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我が友 中村順一君を送る

2016 OCT 22 11:11:05 am by 西牟呂 憲

 順よ、貴様を送ることになるとは。遺骸に接してただただ呆然とするしかない。
 貴様との長い付き合いも既に半世紀を越えている。
 その昔、都内某小学校のピカピカの新入生がアイウエオ順に並べられ、ナ行で俺の前に座ったのが当時頭一つ大きかった貴様だった。
 付き合いが深まるに連れ互いの家を行き来すると、育った環境が(親戚の構成に至るまで)あまりに似ているのに驚いたものだった。貴様の父君は帝国大学から海軍、我がオヤジは海軍から帝大。御母堂様は三回忌を済ませた亡き母と同じ女学校の二年先輩。そして我々は同じクラスにいて、後に一人づついる妹が学年違いで入ってきた。
 当時から今に至るまで、飽きもせず同じ冗談で笑い同じセリフで罵り合い同じ東京言葉で話をしてきたのだ。今となっては『談笑はやめよ』『ラッチャッチャ』『ラーラー』『ジンデン』『ヤヒコー』など誰も意味すらわからない言葉を作って遊んだ。
 小学生の時分から妙に大人びた口を利いてはそれに飽き足らず、もう一つヒネッた会話を楽しんだ。最もその鍔迫り合いの火花が散ったのはボード・ゲームのモノポリーだ。ただのサイコロ・ボード・ゲームを談合・裏切りが横行する駆け引きの戦いにしたのは貴様と俺だ。エスカレートしてしまい、どっちの方が卑怯な手を考え出すかという実に奇怪な知恵比べに興じたものだった。
 世界史・地理では歯が立たなかったが日本史は俺の方が詳しかった。英語の成績はいつも負けたが数学で逆転した。貴様の方が足は早かったが水泳は俺だ。ゴルフもいつも負けたがスキーは俺の方が上手かった。相撲でかなわなかったが・・・もう止めておこう。
 健康優良児であり高校まで皆勤を通した貴様がこんなことになって、喘息持ちでロクに学校に行けなかった俺が貴様を送るとは全くもってシャレにもならん。
 そういえば助け合うとか慰め合うようなことはどちらも控えた、東京人の意地の張り合いなのだろうか。双方の結婚式にも列席していない、年賀状も交わさず、家族ぐるみの付き合いもしていない。おそらくは貴様にも苦しいときがあったのだろうが、会えばどちらも大げさな表現で笑い飛ばしグチはこぼさなかった。不思議な友情と言うべきだな。
 途中、貴様がロンドンに赴任しこちらが東南アジアをうろついていた頃には交流が途切れていたが、いつの間にか連絡が取れて酒を飲んだ。
 国境視察と称して二人で対馬まで行き、わざわざ自衛隊の基地を見に行ったのは四年前だったか。阿蘇では偶然隣り合わせたイタリア人一家と盛り上がり、俺が多少のイタリア語を喋ったのが気に触ったようで自慢のキングス・イングリッシュをまくし立てられたのには閉口したが、貴様らしい振る舞いではあった。
 そして例によっての罵り合いが全く変わっていないことに気が付き、俺達はこの50年間一体何をやってきたのかと笑った。
 最近ではこのブログで一緒にテーマを模索するなど、これからもこの腐れ縁が続くのだとばかり思い込んでいた。去年貴様が腰が痛いと言い出した時も、例によって何を大げさなブラフをかけてるんだと大して気にも留めなかったことが悔やまれる。
 痩せてしまった貴様を見舞うのは正直つらかったが、せめてもの慰めになればと昔話をし、かすかな反応を確かめた。
 ご家族の悲しみには遠く及ばないにせよ貴様がいないと淋しいぞ。
 だがいずれ俺もそっちに行く、遅いか早いかだ。貴様に先輩面されるのはいささか不愉快ではあるが、その時はそちらの作法を教えてくれ。そして最後まで決着のつかなかった論争を語り明かそう。あしたのジョーは死んだのかそうでなかったのか、を。
 だからいつもの言葉で今日は送る。『それでは又、近々』   

合掌

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