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時を歩き続ける男 年末編

2019 DEC 31 21:21:15 pm by 西室 建

 男が歩いている。胸を張って顔はやや俯き気味にゆっくりと。低い冬の日差しの中、冷たい風に向かって一歩づつ歩いている。手はポケットに入れていて時おり目の前にかざしたり顎をなぜたりして落ち着きは無い。
 ただ、表情は目まぐるしく変わっていた。
 かすかに微笑んだりニタリとするが、どういう訳か突然涙ぐんだりひどく目を怒らせたりする。笑っているときは子供のように嬉しそうだが、悲しみに沈んだ暗い表情では絶望の中を歩いているようにも見えた。
 男は街道沿いの車の往来の多い道を歩き続け、いつしか川の土手を登った。人の往来があるのですれ違ったり追い抜かれたりしていたが、勿論知り合いのはずはない。男は目指しているところも無いらしく、まるで歩く以外には目的はない、歩くためにのみ存在しているかのようだ。そしてその間中、非常な頻度で表情が変わるのだった。
 つまり男は歩き続けるのだが、周りの状況や景色とは関係なく頭の中で色々な思いを巡らしている。それはおそらくこれからのことではなく、絶え間なく過去の何かを思い出しては笑ったり泣いたりしているに違いない。男には歩き続ける以外には未来はないと思われる。
 男にとって時間は歩くための目盛りで、それは歩き終わる時に向かう道標にすぎないだろう。周りの景色・空間はさらに現在の男には用がない。それが美しかろうが、ゴミの山であろうが。

 男は北上している。時々視界に入る海は日本海のようだ。服装はカナディアン・グース、ヨッパーにジーンズ、スニーカー、リュックサックのようなものを背負っている。年齢は60~70才くらいのオジイチャンだろう。両手には何も持たず、いやよく見れば空き缶を持っていて、時々立ち止まっては煙草を吸い、吸い殻をそこに入れている。
 どうやら幹線道路しか歩かず、横道にそれたり名所旧跡を訪ねることもしない。日が暮れる前に街中に適当な宿を見つけ泊まる。多くはビジネスホテルの看板を出しているところだ。
 チェックインすると、まず下着を着けたままシャワーを浴び、ボディ・シャンプーやら石鹸を全身に塗りたくる。そして流したあとに下着をタオルで絞ってハンガーに掛ける。翌朝までには乾くようだ。何組かの着替えは持ち歩いているようだった。そして近くのコンビニで簡単なカップ麺やおにぎりを買って夕食にしている。たまにビールを買うこともある。
 その日はどうやら城下町だったような所のシケたホテルに泊まることにして、珍しく公共交通(バス)に乗って海岸まで出た。雪が少し降ったらしく、街を外れると積もっていると思われた。
 ところで、観光地にあるような旅館では、男の怪しさに「予約はないと泊まれません」と断られる。街中のビジネスホテルを見かけると、スマホで予約を入れ、更に前払いでもしなければ宿泊できない。
 男は広い海岸に立った。

 砂浜の向こうに夕日が落ちていく。あまりの見事さに少し立ち止まり煙草に火を付けた。無論、簡易灰皿は携行している。冬の海が少し荒れていて真っ黒にみえる。水平線上には薄い雲がかかっており、夕日が沈んでしまうのはもうすぐだ。
 左に夕日を感じながら、時々雪が盛り上がっているような砂丘を右に見ながら歩くと、波の音は厳しく聞こえた。
 少し離れたところに一人、ポツンとした感じで敷物に腰を下ろし膝をかかえるようにしている髪の長い女性が座っていた。その女性はいかにも学生風の軽装で、ジーッと夕日だけを凝視していた。照らされた表情はよくわからない。色の白い人だった。
 男はそのまま歩き、とうとう夕日が雲の中に埋没してしまうと戻り始めた。
 先ほどの女性はもう姿を消していた。帰りはバスを使わず、1時間以上かけて歩いてホテルに戻った。思ったほどの積雪はなかったのだ。

