまた犠牲フライだったけど。先制した。
 そして次回もボールが先行する西を責め立て2点をもぎ取って4-0。いいぞいいぞ。
 4回にはノー・アウト1塁で珍しく栗山監督が僕の言うことを聞き、陽に送りバントをさせた。するとこれが効いてもう1点。流れは完全にこっちのもんだ。
 そしてついに5回DH大谷にHRが出たぁ!中田・近藤と出た後の一発で3ランとは恐れ入りました。二刀流バンザーイ。これ以上点を取り過ぎるとあしたの打線が落ちないかと余計な心配まで始めた。
 8点で西を潰して中継ぎを引き摺り出してやろうとニタニタしたら、3点取られた。イカン、これがスキを呼ぶ。すかさず吉川に代えて高梨を出す。
 取られたら取り返せ。西の次の赤間をメッタ打ちにして(中田除く)大山を持ってこさせ大谷のヒットを誘う。わはは。ついでにライト糸井のトンネルまで呼び込んでやった!13-3。
 ここで又、栗山監督は影のコーチ(つまり僕)の反対を押し切って鍵谷。ところがなんと3人で片付けてしまった。
 さあここから慎重に固めろよ。キャッチャーに大野、大谷も引っ込める、レフトの近藤も代える。
 そして何と2年ぶりに榎下を投げさせた。谷本の代わりに入れ替わって1軍に上がったのだが、10点差なら試せる。いい采配だ。榎下は独特のクニャクニャしたフォームで最後を三振で仕留めた。

 今日は何といっても大谷のホームラン!といってもやっと勝率5割だ。あしたも潰してホークスを迎え撃つぞ!

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飛び出せファイターズ

2016 MAR 27 19:19:55 pm by 西 牟呂雄

 いよいよプロ野球開幕だ。
 我がファイターズの初戦は、昨秋にC・Sで不愉快極まりない負けを喫したロッテである。今年のファイターズは凄いぞ!目に物見せてやると意気込んだ僕は、ロッテなんぞ歯牙にもかけない、相手は最強ホークスだとばかりに張り切った。
 勿論、今年も練りに練った極秘戦略を栗山監督には(テレパシーで)伝えてある、ここに書くわけにはいかないが。

 既に日本のエースとも言える大谷のマウンド捌きはどうか。オープン戦2試合は10回4失点。立ち上がりが問題だ。
 と思っていたら本当に立ち上がりがダメだ。いくら160kmを投げても相手だってプロだぞ。ひとえにリードの問題。2球もフォークを続けて投げさせるな!
 ロッテは涌井、上等だ。それに対して我が打線は不愉快なことに全然ダメ。8回にいいチャンスを作ったが、A級戦犯は中田!お前だオマエ!4タコとは何事だ。しょっぱなのクソボールをフル・スィングするのをやめろとあれほど言っただろうが。

 きのうも何故か負け。元々大味な試合をやらせれば日本一だったフライヤーズ魂をどこに置いて来たと言うのか。大体ニコニコ・メンドーサをなぜ代えた。藤岡なんかどうでもいいが鍵谷!ちゃんと練習してるのか、このやろう。おまけにこの日も中田がふやけやがって、いいかげんにしろ。陽岱鋼、お前はそんなに守備が下手だったか?なまったのか!

 今日は亡き母の3回忌をやりつつ栗山に(もう呼び捨て)必死にテレパシーを普段の2倍の強さで送り叱咤した。そのテレパシーでやっと勝ったのが有原ー増井のリレーで1-0だ。体に悪いなんてもんじゃない。たったの1点!嗚呼。
 一つ勝つのにこんなにも大変とは、先が思いやられる。

 最強ホークスを叩きのめす前にオレが鬱病にでもなったら栗山、お前のせいだ!

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五代目中村雀右衛門襲名披露 口上

2016 MAR 25 0:00:26 am by 西 牟呂雄

 京屋の芝雀さんが雀右衛門を襲名されたので見に行った。
「幾久しく、宜しくお願い申上げたてまする~~~」
 ズラリと裃をつけた大名跡が、それぞれ申し立てる口上はさすがに圧巻。口火を切るのは坂田藤十郎、控えが片岡仁左衛門に高麗屋幸四郎、両脇右奥が音羽屋菊五郎と左奥が播磨屋吉右衛門とは見応え十分だった。

 演目の一幕目は『双蝶々曲輪日記角力場(ふたつちょうちょうくるわにっきすもうば)』という大阪の勧進相撲が舞台だ。これちゃんと関西の言葉でやるのがいいですな。『若旦那』と言うのが『わ』から段々低くしていき『わかだな』という独特の呼びかけになる。実は初めて見た。
 そしてこの芝居は鷹揚なアホボンのと素人角力取りの二役を成駒屋・中村橋之助が早変わりで演ずるところが見所。yjimage[1]

 次がいよいよ雀右衛門がやる『金閣寺』の雪姫、時代は大阪の陣の頃の話だ。時姫・雪姫・八重垣姫の「三姫」は歌舞伎の姫役のうち至難とされる。
 このあでやかさはぜひ実際に舞台で見なければ伝わらない。
 色気・凄味という意味では玉三郎に方が妖艶だが、この気品はこの人の味だろう。

 女形は肉体的にも結構大変で、膝頭を合わせるように内股にして少し折ってチョコチョコと歩く。やってみると分かるが厳しい修行が必要なのだ。

鼠が齧って

 この芝居、他にも太刀をかざすと滝に(本水ではない)龍の姿が現れたり、雪姫が散り乱れる桜の花びらを爪先で鼠の絵に書くと本当の鼠が出て来て(雪舟の孫娘という設定)縛られている縄を食いちぎるとか、歌舞伎っぽいネタが満載。

 今回は西ー16という花道の出の直ぐ横の席だった。一番後ろの所だから座席と同じ高さに花道があって、横を役者が通っていく。いやもう衣装の華やかな事。

 まだ見られますよ。是非御覧有れ!

