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将来型適正コミニュケーション限界 

2018 NOV 29 0:00:41 am by 西 牟呂雄

 フレックスは当たり前、在宅勤務どころか勤務地ですら自由、AIの進化で生産性はアップ、行きつくところは、一日2~3時間働いて後はご自由に、となるかな。
 その仕事も、例えば現代アメリカ小説家であるリチャード・パワーズは部屋の壁にバカでかいディスプレイを架けてベッドに転がりながらキーボードをカチャカチャやって執筆しているとか。そうしてモノを書くと『自分の身体があるような無いような、世界とつながっているような切断されているような』気分なのだと言っている。ちなみにこの作家は大変頭のいい秀才で、難しい文章を書ける人だから仕事ぶりは真似はしない方がいい。
 しかし、こういう話は必ず後になってダークな部分がクローズアップされてしばしば大騒ぎになる。一つ心配になったことがある。この際賃金は下がらない前提で考える。

 それは、いくら(賃金が下がらずに)時間が余っても『もっと遊ぶ』とはならない、ということだ。なぜなら、今でさえロクに働かない奴はヒマを持て余しているし、遊ぶ奴は忙しくても遊んでいる。『もっと遊べ』というのは上からやってもダメで、これは消費には結びつかない。プレミア・フライデーなどあっという間に跡形もなくなった。
 一方で本業が楽になると、もっと稼ぎたいとばかりにアルバイト的に仕事を増やす人も出てくるはずで、こういうのは概して優秀かつ貪欲、専門性の高い人だろう。通信手段はどんどん安く便利になり、すべてが『居ながらにして』できるようになれば、そういう人達はジャンルを問わずに兼業するのも当たり前。極端な例を言えば時差のないエリアでは国境を越えて日本ー東南アジアで兼業する。3時間の範囲を許容するならインド・ロシアのウラル地方まで可能だ。
 すると新しい遊び方がでてくるのか、オジさんには見当もつかない。
 先日はある報道で遠く離れている同好の人達がスカイプでそれぞれの顔を見ながらビール等を飲む”仮想飲み会”があることを知った。5人くらいでやっている人達は、それなりに楽しそう。しかし僕がやるとしたら相手は誰だろう。
 結局そういう相手は思い浮かばない。僕の世代まではそうまでして一緒に飲まない。そういう飲み会ができる人達はコミュニケーションの物理的距離とは切り離されているのだろう。
 僕は定期的に集る「会」を幾つか持っているが、エリアと密接にかかわっている。僕達旧世代は遊んだり飲んだりする際もそう簡単に空間を飛び越えられないことが分かる。
 これからの老境に差しかかって、たった一人では暮らせないことは確かだが、居心地の良いエリア・コミニュケーションは、一体どの位のスペース人数が適正なのか不安だ。

 閑話休題、人間の社会的対応識別能力は150人なのだそうだ。
 ちょっと逸れるが、どのくらいの人数と付き合ってきたか考えてみよう。僕の小学校は1学年200人以上。同じ学年で仲良く遊んだことのある奴は学年ごとに5人くらいか。そのペースで行くと学生時代に『親しくつきあう』というような間柄が100人?その後は仕事にもよるが転勤有りで想定すると、単に挨拶をするだけではなく何度も酒席を共にする程度のお付き合いをした相手は300人で。合計400人。その他親族等全部ひっくるめて500人を超えることはないだろうと思う。
 前述の150人という識別数は、京大の山樫総長の試算、及びイギリスの人類学者であるロビン・ダンバーによって導き出された個人の対応可能な社会の個体数だ。ざっと50年で500人とつきあい、そのうち150人が都度『親しく』し、『最後に残る』くらいか。それが目下の僕は150人も頻繁には合う人はいない。試しに数えてみると、近い親族を含めても100まで達しなかった。むしろ『あのときああいう奴がいた。会うこともないだろうが二度と顔も見たくない』ような奴ばかりを5人も思い出して気分が悪くなった。

 またまた話が飛んでいくが、今日のロボット技術の発達により将来着ぐるみ型の自走式介護スーツのようなものができるとする。寝たきりにはならず、立って歩け、骨折もせず、シモの世話も自動化・衛生化されてしまうと一層ボケが進む。するとこれから識別できる人数は確実に減っていき仮に毎年1/√2(ルート二分の一)づつ減っていくと10年以内にヒトケタ(家族は除く)。昔話ばかりすることになると十人の顔はアイツとアイツか・・・。
 そういう輩が集団で暮らすとすると、それなりの嗜みが身に付くのだろうか。いじめをしない、とかね。予言めいたことを言えば『常識』に従って暮らし、日本が昔から大切にしてきた『慎み深さ』が大事になるのではないか。どっちにしたって誰かに管理されなければ生きてはいけないのはどこかで既に述べた。

 普段暮らす街はデパート・ターミナル駅まで10分。この利便性でマンションの車保有比率は半分以下。
 一方、山荘喜寿庵は歩ける範囲にコンビニはない。ゴルフ場や温泉まで車で10分、お弁当を買うHot Motto は車で5分。近所の車は一家に最低2台といった具合で、車で5分の距離を歩くことはなくなるようだ。歩いているのは散歩のオジサン・オバサンがせいぜい、従って人通りは益々少なくなり夜は歩いている人は滅多にいない。
 いよいよ体も効かなくなってしまえば所詮”見るだけ”で個人も社会も希薄な空気の中で漂ってしまう。
 そのとき東京と喜寿庵のどちらにいた方がバランス良くくらせるのだろう。

 ところが、だ。20年後にどんな通信手段が発達して便利さは増すものの、コッチの頭脳は桃源郷に遊ぶ頃。半径10m以内の世界で事足りる。わー!

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Categories:2021年の安寧

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