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贖罪から求道へ 

2017 MAR 5 12:12:55 pm by 西室 建

 何から話せばいいのか。
 何かマズいこと、それは自分で転んで怪我を負ったり失敗してあるチャンスを台無しにしたりして途方に暮れるようなことをしでかしたりする。別に人のせいじゃなく自分が悪い。迷惑も誰にもかけていない。しかしそのしでかしたことが現実にヤバい、と気が付くのは例えば家族に迷惑がかかるとかみっともないところを見られたとか、必ず他人の目が気になりだしてからなのか。
 そうではあるまい。自分の良心に従って恥ずるところがあれば、悔いるところがあれば人は悩むのだと思う。
 ところが中には極端に感性の鈍い人がいて、全く回りが見えていない=自己満足の塊みたいな振る舞いをし、悪いのは全部人のせいにする。こういう手合いは常に自分は見えておらずその生涯にわたってある種の恥をかき続けることになるのだが、その人生と慎ましやかな人の人生で重みが違うかと言えばそれはない。

 例えば特殊な能力を持った人間が生涯誰にもそのことを言わずに死んだら、その宝石のような力は誰にも認められずに失われてしまうのか。しかし自分が存在する限りその能力を秘かに自由に確かめてみたいとは自然に思う。人間は記録するものだ。日本史上、いや世界史上に残らない才能がどのくらい埋もれていったのか。
 そういった人も世に出た天才も生きた密度は同じと言ったら怒る人はいるのだろう。
 動物園の野生の動物は幸せなのか不幸なのか、意見の分かれるところだ。彼らの「狩り」をするという本能は封じ込められて退屈極まりないかも知れない。それでも外敵に襲われ飢えずには暮らせる。

 凄まじかった「3.11」の大地震や先日の熊本、そしてまだ我々世代には記憶されている神戸の震災、今もその影響と戦い続けている福島第一の惨禍を見るにつけ、こみ上げてくるのは贖罪意識。そしてこれは宗教観の薄い日本人だけが感じるものと思う。西欧クリスチャンの場合はGODに対してのみ贖罪を感じる。
 東洋人でも「もののあわれ」と感じるのは日本人のみと思われる。
 僕自身、3回死にかけている。一回目はバイクで(転落事故)、二度目は病気(急性膵炎)最後がヨットだ。事故は一瞬で気絶していて恐怖感が無く、病気は激痛に気が遠くなりかけたがまさか死に直結するとは思わなかったし、濃霧の中での漂流は後で気が付いて真っ青になったが、まさか死ぬとは思わなかった。

 また、小惑星の地球衝突の衝突の可能性は人類滅亡規模のレヴェルでみても、天文学的な数字の中では常にスレスレの状態にある。この場合の時間軸は100万年単位だが、原爆クラスの惑星衝突ならば数1000年単位と言われている(らしい)。

 何が言いたいかと言うとどの人も同じようにスレスレだということだ。そして誰もそこから逃れられない。
 上述のように、我々日本人である限り一部の熱心な宗教信者以外は信仰に救いを求める事はない。我々は誰一人自分の色感、味覚、感受性、音楽の好みといったものを持つこの肉体とその肉体の記憶するDNAから逃れられない。様々な戦乱・災害に打ちのめされ、立ち向かい復興してきた民族の刷り込みから。
 先程の『贖罪』意識(仮に私が「もののあわれ」と言ってみたが)から次のステップへ進むとすれば、それはクリスチャンやムスリムのような『浄化』意識(天国に召されるような)へはいかないだろう。仏教も天国だ地獄だといいはするが、そんなものはない。
 翻って我々の文化は「もののあわれ」をいつくしみ意識を高めるために、ひたすら”道”を歩む。お茶を嗜むのに『茶道』を修行し、活花をかざるのに『華道』に精進する。チャンバラは『剣道』になり格闘は『柔道』『相撲道』になった。
 ひたすら『道』を極める。これが日本人の自然体ではないだろうか。

 ところで『道を極める』とは極道になるのだが、この有難い言葉がヤクザもんを指す事になったのは何故だろう。誰か教えて欲しい。

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Categories:考えないヒント

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