我が友 中村順一君を偲ぶ
2016 OCT 31 23:23:05 pm by 西 牟呂雄
彼のバンカーとしての事跡は多くの人の知るところであり、わざわざ記さなくても長く記憶に留まるに違いない。
筆者はあまりにも長く彼と付き合い、それはその昔彼の神谷町の邸宅の薪で沸かした五右衛門風呂に一緒に入った頃に遡る。湯面に浮いている木の板の上に上手く乗らなければならなかったそのお風呂に、チビ二人が同時に浸かるのが難しかった。
我々は話を面白く盛り上げるのが大好きで、何でも大げさにして喜ぶところが共通していた。
その頃中村家はシロという犬を飼っていて、ある日二人で散歩に連れて行った。辺りが暗かったのだから冬の日だったと思う。このシロは他の犬に実に激しい敵愾心を燃やした。よりにもよってその時に途中で出会った別の犬に突如猛然と襲いかかった。体がまだ小さかった我々は慌てて綱を引いたがもう噛み付いてしまい、とても手に負えない。自然と役割分担し綱を筆者に任せた彼は必死の形相で割って入り何とか治めた。にもかかわらず相手の飼い主であるオッサンは我々を怒鳴りつけ、二人で何故かペコペコ謝ったのだった。
彼の家に帰って事の顛末を話すと御母堂様は『しょうがないわねぇ。猫なんか一噛みだから』と呟かれた。筆者がその光景を想像しておののくと、奴はその一瞬の表情を見逃さずこう言った。
「何しろ毎朝起きると庭に猫の死骸がゴーロゴロしてるんだぜ」
ビビッたも何も、自宅に帰って母親にその通りの事を伝えた。『ねぇねぇ、順ちゃんチの犬はすごいんだよ』と子供がびっくりして訴える口調だったのだが、それを聞いた母は呆れ返った。
「アータもバカね。順ちゃん家みたいな住宅街でそんなに野良猫がいるはずないでしょう。いいこと、一年は365日あるのよ。年間730匹もその犬が噛み殺すはずないでしょう。どうせ一匹か二匹くらいの話を、全く順ちゃんも順ちゃんだけど信じ込んで帰ってくる方もどうかしてる。アータ達二人を遊ばせてると・・・・。」
あっ。
この話はその後50年も経った後でモメた。確か指宿温泉に泊まった時だ。
「お前が言った口調まで覚えてる。『ゴーロゴロ』と言った」
「言ーってない。言うはずがない」
「イヤ。言った。オフクロ様の言葉も記憶している」
「バカ言え。考えても見ろ、シロは10年は生きてたんだぞ。7300匹も噛み殺せるもんか(この辺で記憶が蘇ったようで少しあわてる)」
「今計算しただろ。『ゴーロゴロ』と言っただけで『毎朝』とも『二匹』とも言ってないぞ(せせら笑ってやった)」
「(動揺を隠しながら)公式記録は残されていない」
「当たり前だろ。何が公式記録だ、このヤヒコー(わからないだろうが二人の間では最低の侮辱)」
彼の趣味の一つに競馬があった。確か中学生の辺りから抜群の記憶力と推理好きが相まって片っ端から血統やらレース・レコードを暗記し、G1レースはおろか地方競馬までを網羅した。高額の馬券を買い漁るわけではなく、予想を楽しんでいたと思う。
その彼が惚れ込んでいたのが菊花賞を取ったアカネテンリュウという名馬で、この馬がいかに優れているかを長々と解説された。
この話は以前ブログに彼に無理矢理アカネテンリュウを買わされたように書いたが真実はこうだった。
確か1971年の有馬記念だと思うが『絶対にアカネテンリュウが来る』とわざわざ電話してきて断言する。そこでオチョクッてみたくなり『今回は無理だろう。オレはダテテンリュウに乗る』と宣言したところ『あーんな馬が来るもんか。どこがいいんだ』と猛烈な反論を始めた。その後言い合いになって引っ込みがつかなくなり、互いに単勝を買う事になったのだった。僕はその時初めて場外馬券を買ったはずだ。
ところが冗談みたいな話だが、結果は両馬共ギリギリまで競って八歳の牝馬スピードシンボリに負けた。
次に会った時には双方気まずいの何の。そして最も気になっていたことを僕は聞いた。
「お前裏切ってスピードシンボリに流してないだろうな」
「俺は大丈夫だやってない。お前も単勝一点買いだろうな」
「よかった」
お互い損したことが確認できた途端二人ともゲラゲラ笑い出した。
