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我が友 中村順一君との会話

2017 OCT 9 14:14:20 pm by 西室 建

 彼の一周忌を迎えてしまう。往時茫々思いは様々、到底一言で括ることなどできない。
 彼と僕は共に真の保守主義者を任じていた。
 ところが細かい所になると各所にズレが生じていつもモメた。
 例えば靖国神社。彼は強烈な分祀論者で、例のA級戦犯合祀に憤慨していた。それに対し僕は、それでは東京裁判史観マル飲みになる、いずれにせよアメ公に犯罪者にされたに過ぎないから合祀は合理的である、と主張した。
 勿論先の戦争には大反対で、そこに至るまでを主導した東条英機に批判的だったから気持ちは分かるが、合祀以降昭和天皇は参拝しなくなった、などと痛い所を突いてきた。
 そして2・26だの一人一殺などというテロルを嫌った(当たり前だが)。
 ところがこれが『右翼』本流となると、正確には政治家=権力に対峙する反体制派で、決して現エスタビリッシュメントに迎合するものではない。その視点から言えば安倍政権も反米右翼からは攻撃される。
 そもそも合理的な理論というよりは昔から気質の問題で、今日でもそうは進化していないから日本が右傾化しているなどと言われると違和感を感じる。
 ガキの頃の我々は単純な愛国者程度の気持ちだった。
 ところがその時代の世相は大変で、憲法改正などと口走ると頭の切れる左翼が寄ってたかって僕達を苛めた。
 今から考えれば彼は数少ない、しかし油断のならない同志だったと言える。

 型を崩す事はなかった、というよりいやがった。具体的に言えば恥ずかしい話だが、僕は高校~大学と背中まで髪を伸ばしたり、ガリガリ・パーマのアフロになったり、テカテカ・リーゼントになって見せたが、その都度あからさまに不快な顔をした。『あいつは何であんな変な格好をするのか』と言っていたらしい。
 彼の家に遊びに行った後会うと
『オヤジがお前の狂った頭を見て「かわいいもんだ。旧制高校にはもっと凄いのがいた」と言ってたぞ』
と聞かされたことがある。 
 僕が愛好するボブ・ディランやローリング・ストーンズには見向きもしない。印象に残っているのは『若いモンの愛好する下らん音楽が流行って困ったもんだ』などと嫌がらせを言うのが常だった。
 はたして彼はカラオケなんかはやったのだろうか。僕は行った事はない。

 僕達はあまりにも長く付き合った。
 都会っ子でシャイな所も共通していた。第三者に僕を紹介するのに『幼馴染で親友なんです』という時は実にイヤそうだった。
 興が乗ると話を盛りまくり、10倍・100倍・10乗・100乗と吹くものだから、聞いている人は終いには何のことだか分からなくなってしまう有様だ。
 話をするのに国会答弁形式で掛け合うのもいつものこと。挙手をして『委員長』と言うと相手がありもしない役職名で指名する。『中村特別国家公安官』とか『西室枢密顧問官』と言った具合だ。すると指名された方が『ただ今の答弁には全く信ぴょう性がありません。そもそも』という具合にデタラメを喋りまくる。途中で言いよどむと相手がヤジを飛ばすという凝りようだった。
 バカバカしいことに誰も聞く人がいないのにやっていた。最後にやったのは指宿温泉の二人部屋でお銚子をバンバン空けながらと記憶する。人が見たらアブナいオッサンと間違えられたことだろう。

 不思議と彼が知り合いに僕を紹介することは多かったが逆はない。僕の仲間が彼とウマが合わなかったかと言えばそんなことはないはずだ。多分彼の放射するエネルギーが強すぎて『引力』の方が勝っていたのではないか。そういえば僕の他には右翼もいなかった。
 
 旅が好きだった。
 その趣味はロンドン駐在時に存分に発揮されたことは彼のブログに詳しい。
 僕が九州在住時にも何度かやって来たが、旅の終わりはいつも『それじゃまた近々』と握手して彼が東京にもどって行った。
 彼を見送ると自宅(単身赴任用マンションだったが)に帰るのだが、旅先ではぐれて置いて行かれた様な気がした。

 残された 人をこそ嗤え その愚かさを
    旅の終わりは  ないことと知れ

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