Sonar Members Club No.36

月別: 2016年4月

怨霊 (今月のテーマ 列伝)

2016 APR 29 1:01:33 am by 西 牟呂雄

 怨霊というおどろおどろしいモノが文献に現れるのは平安時代からだそうだ。その前にも不遇をかこったり裏切りにあって怒りのままに死を遂げた人はいただろうが、飛鳥・奈良時代は概して明るい印象で、例えば大国主命は祟ったりしない。聖徳太子の長男、山背大兄王も蘇我氏に厄災をもたらしたことになっていない。

 どうも露骨に祟ったのは早良親王あたりからではないか。桓武天皇の異母弟だ。長岡京遷都阻止のため藤原種継を暗殺しようとしたと(冤罪説あり)疑われ、淡路島に流される途中に絶食・憤死したらしい。するとその後、皇族の病死に洪水などが相次ぎ、早良親王の祟りと言われた。ビビッた朝廷は鎮魂の儀式を執り行う。
 これから魂鎮めというものが行われるようになったという仮説を立てている。

 祟りといえばの菅原道真公は外せない。藤原時平と対立して大宰府に左遷され、2年ほどで死んでしまう。たちまち時平はおろか皇族までもが次々に病死する。クライマックスは朝議中の御所清涼殿に雷が落ちて醍醐天皇の目の前で死傷者が出る。帝はショックのあまり直後に崩御。これは効いただろう。
 天神様に祭り上げて敬った。

 一方平将門なんかは賊軍中の賊軍。さぞや、と思われるが討ち取られた後には直ぐに祟っていない。早々と祭られてしまったからだろう。
 しかし、敗戦後にやってきた進駐軍には腹を据えかねたと見える。無礼にもGHQが区画整理をしようとした際、夷狄を次々に成敗してみせた。それに先立つ関東大震災後にも、大蔵省の仮庁舎を建てようとした不埒者に祟ってみせた。やはり江戸庶民の目線を持った怨霊と言えよう。

 確信犯的に自ら怨霊化したのが崇徳上皇。保元の乱で讃岐に流されると言う辱めを受ける。これは淳仁天皇以来四百年ぶりの恥辱である。院は自分が書いたお経を京に送るが、破り返されて怒り狂う。何しろ舌先を噛んだ血で「日本国の大魔王となり皇を取って民とし民を皇となさん」と書いたというから凄まじい。これ程の怨念が祟らぬはずは無く、やはり皇族がバタバタ亡くなった。
 どうも皇族側は遥か後世まで気に懸けたらしく、明治天皇は即位の際に、昭和天皇は八百年祭(神道における法事)に勅使を讃岐に遣わしている。

 僕が何度か怨霊界のスーパースターとしてブログに書いた後醍醐天皇は、実際には祟らなかった。この頃はハナから危ないケースはさっさと祭り上げてしまうことになったと思われる。崩御後、後村上天皇は荘厳浄土寺において大法要を行い、足利尊氏もまた南朝ゆかりの京都嵯峨に天竜寺を造って鎮めてしまった。

 磯部浅一と言われて直ぐにピンと来る人は少ないだろう。この人は2・26の首謀者の一人だが、とんでもないことに戦後になって祟った。銃殺刑に処されるが、その直前の語録が何とも言えない。
「余は死にたくない。もう一度出てやり直したい。三宅坂の台上を三十分自由にさしてくれたら、軍幕僚を皆殺しにしてみせる、死にたくない、仇がうちたい、全幕僚を虐殺して復讐したい。」
「天皇陛下 何と云ふ御失政でありますか 何と云ふザマです、皇祖皇宗に御あやまりなされませ。」
「成仏するつもりなどさらさならない、悪鬼となりて所信を貫徹するのだ。」
 狂っている。
 それがどういう訳か三島由紀夫に取り付いて祟った。
 三島は自宅で度々お気に入りを集めて凝ったパーティーを催していたが、ある時霊能者とも言われる美輪明宏が『三島さんの背中のところに変な人影が見える、二・二六事件の関係者らしい」と言った。三島は笑いながらそれは誰それかと尋ねると、違う。それではこの男か、と次々に名前を挙げると、磯部浅一と言った所で「それだ!」となった。三島は青ざめた、と石原慎太郎が書いている。その辺りから三島の行動がおかしくなって行き市ヶ谷の事件に至ったとか・・。

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同時代を生きた隠者 (今月のテーマ 列伝)