読者諸兄諸姉よ。このブログは故人の尊厳を揶揄するものではないことを改めて申上げる。筆者と故人の間の思い出だが、筆者が頭でも打って(先日ひどく打って出血した)記憶を失えば永久に知る人の無くなってしまう話なので、故人を偲ぶ意味で書いてみた。
昨日の天皇賞に彼の供養のつもりで何年振りかで馬券を買ったが、暴れ馬エイシンヒカリの単勝に万券ぶち込んでスッてしまった。
順よ、どうしてくれる。
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帝王の罵詈雑言
2016 OCT 29 18:18:36 pm by 西 牟呂雄
『無学で無能で慾深で見当違いだ』
『大山師の大嘘つきの誤魔化し屋の詐欺師め』
『恩を知らず義を知らず、化け損った古狸め。国家の法規を台なしにするのは手前等の仕業だ』
誰の言葉だと思いますか。
これは中国歴代皇帝で最も働き者だった清朝第五代雍正帝の怒りの声です。こんな言葉を最高権力者から浴びせられたらそれこそ死にたくなったんじゃないでしょうか。
雍正帝は休みなく来る日も来る日も大量の上奏文全てに指示を書き込み返送し睡眠時間は4時間だったと言われています。その指示も満洲語だったり漢文だったり自由自在。執務は涙ぐましい程です。
それもそのはずで、全国至る所に密偵を送りその報告を直接受け、閣僚を通さずに決裁を行う軍機処を設置して政治に当たっています。
更に、皇太子を正式に立てると派閥争いが起きたりチヤホヤされてダメになると考え、皇位継承者を記した勅書を玉座の上の扁額の裏に隠しておきました。そして日頃の行状からしばしば継承者を代えたとも、これを「太子密建の法」と言います。
怒らせたら恐い人だったでしょうね。
この「太子密建の法」により、清朝には比較的ボンクラな皇帝は出なかったとされています。評判の悪い西太后でさえ亭主の咸豊帝がヤル気を失った後は(京劇に熱中して若くして結核で死ぬ)膨大な決済書類に返事を書き続け、その実物は残っています。
私の知る昭和天皇は正に神韻縹渺、怒るお姿は想像もつきませんでした。しかしお若い頃はしばしば激怒されたことが伝わっています。2・26事件の時が有名ですね。
満州事変の処分問題が陸軍の強硬姿勢で行政処分で終わる事を善しとせず、参内してきた時の総理大臣(陸軍出身)田中義一に
「お前の最初に言ったことと違うじゃないか」
と激怒される。そして鈴木侍従長に
「田中総理の言ふことはちっとも判らぬ。再び聞くことは自分は厭だ」
とやってしまわれる。この時は田中総理がビビッて総辞職。陛下は当時まだ30歳前でした。
張鼓峰事件の際にも裁可を求めるべく参内した板垣陸軍大臣が御下問に対し、咄嗟に出任せを言ったところ
「自分をだますのか。今後は朕の命令なくして一兵たりとも動かすことはならん」
とキツイ一言を発せられました。
三国同盟推進に邁進していた板垣征四郎は平和主義者の陛下と相性が悪く、不興を買います。
人事案の上奏時には
「お前は自分の考えをよく知っているじゃあないか。この前も軍事参議官の会議で『外務大臣は軍事協定に賛成である』という虚構の事実を報告している。誠に怪しからん」
天津問題の返答には
「お前ほど頭の悪い者は居ない」
とまで叱責されています。これ余程懲りない人だったのか、ヒョッとしてお若い陛下をナメくさって誤魔化してしまおうという態度で臨んだのではないでしょうかね。
お上を怒らせちゃイカーン。
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頭がグチャグチャだ ファイターズ日本シリーズ
2016 OCT 26 23:23:01 pm by 西 牟呂雄
もうヤメだっ、とムシャクシャして頭に来て酒も飲まずに家に帰ってもやることもない。せっかくだからファイターズの日本シリーズ第四戦を付けた途端に近藤のエラーで先制されて怒髪天を突いた。愛するファイターズよ、お前達何をやっているんだ。
相手のカープは我が盟友、東の贔屓チームだから多少の手加減はあってもいいと第一戦・第二戦を落とした。
初戦は雨で大谷の足が滑り第二戦は増井の守備の乱れというふざけた結果は仕方がない、大谷のサヨナラでまあ良しとしてやったにも関わらず(きのうの試合は見なかったが)エラーとは何事かエラーとは。
