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戦争を伝えるシンポジウム 

2018 DEC 5 22:22:28 pm by 西室 建

 さるシンポジウムに出かけた。『戦争体験を伝えたい』と題されて4人が登壇して順番に話す形式だった。3人が79~80才、お一人は90という大先輩達の、いささか重いテーマである。聴衆は概して僕よりも上の人が多く若い人は2~3人、それもなぜか現役高校生だった。
 その79~80と思しき御三方は同級生、即ち『戦争経験』と言っても『空襲経験』や『引き揚げ経験』なのだ。まあ、悲惨な体験のオンパレードだった。
 東京の柴又に疎開したところ、3月10日の東京大空襲によって本所の実家が被災し、ご尊父を亡くされた方。この方は3人兄弟でお兄さんは4っつ上、弟は3才下。お兄さんは本所までお父さんを探しに行った際のあまりの死体の多さと悲惨な状況が大トラウマになって、内省拒否症状(振り返りが困難になることらしい)になってしまった事、片時も母親からはなれなかった弟さんが愛着過剰による自律(ママ、自立か?)困難の症状を呈した事を語られた。この方は発達心理学を専門にしていたそうである。
 お二人目は水戸に疎開して艦載機の機銃掃射を受ける。B29の絨毯爆撃はスピードの違いもあって空襲警報が鳴ってから暫く時間があったが、艦載機は最初から低空でやってきてバリバリ撃ちまくりながら鹿島灘方面に飛んでいく、路上を狙って来るので田んぼの中を泥まみれで逃げ回る、物凄い恐怖感だったと。
 そして水戸は8月2日に夜間空襲を受け、防空壕に逃げる途中至近距離に焼夷弾が落ちた。幸運にもそれは不発弾で、左側に落ちた焼夷弾がバウンドした、というのだが、話が恐ろしくリアルだ。破裂していたら無論のことその方は跡形も無かったろう。
 三人目は外地、大連で終戦を迎えた。大連は8月22日にソ連戦車軍団が進駐し、いきなりその日から将校はホールド・アップ、兵隊は強盗・暴行に励む獣のような軍隊だったという。
 不思議な事に水道・電気・交通機関といった都市インフラは(誰も金を払える状況でないにもかかわらず)機能しており、10月には小学校は再開される。そして翌年に引き揚げ。その間、物資は豊富にあるのだが、中国語が印刷されたソ連軍票のインフレや売り食い生活の困難は鬼気迫る。
 特に興味を引かれたのは日本人同士の対立。敗戦直後の大連で、なぜか日本人労働組合が結成される。あまり表に出てこない話だが、やはり混乱期に乗じた政治的勢力の工作があったのではないか。なぜか人民裁判や強制徴収といったことが行われたそうだ。そして、その報復に引き揚げ船内で強烈なリンチがあったということが喧伝されているが、そんなことは見た人も聞いた人もいない、と強調された。すなわちそれらはバイアスのかかったプロパガンダであるという立場だ。日本人の弱さ、と表現されたが”人間の弱さ”なのだと思って聞いた。
 上記3人の先輩方の話は一方的にやられた経験で、揃ってその後の民主教育はこの悲惨な状況を踏まえて、新生日本を作り上げていく希望に満ちていた、という思いを込めて語る。そして戦争はしてはならない、現在の日本の政治状況は危ない方向に向かっているのではないか、と静かに述べられた。
 トリを勤めたのは御年90歳ながら矍鑠とした翁である。海軍兵学校生徒で終戦を迎え、原爆の後の広島の惨状を語り、後半はもっぱら戦後の思想遍歴についてのお話だった。実は丸山真男の系列で、一時共産党にも入党していたそうである。
 そして、昭和天皇の戦争責任について。最晩年の御言葉の中に『言葉のアヤ』という表現があったことを重く論評されたが、これには参った。
 総じて皆さん憲法改正に警鐘を鳴らしておられるのだが、国際情勢の急激な変化に現憲法で充分対応可能かは別の問題と考える。無論諸先輩の体験は『日本はあのような戦争はしない』という国是に生かされなければならない。
 しかしながら北の国の核武装、中国の覇権、南北半島の複雑な動き、といった新たな問題が既に我が国を締め上げていることも事実だ。

 フォーラムが終わって懇親の席に移り歓談が始まった。
 私は一人座って所在無げな最後のパネラーである九十翁の元に行った。ある言葉にピンときたからだ。ご挨拶し、姓名を名乗ると怪訝そうに私を見つめる。来歴について自己紹介をした。すると、
『キミはアイツの息子か!アイツの息子がオレの後輩だったのか』
 と相好を崩された。
 話は一気に講話で触れたある人物のディテールに入り込んでいった。
 海軍大尉、田結保。海兵71期をトップの成績で卒業し恩賜の短剣を下賜された秀才だが、レイテ沖海戦で重巡洋艦『筑摩』の分隊長として戦死。戦後、その高潔な人格と高い見識を偲ぶ文章が一部に発表されたことで知る人ぞ知る。元通産次官杉山和男による『海軍大尉 田結保』や元警視総監土田国保の記述にもその名を留めている。土田国保は海軍予備学生で戦艦武蔵に乗った時、士官室でその謦咳に触れた。
 戦時下の昭和19年2月、田結大尉が(当時は中尉か?)休暇で上京した折に母校を訪ね、現役中学生(旧制)であるパネラーの九十翁他の後輩達に(上記杉山氏もいた)静かに語りかけた言葉が残っている。こういう海軍士官がいたとは。
「海兵や陸士に行くばかりでなく、国につくすには色々な道がある」
「諸君は戦時下でも落ち着いて勉強して欲しい」
「本校の校風は『自由』であり、それは素晴らしいことである」
 実はこの田結大尉には妹さんがいて、亡き母の女学校の同級生。拙ブログ

藤の人々 (昭和編)


 の最後に勇ましい事を言う気丈な女学生のモデルである。

 他にそんな話をする者がいないため、翁との会話は弾んだ。調子に乗った私は『最後の昭和天皇に対する論評には参りました』と言った。
 翁はそれまで細めていた目を大きく開いてはっきりと
「キミなんかはそうか。フム、オレは左翼だからな」
 と言ってニヤリと笑った。お前なんかにわかってたまるか、と顔に書いてあった。どうにも怒られているようで具合が悪かったが、こちらもとっくに還暦過ぎて今更保守を止めるわけにもいかない。先輩に鍛えていただいたことに感謝のみである。

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Categories:遠い光景

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