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J・D・サリンジャー先生の謎かけ

2019 NOV 9 1:01:40 am by 西 牟呂雄

 大変人気のあるアメリカ人作家J・D・サリンジャーがしばしば目に入るこの頃だ。名作『キャッチャー・イン・ザ・ライ』はいまだに良く売れているし。
 さる所でサリンジャーについて、英文学者が考察を加えながら自身の翻訳を朗読するイベントがあったので聞きに行った。
 サリンジャーは1919年生まれで、1940年に作家デビュー。この時期世界は大変な事になっていて、先の大戦に巻き込まれ陸軍に志願入隊した。そして史上最大の作戦、ノルマンディー上陸に参加している。
 終戦後に作家活動を再開。『キャッチャー・イン・ザ・ライ』を発表する。
 グチャグチャに焼け野原にされた東京と違って、全く無傷で戦勝国のニューヨークではこういった青春の葛藤がベスト・セラーになっていた。東京エリアでそういった波が盛り上がるのは更に5年ほど経った(作風は違うが)『太陽の季節』まで待たなければならなかった。
 イベントでは、僕が未読の短編が紹介され翻訳が朗読された。
 サリンジャーにおいて顕著なのは、無垢なるものへの愛情と憧憬という、ある意味アメリカ文学の主流の流れである、と言った解説があった。ストーリーはともかく、若い人たちの会話の描写が見事である、と。
 これはイベントの参加者がほとんど原文で読んだことのある人達の集まりだから、スムースに受け入れられたようだ。しかし僕程度の読み手ではこのニュアンスは解説抜きにはわからない。いやむしろイノセンスを映し出しているはずの若者も10代後半の学生なのが引っ掛かる。アメリカ人の10代後半と言えば肉体的には既に成熟してしまい、もはや無垢でも何でもなくなっている。となると・・・。

 突然話がかわるが、先日病気療養中に近所の公園に散歩に行ってベンチに座っていた。そこへ保育園の先生が、10人くらいの園児を引率して来た。あれは3~4歳だろうか、チビ供がピヨピヨといった感じで一列に歩いて来てこれから遊ぶところ。
 揃いの上っ張りと帽子で他の親に連れられた子供よりも目立つようにしてあった。チビ達は勝手に走ったりどこに行くか分からないので、先生は3人かかりだ。
 しばらくして鬼ごっこか何かをするのだろうか、二人一組になり始めたが、中に一人なかなか相手が決まらない子がいた。男の子だ。困って行ったり来たりしている。それでも決まらないでいると、先生が気付いて相手を選んで組ませた。
 わかった。その子は新参者だろう。引越しかなんかで最近この保育園に入ったのでまだ仲良しの仲間がいないのだ。どうもぎこちないのはそうに違いない。
 チビでも集団の中にはヒエラルキーと相性があって、どうしても初めて見る顔には警戒感がある。新参者の方も今までと違うということは瞬時に分かって、その集団に戸惑ってしまう。昔であればすぐケンカだ。
 その二人一組のお遊びが終わって自由時間にでもなったのか、三々五々と固まりになって隅っこに行くなり鳩を追いかけるなりと、3つのグループに分かれた。すると案の定例の子はどこにも属せず一人で走って行ったりこっちのグループを遠くから眺めてみたりとウロウロしている。チョット佇んでは走って移動する。表情はどうかとジッと目で追いかけて見ていると、何とニコニコとしていた。
 しかし、あれは楽しいんじゃない。泣き出したいくらいだろう。あの子はあの子なりに、自分もみんなと同じに遊んでいる、というアピールをしているのだ。一人でポツンとしていれば目立ってしまう。なるべく風景の中に溶け込もうとしているのに違いない。変に先生から構われたくないという思いが伝わってくる。『ボクも入れて』の一言がすぐに言える程コミニュケーション能力がまだ備わっていない。周りに知っている顔がいない恐怖感。心細いのを笑って誤魔化すような気持ちは想像に難くない。
 このチビのいじらしい振る舞いは、はたしてイノセントなのだろうか。うがった見方をすれば、無い知恵を振り絞って必死に世間との折り合いを探っている、いやな言い方をすれば打算・媚が無いとは言えないのではないか。

 関係ない話を長々としたが、サリンジャーは『キャッチャー・イン・ザ・ライ』で主人公に語らせた守る対象も、あるいはそう語る主人公ですら、実はインオセントな存在ではない、ということに気が付いてしまった、という仮説はどうだろう。
 サリンジャーが一生懸命に、『ほら、そっちは崖だろ』『こっちでは道に迷う』と助けようとする者達が、既にっ助ける対象でなくなっていて、そんな行為そのものがバカバカしい事に過ぎないとすれば(1940年代で既に)、自分の作品が真実ではないことの上に成り立っている、という疑問に耐えられなくなって隠遁生活に逃げ出した。有り得ないか?イベントで聞いていると、サリンジャーという人は直ぐに激怒するような激しい気質、今でいうプッツン・オヤジだったらしい。すなわち、自分のプッツンして引っ込んでしまった、とかね。
 隠遁と言っても街の人とは結構いい付き合いをしていたようで、知り合った若い女性と暮らしたりしていた。
 洋の東西を問わず、あまりに『青春』を追求し過ぎる作家は他のテーマに乗り移れないで、所謂『文豪』という終わり方にならないようだ。酸いも甘いもかみ分ける、とはいかず、つまらない女や男に引っかかって自殺するケースも多い。

 ところでもう一つ。
 今更であるが、なぜ『ライ麦畑でつかまえて』なのだろう。より正確には『ライ麦畑で捕まえる』とか『ライ麦畑で守る人』だと思うので、質問コーナーで聞いてみたかったが、他の人達があまりに面倒な質問をしていたのでやめた。
 時代は変わる、と良く言われるが、それどころじゃない、自分も年を取って変わっていくのだ。すると同じ音楽・文学に対しても、自ずと昔とは違った感想を持つことになる。特に青春小説を読み返したという評論を寡聞にして知らない。これは一つ村上春樹訳でももう一度読んでみようか。

ブログ・スペースを借りました キャッチャー・イン・ザ・ライ

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Categories:遠い光景

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