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脳を鍛えなくちゃ 記憶を呼び起こす

2018 NOV 23 10:10:36 am by 西 牟呂雄

 カオス理論では結果は初めから予想されうるが、数値で予測するにはパラメーターが複雑過ぎて無理なのだということになっているらしい。
 一方で『手首を曲げる行為』の実験によると『手首を曲げよう』と意識する1/3秒前には脳が活動を始めることが確認されている。即ち自由に考える前に外部の刺激に単純に反応しているだけ、ということは人間の自由意思というものが証明されない。
 また、記憶に関しても『概念』は後天的な刷り込みが可能で、やったことが無くても自分の経験として”記憶”してしまうこともある。
 すると”一般的な状況”というのは個別に違ってしまい、”一般”を構成するはずの全員が例外的存在になる。経済学者やアナリストがしばしばハズすのはそれ故らしい。
 我々が”主体的”に好き嫌いを決めている訳でもなく、外部の刺激にのみ予定反応しているだけだとすると、偉そうなことを言っても人間という形のリトマス試験紙のようなものということになる。
 最近のニュースでギョッとしたのは、ネットで自分の好む情報ばかりを見ていると、ネットにはフェイクがちりばめられていて自然と自分の都合のいい(心地よい)ウソまでも信じ込む、勝手に組み立ててしまう、という話だ。
 個人データをハッキングして無党派層に向け、当人の好むネガティヴ(或いはポジテイッヴ)キャンペーンを吹き込む。選挙干渉は相手に合わせてバイアスのかかった情報の優先度を上げて恣意的に見せ、マインド・コントロールすることが可能だと。
 そうなると冒頭の1/3秒前に脳が反応するどころではなく、個人の意思を操作されてしまうではないか。記憶も何もあったものではない。自分の脳をハッキングされるような話だ。
 しかもこの調子で認知症でも進んだ日には、外部の刺激に対する反応どころか、仮に記憶にあると本人が辛うじて思い込んでいても、何かの辻褄を合わせるために自身の記憶を(すでに機能的に通常の”脳”ではなくなっていたとしても)リセットしてしまうかもしれない。既にカオス理論からも見放された境地、結果は予想できない、と。
 僕はボケるだろうが、そうなった時も自由意思、思考、記憶といったものを細々とでも保持していたい。
 
 ところで僕は週末には山荘喜寿庵に閉じ籠り、一人で農作業のマネごとをしたり、この季節は落ち葉を掃いたりして暮らしている。要するに何も考えていない。うまくすれば何もしなくても最低限生きていける(食事と排泄は許して下さい)。
 仮に『手首を曲げよう』とさえもしなければ脳は活動を抑え、要するに目は開いているが眠っているような状態を持続できるだろう。そこでそういう環境を作り出し(スマホもテレビも切って、酒も飲まずに)過去の記憶がどこまで正しくたどれるか実験してみた。何かのキーワードについて直近から古い方に記憶をたどっていく。
 まず”病院”という言葉が浮かんだ。ある事情で最近見舞いに行く機会が多いからだが、そこから始まって自身の病院経験をズーッと遡ってみみた。亡母の最期にいた所、親友が入っていた病院、眉間を割って担ぎ込まれた外科、さる知り合いのいたICU、ズーッ遡って自分が40日も入っていた病室、往診に来てもらった『奥田先生』とたどっていく。すると僕の病院にまつわる最古の記憶は妹が生まれた時にオヤジに連れられて行った産院だった。4才の時である。オヤジの革靴がキュッキュッと鳴った音とともに覚えていた。
 ヨットで今年の夏に落水したことを思い出し、”水”に関して(飲むのではなく泳ぐ、浸かる)やってみたところ、この何年も船からバシャバシャ飛び込む以外はまともに泳いでない。セッセと泳いだのは遥か昔の小学校までだった。ギリギリ中学か。子供の頃に近くのYMCAのプールで水泳教室に通った。そのくせ、喜寿庵の下を流れる桂川で淵にはまって溺れかけた。水泳教室で習ったのはクロールであり、川遊びの役には立たなかったのだ。もっとチビだった頃、どこかのプールに連れていかれて『人間の体は沈まないんだよ』とオヤジがうつ伏せに浮いて見せた。確かにどこにも掴まっていないのに沈まない。やってごらん、となって横にされて手を放された途端にブクブク沈んだ。そしてそれよりも前に、庭に掘った池(喜寿庵ではないが、本籍地に引っ越す前に住んでいた家)に浸かって歩いた感触を思い出した。気になってアルバムを見ると3歳くらいの僕が水遊びをしている写真があった!
 面白くなって次は”食”。大して食道楽ではないから旨いものではなく、不味い記憶を辿ってみた。本格的にひどかったのは社会人になってから行ったスキー場の卵丼。次に学生時代に甲州街道沿いのゲームセンターで食べたピラフ(これは塩加減を間違えたとしか思えない殺人的な不味さだった)。小学校低学年時代に給食で出たイカ(さすがに半分以上の児童が残すという前代未聞の味)。ここで止まった。
 それはそうだろう。学校給食が始まるまでは嫌いな物なんか食べなかったからだ。思い出して来た、ソーセージとタラコを間違えてタラコが嫌いになった瞬間や蟹の缶詰の絵柄のグロテスクさに食べもしないくせに大嫌いだった。海老もだ。
 ”泣く”。直近では『パパはわるものチャンピョン』というプロレス映画でホロリときたが、さすがにギャーギャー・ポロポロと泣くことは何十年もない。最古の記憶は幼稚園前(場所の記憶があるので間違いない)、本に書いてある通りにどうしても切り紙が出来ない時に悔しくてビャアビャア泣いた。するとそこに母親がやってきて『どうしたの。貸してごらんなさい』と丁寧にやってくれると、簡単に出来てしまった。すると(その時点でも泣いていた)それが悔しかったので思いっきりその切り紙を引き千切ってもっと泣き出した。その時のあきれ返った母親の表情がうっすらと残っている。「こりすのポッコちゃん」というテレビ番組を見た頃と思うので4歳くらいだったか。

 待てよ!これで脳を鍛えているつもりになっていたが、ついさっきナニをしていたか覚えてないじゃないか。
「昔はこうだった」と同じ話しばかり喋るのはヤバい兆候。これでは脳を鍛えていない。気付かずに脳を退化させボケを進行させてしまった・・。

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Categories:アルツハルマゲドン

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