別にカープにゃ何の恨みもござんせんが、とにかく何かに当たり散らしてでもいなけりゃ収まらない。
と書いてきてそういう気持ちで試合を見るのは、必死に戦う両チーム並びに野球という勝負に対して大変失礼かもしれないと思った。俺が怒り狂ってもそれはカープの面々のせいでも何でもなくて、ましてやファイターズのせいじゃない。試合を見なければいいだけだ。
するとそこで中田がHRを叩き込んで同点になった。ウワーッと喜んでみたところ、今度は異常な寂寥感に包まれる。中田がマヌケな凡打をするたびに『お前はトレード確実だ』とばかりにホークスの影のオーナー(ナカシマ氏、仮名)と秘密交渉をしていたのだったが。
この一週間というもの感情の起伏がコントロールできず、新幹線の長旅で不覚にもグッタリしたり急に孤独感に襲われたり。酒を飲むと最悪で、バカ騒ぎの度が過ぎて同席者を不快にさせ、更にクドクドとイチャモンを言い約束は翌日すっかり忘れて二日酔いになった。
どうにもならないことはどうにもならないのだが、そんなことは俺だって分かっている。とにかく今更しょうがないことで。
あっ、ミスター・スシ・レアードが打った。ホームランで3-1になったぞ。流れはこっちだ。9回表、宮西イケー、で岡の超ファインプレーまで出た。
それでだな、理由はともあれ俺のけったいな脳では処理しきれないほどの様々な思いが湧いてきて何も考えていない自分がよくわかった。過去の思い出とか懐かしいアレコレは消しゴムで消去したい衝動にかられるのだがイヤというほど纏わりついてくるし。
野球の方は宮西が抑え切ってファイターズが勝った。ホームラン2発で点を取り2アウト満塁を抑え切った。シビれるぜファイターズよ。これで勝負を5分に持ち込んだ。
まあ、俺の不甲斐なさ情けなさはそうとしてもシリーズは第六戦がある、俺の人生も続いている。ここで投げやりになることはイカンのだ。あらゆるガッツを放り投げてひっそりと生きていきたい、等とできもせんことを夢想するより、もはや破れかぶれでやるしかない。
この心の反復運動ともいうべき乱れは次第に収まるのだとするなら、ファイターズは(仮にグチャグチャの思いでいたとしても)一条の光をくれたのかもしれない。更に負けても闘志に火を付けてくれたかも知れない。
結果は勝ったので八つ当たりをする対象を失っただけだ。
試合を見ていたおかげでこの心境に至った。おそまつでした。
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六十而耳順
2016 OCT 25 10:10:46 am by 西 牟呂雄
今新幹線の中でこのブログを書いている。先日の我が友のあまりに早い訃報にぼんやりしてペースが狂った。彼はまだ62才だった。
それで提題なのだが、孔子の言葉として有名な『論語・為政第二』にある一節である。例の「吾十有五にして学に志す・・」で始まるアレだ。
「六十にして耳したがう」と読み下し、還暦を過ぎたら人の意見に素直に耳を傾けられるようになった、と解釈されている。ふぅ~ん。
孔子様は古典に通じ深く思索し人々を啓蒙し、その間節目節目で三十の時に「立」ったり五十で天命を「知」ったりした大変なお方。
それはそうなんだが、結局政治家は言う事を聞いてくれずにあちこちで冷遇されて失意の内に諸国巡遊する。
思うにエラソーな人だったんじゃなかろうか。2m近い大男だったせいもあり、上から目線でああしろこうしろと言われると「そんなこと言ったって現実には」と反発を招いたと思われる。
よく憤激したりしてるし結構頑固なゴリゴリ親父だったに相違ない。
それまでの原始的な『言い伝え』めいた慣行を体系化し、道徳といった概念を作り上げて書物に残した。無論その遺徳は私なんかが論ずるにはあまりに偉大でしょう。
それにしてもどこでもケンカ別れしたり相手にされなかったりなのはこのあたりが問題だったのじゃないだろうか。
不思議なもので儒学の大家は多かれ少なかれそうなってしまうようで、孟子もそうだったし王陽明もそのケがたっぷりある。
孟子はやたらとプライドが高く、巡遊にあたっては車列を連ね従者を従えて行く。