三島由紀夫の幻影

来るぞ! ファイターズ実況版

2016 APR 24 16:16:27 pm by 西 牟呂雄

 今日も大谷に勝ち星がつかない。
 ライオンズを何とか蹴飛ばして弾みをつけ、八連勝中の宿敵ホークスとの雌雄を決するために敵地に乗り込んだ我が軍はまず初戦に延長でスクイズまでやって危ない勝利を拾った。そして満を持して止めを刺すために大谷を投入。
 何しろこれを下せばようやく5割に復帰だ。
 序盤のフォークの抜けに気を揉み、守備のまずさに肝を冷やしながらゼロを続けるも、相手は武田。こっちもゼロだった。しかし5回にジタバタしながら4点をもぎ取る。2アウトからだった。
 それがだ、裏に福田に問答無用のHRを浴びる、外野手が誰も一歩も動かなかった。なんだありゃ。次はデッド・ボール、オイオイオイ!ネクストは柳田だ、この時点でもう真っ青になったが、打ち損じてくれた。
 しかも工藤監督は6回も武田を変えなかった。あんなに厚い投手陣だがこれがエースの宿命か。
 まだ4月だがもう(僕は)頭に血が上っている。バントもからめて攻めたてたらあの武田の不敵な面構えが変わって飯田になった。ここはネチネチやれよ、とサインを出していたらワイルド・ピッチを呼んだ。
 長谷川のヘッド・スライディングにはゾッとさせられたが、大谷も凌ぐ。
 終盤は何と久しぶりに寺原が出た。どうやら今シーズンの初登板らしい。なんて贅沢なんだ。
 7回1アウト1塁から四球を出す。百球も超えてるしここは変え時と思ったら吉井コーチが出て来ただけ。人の話を聞け!柳田に回ったらどうするつもりだ。と思ったら結局豆が潰れて谷本に繋ぐと本当に柳田まで行ってしまった。滅多なことは言うもんじゃないと一服して帰って来たら四球を出しているじゃないか。だけど柳田の殺気は怖かった。内川の目付きもスゲーの何の、押し出しだぁ。
 もう点差なんかあったもんじゃない。松田も打って1点差。ピッチャーいない。宮西だ。どうするどうする。
 そして8回裏、マーティンが長谷川に執念の一発を浴びて又また大谷の勝ちが消える。もう破れかぶれだよ。
 そもそもあのスアレスとかいうのはどこから連れて来たんだ。泣きそうな顔してやけに球も早いじゃないか、ケタクソ悪い。打ち頃だろうが。
 9回裏は迷わず増井、何とか天敵柳田を三振。
 そしてですよ、あんまりじゃないか。内川サヨナラ・ホームラン。ひどいよ、強すぎるぞホークス。
 
 しかし四月からもうこんな試合ばかりやってたら交流戦あたりで僕は死んでしまうし、ファイターズも力尽きてしまうぞ。来週は野球は見ないことにしようっと。

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ロシア東方シフトは本物か

2016 APR 23 0:00:29 am by 西 牟呂雄

 北富士総合大学国際関係研究所特別講義
 
 現在のロシアのスコルコボ科学技術大学(スコルテック)の学長はアメリカ人科学者のエドワード・クロウリー氏だ。スコルテックは2011年にモスクワ郊外にある新しい教育機関であり、MITの教育プログラムを取り入れた大学院大学である。使用言語は英語。
 そのクロウリー学長はロシアの東方シフトに尽力している。
 中国にも足繁く訪問しているが、日本にも数回に渡って訪れ大学と協議した。その目のつけどころが興味深い。主に北海道の大学や東北大学との意見交換をしているのだ。
 ここにロシアの東方シフトの芽が隠されていないだろうか。

 ロシアの東方シフトについては遺憾な事だがクリミア・ウクライナ問題がその動きを加速させた事は否めない。
 日本はG7構成国の立場があるため、まずプーチン大統領が接近したのは中国だった。多くの経済協力プランが調印された。ロシアとしては”孤立していない”ことを演出する必要もあったのであろう。しかし中身はエネルギー関連が中心で、中には既に50年ほど前にも名前が上がっていた鉱山開発なども含まれていた。

