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慶喜の手裏剣

2018 JAN 31 19:19:05 pm by 西 牟呂雄

 知新流手裏剣。先端を研ぎ澄ませた棒手裏剣を右半身の構えからさらに右足を踏み込んで投げる。腕振りがブレずに剣筋が安定する、接近戦専門の手裏剣術である。水戸の英才、七郎麻呂は子供の頃からこの武術が好きで、生涯打ち込むこととなる。10歳で一橋家を継ぎ慶喜を名乗った時は、すでに文武両道の呼び声が高かった。だが要するに変な男だった、協調性がない。
 天真爛漫。興味の赴くままに書画を楽しんだりしているうちに将軍後継者の本命となり、井伊大老とは対立することとなる。時の将軍徳川家定は後世に脳性麻痺の症状を指摘されるような病弱で、井伊は絶大な権力を振るっていた。
 思わず声を上げた。時々激高する癖もある。
「井伊!僭越なり。勅許も待たずに開国とは何事かぁ!」
 井伊が独断で締結したアメリカとの条約が気に入らないのだ。
 御三卿登城の際に将軍と面談するが、その傍らにピッタリとついてはやや心許ない将軍の代わりに訳知り顔で物を申すのが不快なのである。そこには条約締結に至った井伊の人知れない葛藤などを斟酌することはない。
 この際、慶喜にとって攘夷も勅許もただの知的道具に過ぎなかった。単に相性の悪い相手を追い込む理屈は自身の智謀を以ってすればいくらでも成り立つ。悪い癖が出た。
 実父徳川斉昭や越前の松平慶永、御三家尾張徳川慶恕らを前にして懸河の弁舌を奮っているうちに引っ込みがつかなくなり強行登城に至って顰蹙を買う。それどころかお返しのように紀州の徳川家茂が十四代将軍となり、安政の大獄が始まってしまった。勿論慶喜も処分された。
「コンチクショウ。臣下の分際で調子に乗りおって。紀州は大奥に早手回しをしたに違いない。お主ら何をやっていた!」
 御三卿に家臣団はない。小姓相手に怒鳴りつけてもどうにもなるものではない。例の棒手裏剣を巻藁に何本も打ち込んだ。
 しかし怒り狂ったのも2日程で、同時に処分された一橋派と言われる面々を前にケロリと言ってのけた。
「将軍になって失敗するよりは最初からならない方がいいに決まっている」
 周りは気が遠くなりそうだったが口をつぐんだ。とにかく頭が回転しすぎる。

 井伊大老が暗殺され、にわかに政情が不安定となる。世の中が尊皇攘夷に沸きあがってきた。
 しかしこの時点で慶喜に攘夷実行の気は全くなくなっている。英明な彼は国際情勢も理解し、鎖国などは時代遅れだと見抜いた時点で飽きたのだ。
 何しろ横浜開港によって貿易が始まってみると幕府は大儲け。実は薩摩も密貿易の味は知っている。海援隊はこれまた現代の総合商社のように武器を売買する。攘夷・開国は政策課題というよりは権力闘争のネタに等しい。
 無知蒙昧な攘夷主義者は別として、やっかいなのは孝明天皇とその周辺の長州系公家であり、これが先の見えすぎる慶喜を悩ませることとなる。
 攘夷実行を朝廷と協議するために上洛すると、得意の言説でやりたくもない攘夷の件を奇想天外な話にスリ変える。
「そこまで言われるのであればこの慶喜は将軍名代として京にいる能わず。(ここで十分に間を取って)どうであろう。将軍上洛も近い事、いっそ幕府が朝廷に政権返上するように将軍を説得して見せましょうぞ。お上を立てて卿らで国事を奉られればよろしい」
 公家達は顔色を失った。無論そんなことはできるはずもない。すると慶喜は畳み込む。
「さて、まつりごとを朝廷に返上するか。」
「ソッ・・・それは難儀や」
「お上に御聖断を」
「チョット待たらっしゃい。・・・・そないなことお上あらしゃいましても・・・。」
 この選択を迫り、議論などしたこともなかった公家・朝廷を圧倒する。既に後の大政奉還の構想はこの時点で胸中にあったのだ。
 更に公武合体派諸候で造られた参預会議において、ようやくまとまりかけた横浜鎖港を島津久光・松平慶永・伊達宗城らからイチャモンをつけられると反りが合わない中川宮邸に泥酔して乗り込み「この3人は天下の大愚物・大奸物」と罵倒する。挙句の果てに中川宮に「宮は島津公からいかほどなり都合されたか(いくらもらった)」と絡み倒す。薩摩藩による朝廷の主導を警戒した慶喜は、参預諸候を朝廷から排除するつもりだったのだ。ついでに佩刀をかざし切るの切らないのと物騒な暴言を吐き参与体制をぶち壊した。一説には茶碗酒を五杯ほど一気飲みし、確信犯としてベロンベロンになったらしい。
 酒癖も相当に悪いが実に鋭い。目の前の論敵に対しては無敵なのだ。そして酔えば酔うほど、語れば語るほど頭は冴える。誠に困った人物だった。