斉の宣王はその現実的には不可能な激しい理想主義的な政策に辟易する。それでも追っ払うのもナンだと色々ごきげんを取るのだが、仮病を使って呼び出しにも応じない。終いには出て行くが、途中で呼び戻しがあるだろうと三日も待ってみせたりとタチが悪い振る舞いをする。
儒学の大家がそうなら老荘学徒はどうかと言えば、これは以前 無駄の勧め で触れたが地位が高くなるとどうもいけない。
皆さん秀才でエラい人達なんですがねぇ。
話を戻して『六十而耳順』だが、額面通りに受け取れない。
何しろ紀元前500年代の人物だ。現代とは医学も食べ物も違う。肉体年齢は20年分は違っているはずで、六十ともなれば八十翁をとっくに過ぎたくらいだろう。案外耳が遠くなってしまって耳の近くで大声を出してもらわないと聞こえなかったのではないのか。孔子大先生にそんな事をできる人物は弟子ばかりだからオベンチャラばかり聞かされていたと思う。
そう考えると次の
「七十而從心所欲。不踰矩(しちじゅうにして心の欲するところに従いて矩をこえず」
も、もう肉体年齢も百歳越えになって衰えて、欲望も何もなくなった、というのが実態だったりして。真面目な漢学者のかた、冗談ですよ、冗談。
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我が友 中村順一君を送る
2016 OCT 22 11:11:05 am by 西 牟呂雄
順よ、貴様を送ることになるとは。遺骸に接してただただ呆然とするしかない。
貴様との長い付き合いも既に半世紀を越えている。
その昔、都内某小学校のピカピカの新入生がアイウエオ順に並べられ、ナ行で俺の前に座ったのが当時頭一つ大きかった貴様だった。
付き合いが深まるに連れ互いの家を行き来すると、育った環境が(親戚の構成に至るまで)あまりに似ているのに驚いたものだった。貴様の父君は帝国大学から海軍、我がオヤジは海軍から帝大。御母堂様は三回忌を済ませた亡き母と同じ女学校の二年先輩。そして我々は同じクラスにいて、後に一人づついる妹が学年違いで入ってきた。
当時から今に至るまで、飽きもせず同じ冗談で笑い同じセリフで罵り合い同じ東京言葉で話をしてきたのだ。今となっては『談笑はやめよ』『ラッチャッチャ』『ラーラー』『ジンデン』『ヤヒコー』など誰も意味すらわからない言葉を作って遊んだ。
小学生の時分から妙に大人びた口を利いてはそれに飽き足らず、もう一つヒネッた会話を楽しんだ。最もその鍔迫り合いの火花が散ったのはボード・ゲームのモノポリーだ。ただのサイコロ・ボード・ゲームを談合・裏切りが横行する駆け引きの戦いにしたのは貴様と俺だ。エスカレートしてしまい、どっちの方が卑怯な手を考え出すかという実に奇怪な知恵比べに興じたものだった。
世界史・地理では歯が立たなかったが日本史は俺の方が詳しかった。英語の成績はいつも負けたが数学で逆転した。貴様の方が足は早かったが水泳は俺だ。ゴルフもいつも負けたがスキーは俺の方が上手かった。相撲でかなわなかったが・・・もう止めておこう。
健康優良児であり高校まで皆勤を通した貴様がこんなことになって、喘息持ちでロクに学校に行けなかった俺が貴様を送るとは全くもってシャレにもならん。
そういえば助け合うとか慰め合うようなことはどちらも控えた、東京人の意地の張り合いなのだろうか。双方の結婚式にも列席していない、年賀状も交わさず、家族ぐるみの付き合いもしていない。おそらくは貴様にも苦しいときがあったのだろうが、会えばどちらも大げさな表現で笑い飛ばしグチはこぼさなかった。不思議な友情と言うべきだな。
途中、貴様がロンドンに赴任しこちらが東南アジアをうろついていた頃には交流が途切れていたが、いつの間にか連絡が取れて酒を飲んだ。
国境視察と称して二人で対馬まで行き、わざわざ自衛隊の基地を見に行ったのは四年前だったか。阿蘇では偶然隣り合わせたイタリア人一家と盛り上がり、俺が多少のイタリア語を喋ったのが気に触ったようで自慢のキングス・イングリッシュをまくし立てられたのには閉口したが、貴様らしい振る舞いではあった。
そして例によっての罵り合いが全く変わっていないことに気が付き、俺達はこの50年間一体何をやってきたのかと笑った。
