元号が変わるぞ どうする
2018 MAY 23 6:06:20 am by 西 牟呂雄

今から30年前の昭和が終わった時。
世の中は自粛ということで、夜のネオンが消された。何となく早く帰宅して各報道が一斉に昭和のおさらい番組を流しているのを見ていた。『街も悲しみに暮れている』といったレポートをするので、ホンマかいなと不謹慎にも夜の繁華街に車を飛ばした。
するとかの新宿歌舞伎町でさえ街は真っ暗、人通りも少なく普段は車で入れない所まで行けた。すると闇の中のパチンコ屋の店内は大音量・照明ギラギラでジャラジャラと営業し混んでいた。風俗だってやっていたのだろうな、と妙な気分になった。
ついでに渋谷に回るとこれまた不謹慎にも渋滞で、隣の車がユッサユッサとリズムを取っている。どうやらドライヴに入れたままブレーキをポンピングして音楽に合わせているのだ。スーッと窓が開くとその頃大勢いたワンレン娘がクチャクチャとガムを噛みながらR&Bをガンガンかけていた、この不忠者め!
あと1年で元号は変わる。
新元号が『建和』に決まった!という噂がネットに流れて、自分が和やかになれるかと思ったが、現時点では勿論未決定である(私の本名は建。人偏をつけないように)。
私は保守派なので元号には賛成だが、中にはこのグローバル時代に面倒なだけだという人もいるだろう。
どうであろう。明治は45年、大正は15年、昭和は64年、平成30年。私程度では、近代日本の時代を表していたのは元号=天皇陛下のキャラであるという思いがある。これが江戸時代なら将軍だろうか。
昭和の生まれの私は、昭和の半分と平成をまるまる生きた。
平成の天皇は国難とも言うべき災害の現場で、国民をねぎらい、いたわり、祈ったという印象が強い。神戸、3.11、熊本、と言った激甚災害にお姿を現すと被災者は慰められた。それはやはり政(まつりごと)に携わる権力者が来たところでそうはいかないのである。時の総理大臣がお座成りの見舞いを述べて帰ろうとしたのを罵倒されてペコペコした姿を我々は見ている。
そして元号はその国難と共に記憶されている。維新戦争(明治)、関東大震災(大正)、敗戦(昭和)、3.11(平成)。天皇はその際の唯一無二の切り札であって代わりうる者はいない。それぐらいの重きを頂く場合に元号が無いなどとは考えられない。
しかも歴代抜群のバランス感覚で時代に適合していくポジション=人格が継承されている。
今上陛下は常に仰せだ。
『日本国憲法の元、国民と共に』
人を呼ぶときには『さん』付けされる。先代が常に名前だけを呼びすてたのと違い、やはり敗戦後の教育を受けられた証左だ。
大変熱心に祈り神事をこなし公務に励まれる。どんな天皇でも神事をこなせば良いのではなく、勤められることによって高みに上がって行かれるのではないだろうか。
次期天皇陛下は大変真面目で子供の頃からどんな下らない相手の(まぁあんまりひどいのは排除されているだろうが)話でも、必ず最後までキチッと聞かれることで知られる。こういうことはやはり長い訓練の賜物であり、どんな長い公務でも欠伸一つなさらない。この環境にいきなり慣れろと言う方が無理がある。五代や十代程度の続いたイエで育っても身に付くものではない。我々クラスは三代目は唐様に書けるかもしれないが殆んどが潰れていると言うではないか。
ともあれ次の元号の時代はまた違った象徴像が作られていく。
その際のキーマン(キーウーマンか)こそ今上陛下の直孫に当たる3人の内親王であろう。いささか世間知らずで物議を醸すかもしれないが、力を合わせて知恵を出されるに違いない。歴史はそうなっている。
しかし私見であるが何があっても天皇制は無くならない。
実は故三笠宮寬仁親王殿下が娘である女王の結婚相手に旧宮家の男子を考えられた事があったが『何でも言う事は聞きますが、私は好きな人とは一緒になれないのですね』の一言で挫けたそうだ。
ゴリゴリの保守派には『皇族とはそういうものである』との論がありそうだが、こういった必殺の男系女性天皇というウルトラ級の奥の手もあるはずだ。それぐらいの知恵を我々日本人は持っている。
『建和元年』バンザーイ!
「ソナー・メンバーズ・クラブのHPは ソナー・メンバーズ・クラブ
をクリックして下さい。」
Categories:言葉

西室 建
6/13/2018 | Permalink
今上陛下の被災地を訪問されるお姿を見るたびに、これが平成流なのかと恐れ入る。
膝をつき、しっかりと相手をみて少ない言葉をかけられる。
相手は思いのたけを訴える。
最後までそれを聞き届け、また一言おっしゃる。
これですね、物凄く疲れますぞ。自分でやってみて、あの膝をつく姿勢って大変なのがわかりました。
この平成流が陛下を疲労させ、そしてそれができなくなりそうだから退位される、腑に落ちます。
戦後即位の陛下は『あっそう』とはいかないのだから。
福島の訪問、お疲れ様でした。