 地図を良く見て欲しい。中国は日本海に面してはいない。樺太の近さは言うまでも無く、実効支配されている問題の島は肉眼でよく見える。 
 ロシア語で中国のことを『キタイ』と言うが、契丹からきている。契丹=モンゴル系で、ロシアのスラブ人は潜在的に『キタイ』に対する恐怖感がすりこまれているらしい。アッチラ大王やチンギス・ハーンに散々蹂躙されたせいだという説がある。
 更に国境を挟んでの人口は中国黒龍江省に対して全シベリアで半分、国境あたりは百分の一くらいかと思われる。これに対峙するプレッシャーは相当あるだろう。国境は一応川だが、厳冬期にはガリガリに凍結してしまい往来自在だ。
 前述のクロウリー学長は無論偏ることなく、韓国や台湾の大学との提携も視野に入れている。しかし戦略的に双方のメリットをマックスにするにはやはり日本ではないか。
 先日はチョットしたきっかけでベラルーシ大使館に行った。かつてのソ連の地図に『白ロシア共和国』と表記されていたエリアである。現在もユーラシア関税同盟としてロシアとは密接な関係にある。挨拶代わりに
「日本と最も遠いと思われますが、日本に最も近い外国の一つであるロシアをはさんで隣の隣りの国ですよ。」
とにこやかに言われて成る程と思った。
 現在中国が西方回廊計画を打ち上げるので、ロシアもインフラには力を入れだした。
 これには補助線があって、憂慮すべき事態だが温暖化によって北極海ルートの海路が開拓されてしまうとアジアとヨーロッパの輸送コストが劇的に安くなり、極東エリアを飛び越えてしまいかねないからだ。

 余談であるがベラルーシ大使館は大崎の高級住宅街の民家にある。ドアをノックして気軽に入れる個人邸宅(借り上げか買い上げかは分からないが)で、ロシア関係の重々しい感じとは全く違う。国を挙げてIT産業育成に力を入れており「シリコン・バレーで解決できないことはインドに頼め。インドでも解決できないことはベラルーシに頼め」と言われる程になった(本当かどうか知らないがそう自慢していた)。

 実際にロシアで仕事をする場合、意思決定は日本の方が遅い。
 ロシア企業はオルガリヒが経営する巨大コングロマリットは別としても、ソ連崩壊後にスピン・アウト或いは起業した連中は強烈にトップ・ダウンで物事を決めてしまう。従って事業については短期的に成果を挙げたがる傾向がある。償却による拡大再生産といった絵より、キャッシュフローのみを追いたがる。要するに日本型の経営計画を知らない、と言ったほうが実態に近いだろう。
 更に国際情勢の目まぐるしい変化、主に中東をめぐってのプーチン大統領の立ち位置の変化がロシアとの共同プロジェクトを遅らせてもいる。安部ープーチン会談に期待したいところだ。筆者のインテリジェンスにはプーチン大統領は一時冷めていた領土問題解決への意欲が復活し、日本訪問を望んでいると伝わっている。
 更に、上記スコルテックを運営するスコルコボ財団はウラジオストック沖のルースキー島に連絡事務所を開設する。ルースキー島は2012年にAPECの首脳会議が行われたところで、その設備に極東連邦大学が誘致された。
 筆者の長年の構想である『環日本海経済圏』のロシア側の中心地である。これに呼応して新潟空路、秋田・境港航路を充実させると東方の地方活性にも有効だ。

 難しい所だが、日ロ関係は双方に強い政治家がいて暫く権力基盤が継続する時でないと進展しないだろう。
 ゴルバチョフは来日し当時の海部総理と会談した際資料を一瞥し『ここに書いてあることは全て知っている事だ。付け加える事はないか。』と凄んで海部総理の外交力を見極めたとされる。
 エリツィンー橋本の時はいいところまで行っていたにも拘らず、共に国内の政権維持が不安定かつ健康問題もあって日の目を見なかった。
 してみると安部ープーチン体制が維持できそうな現在はタイミングとして最良の時期ではないか。
 来るべき会談においてロシア東方シフトへの協力姿勢を鮮明にし、領土問題解決・平和条約締結の弾みをつけて欲しい。
 ロシア外務大臣ラブロフ氏の「プーチン大統領と森元総理大臣が2001年にイルクーツクで会談した際に、四島の帰属を含むすべての問題について対話を続けることで合意した。ロシアは、これを拒否するわけではない」という発言は重要なシグナルを発したものと思われる。

 安部総理の来月の訪ロも決まったようだ。

日露ビジネス・ダイアローグより  

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現代ロシア社会 前編

現代ロシア社会 後編

百済王・高麗王・新羅三郎 (今月のテーマ 列伝)

2016 APR 18 0:00:43 am by 西 牟呂雄

 全部人の名前です、半島南下論者が泣いて喜びそうな。
 百済王はご期待の百済の亡命王族ですが、「くだらのおおきみ」と詠みます。旧百済からの渡来人は大勢いたので”言葉”としてのクダラはポピュラーな響きだったでしょう。現代で言えば名前の付けるのは「テリー伊藤」とか「ジェット・ニシムロ」のようなしゃれた感じかと想像します(ジェット・ニシムロはさておき)。
 