最近ではこのブログで一緒にテーマを模索するなど、これからもこの腐れ縁が続くのだとばかり思い込んでいた。去年貴様が腰が痛いと言い出した時も、例によって何を大げさなブラフをかけてるんだと大して気にも留めなかったことが悔やまれる。
痩せてしまった貴様を見舞うのは正直つらかったが、せめてもの慰めになればと昔話をし、かすかな反応を確かめた。
ご家族の悲しみには遠く及ばないにせよ貴様がいないと淋しいぞ。
だがいずれ俺もそっちに行く、遅いか早いかだ。貴様に先輩面されるのはいささか不愉快ではあるが、その時はそちらの作法を教えてくれ。そして最後まで決着のつかなかった論争を語り明かそう。あしたのジョーは死んだのかそうでなかったのか、を。
だからいつもの言葉で今日は送る。『それでは又、近々』
合掌
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秋は夕暮れ
2016 OCT 20 6:06:00 am by 西 牟呂雄
夕焼けマニアというのかフリークスというのか、強烈な夕日をみているとやたらと興奮する癖がある。いや胸騒ぎがすると言った方が正確か。
真夏や真冬の強烈な赤より今ぐらいの柔らかい夕日の方がいい。
懐かしい歌も思い出す。
♪夕焼け小焼けで日が暮れて♪
♪ギンギンギラギラ夕日が沈む♪
スパイダースのヒット曲 ♪ゆーうーやーけー、海の夕焼け♪
長渕剛の哀愁漂う『夕焼けの歌』なんかも好きだった。
あんまり物悲しいとシャレにならない。
オジサンは一人でも淋しくなんかない。
大好きだった『夕焼けソング』もあるにはあった。
その昔、ギター小僧だった頃一生懸命コピーした諸口あきらの『リターン・トゥ・パラダイス』だ。
動画はないかと探したが見つからない。
関西でかなり流行ったはずなのだが・・・。
懐かしいので特に好きだった3番と4番を書いてみる。
流れ者でも 春はある
夢を見た日も あったけど
どこでどうして つまづいた
教えておくれよ 影法師
リターン・トゥ・パラダイス
リターン・トゥ・パラダイス
俺が死んでも 埋めてくれるな
空の上まで かけて行く
きっと見えるさ 故郷が
赤い夕陽を 急ごうぜ
リターン・トゥ・パラダイス
リターン・トゥ・パラダイス
僕はこの歌をヒラの頃に覚えた。その頃は地方の工業地帯にいて『きっと見えるさ 故郷が』の故郷を『〇〇の 現場』とかに変えて歌った。往時茫々あれから数十年、どこでどうして間違えたものか。
まぁ〝どうして″に関しては酒とバクチだとはっきりはしているが・・・。
この時期から冬至前の夕焼けが特に好きだ。冬至の頃になると広葉樹が落ち切っていて鮮やかな色になり過ぎる。そして物悲しくなってしまうから。
清少納言が『秋は夕暮れ』と書いたのもむべなるかな。
『夕日の差して山の端いと近うなりたるに、烏の寝所へ行くとて、三つ四つ、二つ三つなど飛び急ぐさへあはれなり』
非の打ち所のない名文だ。
喜寿庵の二階から、山の端に落ちてしまう直前の輝きを見たかったので午後4時からチャンスを待った。
そして落ちてしまう直前の一分前に撮ってみたのだが腕が悪くて『輝き』がただの光になってしまって惜しい。むずかしいね。
因みに翌晩の東京には大きな16夜月(いざよいつき)だったので撮ろうと張り切った。しかしスマホではあの色は出なかった。
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実りの秋の不思議な話
2016 OCT 17 5:05:03 am by 西 牟呂雄
喜寿庵のネイチャー・ファームの横に栗の木がある。ポトリと落ちていたコブシ大のイガグリがはじけてパックリと口を開けて、覗いてみるとピカピカの栗の実が押しくらまんじゅうをしていた。ほォ~。周りを良く見るといくつか散らばっていて、拾い集めるとちょっぴりの収穫になる。栗おこわにしてみよう。
いつもは台風で小さい内に落ちてしまい、今年も先月いくつも上陸したのであきらめていたが少しだけ実った。
その隣には柿の木があるのだが、こちらは渋柿で落ちるに任せている。
ネイチャー・ファームにポツンと残していたピーマンももうこれ以上は大きくならないので今年はオシマイ、ご苦労様でした。