九月花形歌舞伎

九月大歌舞伎 千穐楽

猿之助四十八撰


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アメリカ・中国・南北朝鮮、そして日本

2016 MAR 22 7:07:25 am by 西 牟呂雄

 水爆実験や弾道ミサイルに頭にきて軽薄なブログを書くとあまり考えていないのがバレるので(もうバレているだろうが)ひと月インターバルを置いた。国連安保理がノタノタしている内にケリー国務長官と王毅外務大臣の米中会談が行われた。
 筆者はこの会談で再び両国が取引し、日本には知らせず韓国・北朝鮮を蚊帳の外に置き、秘密に手を握ったと見立てている。それが何なのか。

ケ)南沙諸島の『航行の自由』作戦は継続中でイージス単独でやる、ただし護衛潜水艦部隊は潜行させない。非難声明を強硬にしても構わない。アメリカのメンツを守れ。それからコリアだが、我々も北を潰そうなどとはしない。
王)それはわかった。我々もホトホト手を焼いている。制裁は取り合えずある程度の事はしよう。だが一つだけ頼みがある。日本を調子に乗らせないでくれ。そこで相談だが。

 こんな感じでやったに違いない。つくづく思うのだがアメリカにも中国にも韓国にも信頼できる友人はいるが、こうもパズルのように複雑になると国家間での約束事は当てにならないのではないだろうか。日米同盟の帰趨が心配だ。大陸・半島に至っては国家としての振る舞いがひどすぎるので、個人的に不愉快であり付き合うつもりはない。
 米中は昔から裏で繋がっている。それは地政学上、日本が間に挟まっていることも大きい。日本があまり力を持つ事を両国とも好ましくないと思ってい上に、日本を叩いている限り両国は協力できるからだ。
 G1の一極であったアメリカは現在大統領選挙の真っ最中だが、外交についての議論は全く盛り上がらない。というかトランプ効果で強硬論の品評会になってしまい、冷静なアピールがない。共和党はあんなではなかったはずだが(私は自称リパブリカン)今更手遅れだ。
 消去法でヒラリー氏になったところで彼女の本質は中国贔屓(亭主の影響か)。尖閣は安保の範囲内とは言ったものの、大統領になったら手のひら返しも在り得ると覚悟しなければ危ない。

 最近の言説で、主にヒストリアンと呼ばれる保守系の論客がアメリカの内向き姿勢について言う事がある。過去の世界大戦の直前にそっくりだと。
 台頭する新勢力、現在は国家としては中国に甘く対峙しているのが良く似ている、と。これはかつてのヨーロッパを席巻したドイツ、そして(自衛の意味合いが強いと私は思うが)よせばいいのに大陸に深入りした日本に対し、当初日和見的に対応して混乱を拡大させたことを言っている。
 それだけではなく、中東に手を入れたために執拗にテロの標的にされてもいる。
 ここでアメリカが場当たり的に対処して、中国と密約で妥協する可能性は非常に高いと危惧する。

 中国は経済が液状化している。西からのISのプレッシャーも来る。但し日本は経済的には仕掛けない、仕掛けられない。今更断ち切れっこない。おまけに中国は潰れない。イザとなれば自国民の1~2億人を苛め抜いて平気なお国だ。
 北は内心では中国と憎しみ合っているがアメリカからも無視される。この段階では敵の敵は味方とはならないし、三代目は予測不能。 
 南は日本に擦り寄るしか手立てはないはずだが、世論とマダムはそれを許さない。日本からはもはや手は差し伸べない。スワップ要請も受けない。何の国益にもならないからだ。大陸と違い日本経済も大して困りはしない。

 するとどうなる。日本が孤立してしまうではないか。
 そう、日本独自で毅然とする瀬戸際に立っているのではないか。覚醒せよ。

 米韓合同演習はかつて無い規模で、特殊部隊まで投入し猛烈な圧力をかけたら北は又ミサイルを撃って見せた。北は合同演習をやられると、対応するために部隊展開をせざるを得ない。演習をしたとも伝わったが、これは大量の油を使うのでホトホト困っているはずだ。もはや手立てがなくなっていることを如実に表したと筆者はみている。18日に撃って(1弾は失敗したらしい)昨日もまた予告なしに撃った。
  しかし、いくら撃っても誰も相手にしなくなったら再度の核実験はやるという予測はつく。危ないぞ!

