ポツン 考
2021 APR 9 5:05:27 am by 西 牟呂雄
膝丈まで伸びた笹やススキを刈り込んで畑を少し広げ、いよいよジャガイモを撒いた。今年のテーマは共生である。昨年の暮れに得意のニンニ君(ニンニクのこと)を15株植えて、その周りをキュウリ・ナス・ピーマンでガードし、外側をジャガイモで囲むという布陣だ。
ついでに崖の傍の密林のようになった所もかなり開墾した.すると奥では自生したおそらく藤の木が複雑に絡みついた、なにやらグロテスクな姿になっていた。枝分かれしてまたその枝同士がからみつき注連縄のようになっていた。面白いのでわざわざ切ってベランダに転がしてある。活け花のオブジェにでもどうだろう、差し上げますよ。
このエリアはこの70年くらいはだれの手も入っていない崖の上で、この直下で桂川が大きく蛇行している。切り立った岩の上に土がこびり付いたような痩せた所で、こんな見事な造形をつくるのにも感心させられる。
この辺りはもうウチの敷地ではないらしく、妙な杭が打ち込んであるのだが面倒を見る人はいない。さりとて開墾しても勝手に耕す訳にもいかず意味はない。まぁ、今後の自然観察のフィールドにでもなるかどうか。ヒマに任せてログ・ハウスでも建ててみようか。
冬枯れのポッカリ空いたスペースはなぜか足元は柔らかく、長年積もった落ち葉が腐葉土になっている。この先はもう切り開けそうにないな。
振り返って母屋を見やろうとして目に留まったものがあった。今まで気が付かなかった訳ではないが、こっちのアングルからみると実に場違いなものが生えている。何だろう。僕は植物は疎いのだが、ユッカという葉っぱの先が硬くとがった観葉植物が伸びそこなったような不格好なブッシュである。
元々このあたりは檜を植えていたのだが、日当たりが悪くなり過ぎて数年前に十数本を伐採した場所だ。おそらくこいつは檜の根元にこっそりと根を張って小さくなっていたのに、檜が切り倒されていきなり人前に出てしまい、そうなったら実に居心地が悪く、植物だから殻に閉じこもることもできずに困っているに違いない。
それは人間だって場違いな思いは散々味わうし、いつも何かが足りない思いはする。こんなことではいけないと反省はしても、無理に一歩踏み出せば体に一部が持っていかれるような気がして破れかぶれになる。
えっ?お前のことだ?失礼しました。度胸任せのアドリヴ一発だけじゃだめだよね。
ともかく今まで目もくれていなかったが急に愛おしくなって水をやりましたとさ。
大きく育てよ(これ以上育つかどうか不明だが)。
その右隣に、昨年植林した桜が今満開である。
ソメイヨシノよりも遅い仙台枝垂れで、高地なので今頃が見頃である。やっと根付いたと言うのか精一杯咲いて見せるのだが、どことなく儚げなのが気に入っている。『礼』と命名している。
そしてこいつもポツン、なのだ。いっそもう2~3本並べてやった方が華やかだったかも知れない。ところが物の弾みでネコヤナギを挿し木してしまった。
そして桜が咲き柳が新芽を吹く景色を私が見ることはできそうもない・・・。
しかしこうも思うのだ。孤独であるからこそ美しくもある。この桜は好んで孤独になったわけではないが、気高く孤高を保ってこその映え方もあるだろう。
よし、こいつを見てもう一花咲かせる気になったぞ。でっ、何しようか。
「ソナー・メンバーズ・クラブのHPは ソナー・メンバーズ・クラブ
をクリックして下さい。」
Categories:和の心 喜寿庵
中島龍之
4/14/2021 | Permalink
庭に桜とは風情あっていいですね。花見酒の様子が想像できます
。