耕運機もエンジン・オイルを替えて物置にしまう。
そういえば去年の今頃は〝秋大根″を蒔いて一生懸命水をやっていたっけ。あれは結果として実に無駄な作業であった。
柿落ちて 栗もはじける
鱗雲
いずれにせよ今年はもう土をかき回すことはしない。
それどころかヒーコラ言いながら落ち葉をファームに捨てなければ。本当は石灰を混ぜるといいらしいのだが、面倒なので紙ゴミを燃やした灰を一緒に埋める。
秋になると庭のアチコチにモグラが出没した形跡が見つかる。通せんぼではないが、芝生に侵入されてはかなわないので空き缶の切れ端なんかを切って埋めている。モグラごめんね、よそに行きなさい。
稲刈りの終わった光景にもお疲れ様。写真を撮る気にはなれない。
最近思うのだが『暮らす』という事自体は忙しかろうがぼんやりしていようがストレスはある、というか生活することは実は大変なことなのではないか。僕のように普段何も考えていなくても実際イヤになることは多い。
全く人と付き合わないで生活する事は不可能だから、誰かと何かをすることになる。仕事でもボランティアでも親戚付き合いでも何でもいいのだが、それは常に大変に理不尽を呼び込んでいるのではなかろうか。
理不尽に 俯き歩き 目に留まる
なぐさめてくれよ 落ちた 柿 栗
その晩は珍しく一緒に来ていたオヤジとしこたま飲んで寝てしまった(らしい)。
ここから実に不思議なことが起こる。
翌朝起きたらとんでもないことに。畳に転がって目が覚めたのだが、畳が血だらけになっているではないか。痛みは感じない。ハッとして起きてみるとトレーナーの首周りがドス赤く染まっている。なんだこれは。
先に起きていたオヤジが呑気な声を出した。
「オイ、何やったんだ。血溜まりができてたんで少し拭いたけど、死んだかと思って時々息をしてるかどうか心配になったぞ」
不思議な人で暴漢が入ってきたとかいう心配は全くせず、救急車を呼ぼうともしなかった。
念のため頭に手をやると3cmくらいの長い瘡蓋が・・・。
怪我をしたのは間違いないが原因が全く分からない。室内にはどこにも血痕などないのだ。考えられるのは夜中にフラフラと庭に出て行き転んで頭を打ったとか・・・。それにしても外に行く理由がない。ついに突発性の痴呆が始まったのか。それとも夢の中で誰かと格闘して(何かと戦っている夢はよく見る)それが現実の世界で起こったとでも言うのか。
私は『暮らし』ているのだろうか。ヒョッとしたら夢の中で泥酔し、この世が幻という荘子の世界でいきているのかもしれない。
(追記)さすがに心配になって後日頭のCTを撮ってもらった。
医者「今頃来てももう遅いよ。顔じゃないし縫う事もない」
私 「先生、後遺症とか出ませんか」
医者「物忘れとか急にひどくなった訳じゃないんだろう」
私 「昔からひどいです」
医者「じゃ別にいいよ。以前も酔っ払って眉間を切ってたろう。酒やめろ」
私 「・・・・」
本当の話です。
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ノーベル文学賞 ボブ・ディランは喜んでいるか
2016 OCT 15 0:00:37 am by 西 牟呂雄
噂には上るがまさかと思っていたボブ・ディランが本当にノーベル文学賞を受賞してビックリした。
もう随分昔だがアコースティック・ギターをエレキに持ち替えてブーイングを浴びた時、彼はこう言い放っていた。
『僕が変わったんじゃない。世の中が変わったんだ』
今回の受賞を予言したわけでもないだろうが、結果はその通りになったと言える。
確かに彼の歌はメッセージ性が高く、その歌詞も詩的である。ただ僕程度の英語能力では長い曲になるとやや難解(何のことを言っているのか、時に暗示的にすぎることも)。一方メロディーは至ってシンプルなリフレインが多く、馴染みやすかった。
彼が世に出た時、アメリカが今どころじゃない戦力をベトナムにつぎ込んで戦争を継続していた頃、ディランの歌は『プロテスト・ソング』というカテゴリーとして愛唱された。これは当時の恋人でありディランの登場に一役買っていたジョーン・バエズによるところも大きかった。