 ここで考えは飛躍する。国境の近い国は他にもあるではないか。ロシアと台湾である。
 いじらしくも独立の気概をみせて新政権を選択した台湾。苦境にありながらも図々し振く舞わざるを得ないロシア(クリミア・ウクライナでの振舞いは全くいただけないが)。賛否両論あるであろうが、不思議な事に安部総理はこの両国のトップとウマが合うらしい。常に緊張を強いられる国家のトップ同士が会談するときに、作り笑いでない表情を見せられる関係というものは構築しようとしてできるものではない。大国アメリカのオバマ大統領がサシでプーチン大統領とシリア問題で通訳のみの会談の映像を見たが、プーチンにいいようにあしらわれていたように見えたではないか。

 プーチンとの会談を整中の安倍総理の次の一手が見えて来る。ロシアは北の国とも国境を接しているのだ。

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何者だ

2016 MAR 21 12:12:07 pm by 西 牟呂雄

 喜寿庵の芝生で風で落ちた枝を見つけた。毛むくじゃらの蕾が付いていたので、捨てるに忍びなくジョウロに水を張ってさして置いた。おそらく木蓮か辛夷(こぶし)だろう。ビロードのような細かい蕾の手触りが何故か心なごむのだ。
 挿し木をしたらいいのか分からないまま、庭の一角に立ててみてそのまま忘れていた。

 ある日、もう枯れてしまったかと急に気になって早朝車を飛ばして行ってみると、枝を立てた一角に小人と言うかE・Tというか、ヒト型の生物がいるではないか。ワッとビックリしたが猿でない事はわかった。猿一族は武装した僕に『ネイチャー・ファームの戦い』で威嚇され(口では諭したが)暫く姿を見せていない。身長は1mくらいだった。

ちょっと違うんだが

ちょっと違うんだが

 しかも少し歩いたり動いている。顔は亀裂が入ったようなグロテスクな裂け目があって、大昔にウルトラQで見たケムール人のようだった。キョロキョロする目のようなものが左右非対称についていて、明らかにこっちを見ているのだ。
 両手を広げて攻撃の意志の無いことを伝えると、ある程度の知的生命体のようで向こうも両手をダラリと下げた。やたらと攻撃したり逃げたりしないほど洗練されたマナーがあるなら、それなりの生き物だということを私達の知性は知っている。しかしどうしたらコミニュケートできるのか。
「あなたは、誰ですか。」
 指をさして聞いてみる。
「フー・アー・ユー? キ・エ・チュウ? ニィ・シ・シェイ?」
 知っている言語はこれだけだが、反応がない。
「私はニ・シ・ム・ロです。」
 口が利けないのか。もしかして耳もないのだろうか。プレデターみたいに。
 少し後ずさりしても逃げない。不思議と恐怖感も湧かない、白昼の幽霊かもしれないのに。ヨシッ。
 どうせいつも一人だから退屈しのぎになるのかと考えた。戻って軒先にあるダンボールの切れ端とフェルトペンを持ってきてもまだそこに立っている。これらは宅急便にサインする時のために勝手口においてあった。私は『に し む ろ』と書いて読んで聞かせ自分を指差してみた。
 するとそいつはフェルトペンを持ち(持てた)アラブ文字ともハングルともつかない記号を書いて自分を指す。指は5本ある。
「ク・リ・ト・ン」
と聞こえた。文字を持ち、レスポンスもするなら文明を持っている種族に違いない。
 水を飲むかと野外の蛇口からジョウロに水をくんで来た。少し撒いて、手ですくって飲んで見せた。
「ギ、ギ、ギ、ギ」
 と言った。そしてジョウロを触ろうとする。
「くりとん、水が欲しいのか。」
「ギ・ジ・ブ・ロ、ギ、ギ、ギ、ギ」
 これは会話が成り立っているのように思える。取り合えず『くりとんちゃん』を奴の名前だということにした。そして奴がジョウロを手に取ろうとするので渡してやった。奴は小さいので大丈夫か心配したが上手に右手で持って左手に水をかけた。
「ギ、ギ、ギ、ギ」
 どうもこの”くりとん”は薄い何かを纏っているようで、良く見ると細かいウブ毛のようなものに覆われている。そういえば”口”がない。喋っているように聞こえるのはその纏っているものの中で何かが擦れた音のようなのだ。
「ギ・ジ・ブ・ロ、ギ、ギ、ギ、ギ」
 この”ぎじぶろ”は『にしむろ』と言っているのかも知れない。そして”ぎ、ぎ、ぎ、ぎ”は笑っているのではないか。試しに
「くりとん。はははは。」
 とやると。奴も
「ギ・ジ・ブ・ロ、ギ、ギ、ギ、ギ」
 そうだ、写真に撮って置こうとゆっくり後ずさりして携帯を取りに行き、急いで戻ってきて慌てて映したが何と言う事だ。写っていない。そして目を離すともう姿が消えていた。どこに行ったのか!

写ってない

 そして翌日、庭の一角を覗いてみると何とまたいた。ただ、昨日より明るく光っているような透き通っているような、ちょっと違う。
「くりとん。おはよう。」
「ギ・ジ・ブ・ロ。・・ギエルゴ。」
 声も違うようだが、昨日同様会話できている(意味は不明だが)。
 今日はもしかしたらと携帯を持っていたので、しゃがみこんで向けてみる。逃げないでくれよ、とシャッターを切った。すると、
「ギ、ギ、ギ、ギ。」
 と笑っている。
「水はいるかい。」
 とジョウロを指さすと聞いてみると、
「グ、ラ、デ、ン、ゲ。ギ、ギ、ギ、ギ」
 今度は意味不明だ。喜ぶかもしれないと取りに行ってやった。が、振り向いたらまたいない。どうやって移動するのだろう、空中に気配も無く飛んだというのか。
 じょうがないな、と携帯の画像を見ると!何も写っていない。
 いや正確には冒頭で言ったモクレンだかコブシの挿し木が写っていただけだった。そういえば、くりとんちゃんと話していた時にはちゃんと刺さっていたのだろうか。待てよ・・・・。