 チェックアウトした時に、昨日の女性を見かけた。どうやら本格的なバック・パッカーのいでたちで、今日はとっくりのセーターにマフラー。チラッとこちらを見た後、一人でホテルを出て行った。男は後姿を見送ると、いつものように殺風景で車の行き交う幹線道路を歩きはじめる。男の表情が豊になってくる。嬉しそうに微笑んだり淋しそうになったり。
 午後になって港町に入った。そこそこの市街地で、この街に泊まろうと思うのかあたりを物色していと、蕎麦屋のチェーン店に目が止まり入る。けっこう混んでいて、食券で狐蕎麦を買いテーブルでの相席になった。座ってみると向かいの席は髪の長い女性で、軽く会釈された。男は良く分からないまま目礼して、直ぐに出された狐蕎麦を食べて席を立つ。こんな田舎でも店内は禁煙で、例の簡易灰皿で一服したかったからだ。
 それからおもむろにまた歩き出した。どうやら手ごろなホテルが無いようなのだ。1時間ほどすると道路は小高い丘を越えて行く。トンネルが見えてきた。男は疲れて腰を下ろしてしまった。しばらくすると若い女性がやはり歩いて来るではないか。女性は男に気が付くと『アッ』と声を上げた。
「オジサン。きのう海岸を歩いていたでしょう」
 男が見上げると、さっき蕎麦屋で向かいに座っていた人で、ということはきのう海岸で膝をかかえていた女性で今朝ホテルで見送った人物ということだ。
「や・・・こんにちわ。それじゃあなたきのう海岸で座っていた?」
「うん。そうだね。さっきのお蕎麦屋さんで向かい合わせだったじゃない」
「そうでした。・・・、ボクはオジサンじゃなくてオジイサンだけど」
「あはは、ずっと歩いてるんですか」
「はい」
「どこまで行くの」
「いや、決めてないんですよ」
「へー、それじゃあたしと同じか。ここからどうするの」
「まあね、道に迷うと分からなくなるから表示のある国道だけを歩きます。本当はこの街で宿を探そうとおもったんですがね」
「じゃもう少し一緒に行きましょ」
 二人連れで歩き始めた。女の荷物の方が大きいのだが、何しろ男は初老で歩みは遅い。丁度いいステップでノロノロと歩いていた。
 町外れになると田舎の街道筋を歩く者などは滅多にいない。寄せられた雪が残っている。
「おじさんは何で旅をしてるの」
「旅しかできないからですよ」
「うふ、その旅はいつ終わるのかしら。あたしは家出してるんだ。」
 男はそれには答えなかった。すると女は尋ねられた訳でもないのに身の上を話し出した。
 子供の頃から孤独だったこと、周りから見えている自分と自分が思っている現実とがいつも違うこと、よくモテたらしいが交際にはオクテだったこと、自分はカラッポな人間だと思っていることなど、合いの手を入れる間もないほど話した。かといって喋り捲るわけではなく、男が何も喋らないからポツポツと話し続けたようだった。よくみると大変に美しい顔立ちだ。
 そうこうしているうちに夕日が傾いてきてしまった。
「オジサン、もう直ぐ暗くなるよ」
「うん。早く次の町に行かないと寒いよ」
「チョット待って」
 女はスマホを取り出して地図を検索した。男も同じようにやっている。
「オジサン!どうやら泊まれるような町まで山道が続くよ」
「まずいな、弱ったってしょうがない。だけど何だか雪も降りそうだ。もう少し行こう」
 夕日を追いかけるような雲が頭上に広がっていた。低気圧が迫っているのだろう。肌寒いが、充分に湿気が感じられた。
 30分程歩き続けると、少し開けた景色になると道路沿いにホテルの看板。空室のサインが出ているいわゆるモーテルだ。まずいことにチラホラ雪が舞ってきた。二人は弱った顔で目が合った。
「オジサン。休もうよ。ああいうとこ一人じゃ行けないんでしょ」
「さあ、『休息5000円 宿泊7000円』ってばかに安いね」