しかし、ディランはそういった捉えられ方をむしろ嫌い壊していく。
むしろ、彼よりも少し上の世代の詩人ウィリアム・バロウズやアレン・ギンズバーグに近づいたと思う。ギンズバークとは親交もあったことが知られている。無論バロウズもギンズバーグも当時キワモノ扱いだったが。
以前のブログではそこに注目した。
一方で、初期のヒット曲は多くのバンドにもカヴァーされ歌い継がれていく。ピーター・ポール・アンド・マリーの美しいアレンジはとても印象に残った(コード進行もオリジナルと変えていた)。
それどころか後にローリング・ストーンズのステージに上がりミック・ジャガーと一緒に『ライク・ア・ローリング・ストーン』を歌ったりもしたが、あれはシャレだったのだろうか。
ノーベル文学賞について以前 良く分からない に書いた。
スウェーデン人の選考委員が文章を読み込んで真面目に議論を闘わせて決める。
様々な言語が英訳されたものをスウェーデン人が読むのだ。他の賞と違いその過程が世の中の変化の影響を受けないはずはない。
もっともデイランが世に出てから半世紀近く経っており、当時の革新性が『伝説』になるほど社会に沈殿したとも言える。
逆に一つの殻を破ってしまい、ここからは引き返せないのかもしれない。
受賞に対する反発も、表立ってではないがあるに違いない。アメリカを中心とした大衆社会を優れた文化と認めたくないアカデミズムが顔をしかめる。
『ウス汚いナリのヒッピー音楽』『芸術性のない悪声』
といった声が聞こえるだろう。
ノーベル賞もポピュリズム化し文学自体が衰退したのか、そうではないだろう。村上春樹氏もまたその流れで優れた文学として候補に上がり続けているのではないか(私は作品としては好まないが、ロクに小説を読まない私の意見なんざどうでもよい)。
興味深いのは、受賞に当たってのデイランの肉声が全く伝わってこない事だ。一体どこにいて何を考えているのだろう、嬉しいのかそうでもないのか。
更に授賞式にはちゃんと来るのか。どんな発言をするのか、王族とのデイナーにはきちんと正装して行儀良く座るのか。
しかも僕は彼の笑顔の記憶がない。
今頃、冒頭のあの不敵なセリフをうそぶいているのではないかな。
『僕が変わったんじゃない。世の中が変わったんだ』
(前のブログに貼っていたら暫く行方不明になってしまった大好きな『天国の扉』のライヴ・バージョンです)
天国のドア
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犬も猫もどいつもこいつも芸をしない (番外インドの旅)
2016 OCT 14 0:00:54 am by 西 牟呂雄
クレオパトラがはべらせたというエジプト犬の血を引くサルーキー。
ベタッと寝転んで『ヨッ』といった感じの挨拶。何なんだ。
それでいて番犬にもならないお人好し。チヤホヤされるのが大好きで『きれいー』とか言われると誰彼構わずシッポを振ってしまうオッチョコチョイ。
プライドがやたら高い。困った奴だな。
一度紹介した『食欲』と『自己顕示欲』の塊。
初めから懐いたので全く人見知りしないのかと思いきや、宅急便のオニーチャンには物凄い勢いで吠えついたりしてみせる。
ただ良くみると他の連中がワンワンいうから一緒になって騒いでいるだけで、基本何も考えていない。
人が物を食べていると『あたしもあたしも』と飛びついてくる。
毛艶が素晴らしく綺麗でドッグ・ショーなんかでは会場の人気者。
ただし芸は何もできず、リードを持ってもらって歩く事も満足にできない。
一人前に本を読んで見せているつもりになって、ついでに読み飽きたフリをしていてそのまま。
人間にでもなったつもりか。
友人が送ってくれたどこかの『無為自然猫』の画像である。
こういうのが以外とすばしこかったりするのかもしれない。
コイツはさるウチで飼われている態度の悪い猫。
さっきのワンコとは逆に宅配便の人が来たときは泡を食って逃げ出した。
何処へ行くのかと思ったら後ろを向き隠れてみせるおバカ。
そのかわりジャンプ力は凄い。
ちょっと色の違う姉が一匹いて二匹は冬の間はくっつきあって仲良く寝ている。
食べ物に対する執念は姉の方が強くてコイツはしばしば食べ荒らされてニャア。