 薄気味悪くなった僕はその枝を掘り起こし東京に持って帰って花瓶にさしている。この写真がそうなのだ。良く見るとなぜか蕾は一方だけを向いている(上記写真の時もそう)。何か意味があるのか、くりとんはその後出てはこない。『ギッギッギッギ』が又聞きたいのだけれど。
こっこれは

ルンバ君(仮称)


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インドの多様性 動物編

2016 MAR 15 0:00:28 am by 西 牟呂雄

みすぼらしいボロ

 このみすぼらしい犬を覚えておられますか。さる工場に居ついたと言うか、たまには残飯なんかももらうかもしれませんが基本的にはノラ。何故か縄張りのような顔をして一日中ウロウロしていた犬です。『名前は何と』と聞いたら『それは犬だ。こんな犬に名前なんかない。』という扱いを受けていたので、勝手にボロと名付けていた奴。首輪もリードも無し。門の外には似たようなノラがウジャウジャいましたね。バンガロールという街の話でした。今回は残念なことに会いに行けませんでしたが。
 それがですな、マイスールに泊まったホテルで驚くべき光景を見ました。ちゃんと繋がれた犬がいたのです。そういう扱いを受けている犬は初めてです。

トール

トール

 首輪も付けてリードを持ってもらい、おそらくエサも貰っているでしょう。毛並みも貫禄もそこらのノラとは大違い、品格があります。聞けばちゃんとトールという名前もありました。トールは良く躾けられていてやたらと人を噛むことはないと言うので寄ってみたらご覧の通りそっぽを向いてしまいました。で、この後親愛の情を示してくれフンフンと僕のにおいを嗅ぎ、更には舐めようともしたのです。さすがにビビッて手はひっこめました。狂犬病の話はイヤというほど聞かされてますからね。

人をバカにする猿

人をバカにする猿

 ホテルのガードが教えてくれました。『あれは元警察犬で爆弾や麻薬の検査をやっていた。リタイアしたから引き取った飼い主がアルバイトでホテルの廻りをウロついて小遣いを貰ってる。』本当なのでしょうか。

 今回は瞑想のためバンガロールからマイスールを移動しました。それこそ犬・山羊・猿といたるところにいて、生まれたばかりの子犬も目撃しましたが、可愛いもんですね。国籍を問いません。移動ルートには忽然とこのような工業地帯が出現したりします。

北に向かって

北に向かって

南に向かって

南に向かって

 ご覧の通り殺風景です。ところがもう少し北に行くといるんですな、ちゃんと。回りに人家は全く見当たらず、一体どこからやって来てどこに行くのでしょう。牛飼いのおばあちゃんが4頭の牛を連れて、のんびりというより怠けた雰囲気で立っていました。今このあたりは雨季の前で道端の草は枯れたような色ですが、牛はセッセと食べてます。

大サービスのおばあちゃん

 あなたのファミリーか?写真を撮らせてください。と言ったのですが、このおばあちゃん全く英語がわからないのです。公用語でもあるのですがおばあちゃんには関係ない。もしかしたら字も書けないかもしれません。千年前の暮らしとさして変わらない暮らしで少しも困っていないのでしょう。僕に今からこういう暮らしをしろと言われても不可能です。
 おばあちゃんはそれでも僕の言うことが伝わったのでしょう、一番近くの牛を引っ張って来てくれて(牛はいやがっていましたが)ハイ、ポーズ。原色が鮮やかですね。
 そしてこういう人達にとって投票行動も経済成長も税金も恐らく関係ないのではなかろうか。

 そして最後は動物と言えば動物ですが、シンガポールまでの飛行機の前に座っていたインド人チビです。
 こいつは途中でもう退屈してシートに立ち上がり、何故か僕にキャアッといって顔を出して見せる遊びを考え出し、1時間近くやり続けました。こっちも初めはヘン顔をしてみせてやったらケラケラ笑って盛り上がりましたが、日本人が皆ヘン顔をするものと思われても困ると止めました。するとソレをもっとやれ、とせがむのです。終いには機内食用のナイフを振りかざしてキャーとはしゃいだ所を父親に怒られ、ビービー泣きました。
 

退屈したインド人チビ

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インドの多様性

2016 MAR 13 0:00:22 am by 西 牟呂雄

マイスールの風景

 フラリとインドに行った。とりあえず瞑想に行ったことにしておく(嘘です)。
 行くたびに思うがこの核や空母機動部隊を配備し中国並みの人口を持つ大国は、矛盾の塊だ。数百の言語と宗教、ヒンドゥーのカーストと複雑怪奇な社会にも関わらず一応選挙もやる。もっとも1票125CCバイク一台で買収しまくっているという話はあるが。
 今回はマイスールという古い街に滞在したが、この光景はそれなりの近代都市に見えるだろう。
 ところがこの光景の後ろ側にはトタン屋根に石ころを乗せたようなゴミ溜めのようなスラムがダーッとひろがっているのだ。そこの住民はほとんどが裸足。家屋にトイレがないために、いちいち数えてられないくらいの性犯罪が毎日起こる場所。さすがに近くに行く根性はなかった。
during-daytime[1]mysore-maharajah-s-palace[1] 

                                          
 