 そうこうしている最中に新撰組は池田屋事件を起こしてしまう。
 皮肉なことにそれが引き金となって長州過激派が暴発し、禁門の変にまでなった。
「講和せよ」
 砲声にビビり上がった公家達は叫び声を上げた。
 ここで慶喜は今で言うスイッチが入った。二条城より馬を飛ばし御所に乗り込み、天皇の信頼厚い松平容保に奏上させる。
「この容保の命に代えましても御所をお守り奉りまする」
 容保ひいきの孝明天皇は満足して言った。
「会津中将。宸襟を安んじ奉れ」
 ここで慶喜は自ら御所守備軍を率いて鷹司邸の長州軍を攻める指揮を執った。軍装に身を固め高揚したために抜刀までしてみせる。無論懐には棒手裏剣を忍ばせていた。

 いざ将軍のお鉢が回ってくると高揚感はさらに高まる。
 フランスから巨額の借款をし幕府陸軍伝習隊を組織したが、その際フランス公使ロッシュには西周(にし・あまね)から習っていたフランス語で挨拶して周りを驚かせた。
 しかし先が読めるが故に、策士策に溺れていく。
 あろうことか第二次長州征伐でケチがつき、身内の(御三家・譜代大名・親藩)反発まで招き出す。独善が災いしたのだが本人は全く自分のせいとは思わない。
 持論の大政奉還は突如発表され世間をおどろかせた。ある意味理にかなった起死回生の一手だったが、練り上げ方が充分でなかったのだ。ゴネれば皆が付いて来ると大甘な読み違いをし、公武合体勢力を分断してしまった。
 鳥羽・伏見でコケるともういけない。
 慶應四年。上野の寛永寺大慈院において謹慎する慶喜を勝海舟が訪ねた。大阪から海路戻った一行に激しい言葉を浴びせて以来気まずくなっていた勝だったが、会った途端やつれ果てた慶喜を見るなり声を失った。将軍はまるで幽鬼のように月代も髭も剃らずにいた。
「上様・・」
「安房(海舟は安房守)か。・・・・何故このようになったのか。大政奉還の大回転を決断した余が・・・何故朝敵とされ領地没収になる」
「・・・・」
「寄せ手の参謀・西郷とやら。旧知の間柄であろう。いかなる所存にて余を撃ち滅ぼさんとする」
「・・・・」
「安房。江戸はどうなる」
「・・・・」

 驚くべき事にこの時点で江戸城内に軍事を統括する役職の者はいなくなっていた。慶喜自身、京都で将軍職を拝して以来初めての江戸なのだ。

「余はもはや将軍ではない。ワシの何が悪かったのか」
「・・・・」
 海舟もまた先の見える男。今までは慶喜に対しても『何を偉そうに』と含む所があったものの、ただ今は頭を垂れるのみであった。
「のう。・・・・後を頼む。他には人はいない」
「心得ましてございまする」
 二人の頬を滂沱の涙が伝い、初めて君臣の交わりができた。
 ここまで来れば勝は度胸が座る。西郷との直談判に及ぶ。
 江戸無血開城は四月十一日。この年は旧暦の閏年で四月が二度あったため既に初夏の青空だった。その日のうちに慶喜は水戸へ旅立つ。慶喜32歳。
 
 藩校・弘道館で謹慎・恭順に入るが、ここも癒される場所ではなかった。
 水戸藩主徳川慶篤(慶喜の兄)が直前に病に没し、家臣達は恭順・交戦諸派が入り乱れていた。なにしろ尊王攘夷思想の卸元で、黄門様が始めた大日本史の編纂を二百年以上かけ明治39年に完成させた藩である。桜田門外の変でも天狗党事件でも主役、ちょっとやそっとの議論で決着のつくはずもない。
 一橋家に養子になって水戸を出て江戸へ。将軍名代として江戸から京へ。賊軍として江戸に帰り、そして育った水戸に戻る。
 徳川宗家は田安亀之助に相続し、慶喜は更に駿府に移封される旨が新政府より通達された。
 幕府を開いた神君家康公が隠居した駿府に旅立ったのは三か月後の7月23日、ひどく蒸し暑い日だった。

 慶喜はと言えば、未練も何も無い。水戸からもましてや江戸からも一刻も早く遠ざかりたい思いで一杯だった。
 あの下世話な陰謀や下級武士上がりの泥臭い連中が蠢いているような所はもう沢山だ。言ってわかるほどの頭も持ち合わせない野卑な連中が、日の本の国をどうするのか。
 しかしその時慶喜の心の奥底には、その後の戦乱に巻き込まれる高須松平容保・定敬兄弟や奥羽諸藩、更に函館戦争まで転戦した旧幕臣、なによりも最期の交渉で粘った勝海舟への憐憫の情すら湧かなかった。
 写真・絵画に凝り、弓を毎日引き、無論得意の手裏剣の修練は欠かさない。しばしば「コンチクショー!」と発して投げたとか。
 家臣達も暫くして静岡に移ってきたが、滅多に面会せずにもっぱら地元の者どもと交わり慕われはした。すっかりいいオヤジになり『ケイキさん』などと呼ばれていたという。
 明治30年に東京となった江戸に久しぶりに居を構えている。
 皮肉な事に維新の英傑であった西郷・大久保・木戸等よりも、岩倉よりも長く生き、明治天皇崩御の翌年に死ぬ。尊王の赤心、誰が知るや。

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Categories:伝奇ショートショート

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