 高麗王は”こまおう”でも”こまのおおきみ”でもありません。「こまの こにきし」と読みます。
 高麗若光という人物が、唐・新羅連合軍に敗れた後に日本へ組織的に逃げて来て”コニキシ”の姓(カバネ)を与えられ武蔵国高麗郡に入植します。埼玉県日高市の高麗神社の宮司は若光の子孫を称しており、現在60代目の名家です。この高麗神社は格式が高そうな立派な造りになっていて江戸期の住居跡もあり、何度か行きました。高麗王というお酒もあるんですな。こちらも由緒正しい半島出身。
 又、何度か韓国人ビジネスマンとこの近くのゴルフ場に行った時にお参りに誘うと大変喜ばれました。中にはもう一度観光に行った人も。半島全体に高麗王朝があったので、その流れが来たものだと思っているらしく『ここはコリョじゃない。コ・グ・リョの人達だ(即ち”北”の方の子孫)』と言うと益々受けました。
 三鷹の連雀町に住んでいた時、近所に墓地があり「高麗」という墓石が沢山ありました。このお墓はきっと高麗氏一族の系統かと想像します。殆どが暗渠になっていますが調布には入間川も流れていて読み方も埼玉の”いるまがわ”と同じ。
 三鷹近辺から埼玉西部へのルートは古くからあったと想像できます。犯罪マニア(猟奇・変質・怨恨等の殺人ではない)の間では「三億円強奪事件」の現金輸送ルートとしても知られています。事件当時このエリアには米軍基地がまだあって、そこを抜けたとされる仮説ですが。

 新羅三郎とは本名源義光。源氏の棟梁源義家の弟で、”しらぎ”ではなく”しんら”と音読みします。この源氏の嫡流兄弟はそれぞれ八幡太郎(義家)・加茂次郎(義綱)・新羅三郎(義光)と元服した神社の名前を頂いて名乗ったので半島とは関係ありませんね。新羅神社は現在の三井寺のことです。
 余談ですがこのうち次男坊は一族の内乱を煽動した咎で佐渡に流されるのです。そして息子六人が、長男・次男投身自殺、三男戦死、四男焼身自殺、五男切腹、六男自害と一斉に死に絶える凄まじさで家系は絶えます。
 そして三郎義光は兄義家を助けて後三年の役などで活躍し、その家系からは佐竹・武田といった戦国武将が。中に一系統、戦に負けてばかりいて止めの一撃に武田信玄の初陣で追っ払われた家がありますが、三回忌を迎える死んだおふくろ様の実家であります。

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同時代を生きた隠者 (今月のテーマ 列伝)

怨霊 (今月のテーマ 列伝)

あれ等はどこに行ったのだろう Ⅱ

2016 APR 14 7:07:05 am by 西 牟呂雄

 すっかり見かけなくなったが、変造テレカを売り捌いていたイラン人達。どうせ不法滞在だっただのだろうが、四半世紀前には東京上野公園や名古屋の新幹線口あたりにウジャウジャいて多少恐いくらいだった。
 そのイラン人が悪さをするのが記事になったことを覚えているが、ギロッポン(六本木)で知り合ったイラン人からもっと凄い事を聞いた。奴は法務省だか何だかの委託を受けて、拘留された犯罪イラン人の通訳をやっている日本語ペラペラの怪しげな男で、ヤレ新宿の暴力団を怒らせたイラン人が5人埋められた、とかイラン人同士の抗争で両手首を切り落とされたのがいる、といったヤバい話を喋っていた。
 そんなことに手を染めていたが、あの人たちも厳しい戒律のイスラム教シーア派だったのだろうか。奥さんを4人貰っていたのかもしれない。
 イランへの制裁が始まる前に既に姿を消したようだが、今頃どうしているのだろう。
 今のシリア難民を受け入れざるを得ない状況になったら、そういった方面に落ちないような一種のセ-フティー・ガードが必要だと思う。だがイスラームは難しい。
 そういえば先日、喜寿庵の近くのコンビニ(車で行く距離。喜寿庵の周りは何も無い)でブラジル人がいた。ファミレスにフィリピン人一家がいた。アジア系の全く英語が分からない若者に道を尋ねられた(と思う。こっちだよと答えておいた)。