 するとサーッと風が吹いてきたので、二人で走ってジタバタとチェック・インした。部屋の中はどでかいベットがあるだけ。そしてそこからガラス越しにみえる大きな浴槽が見えた。みすぼらしいモーテルだった。
 男は『チョット失礼』と言って濡れた服をハンガーに掛けるといつものように下着になって浴槽に行き、熱いシャワーを浴びながらボディシャンプを塗りたくって全身を洗った。女の方は少し驚いたようだった。下着を乾いたバスタオルで絞りながら着替えると『こうして干しておくとすぐ乾くんだ』と言う。女は笑いながら答える。
「あたしは町についたらコインランドリーを使うんだけどね。ねえ、ビールでも飲む」
 コイン式の冷蔵庫にはぎっしりとビールが冷えており、カップ麺などもある。女はコップも二つ出して並べる。
「はい。かんぱーい」
 男にとっては久しぶりのビールだ、旨かった、あっという間に飲み干して注いだ。すると女も一気飲みしている。
「ねえ、今度はおじさんの話もしてよ」
「おれ?何もないよ。不思議なんだがキミはこうして名前もわからない僕みたいなのとここで雨宿りして平気なのか」
「成り行きだよ。それでおじさんは何で歩いてるのさ」
「うーん、そりゃ色々あるわ。エイズになったから、なんて言ったらどうする」
「あーはっは、エイズなの?」
「ふふ、いい度胸だね」
「で、どうして旅を続けてるの」
「生き続けるためだよ。止まってしまうと生きているのか死んでいるのか、死んだことはないからよく分からんけど。一方でこの先に希望だの夢だのが見つかることはないし、この年だから。要するに逃げ出したんだ。これでも家族もいた、というか今もいるんだけど、連絡はとってない。向こうが探してるかどうか知らないが、多分諦めてるんじゃないかな。残りの金を持って行く、って置手紙は残したからね。ある日、あと何日歩いたりして生きていられるか勘定してみて一日幾ら使えるか割ってみたのさ。時間が区切られているのはどの生き物も同じだけど、人間は唯一死ぬことが意識できるようになっちゃったから」
「それって後どのくらいなの」
「分かるわけないじゃないか。ざっと10年のつもりだったけど。ひどいこと聞くな」
「ごめーん、でも冗談でしょ」
「お嬢ちゃんにゃかなわんな。マッいいや。とにかく時間が限られていることを自覚してないと、バカみたいにのんびりテレビ見て残りの時間が失われてしまうってことになりかねない」
「うん、うん」
「つまり時間が流れていることが分からなくなった時点で人間としての『本人』は失われる。そうなるとどうしても人の世話になるんだけど、圧倒的な善意にすがるというのも結構エネルギーが必要で、その力が枯渇すると無遠慮な態度になっちゃう。図々しく、当たり前だと思うようになるね。それがいやなんだ。もっともその段階では自分でも自分が制御できないくらいイッちゃってるかもしれないし」
「アッ、話途中だけどあたしシャワー浴びてくるから」
 と立ち上がるとバスの前にトコトコいって服を脱ぎだした。
 男は唖然とするもののどうすることもできなくて、ポカンをその姿を見ていた。真っ白な裸身が目に入るのだが、こういう場合どうすればいいのか考えあぐねているとガラス越しにバシャバシャとシャワーを浴びているのが見えた。そういえばさっきオレも似たようなことをしたんだっけ、ともう一本ビールを開けた。

 翌日、男は大きなベッドで目を覚ました。部屋に一人だけである。エアコンの前のハンガーに干した下着、自分のリュック、タバコ、空いたビール瓶。昨日の女は影も形も無い。あれは・・・。外は晴れていた。
 机の上に置き手紙。
 『おじさんの話おもしろかったよ。良く寝てたから先に行くね。その調子だったらまた会えるかもしれない。お金をワリカン分置いていくからまたね』

 つづく

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