 そしてこの街には現役のマハラジャがいる。正確には政治制度としてのマハラジャではないが、地位として27代目の”マハラジャ”はボストン大学卒業の24~25歳という人物だそうだ。右がマイソール・パレスの門で左が宮殿、しかも実際に住んでいる。にもかかわらず公開されて中には入場料を払って入れるらしいが行かななかった。目的が違ったからだ。ここだけの話だが、先代マハラジャは存命。日本にしょっちゅう来て、居酒屋で飲んで喜んでいるような人。僕は紹介されて会ったことがある。 
 それはともかく、実はマイソールから少し離れた所に聖地がある。「ダライ・ラマ高等教育大学」と命名された高等教育機関で、周辺のチベット人居住区やブータン人の留学生などが学ぶ。創立は2009年。チベット亡命政府は北部ダラムサラだが、遥か南のこの地にラマ教の巡礼者・修行者がいるのだ。中には日本人もいるのだとか。
 体操の有名選手を輩出し進学校でもある大阪の清風中学・高校は高野山真言宗系の学校である。元校長平岡英信氏は盛んにチベット密教を研究しダライ・ラマとも昵懇の仲だが、多額の寄付と共に関係者とこの地を何回も訪れている。その縁で日本人留学生が来ている。

ダライ・ラマではない

 ダライ・ラマはも年に一か月はこの地にやって来て、上記教育機関のいわば卒業式に出席するそうだ。その卒業がまた大変で50人に一人くらいしか合格しない難関だと言う。何しろ忙しい方で、ここに一ヶ月、亡命政府のあるダラムサラに一ヶ月、後は世界中を飛び回っておられる。
 そして街中でラマ教のお坊さんを見つけた、ごく日常の光景ではあるが。僕が珍しがって追いかけ写真を撮らせてもらうと、満面の笑みで応えてくれた。

 となりのバンガロールにはかのサイババの信者もまだいる。
 真黒いチャドルで目だけを出しているムスリムの女性もいる。このムスリムはシーア派なのかスンニ派なのか。
 一度だけ真っ黒なチャドルをマレー風に頭だけ覆い、顔を出している女性を見た。顔立ちも化粧も八代亜紀さんにそっくりだった。あれは教えに反していてイジメられないか余計な事が心配になった。
 車窓から十字架を掲げた協会も見えた。
 そして圧倒的なヒンド゙ゥー教徒。

 ふぅ。瞑想も何もいるだけで疲れてしまった。心和む花の写真を。

邪悪な色の花

邪悪な色の花

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戦国奇譚 風雲小田原攻め 

2016 MAR 10 18:18:16 pm by 西 牟呂雄

 信長亡き後その後継者の座をかっさらい天下を取ったと号令を掛けたものの、秀吉にはまだ厄介な相手が大勢いた。最大のライバル徳川を辛うじて臣従させ、遠国島津を力攻めで抑え込み、次に片付けなければならないのが関東だった。
 武田の騎馬隊を通さず、戦国無敗の上杉謙信を押止め、秀吉の召喚を頑として撥ね付けるは小田原。何としても早いうちに北条は潰しておかねばその先には伊達もいる。更にここで天下人としての号令をかけられなければこの下克上の世の中、面従腹背の輩がどう動くか分からない。秀吉は踏み絵を踏ませるがごとく大動員を図った。
 小田原は箱根を背負った天下の要害、大軍での山越えは利あらず。東山道を進軍した部隊に、上杉景勝、直江兼続、真田信繁といった歴戦の諸将が北関東から攻め下り、猛烈な抵抗に合いながらも鉢形城・岩槻城と抜いていった。
 ところが石田三成が指揮を執っての忍城(おしじょう)攻めから戦いの様相が一変する。
 三成は羽柴軍得意の水攻めとばかりに利根川から石田堤を築くが、攻め切れず膠着状態に陥る。

 家康は某夜、秘かに一人の男を呼び寄せた。とは言っても呼ばわったのは大声だった。
「いずこにありや。」
「服部半蔵、御前に。」
 声はしているが姿はない。
「近う。」
「はっ。」
「のう、近頃の戦、はかばかしくあらず。」
「仰せの通り。」
「石田殿の軍略もまずかろう。半蔵、伊賀13人衆を連れ忍城を見て参れ。」
「御意。」
 人影は初めから終わりまで見えないままだった。