吼える赤尾敏

吼える赤尾敏

 大日本愛国党は今どうしているのか。
 時は40年前に遡る。銀座を歩いて数寄屋橋交差点に差し掛かった僕は異様な光景に足を止めた。当時はそうはなかった街宣車が停まり国旗が掲揚してある。白髪が薄くなり真っ黒に日焼けした痩身のおじいさんがガラガラ声で演説していて、その一節を今でもはっきり思い出す。
「中国共産党はね。悪い奴等なんです。東南アジアまで行って王様だましちゃった。」
 何を言ってんだこのオッサン、と思ったら選挙に出てくる赤尾敏だった。ビラを見ると『連日糾弾中』等とある。毎日やっているのかと感心し、以後時々覗いては楽しんだ。あんまり過激じゃなく、親米の韓国派だった記憶がある(ただ、党員が社会党委員長を刺殺したことは知っていた)。
 ところで年齢を逆算して、当時の筆者がなぜ平日の昼間に銀座をブラブラできたのかは訳がある。しかしまあ、それは別の話で・・。
 それで結論から言うと愛国党自体は赤尾敏没後、分裂してしまった。現在政党としては存続しているが、街頭演説はやっていない。

懐かしい

懐かしい

 子供の頃、スリ傷をつくったり引っ掻き傷が化膿したときはまず『赤チン』を塗った。乾くと黄色がかってキラキラするような色合いになったものだった。メルブロミン (C20H8Br2HgNa2O6) という大層な名前の物質の殺菌作用で広く世界に流通したが、製造過程で水銀が出るため製造中止となった。
 ところが、驚いた事に中国から原料を輸入することで現在でも販売されているらしい。極少量のようなので薬局でお目にかかることはトンとない。いいんですかね。
 あの色をもう一度見たいと思うのだが、見かけた方はご一報いただけないでしょうか。
 改めて『マーキュロクロム液』という名前だった事を思い出した。

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同時代を生きた隠者 (今月のテーマ 列伝)

2016 APR 11 5:05:42 am by 西 牟呂雄

 西行は見上げるような大男で、武道も強かったそうだ。
 平新皇将門征伐に功があった藤原秀郷(別名 大百足退治の俵藤太)の家柄で北面の武士だった。それが時代は平安末期の源平合戦の最中に僧形になってあっちへ行ったりこっちに住んでみたり。
 朝廷でも後鳥羽院を中心に和歌の格式を買われて顔が利いていた風狂なオッサン。要するに不良のオッサンだったと。
 例えばですねぇ、伊勢神宮で詠んだとされるこれはふざけてるんじゃないか。
 
 何事のおわしますをば知らねども かたじけなさに涙こぼるる

 いくらなんでもベタ過ぎる。これは高校時代に授業を怠けていた時に「何事を お教えなさるか分からねど かたじけなさに涙こぼるる」と(確か古文だったぞ)本歌取りされてクラスで流行った。
 
 願はくは花の下にて春死なん そのきさらぎの望月のころ

 これだってこの歌を詠んで本当にその時期に死んだから評価が高いが、真夏にでも死んだらどうするつもりだったのだろうか。
 幕府を開いた源頼朝と会っているが何しに行ったのか不明。銀でできた猫を貰ったものの、門を出た途端にそこらの子供にやってしまったと言う。きっと重くて面倒になったのだろう。

 法力房蓮生。誰の事か分からないのでは。
 それではこちらの台詞はどうか。
「やあやあ、我こそは武蔵の国の住人熊谷次郎直実、伝えても聞くらん、今は目にも見よや。日本第一の豪の者ぞ。我と思わん人々は、楯の面へかけ出でよ」
 一の谷で先陣を争い平敦盛を討ち取って無常観に取り付かれていた所、地元の土地争いの評定で源頼朝の目の前でプッツンして席を立つ。直情怪行型のオッサンそのもの。その後事もあろうに法然上人に弟子入りしたあの熊谷次郎直実の法名が蓮生なのだ。
 こう単純では仏法修行の方は知れたものだろうが、その分体でご奉公とばかりにアチコチにお寺を建立している。
 幸若舞の演目『敦盛』で出家した法力房蓮生が世をはかなむ「人間五十年 下天の内をくらぶれば、夢幻のごとくなり」の一節が信長に好まれて有名になるが、絶対にこんなことを言えるタマじゃない。
 西行と同じようにわざわざ高札を立て、来春に極楽往生すると言いふらしたがそうはならなかった。翌年再び予告してどうなったのかは知らない。

