海の魂鎮め
2018 JUL 24 23:23:46 pm by 西 牟呂雄
東大の三崎臨海実験場という施設が油壷湾の入り口にある。
明治19年と生物研究施設としては早い時期にスタートし、明治30年に現在のの地に移って来た。この歴史的な建造物は昭和11年、関東大震災で被害を受け建設された。
敗戦後に米軍に接収されていたこともある。
この本館が老朽化し取り壊しになる。仕方がない事だがもう何十年も慣れ親しんだランドマークが取り壊されるのはこちらが年をとった証左だな。
また、ここは戦国時代の三浦氏の居城があった所で、三浦氏は鎌倉時代から何度か再興したが北条早雲によってこの地で滅亡。一族郎党の血で赤黒く油を流したように見えたので油壺といわれた(らしい)。そのせいか亡霊が出るという噂はかなり古くからあった。
こちらはその対岸に当たるが、写真左のマンションでさる鬼畜が外人女性を殺害し、右側の海岸奥の洞窟にコンクリートで埋めた。
また隣の小網代に外国人に殺された女性の遺体が上がったこともある。
この美しい入り江で何てことをしてくれる。
その昔、もう少し南の方で学習院大学のヨットが遭難して、麻生財務大臣のすぐ下の弟さん他5名のクルーも亡くなっている。
こういう話は日本中の海にはいくらでもあって、だから祟るだの縁起が悪いだのとは言わない。海坊主はいるが怨霊は海にはいない、そもそも似合わない。海のスケールが亡霊を圧倒するのか。
その大きな海でマイクロ・プラスチックのゴミ問題が今頃言われ出したが、沖合でペットボトルやコンビニ袋が漂っているのは腹立たしい。海を汚す不届きものは海に呑まれてしまえ。
記録的熱さは海の上も同じだが、幸い今日は風が強い。
さあ、ジブを張った。風上に一旦舵を切ってメインセールを上げるぞ。
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Categories:ヨット
トム 市原
7/26/2018 | Permalink
幼少のころ、初体験の水族館が油壺でした。
水槽のパテが剥がれ水がジャカジャカ漏っていたのを覚えています。
油壺、小網代はわが青春の海で写真の臨海実験場の左裏に小さな砂浜があり、そこでウミガメが孵化し、幼少ゆえ亀は陸生と思い、海に向かう子亀を山側の藪の中へ連れて行っても又海へ戻るのが不思議でした。
小網代には戦時中の洞窟が沢山あり、洞窟探検で大量の竹槍を見ました。
こんな物で良く戦う気になった物だと思いました。
学習院の遭難では当時潜り(今ではダイビング)が出来るのは少なく、小生も駆り出された事がありました。
あの辺の磯はアワビなんか膝くらいの処に沢山張り付いて居ました。
父の操縦でヨットに乗り、諸磯でセンターボードをぶつけ、小生も嫌と言うほどマストに頭をぶつけ、あれ以来頭が薄くなった様な気がします。
西室 建
7/26/2018 | Permalink
エッ、トムさんは翔鶴号遭難の時に捜索してたんですか?
確かオリンピックの年だったと思います。
油壷の奥の公園に遭難の碑が作られています。そこでテントを張っていて気が付きました。