 半蔵と伊賀衆は長大な堤に立って見渡すと、忍城はまるで水に浮いているように見えた。
「お頭、そこに!」
 指した20間(35~36m)程先の闇の中、うごめく影が見て取れた。半蔵が目配せすると5人の伊賀者が音も無く動き出す。するとその影も気配を察したように立ち上がり脱兎の如く走り出した。影は三人だった。
「何物だ!逃げる所をみると北条の忍びか。」
 たちまち取り囲んで半蔵が低い声で言った。伊賀衆は既に抜刀していた。
 影の者は背中を合わせるように対峙していたが、突如懐に手を入れ投げ放った。ブーンという飛翔音とともに飛んで来る物を各々が身を翻らせてかわす中、半蔵は背中に背負った忍び刀を抜きざまに叩き落す。足元に転がった物を一瞥してつぶやいた。
「十字手裏剣。風魔か!」 
 その刹那、後方の堤でドーンッ!という大爆発音がして闇夜に更に墨を流したような黒煙が上がった。伊賀衆が振り向くと同時に堤の一角に亀裂が入り、一条の土砂が流れ落ち出したのが見て取れた。
「いかん。退け!」
 伊賀衆は一斉に半蔵について駆け出したが、3人の賊はそのまま佇んでいた。
 ゴーッと地鳴りのような音とともに堤が決壊していく。あたりはすぐに水浸しになり、濁流は石田軍の陣を襲った。不意を突かれた軍勢は指揮命令が乱れ、我先に逃げ出す者で陣営はごった返し数百人が流されて溺死する有様に陥った。
 かろうじて欅の大木によじ登ってしのいだ伊賀衆の視界に、一艘の筏が流れるように過ぎていく。人影が四人、こちらの方を見ていた。3人は先程の賊のようで、他に一人。その七尺を越える一際デカい巨体の男が不適に笑った。両眼が裂けるように大きく、かつ遠目にも真っ赤な異相をしている。次の瞬間弓を引き絞って射掛けてきた。矢はうなりを上げて弧を描きドスッと半蔵達が連なっていた巨木に突き刺さった、矢文が結んである。一番近くの枝に足を懸けて蝙蝠のようにぶら下がっていた者が素早く文を取るとクルリと体を変えて半蔵に手渡した。
  ー風魔忍法龍神ー
「あの化け物が風魔の小太郎か。」
 半蔵がつぶやいた。同時にはっきりとした声で断を下した。
「次の戦が危ない。我等はこれより八王子に向かう。百足!蜘蛛!おぬし等はその旨を急ぎ殿に伝えよ。」
 二人、欅の大枝を背丈ほどに払い腹に縛り付けると濁流に飛び込んで姿を消した。伊賀流独特の水遁の術である。
 (この欅は『天神社の大ケヤキ』として行田市佐間の水城公園に現存している。)

 八王子城は上杉景勝・前田利家・真田昌幸の1万5千人が包囲していた。城内にこもるのはわずかの将兵の他、領内の農民・婦女子を主とするたったの3千人に過ぎない。
 上杉景勝は踏み潰せとばかり力攻めをしたが、城内からの矢玉は雨のように降ってくる。守りは堅く前哨戦では多くの犠牲者を出した。しかもその緒戦の夜、何者かが忍び込み兵糧米に油をかけて放火した。当面は近隣の糧秣を調達しなければ攻撃ができなくなった。
 某夜、上杉景勝と前田利家は真田昌幸を交えて合議していた。
「籠城している横地監物は覚悟を決めて徹底抗戦の腹ですな。場内に内通する者も全くおらず。」
 大将格の上杉景勝が重い口を開いた。兵站を担当している前田利家も応じた。
「北条氏照は既に小田原に行って戻らないのだが、城中は全員討ち死にを覚悟しておる。先日の兵糧を焼かれてその後八方手を尽くしておるものの、このあたりは元々米の作付けは少なく思うに任せぬ。太閤殿下は既に沼津に参られたゆえ、早急にこの城を落さねば。」
「ご両所、ご案じ召されるな。明日にでも我が指揮下に元武田の黒鍬者(土木工兵隊)の一隊が参じまする。これらは山城の攻撃には慣れてもおりますゆえ、我が精鋭とともに此度は搦め手より一気に攻め上って見せまする。」
「おう、真田殿がそう申されるは心強い。」
 と前田利家が応じた途端に『ワァー』と騒ぎが起きた。何事かと皆身構えた。
「申上げます。不審な者共、突如陣中に現れ武者500騎の繋ぎ馬の綱を切って火を放ちました。」
「何と!見張りは何をしておったのだ!」
「それが地の中から湧いて出たごとく。」
「たわけー!」 
 前田利家が旧主信長の口癖を叫び立ち上がって出て行く、上杉景勝・真田昌幸も続いた。