 鴨長明。こちらの御仁は「ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず。よどみに浮かぶうたかたは、かつ消えかつ結びて、久しくとどまりたるためしなし。」の方丈記。
 下賀茂神社の禰宜の家に生まれたものの派閥争いでなりそこなって神職の道を断たれる。すると、これまた出家して和歌の道を進む。 琴や琵琶などの名手でもある。
 察するにクソ真面目な人なのだが出世しそこなってフテ腐れたのだろう。グチグチ文句ばかり言ってるくせに和歌が褒められると舞い上がるような。
 そしてここで西行のところで出てきた後鳥羽院が噛んで来る。後鳥羽天皇は壇ノ浦で安徳天皇が三種神器とともに入水してしまったため4歳でドサクサと天皇になってしまうが、鎌倉に幕府はできてしまうし全く気の毒なフテ腐れ人生だ。終いには承久の乱でメチャクチャに負けて隠岐島行き、そこで崩御。ついでに息子の順徳上皇は佐渡島。二人とも怨霊になったことになっている。
 鴨長明は推挙されて和歌を教えにノコノコ鎌倉まで行くが、歌人将軍・源実朝とは作風が違いすぎて断られたらしい。
 一丈四方の庵で書いたので方丈記。無論隠棲文学の名作で、乱世を生きる無常観の高みではある。

 それでこの三人、平安末期から鎌倉前期と源平合戦の時代の空気を吸っている。西行が一番年上で20年後に直実、その15年後に長明。西行は80歳くらいまで生きたので一番後の鴨長明とも30年以上ラップしている。近くお互い名前くらいは聞いていたのじゃないかと思うのだが、記録はないようだ(あったら教えて下さい)。
 ふざけた不良オヤジと単純プッツンオヤジにクソ真面目不貞腐れオヤジが会っていたら面白いのに。

 しかし不良もプッツンも不貞腐れも出家してしまえば何とかなるのも羨ましい。源平合戦の真っ最中ですぞ! 

わかったぞ 白隠禅師

怨霊 (今月のテーマ 列伝)

 

百済王・高麗王・新羅三郎 (今月のテーマ 列伝)


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菩提寺のニワトリ

2016 APR 8 0:00:27 am by 西 牟呂雄

 早いもので亡母の三回忌。
 我が菩提寺は枝垂桜で有名(一部で)ですが、実はもう一つ。というかもう一羽。ほぼ野生化したオスのニワトリが放し飼いにされています。
 こいつは中々不幸な生い立ちらしく、どこかの養鶏場かなんかから逃げ出したのか捨てられたのか、お寺の前の小川のほとりで寒い朝半分氷った状態で保護されたようです。
 しかし天敵がいないのでしょうか、巣箱もないのにコッココッコと我が物顔で歩いています。
 人が近寄っても別に逃げませんし、かといって鳥ですから別に懐くわけでもありません。

雄々しい姿

雄々しい姿

 最近年のせいか小動物や自走掃除機のようなものにやたらと愛着を感じて、自分がやさしい人間になったような気がしています。それとも弱気になっているのでしょうか。それはさておき、このニワトリに『コッコちゃん』と秘かに名付け、周りに誰もいないのを確かめては呼びかけています。しかしそこは只のニワトリですからウンでもなければスンでもありません。

 今から四半世紀も前、杉並の大宮八幡様にはつがいで野生化したニワトリがいて、驚くべきことに大銀杏の5mくらいの高さまで飛んでいました。放し飼いにしておけば野生が戻るのでしょうか。
 そういえばヨットを係留している油壺の近くの公園に勝手にテントを張ってキャンプしていましたが、その辺りにも放し飼いのニワトリが野生化していました。そのニワトリ一家が朝にコケコッコーをやるので目が覚めたものです。
 微笑ましくて近くまで行くと、オンドリがトサカを振り立ててこちらに来ます。オォッ親愛の情が伝わったか、と思っていたら軽いジャンプと共にわたしの足に猛烈な蹴りを入れて威嚇するのです。ナンジャこいつ。
 しかしこれ、どうも私がニワトリ一家の縄張りを侵してしまったので、家族を守るために果敢に見知らぬ人間に戦いを挑んだのでしょう。
 そこへいくと我がコッコちゃんは家族も何もないから守るべきものはない。自由なのだ。
 と思って携帯を構えて映し、歩き出したら『コッコッコ』と言いながら後を追ってきた。一緒について遊ぶつもりなのか、愛い奴愛い奴と思ったらバサバサっとジャンプして二段蹴りを喰らいました。桜ドーム

 亡母が逝って丸二年。菩提寺で三回忌のお経を読んでもらいました。コッコちゃんには墓守も一緒にやって欲しいのですが、我が墓地はもっと高いところで縄張りの外。役に立ってもらえそうもありません。
 そして満開の枝垂桜。真下から見上げるとすっぽりと桜のドームに入り込んで、何やら胸が騒ぎます。桜は人を高ぶらせる。風もないのに満開ともなるとハラハラ散ります。

