Sonar Members Club No.36

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海の上の人生 ホントかよ

2017 DEC 18 21:21:10 pm by 西 牟呂雄

 ヨット・ハーバーで知り合ったのだが、みんなからは『鮫さん』と呼ばれていた。小柄で真っ黒に日焼けし、白髪と髭を延ばし放題にしていた。
 湾内のボート・ハウス(水置き)に住んで、時々頼まれるとクルーとしてヨットに乗って操船を手伝う。僕達の船でもスキッパーをやってくれたが風の読みが抜群にうまかった。
 40年程前に太平洋を往復したと言っていた、但し一人ではない。こう言ってはナンだがシングル・ハンドはさすがに滅多にいないが、クルーを組んでの横断はその時点でそうめずらしくもなかった。
 酒は飲まない。それでも僕達がデッキでガブ飲みしていると「おじゃましてもいいかな」と言ってヒョコヒョコ現れては仲良く過ごした。このヒョコヒョコというのは本当にそういう歩き方で、最初は障害でもあるのかと勘違いしたがそうではない。歩いたり走ったりすることが下手らしい。暫く喋ったあとには『岡酔いしてしまう』と言ってボート・ハウスに帰っていった。
 そして気になることを何回か言った。もう忘れてしまうかもしれないのでその不思議な老人の昔語りを書き残しておきたい。その「鮫さん」の数奇な人生を。

『ワシは実は教育を受けてない。漢字は書けないんだ。もう少し言うとワシの家はみんな戦争まで戸籍もなかった、戦争ってあの大東亜戦争な。いや、本当だよ。ワシの両親・オヤジの弟、ワシの兄貴と妹と陸(オカ)の上に住んだことがなかったんだ。昔は瀬戸内の方にいて多分海賊みたいなことをやっていたんだと思う。爺様の代には一族で塩とか石炭を九州から大阪へ、大阪からはありとあらゆるモノを九州まで持っていく今で言えば海運業だった。
 これは儲かるカラクリがあって、当時の秤量なんかいいかげんなもんだから荷抜きをするんだ。荷抜きといっても船は人家族単位の小さい汽帆船だしそんなに大量にはできないが、そこが付け目だったんだよ。
 あんたも知っての通り貨物船は夜に走る。荷役は日中だから夜に移動するのが普通だろ。だから金があったって使い道は大してない。バクチが流行る訳さ。女だって岡に上がらなきゃ縁はない。だから大概は一族の間で嫁取りをする。何しろ船酔いなんかされた日には使いもんにならんだろ。
 代々そうしてるとやっぱり血が濃くなるんで時々岡の女をかっさらってくる、ワシのお袋がそうさ。
 それはそうだとして、あの戦争のおかげでこっちはもう一貫の終わりと思って最期のあたりで家族と別れて海軍に入った。そこでやっと国民になったんだ。海軍さんももうダメだと分かってたんだろうからいいかげんな話さ。税金なんか一度も払ったことの無い、字も書けないのを使わなきゃならないんだから。えっ勤務?震洋って知ってるかい。ひどいもんだよ、ベニヤのモーターボートに爆薬積んで敵艦に突っ込む特攻隊だよ。250kgだったかな、爆薬は。ただ直前で飛び降りる訓練はしてたからゼロ戦の特攻よりはマシだね。その本土防衛隊がここにあったのさ。ワシ等はウネリにも慣れてるし海でしか暮らしてないからどうってことなかったけどあんなもんで戦争かよ、とは思った。そうそう『マルヨン』って呼んでたな、なぜか知らんけど。
 訓練なんかどうってことはなかったし、海の上は庭みたいなもんだから潮の流れも風の向きも皆分かる。けっこうウデが立つってんで班長に抜擢された。
 そうそう、その時初めて苗字をもらったというか名前はなんだ、って話になって鮫島を名乗ったのさ。ウチの海賊時代からの屋号が『鮫』だったから。それまでほとんど海の上で家族としか付き合ってないから苗字が何かなんて考えた事も無かった。港でたまにおやじの兄弟の船と行き交うと『鮫』とか『鰯』とか屋号で呼ぶのさ。『鰯の良一』とかね、こいつは従兄弟にあたるんだけど。
 負けちまってヤレヤレと思ったけどその時の陸(おか)暮らしが堪えたの何のって。眠れないんだよ。こりゃ金輪際岡に上がっての生活はいやだ、と。
 部隊は解散、家族はどこだか分からない、ワシは字も読み書きできないから仕事なんか無い。どうしたかって?
 横須賀でウロウロしてたらまぁ何とかなった。海軍さんの解散騒ぎの後に米軍が来て、その頃英語が達者な奴はいないから作業員でネイビー・ベースに潜り込んでた。
 こっちは日本語の読み書きができないけど英語は若かったからヤンキーの話を聞く・喋るはそのうちどうにかなったんで軍属っていうのか、まあ雑用をやってたよ。シャークってニック・ネームで呼ばれてた。
 ところであんたらは海は陸を隔てるものと考えるだろ。ワシ等は逆なんだ。港を繋ぐものだと思ってる。先祖はまぁ瀬戸内の方だけどハナから故郷が陸にあるとは思ってないから土地の所有概念がないんだ。実を言えば国境だってあんまり関係ない。沖縄に行ってごらんよ。台湾からいっぱい来てたよ。ワシ等に言わせれば北方四島だって地元の奴等は、特に海の連中は行き来してるに決まってる。戦後負けちゃったんで拿捕されたりもしたけど。

今ではライトアップ

 そもそも感覚が違うから皆が有難がっているものなんか何とも思わないんだよ。子供の頃は宮島の鳥居なんかをくぐって遊んでた。昼間は観光客が見てるからヤバいけど夜になって真っ暗だとまず人目にゃつかない。陸の連中があんなにペコペコしてる所を、ワシ等は神様じゃ、とか思ったもんだ。
 言葉だって今でこそこうして喋ってられるけど、行った先の言葉なんか分からないのが普通だったから、今から考えると家族の中じゃ”日本語に近い”別の言葉で会話してたんだな。『しーおそでしめらまっそう』なんてわからんだろ。『うみがあれてきてかえろう』って意味なんだが。
 それに正確なことは知らないが古来水上生活者は税金の対象外なんだってさ。今だって東京のお堀にあるカフェだのボート小屋なんかみんなタダらしいよ。不法係留船舶なんかそこで暮らしちまえば何とでもなるさ。要するに税金は土地にしかかけられないようになってんだ。オットあんまり喋るとマズいけどね。
 結婚?冗談じゃじゃないよ。イイ娘はいっぱいいたけどさ、ワシは住所不定だよ。
 アンタさ、ワシにもしものことがあったらちゃんと焼いてこの海に散骨してくれないか、イヒヒヒヒヒヒ』

 この爺さんもボート・ハウスもいつの間にかいなくなってしまった。

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Categories:ヨット

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