 滝山口から現在の青梅街道沿いに一群の騎馬隊が駆けて行く。不思議なことに人が騎乗しているのは先頭を行く10人程、後は馬だけが百頭程もいるだろうか。夜道のため全力疾走ではないが蹄の音をガラガラと立て進んでいた。相模の方を目指し淺川を渡ったとき、大音声で裂帛の気合がかかった。
「喝(カァーッ)!」
 馬は一部前足を高く上げて嘶き、主を乗せていない後方の多くは怯えて隊列を崩した。最後尾の一群は元の道へ戻ろうとし、制御できなくなった。
「何奴。」
 一番前の巨人が呼ばわった。割金のようなドラ声が闇に発せられると同時に懐から十字手裏剣を掴みだして虚空に投げ放った。ガッと音がして手裏剣が落ちると、そこには忍び装束の男と僧侶が立っていた。
「風魔小太郎。又まみえたな。」
「伊賀の半蔵、溺れ死なずにノコノコ現れたか。そのクソ坊主は天海か。」
「いかにも南光坊である。わざわざ引導を渡しに参った。可可。」
「伊賀者、臆したか。役にも立たない念仏乞食まで連れてきおって。」
 風魔衆は全員馬を捨て、小太郎を中心に三角形の隊列を組み抜刀した。小太郎のそれは2m近くもある斧の様な剛剣であった。
 その時、淺川上流方面でドーッンという爆発音が聞こえた。風魔が龍神の術を使ったのか。
 天海が合掌しながら奇怪な文言を唱えだした。
「阿毘羅吽欠蘇婆訶(あびらうんけんそわか)阿毘羅吽欠蘇婆訶・・・・」
 風魔はその声を聞くと同時に刀の切っ先を高く上げた独特の構えで隊形を組んだまま無言で半蔵と天海に向かって突進した。小太郎の目が真っ赤になっていた。近づくに連れ『ウーッ』という獣のような声を上げて進んで来るのだ。それは流れを増しだした川の唸り声のようでもあった。
 半蔵はとんぼを切って姿を消す、後に残り『阿毘羅吽欠蘇婆訶』を唱える天海に向かって小太郎の剛剣と数本の刀が同時に振り下ろされた。が、全て空を切り、小太郎の剣は川原の砂利を砕いた。
「ヌッ、これはオボロ影か。」
 突如稲妻が二度三度不気味な閃光を放ち、直後に雷音とともに豪雨が降り注いだ。
 既に足元の水嵩が上がって風摩の足元を濡らしている。上流からの筏を待っていたのだ。
 そしてその筏が流れに乗って姿を現したが、その大筏に乗っているのは服部半蔵と天海なのであった。
「しまった!」
「龍神の術、敗れたり。」「阿毘羅吽欠蘇婆訶。阿毘羅吽欠蘇婆訶。」
 大筏の周りには伊賀13人衆が水遁の術を使いながら押し寄せてきた。
 風魔の衆は呪文に当たったのか、次々に気を失い流れに飲まれていく。一人小太郎のみ仁王立ちになって水流にあがらっていたが、大太刀を担ぐと超人的な力で大筏に進む。彼我の距離が5間程に近づくと、いかなる術を使ったか『クワァーーーーッ!』と怪鳥の叫びと共に小太郎が飛翔した。
 伊賀衆は頭上を飛び越えようとする異形の巨体に思い切り手裏剣を撃ちこんだ。ドスッドスッと手ごたえがあったと見え反対側の水面にバシャーッと水音を立てて落ちた、そして瞬く間に流れに飲まれていった。
「阿毘羅吽欠蘇婆訶。阿毘羅吽欠蘇婆訶。」
「天海僧正。仕留めましてござる。」
「喝ー!水音が軽すぎる。あれは変わり身、半蔵、追え。」
 半蔵と伊賀衆は小太郎の本体を求めて抜き手を切って闇に消えていった。

 この戦いの一部始終を全て見ていた者が二人いる。九度山にいる真田信繁配下の忍び、猿飛佐助と霧隠才蔵である。二人はいずれ戦う徳川の忍者の実力を見極めるため、あえて加勢もせずに一部始終を見ていたのだった。

 服部半蔵から忍城の苦戦を聞いた徳川家康は、ゲリラ戦では風魔小太郎に歯が立たないと考え、急遽南光坊天海を派遣してこれを全滅させた。小田原はその後陥落する。しかし小太郎は全身に傷を負い、右腕を失いながらも生き残っていた。その後徳川の関東転封時に風魔一統は盗賊集団として復活し大暴れするが、それは又別の話。家康が征夷大将軍になった年に江戸で捕まり処刑された。

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ニイタカヤマノボレ

2016 MAR 8 0:00:32 am by 西 牟呂雄

 小倉にいたときに、吉野ヶ里遺跡を見に行ってます。

小倉記 秋・古代編


 この時に泊まった佐賀の『古湯温泉』という所は温めのかわいらしい感じの温泉。一画に旅館がそれぞれこじんまり立っていました。ここだけの話、泊まった旅館の晩御飯が大変に不味かった。名前は言いませんがね。
 温めの温泉というのはいくらでも入っていられる気がしたところ、さにあらず。僕は温泉に出たり入っったりしてジャブジャブ浸かりますが、居心地がよくて温湯に入り過ぎてしまい、まるでサウナに入った後のように汗が引かなくなって二度三度浸かることができなくなりました。
 翌日、旅館の廻りを散歩すると公園のようなスペースがあって、元庭園の趣です。観光案内の看板が立っていて、およそ次のような説明がありました。

ーこの地は森平太郎氏の別荘跡地です。氏は佐賀県大和町に生まれ、台湾に渡って後に四大製菓会社に数えられる「新高製菓(にいたかせいか)」を起こした人物です。ニイタカ・ドロップは子供達に大変人気のあったお菓子でした。ー

ニイタカ・ドロップ、覚えているぞ。そういえば最近見ないが五円玉みたいな環状のドロップで、缶に入っていた。台湾!新高!戦前の日本最高峰は標高3952新高山だったのです(富士山3776m)。現在は玉山(ぎょくざん・ユゥシャン)ですね。そういうことか。

 「ニイタカヤマノボレ・ヒトフタマルハチ」

 ご存じの方も多いだろうが、大本営から海軍南雲機動部隊に真珠湾奇襲攻撃を打電した暗号です。この『ニイタカヤマノボレ』は作戦発動。『ヒトフタマルハチ』が決行日の十二月八日ですね。ヒトフタマルハチなんてベタな電文はマズいのでは。
 もう一つ、あまり有名ではないですが同時に打たれた暗号があります。

 「ヒノデ・ハ・ヤマガタ・トス」

 これは南方に展開していた陸軍部隊に対して発せられた、南部タイおよび北部英領マレー方面に急襲上陸せよ、という暗号です。無論最終目的は英国軍の軍事要塞シンガポールです。『ヒノデ』がニイタカヤマノボレの作戦発令。『ヤマガタ』は八日未明を指しています。陸軍では1~10の数字を和言葉でヒー・フー・ミー・ヨーにして都市のなまえを当てていた。広島・福岡・宮崎・横浜・小倉・室蘭・名古屋・山形・久留米・東京で十。即ち、急襲上陸決行日は八日という内容です。こちらも海軍さんよりは捻ったつもりでもスマートさには欠けますね。二度目は使えない。
 マレー方面へは陸軍は山下中将、海軍は小沢治三郎中将が珍しくいい連携を保っていて強襲上陸に成功します。その後55日間で1100kmという驚異的スピードでシンガポールに突進しました。