心騒ぐ

地面にも散っています

地面にも散っています

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立ち止まってみた

人は変わる どう変わる

漢字は楽し Ⅱ

2016 APR 5 0:00:56 am by 西 牟呂雄

 赫赫(かっかく)のような漢字に感心してブログを書いてフト気が付きましたが、同じ漢字を二つ並べて一つの文字にするものがたくさんありますね.表題のような文字です。
 横に並べるだけでなく、縦に重ねるのもあります。炎・圭とか。
 そして更に三つ山のようにしてしまう、”森”とか”品”のような字もあります。
 表意文字の場合は目を楽しませる、或いは一目で「ムッ、これは凄い」と感じるものがあります。
 轟(ごう・とどろき)は音が聞こえてきそう。磊(らい)とは実に豪快。
 晶子さん、なんていうのは本来は透き通った純粋な人と名付けられたのでしょうが、日が三つではちょっと眩しい。
 ”姦”は使い方によってはけしからぬ熟語にもなりますが、訓読みは「かしまし」です。”蟲”は実は虫の旧字体。その昔はいっぺんに三つ書いていたのですな。

 ところで読者諸兄諸姉は以下の字が読めますか。
 中には何とか読めるのも混じっていますが。

読めますか

 種を明かすとこれはヴェトナム語です。ヴェトナムでは正式文書は漢文でしたが、現地の言葉を表記するのにオリジナルの文字を作り出して万葉仮名・あるいは日本文のカナ交じりのように使っていました。見たこともない字がそれです。
 日本でも”峠・畑・辻”などが作られました。
 朝鮮にもあります。”畓”は何と読むのか知りませんが田んぼのことです。なかなかよくできています。因みに”田”は畑を意味していたので新しい字を作ったとか。
 かつてはこういった漢字の流れのチベットの西夏文字、遼の契丹文字、金の女真文字、等がありましたが、全て現在は使われていません。

 ここで突然思い出したのですが、水戸光圀の”圀”は一体日本製のクニの字なのでしょうか。旧字では國のはずです。それともその前は圀だったのでしょうか。口構えに八方とはいかにも古代の中国城塞都市を思わせるところですが、光圀以外に使っているのを寡聞にしてしりません。どなたかご教示いただけませんでしょうか。 

 私も独自のカンジモドキをこしらえて秘密文書として使えばそれが何の意味か誰にも分からなくなって暗号に使えるかもしれない。誰も読まないし、変換しても出ないから能率は悪いし一度しか使えないだろうが。

漢字は楽し 色彩編

漢字は楽し 『谷』の読み方


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疲れるぜ ファイターズ

2016 APR 3 17:17:09 pm by 西 牟呂雄

 目の上のタンコブどころか悪性腫瘍ともいうべきホークス3連戦。練りに練った秘策を胸に決戦に挑んだ。

 1試合目は大谷に必勝の祈りを込めてマウンドに送った。初回のデッドボールで(僕が)真っ青になったが失点にはならなかった。するとその裏、待ってましたの中田の一発で3点を摂津からむしりとった。中田!やればできるじゃないか。
 ところが大谷は毎回走者を背負う。それもろくでもないフォア・ボールにデッド・ボールだ。相手は摂津だから追加点が入らない。痺れ上がる展開で6回に点を取られる。まあここで交代は作戦通りではあるのだが。
 すると8回ヘナチョコ・マーティンの死球・四球で同点になってしまった。大谷の勝ちを消してしまったではないか。
 しかしこの日は陽がやってくれた、何とサヨナラヒット。バンザーイ。

 2試合目、ご贔屓ニコニコ・メンドーサが内川にいやな一発を浴びる。ポカポカ打たれて4点献上。
 こちらは例によっていいところで中田が飛ばすには飛ばすが、結果ア~ア。敵のピッチャーの代わりバナにしか勝機はないと読んだのは(僕の)作戦通りだが、1点差に追いついた8回でも三振。勝負あった。
 しかしですぞ、四球は選ばれたが柳田にヒット無し。秘策柳田殺しが効いているのだ。フフフ。

 本日は名前を聞くのもイヤな武田だ。ホークスよエラーでもしてくれ、と情けない念力を送ったが打たれてくれない。しかし有原だって良く投げます。
 6回、ノーアウト1・3塁で中田3ゴロ。ここで田中の果敢な走塁に工藤監督猛抗議。こらえて下さい。
 そしてやった!レアードが3ラン・ホームランで逆転だ!
 それがですな、9回。9回の貴公子こと増井が満塁押し出しで1点差にしてしまい柳田に回った。もう生きた心地がしなかった。が、何とかはなった。

