喜寿庵でお茶壺道中
2016 NOV 2 20:20:31 pm by 西 牟呂雄
ずいずいずっころばし、で『茶壷に追われてトッピンシャン』とあるが、これは喜寿庵のある場所が発祥の地だという説がある。
江戸時代の初期はここには鳥居・秋元という大名がいたが、転封した後は代官が派遣される天領となる。ただ大名時代の城跡(勝山城と言う)にお茶蔵があって、将軍献上のため宇治から江戸へ運ぶお茶壺道中の際に茶壷を保管し熟成させた。
お茶壺道中は三代将軍家光の時から寛永年間まで行われたが、その格式は大名行列より遥かに高く、御三家の上とされたので『下に~下に』とやっていた。そこでお茶壺が通ると土下座していなければならず、子供は家に入って戸を閉めた。即ち『茶壷に追われて戸ピシャン』なのだ。行ってしまうと騒いでもいいので『抜けたらドンドコショ』となる。その後の歌詞は関係ないが。
この地は日光東照宮と久能山東照宮を結ぶ線と京都ー江戸を結ぶ直線の交差する場所で、縁起がいいとお茶蔵が置かれたとされる。
東海道は軍事的見地から箱根を越えるから、お茶壺道中はその前に北上して御殿場から富士吉田を通ったのだろう。お茶蔵からは甲州街道を行く。
そのお茶壺道中を町興しのイベントとして復元している。
するとよく遊びに来る北富士総合大学の学生がボランティアで侍の恰好をしているではないか。言ってくれれば僕だってやったのに。
同時に地元の物産展もやっていて、手作り感満載のかわいらしいイベントだ。
ここにも顔見知りの学生さんがアルバイトをしているお菓子屋さんが出店を出していて、思わず食べたくもないお菓子を買ってしまった(僕は甘いものが苦手)。北富士総合大学のブース、地元高校のロボット・コーナー、かつて栄えた織物業のネクタイ(養蚕が盛んだった)、果ては自衛隊北富士駐屯地から除染車の展示まであった。
お子さん連れのご家族が隊員と嬉しそうに写真を撮っていた。
地方はそれなりに必死にやっていることが分かる。他にも用水路に錦鯉を放ったり、コマーシャル(BSだけだが)を流したり、小規模水力発電『元気くん』もある。地道にやっているのだ。ふるさと創生の頃に温泉も掘った。
だが観光地化の方向はどうであろうか。東京の自宅から混みさえしなければ45分くらい(最速記録は32分)と近すぎるのだ。観光客を狙うと世界遺産の富士山にとても太刀打ちできずに通り過ぎられるだけだ。
その点、リニア見学センターの近くに地元産品の道の駅を作るのはいいだろう。
伝統のあるお祭りなぞも大変いい。皆が楽しそうだからだ。
残念ながらそういったイベントのほとんどが市役所主催で、スポンサーにならざるを得ないところ。
住民の側から自主的に金をだして盛り上がることにはならない。大都市のハロウィンのように勝手にコスプレにお金をかけてくれるのとは違うのだ。
市民が楽しくやれれば、それはとても価値のあることだと思うが、行政の助けとボランティアがなければ成り立たないのである。
因みに将軍献上のお茶を管理した『お茶壺詰御用』を勤めたのは、京都・宇治で禁裏御用宇治御物御茶師である上林家である。地元商工会議所ではその上林家十四代・上林春松氏の指導の元、てん(石偏に展)茶の試作に取り組みブランド『瑞鶴』を売り出している。完全注文のため今年は間に合わないが既に来年の予約を受け付けている。
都留市商工会内 瑞鶴予約係
0554-43-1570
FAX0554-45-1644
mail y-arihara@shokokai-yamanashi.or.jp
20g 1600円 とのこと。 お茶のお好きな方 どうぞ。
(振り込み手数料はお客様負担)
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Categories:和の心 喜寿庵