 ニイタカヤマから話が飛んで行ってしまいましたが、その新高製菓の森平太郎氏の別荘は庭に巨石を配し池を掘り、源泉を引いた盛大な作りになっていました。

 そして案内板の最後に『この人のお孫さんがハード・ボイルド作家の北方謙三さんです。』とありました。へェー、知らなかった。北方謙三は僕達のヨットハーバーの隣の岬に自称”海の基地”を持っていて釣りの大型クルーザーを乗り回すカッコいいお爺です。

隼は征く 雲の果て 

名古屋だぎゃ (ゼロ戦と秋水)


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2月26日に考えた事

2016 MAR 4 2:02:19 am by 西 牟呂雄

 これを書き出したのは奇しくも2月26日。ある思いつきで『侍従長』という職業を調べていた。しかし大変な事件の起きた日だったのに気が付いた。2・26事件である。
 クーデター騒ぎの功罪とその影響については既に優れた研究がなされているので、ここでは触れない。無論怪しからんことに決まっている。
 この時、安藤大尉指揮下の部隊に急襲され複数の銃弾を浴びながらも生き延びたのが、終戦時の総理大臣となる鈴木貫太郎侍従長であった。当時の侍従長公邸は三番町で(現在は紀尾井町)安藤隊はそこから皇居に直行していない。半蔵門がすぐだと言うのに霞が関・赤坂・永田町あたりを固めた。
 余談であるが、本来警視庁を制圧した部隊と先に宮城警護の交代に行った中橋中尉の部隊が合同で皇居を占領する計画があったが、中橋大尉が大高少尉とのに拳銃を突き付け合いに挫けてダメだった。
 銃弾を受けた鈴木侍従長のたか夫人が夜明け前に昭和天皇に直接電話したところで勝負あった。たか夫人は皇孫御養育掛として少年時代の昭和天皇を存じ上げていたのだった。
 、

入江侍従長

入江侍従長

 侍従長を撃たれた昭和天皇は26日の夜明け前に既に大激怒され、腰の引ける本庄繁侍従武官長を叱りつけ以後一度もブレなかった。あの緊迫感の中、誠に見事な大局観であろう。クーデターの方はそのお怒りに押されるように、関係ない人間が皇居に出入りしたり陸軍中枢との交渉に失敗する等緻密な計画もクソもなくなり投降する。
 死刑になった北一輝が残した辞世が『若殿に 兜取られて 負け戦』。血気の将校団に毅然と対峙したのは陛下その人だったということである。
 この間のお姿をつぶさに見ていたのが当時はヒラ侍従だった後の侍従長入江相政である。母親は大正天皇の生母柳原二位の局の姪だから昭和天皇と「はとこ」だか「スジいとこ」になる。さらに炭鉱王伊藤伝衛門と金爵結婚して後に離婚する歌人、柳原白蓮の甥。おまけに父親も東宮侍従長というサラブレッドだ。
 そう言えばどことなく影武者のように似ている顔の主従が、絶妙の距離感で寄り添っている光景をテレビでよく見た。
 運が悪いと言うか2・26当日の当直侍従だったため、事件解決まで軍装を脱がなかった昭和天皇と連日籠城する。
 更に終戦時には近衛師団一部のクーデター騒ぎにも遭遇している。電話線が切断され、皇宮警察は武装解除。そして玉音盤の捜索と殺気立った雰囲気の中、金庫にしまったのは入江相政の後に侍従長となる若き徳川義寛侍従だった。名前の通り尾張徳川家の出身。
 こういう修羅場をくぐった主従には特別の絆というか、距離感があったものと思われる。
 佐々淳之氏は昭和天皇御巡幸の警備をした際、天皇陛下が少しよろけたように見え、後ろに付いていた県知事だか誰かがお支えしようと寄るのを入江侍従長にピシリと叩かれた所を見ている。
 また昭和天皇が居眠りをされかけるとお座りになっている椅子を蹴るようなこともあったそうだ。無論やんごとなくコツッとされたのだろうが。
 朝から晩まで陛下に寄り添っていなければならないのは大変な仕事に見えるが、ご本人はいたってユーモリストで教養高い紳士だった。テレビの座談会に出ていたから、それぐらいの時間はあったとみえる。けっこうベランメイな口調で喋っていたと記憶する。
 さすがに砕けた感じではないが上質のエッセイも書いている。上質というのはギリギリのところで政治に関する話や皇室の話題は避けているのが巧みだということだ。
 僕の母親の義母、まぁお婆ちゃんなのだが実家は牛込余丁町だ。近所に学習院に通う若き紅顔の美少年がいて、それがあの侍従長だったという話は直に聞いたことがある。

 入江相政氏がお亡くなりになった報に接した天皇陛下は、椅子に掛けて外をみながら振り向かず「そうか」とのみ漏らされたらしい。一視同仁。
 最側近の訃報にも格別に嘆いたり悲しんだりしない帝王の心得と身だしなみに私は勝手に感動する。今上陛下の戦争犠牲者や被災者への心遣いに通じるものだろう。

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