セールを上げろ!
2018 MAY 9 19:19:00 pm by 西 牟呂雄
連休は風が悪くてセーリングには不向きだと言われている。結構寒いし。
それがこの真夏日にもなろうという地球の狂い方に、今年はどうだろう、とハーバーに。
ところで加山雄三の光進丸が焼けて沈んでしまった。会見で涙ぐんでいたが、あの気持ちは良く分かる。長年連れ添ったパートナーを失ったような悲しさと言っていた。
しかしここだけの話。『オレがここに光進丸を泊めていれば観光資源にもなるだろう』との理屈で係留料を全然払ってない、という噂が根強かったけど。事実相模湾にいたときはそれに近かったという話だった。
アノ手の有名人は周りがチヤホヤして多少我儘が効くため、地元の一部からは大っぴらに表には出ない話はある。かの慎太郎センセイも油壺では・・・。
しかし光進丸は実に美しい船型で、間近でみると我々34フィート・クルーザーからは駆逐艦のような威圧感だったが見とれるほどだった。
保険には入っているだろうが、あの規模の船をもう一回造る気力はあるだろうか。維持も大変だし。
久しぶりに会う我が愛艇は物凄い風の中でユラユラと漂っていた。
何しろ予定されていたレースが中止になり、参加するはずの船はみんな待機状態。クルー達はヒマを持て余してガバガバとビールを空けて焼酎までやっている。
着いたのは昼前だったがみんなもう酔っ払っていて晩飯の相談をしていた。
まぁ何だかんだいっても追いかけるように僕も飲みだしたのだが出遅れ感は否めず、ぼんやりと海を見ながらロープを手慰みに結んだりほどいたりした。
丁度陸揚げする船を見上げて改めて、丸みを帯びたヨットのボディは色っぽい、だから女性名詞なのかと思った。
これはセクハラにはならんでしょうな、今時注意しないと・・・。
ヨット愛好家の女性も多いが、皆さんなかなかお美しい。
このハーバーで知り合ってゴール・インしたご夫婦もいらっしゃる。
にもかかわらず僕の周りには浮いた話がまるでないのはどうしたことか、謎は深まるばかりである。
そうこうしているうちに風は益々強くなり冷たくなっていった。
『これは明日も中止になるだろうな』
誰かが口走ってしまい、これで歯止めを失った僕は本気モードで泡盛を飲みだした。
オーナー仲間は先日10日程、ニュージーランドまで行き、オーストラリア・ニュージーランド・アメリカ・カナダ・ロシア・日本の六か国クラブ対抗のレースをやってきた。
映像を見せてもらったが各国参加者の年齢は高い。レースは3日間行われたが、毎晩の楽しそうなパーティーやピクニックといった催しが凝っている。日本チームが『炭坑節』で盆踊りをやると各国全員が輪になって踊っていた。『コール・マイニング・ソング』と訳して大受けとか。
ホーム・ステイしたが、全体的にボランティア精神というか運営にかける情熱が感じられて、こういうのをヨット精神というのではなかろうかと思わされた。しかしこれ、日本の番が来たときはどうするのだろう。あんな家に住んでるのはいない。
次回は二年後にナホトカ。今回ロシア艇は接触して失格だったからがんばるだろう。ナホトカでヨット・レースってイメージはないのだが。
夕日が沈んでいく。これも贅沢な時間と言えなくもない。
ヨーシ、オレも気高いヨット・マンに生まれ変わりあしたはどんなに風が強くてもセールを上げるぞ!
(結果はやはりレース中止プラス二日酔いだったとさ。今年は未だにスピンはおろかメイン・セールを見ていない、ダメだこりゃ。)
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Categories:ヨット
トム市原
5/14/2018 | Permalink
S太郎は議員になってから銀座ヨットクラブ、次は油壺、葉山と醜聞に掻かない人ですね。
此処でも金持ちの自称ヨットマンは鼻持ちなりません。
今年はセーリングカヌーを造ってくれるところを探しましたが、今時のポンペイ人は丸木船なんか見向きもせず、YMAHA,HONDAの高馬力エンジンに目を奪われているようです。
赤道直下の島へ行くとガソリンが無いためセーリングカヌーでした。
何も無いところなので帆はあらゆる布を集めて、敷布あり、ブルーシートと何でもありでさながら満艦飾でした。
西室 建
5/14/2018 | Permalink
セーリングカヌーはアウトリガータイプなのですか?
いいなぁ!
トム 市原
6/10/2018 | Permalink
そう言えば加山雄三の初代の光進丸は森繁さんのお譲りとか。
その前は我が名付け親の雅叙園の細川力蔵さんのと聞いています。
この方は1代で雅叙園を創立し、今の中華料理のターンテーブルを編み出した人でした。
子供は6人いて当時没落貴族の子女を次々と籠絡し、子供を産ませた強者です。
その次男 細川力勇さんが私のダイビングの先生でした。
彼は戦後まもなくサンデイゴの海軍基地でダイビングのライセンスを取った人で おそらく日本では初めてでしょう。
体も大きく胸板が私の倍くらい有り、同じ容量(150気圧、10リットル)のタンクを使うと当然私の倍くらい潜っていました。
もう他界されて25年に成ります。
当時、一緒に潜って居た方々はほとんど鬼籍に入られ、小生がかろうじて踏みとどまっているようです。
西室 建
6/10/2018 | Permalink
えっ、細川力蔵がトムさんのゴッドファーザーなんですか?
何で又・・・。
初代の光進丸は『ナントカの若大将』で映っていたあれ、細川力蔵⇒森繁⇒加山雄三だったんですか。知りませんでした。
トム市原
6/11/2018 | Permalink
おや? 細川力蔵さんをご存じでしたか。
目黒雅叙園が最初に芝浦に東京園を作って居て、10m程離れた処に祖父の写真館がありました。
東京園で写真を撮っていたのです。
小生は赤羽橋の日赤病院で産まれたが呼吸をしていないので医者が逆さに吊して尻をピンピン叩いたが息をしない、たまりかねたお袋が「もう結構です」とたんに「ふぎゃ〜」
このままでは育たないだろう、せめて名前だけでも良いのを付けてやろうと力蔵さんの1字を頂いたのです。
西室 建
6/11/2018 | Permalink
確か中華料理のテーブルを回転させたのは大陸ではなくて、日本がオリジナルなのだと聞いた気がします(違ったかな)。
その息子さんがマスター・ダイバーとは知りませんでした。