 序盤の天王山を制したのはいいが、疲れ果ててしまった。しばらく休憩を

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漢字は楽し 色彩編

2016 APR 2 19:19:08 pm by 西 牟呂雄

 本来色彩の話は苦手ではある(色覚異常のため)。
 漢字を二つ並べた単語は色々あるが、シャレではないが”色”に関しては強烈な表現になる。

 黒黒(くろぐろ)は髪の毛の黒さなどを表現すると共に、実に『悪い』ものを連想させる(黒田さんとか黒川さんゴメンナサイ、名前の話は別)。腹の黒々と、とか。

 一方青青(あおあお)としたと言うがこれは専ら緑色のことで、木々の色なんかに使う。
 因みに青い(ブルー)光線は人の脳神経を覚醒させる効果があって、パソコンをズラリと点けっ放しにしていると脳が休まらないという研究結果があるらしい。
 
 赫赫(かっかく)。どうです赤四つ!赫赫たる、の様に使うが物凄い字面だ。
 強く光る様子を強調するが『赫赫たる青色ダイオードの光』とはさすがに誰も言わない。どう考えても輝く夕日でを形容しているはずだ。そしてその後日が落ちて薄暗くなったのが黄昏(たそがれ)。
 
 白白(しらじら)しい、はご存知の通りの意味。空しいイメージか。『あしたのジョー』の最後にジョーが言った「真っ白な灰になる」というのを今でも良く覚えている。

 この色の並びは中国天文学の北・東・南・西を表していてそれぞれ四神を置いている。即ち玄武(亀)・青竜(龍)・朱雀(鳳凰、鳥)・白虎(虎)という訳である。
 これを天海僧正あたりが東京に当てはめていないか、と妄想していたらそれっぽい地名があることに気づいた。目黒・青山・赤坂・目白の四つ。
 しかし結論から言うと四神の配置と何の関係も無くバラバラだ。
 北を指す目黒は瀧泉寺(りゅうせんじ)で江戸名所図会にも目黒不動として描かれている。行楽地であり、落語の目黒のさんまはの舞台にもなった名所だった。
 青山はお不動様とは関係なく、郡上の殿様青山家の下屋敷があったためそう呼ばれた。この青山様の子孫に陶芸鑑定家で小林秀雄や白洲正子の親友だった青山二郎氏がいる。
 それでは目青不動は無いのかと言うと、これがある。世田谷区太子堂にある最勝寺がそれだ。
 赤坂はこれまた関係なくて赤土が多い土壌に幾多の坂があるからこの地名だとか、あるいはアカネが群生して『茜坂』と呼ばれていたから、とされる。ところが目赤不動も文京区本駒込の南谷寺にある。
 目白と言えばは故田中角栄の広大な私邸で政治的な名称にもなったが(古いか)こちらはちゃんと五色不動の一つ目白不動を祀る金乗院(こんじょういん)があって地名の由来だ。しかしながら上述目黒との位置関係では北側になってしまう。
 因みに五色不動というからには中心の黄色もなければならないが、これは浅草勝蔵院の「目黄(メキ)不動」という伝承はあるものの今は無い。不思議な事に明治以降名乗りを上げた寺院は都下に複数存在するが。

 このうち黒白のお不動様は江戸時代よりも存立は古く、赤でギリギリらしい。青・黄に至ってはどうやら明治以降ドサクサにまぎれて名乗りを上げた可能性もあり都下にいくつもあるらしい。従って怪僧天海が大江戸鎮守のために配したというのは都市伝説・噂話の類のようだ。
 この話をヒントに、乗り込んできた家康一統が江戸土着の四神の呪縛に苦しめられ音を上げてしまい、天海僧正が法力を以ってこれら闇の勢力と戦う、というモチーフを思いついた。思いついたものの荒唐無稽過ぎて文章にできなかった。

 話は変わるが漢字二文字の言葉というのは”々”を使ってしまうと本来の迫力が失せる。二文字並べる方がよろしいが、書くのが面倒でもある。

 生生たる(せいせいたる)もいかにも命の漲っている感じがします。
 皚皚たる(がいがいたる)はなかなか読めませんが何かがガイガイしているのではなく、白く雪が積もっている事の形容詞、チョット恐い語感だ。
 汲汲とする。愈愈(いよいよ)。賑賑(にぎにぎ)しい。由由(ゆゆ)しき。延延(えんえん)と。坦坦(たんたん)と。雄雄しい。苛苛する。苦苦しい。禍禍(まがまが)しい。清清しい、奄奄(えんえん)-これはオレオレではなく息が絶え絶えとした様子。女女しい。蕭蕭(しょうしょう)とー風の吹く様、ウッ疲れた。誰か代わってくれ。

漢字は楽し Ⅱ

漢字は楽し 『谷』の読み方


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