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わかったぞ南北朝 

2017 MAY 17 18:18:52 pm by 西 牟呂雄

 魔人後醍醐天皇と太平記に登場するダーク・ヒーローが面白くてしばしばブログのネタにしてきた。しかし”南北朝”と称されるようになったのは遥か後年になってかららしい。
 鎌倉時代の大覚寺統と持明院統の両統迭立とは天皇家が二つあるようなもので、皇位継承は鎌倉幕府の仲介により成り立っていた。
 それが建武の中興で堰を切ったように大混乱が始まり、本当に日本中が北朝方を名乗ったり平気で南朝に寝返ったりして戦乱に明け暮れる。後醍醐天皇と尊氏はくっついたりはなれたり、足利尊氏・直義兄弟も反目し、化け物高師直の奇怪な振る舞い、バサラ大名佐々木如道誉の狼藉、と面白い題材がこの時代テンコ盛りなのだ。
 あまり注目されないが、最後の執権・北条高時の一子、時行が信濃潜伏の後に挙兵し、鎌倉になだれ込んで足利直義を追っ払い20日ほど占領して見せた事績なども大そう魅力的だ。
 それにしても、どうしてこうアッケラカンと裏切りが横行するのか。
 おまけにどこから湧いてくるのか、俗に悪党と言われる連中は何なのか。その悪党の親玉の一人、楠正成とその一族は踏まれても死んでも後醍醐天皇に忠誠を誓うのも不自然に思える。
 司馬史観で読み解いた場合は、宋で流行った大義名分大好きの朱子学が宋学として日本に入り、楠木正成等の忠臣を輩出したことになっている。教科書的には鎌倉御家人体制は、後期になると分割相続と元寇による疲弊で没落し社会が不安定になってくる、と教えている。
 それで鎌倉に突撃した新田義貞とかはこのドサクサに乗って一勝負、とばかりにやったわけだ。しかし担いだ後醍醐天皇は一筋縄ではいかない御仁。武士に対する恩賞なんぞ眼中に無く、それどころか犬コロを扱うような態度だったと思われる。勢いがついてしまってもはや無理なのに大昔の『公地公民制度』まで頭がぶっとんでしまう。
 挙句の果てに造反されて三種の神器を取られ、尊氏の後見の下光明天皇が即位するとこれを無視。奈良の吉野で南朝を開くに至った。
 その後の複雑怪奇さはとうていドラマ化するのは不可能で、大河ドラマがチャレンジしたがダメだった。
 北朝・南朝の騒乱が日本中に広がる。そもそも尊氏の弟直義と高師直が内部対立して内紛になり、事もあろうに直義は南朝に帰順。スッタモンダの末に一時は尊氏でさえ南朝につくとかグチャグチャだ。 
 鎌倉幕府そのものが、言ってみれば二重政権で畿内を中心に帝や貴族の荘園・寺社領はゆるく存続していた。それが『オレは今日から南朝につく』と宣言すれば武力に物を言わせてブン取り放題になる。
 わかったぞ!
 分割相続であぶれて山賊・海賊・悪党となって暴れていたクチに『南朝』のお墨付きができてしまったのだ。下剋上どころではない。
 その悪党の代表格がやられてもやられても一族を上げて南朝について戦った楠一族だが、これなど初めから失う物がないから裏切るも何もなかったんじゃなかろうか。
 ただ南朝は言葉をきちんと残した。北畠親房が『神皇正統記』で南朝の正当性を書き物として残し、はるか後年に水戸光圀がこれに被れて大日本史で認め今日に至っている。

 話は変わるが僕の母方の遠縁に、岸和田の和田一族がある。伝承では楠の流れで一族が受け継いだ楠の巨木を守り伝えている。長屋門を構え、堀が残っている大邸宅に今も住んでいて、僕もその巨木を見たことがある。驚いたことに注連縄が巻いてあって毎年宮内庁から送られてくるとか、和田家の人は『宮様から』と言っていた。
 やはり南朝正統論は健在なのだ。
 南朝の系統は結局次々に暗殺されてしまうのだが、名前がおどろおどろしい。直親王家以外の天皇の孫はナニナニ王となる。南朝後亀山の弟・護聖院宮(ごしょういんのみや)家の孫は通蔵主(つうぞうす)・金蔵主(こんぞうす)という異様な名前の兄弟で、その金蔵主の息子達は尊秀王(たかひでおう自天王ともいう)・忠義王(ただよしおう)兄弟となり、このあたりでかなりあやしくなる。
 応仁の乱にはこの系統から小倉宮の末裔としての西陣南帝という南朝の天皇が突如現れた。戦後にあまた出た自称天皇の中でもっとも有名だった「熊沢天皇」こと熊沢寛道はこの系統だと主張した。この西陣南帝はしまいにはおっ放り出されて美作の国あたりまで落ち延びたと言われ、南朝の末裔と噂された大室氏に連なるという都市伝説を生む。
 他に南朝第三代長慶天皇の流れを組む玉川宮家というのがあって、第六代足利将軍義教の時代まで記録に残っている。玉川宮は必死に室町幕府の公家社会に溶け込もうとして京都にいた。かなりいい感じだったが義教の南朝根絶政策で相国寺にいた梵勝・梵仲という兄弟が消息を絶つ.出奔したというのだが暗殺だろう。
 しかしどこかに正真正銘の子孫がいないとも限らない。
 その家系の隠れ皇子様が独身の秋篠宮家・三笠宮家・高円宮家の内親王様方と恋に落ちたら皇統維持の問題が一気に解決しないか。
 
 等と畏れ多いことを夢想していたら秋篠宮眞子様が婚約した。おめでとう御座います。お相手は南朝の気はなさそうだけど。

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