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謎の『おつながり乞食』 

2018 JUN 4 6:06:32 am by 西 牟呂雄

 北野武監督が2002年に撮った映画に『Dolls』という作品があります。あまりヒットしなかったのでご存じない方の方が多いでしょう。3話仕立てのオムニバスでした。
 紆余曲折を経た西島秀俊と菅野美穂の夫婦が互いの体を赤い縄で結び付けて彷徨う第一話は、北野監督が子供に見た乞食の夫婦がモチーフだと語っています。
 故小沢昭一のエッセイにやはり同じ夫婦と思われる二人についての記述があり、更には本人のプロポーズの言葉が『年をとったらおまえさんと二人してつながり乞食になって暮らそうなあ』だったとあります。

おつながり

 実はこの『おつながり乞食』は戦前に東京の洗足池付近で知られた存在で、私は母親から聞かされて知っていました。洗足池で体を拭いていた夫婦の乞食を見たことがある、カミさんの方が少し知的障害があってダンナさんが物乞いをしているのに放っておくとどこかに行ってしまうので結構長い縄で繋がっていたとの話でしたが。
 小沢昭一は昭和四年生まれで蒲田育ち、亡き母は昭和六年の洗足で結構近い。おそらく同じ夫婦を見たに違いありません。そして北野武は私の七歳上ですが足立区がフランチャイズですから浅草あたりで見かけたのかもしれません。
 すると昭和の10年代から30年代まで東京中を彷徨っていたことになります。あの空襲の時はどこにいたのでしょう。そしてその後はどこに消えて行ったのか。
 後年に山形とか秋田での目撃の噂はあったようです。

 私の子供の頃、神田の昌平橋のたもとにやはり夫婦連れのホームレスがいました。橋の上にJRが通っていて雨がしのげたのですね。リヤカーを引いていた記憶がありますからクズ拾い(当時はそう呼んだ)をしていたと思います。
 お母さんが小さい子供をおんぶしていたのを見て、寝る時はどうするのか心配してました。
 それがですぞ、お母さんのお腹がドンドンせり出して来るのです。子供の僕はその機微がまだ分からず異常な太り方だと思ったのですが、今から思えばあの吹きさらしの中でゴザでも敷いてイタしたのだと想像すると・・・・なんと逞しい。そこには当時都電の路線が健在でそれなりの人通りもあったはずですが深夜の事ゆえ真相は分かりません。あの子供たちはその後どういう人生をたどったのやら。
 これも昭和30年代の話です。

 その10年後、フーテンというのが新宿に一杯いたこともありました。ヒッピーの日本版ですね。
 怖いもの見たさにグリーン・ホテルと呼ばれていた東口を出たところの芝生にゴロゴロしているのを見物に行きました。
『あれがシーザーだよ』
 と言われて物凄い長髪の有名なフーテンを眺めた記憶があります。どうもホームレスとは趣の違う難しそうな顔をした人でした。
 当時の新宿は(今もですが)そういった不思議な人達や明らかにその筋の人、オカマの立ちん坊、ロックンローラーが入り乱れて立ち眩みがするような街で、途切れないうねりのような人並みが朝まで無くならないのです。あの人達は今どうしているのでしょう。そうそう、シンナー吸ってる人が多かった。
 
 現在でも上野や隅田川沿いにブルーシートでテント村のような光景が見られます。その中には夫婦の方もいるんだそうです。中にはホームレス同士で知り合って結婚に至った例もネットにはありました(女性の方が20才くらい上!)。
 ま、色々あったのでしょう。中には病気・失業・借金・犯罪、様々な苦労の挙句にそういう暮らしを余儀なくされているのかもしれません。それでも逞しく生きるのはプロのフーテンと言えなくもない(実際には仕事がキラいな怠け者が多いとも聞きます)。

 これらの話、別に懐かしくもないですが忘れないうちに書いてみました。
 えっ私?私は風体こそ変でしたがちゃんと学校には通ってましたしずーっとカタギでしたよ。

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Categories:遠い光景

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