それでいて何故か朝焼けが好きで、ジーッと見入ったりしているんだそうだ。
全く同じ環境で育ったのだが、飼い主によると知能・個性の差は個体別に顕著だとか。
喜寿庵に時々姿を見せる地域猫。門の前で見張りでもしているのかと思えば、見知らぬ人にまでついて行くアホ。
おそらくどこかで飼われているのだろう、モノをねだる。
番猫にでもなるかも、とエサで釣って最近抱っこできるくらい仲良くなったのだが一向に働かない。
首輪は付けてもらっているが一体誰に飼われているのか分からない。
夜中に会うと走って逃げる。顔見知りのクセに警戒心はある。ノラ業界も複雑なんだろう。
しょうがないから勝手に名前を付けてやった。シナシナ二世という。
そしてこれが芸もヘチマもないほぼ野生化したダックスフンド。
驚くなかれ、こいつはインドの英国国教会の敷地の中を縄張りにしていた。インドのノラは虐げられながらも逞しく生き抜いていて日常に溶け込んでいる。おそらく何代も前にはイギリス人の飼い主に飼われていたペットだったのだろうが、現時点ではほったらかされている。
人間にはなついてはいないので、寄ってきてシッポを振る事もない。しかしこちらがジッとしていると同心円を描くように周りを遠巻きにグルグルまわってチラッと視線を投げてくる。『オーイ、遊ぼうよ』と声をかけても知らん振り、あっ日本語はだめか。来られても狂犬病だったら困るしね。
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燃え上がれファイターズ (CSセカンド・ステージ)
2016 OCT 12 22:22:02 pm by 西 牟呂雄
さあ来いホークス。札幌は燃えているぞ。
大谷よ、有原よ、加藤よ、高梨よ、増井よ、ご贔屓のニコニコ・メンドゥーサよ。内川・柳田・松田を抑えてしまえ。
中田よ、田中よ、陽よ、西川よ、中島よ、レアードよ、武田・東浜・千賀・摂津・バンデンハークを打ち崩せ。サファテに投げさせるな。
栗山監督に(テレパシーで)伝えた秘策はズバリ『初戦6番ピッチャー大谷』だった。なにしろ相手のホークスは投手の厚みは日本一、勝ったり負けたりではいいピッチャーを贅沢に投入されてこっちは潰れる。3戦で決着をつけるつもりで戦わなければ敵わないのだ。
難敵ロッテを一蹴して調子を上げてきたところに、初戦の先発は懸河のドロップ・カーブを投げるポーカー・フェイス武田である。対戦成績では負けていないが実に(僕は)苦手。この人が困ったり怒った顔を見たことがない。
さて試合が始まる。栗山監督は言うことは聞かなくて大谷を8番に入れた。成程レアードの後か、それもいいか。大谷は初回から160kmをガンガン投げて飛ばすではないか。四球に気をつけろ、と思っていたらパ・リーグの天敵柳田を塁に出してヒヤッとしたが何とかなった。これは行けるぞ、行ける。
その裏、俊足西川塁に出て中島バント。いい流れだ。オォ、関東限定のチャンス・マーチが札幌でも歌われている。
だが武田もさすがだ。大谷の剛球、武田の軟球の投げ合いは見応えがある。
5回裏、先頭レアードがレフト直撃。大谷、一球目でヒット。大野のバントに武田エラー。西川は満塁で武田の頭上を破ったー。それだけじゃない、中島一発でバントを決める。近藤タイムリー。
そしてそして中田。僕は封印していたフォースを全開にして照射した。一球目に強振すると2ラン・ホームラーン!
しかし武田ってのも顔色一つ変えないのは大したもんだ。
不思議なことに工藤監督はここで東浜を投入してしまう、まだ大谷相手に勝つつもりなのか。贅沢と言えば贅沢だが東浜は明後日の先発ではなかったのか。これは大きな間違いだと思った。
ファオターズはネチネチやって寺原まで引きずり出す、何て層が厚いんだ。
7回102球で大谷は無失点。明日もあるし8回からは谷元から復活したジャイアント・マーティンで万全の勝ちに行った。強いぞ強いぞ。いい勝ち方だ。
しかし完封を喰らった誇り高きホークスが黙っているはずは無い。
明日の増井に襲い掛かられたら・・・。
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