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バンコク決死の脱出

2021 JUL 17 3:03:58 am by 西 牟呂雄

 今から四半世紀も前の話。
 あれは蒸し暑いバンコクの旅が終わる日だった。まあ、いつもの事であるがひどいひどい二日酔いで水すら飲めない。そのくせ喉の乾きだけはあるので冷蔵庫のミネラルを飲み干すと次は吐き気、結局戻してしまう。
 いかんいかん、昼過ぎにはアユタヤまで行くのに、もう11時を回ったではないか。
 仕方がなく、ぬるいシャワーを浴び、着替えてロビーに降り同行のドクター・ポテトを待った。この男はクアラルンプール支店長の理学博士で、現在目覚ましい成果を上げている。シンガポールから香港・マニラまで飛び回るフット・ワークから、南方派遣軍司令官・山下奉文の『マレーの虎』をもじった『マレーの猫』と言われていた(ワタシが名付けた)。
 落ち合って外に出た途端、あまりの熱さに汗が背中を流れる。車に乗るとエアコンの効きがすごくて、さっきの汗がつめーたい冷や汗となり、気分が悪くなった。そのまま渋滞にはまること2時間で目的の工業団地についた。が、吐き気は頂点に達し、受付横のトイレに駆け込んだ。
 一般に当時の東南アジアの衛生状況は日本では考えられないくらいに劣悪だったが、躊躇しつつも吐かざるを得なかった。
 次の瞬間、ギョッとした。鮮血がサーッと流れたのだ。
 実は吐血は何回かしていた。が、それとも違う。単純な喀血は結核のように咳とともに肺から飛び散る、胃からくるやつは赤い糸状の血が混じる。それが滝と言えば大袈裟だがドバァーっと流れ落ちる血に我を失った。
 まだ40代で子供も小さいのに、ついにバンコクの薄汚いトイレでくたばるのじゃないだろうな。思わず口を手のひらで押さえた。するとアラ不思議、血は流れ続けるではないか!
 口からではなく鼻の粘膜が切れての大量の出血だった。
 鼻血だったら止まるのは早い。あたふたと処置して何食わぬ顔をして見せたが、ドクター・ポテトは目を丸くして言った。『どうしたんですか。白目がまっ赤ですよ』そりゃそうだろう。鼻の粘膜が切れるほど血が上ったのだから。
 所用を済ませての帰り道、今度は猛烈な痛みが胃のあたりに走った。ズキズキと言うのではなく、よじられるようなひねりの効いた痛みで、プロレスのストマック・クロー(胃袋掴み)を喰った時のような痛さだ。
 このエリアの日本便は真夜中に飛んで翌朝に成田着がメジャーで、バンコクやシンガポールは1泊節約した翌日にも日本で仕事ができるから、みんな良くそれを使っていた。大体フライトまでは飲んだり食ったりして過ごすのだが、それどころじゃない。
 実は僕は20代の若さで急性膵臓炎を発症し、その痛みが体に残っている。そしてこのバンコクの痛みはそれを彷彿とさせる、恐ろしいものであった。その時は40日間入院させられた。もし、再発だったらこの地の劣悪な衛生状態と貧弱な医療体制でどうなってしまうのか。想像しただけで、必ず今日のフライトに乗る決意を固めた。だが苦しい。
 とりあえずドクター・ポテトの投宿するホテルで休ませてもらうことにした。しかし鍵を受け取った後に男二人が一緒にエレベーターに乗る際に、周りのドア・ボーイやオネーチャン達が『あいつ等そういう関係か』という目付きでニタニタしながら見ていて参った。バンコクは実際そういう怪しげな人がやたらといる。
 経験上、この痛みはお湯に浸かるとやわらぐ。そこでバスタブで長いことあったまった。すると今度は喉の渇きが耐え難く、コーラなんぞをガブ飲みしては嘔吐⇒痛みのルーティーンを繰り返した。
 その間ドクター・ポテトは平然と仕事をこなし続け、大丈夫ですかの一言もない。多分、サッサと出ていかないか、ここで死なれたら面倒だ、などと思っていたに違いない。
 そうこうしているうちに少し収まったので空港に行くことにした。早く行ってクラスアップの手続きをし、前の席を確保するためだ。当時は年間20万マイル・カスタマーだったから安いチケットでもいくらでもアップできた。そして万が一のたうち回るようなことに備えて前から座席を倒されないポジションに座らなければ、と考えた。
 空港リムジンに乗って行く私を送るドクター・ポテトの顔には、道中の無事を祈る表情は全くなく、厄介払いができたという満面の笑みが浮かんでいた。
 私の難行苦行はまだ続く。何とか夜半のフライトに乗り込み、シート・ベルトを締めたのはいいが、痛みと共に喉の渇きが襲い掛かる。しかし、ここでがぶ飲みしてひどいことになったら『乗客の中にお医者様はいらっしゃいますでしょうか』とか、最悪『最寄りの空港に緊急着陸いたします』になってしまうかもしれない。それはマズい。
 悶々と苦しんでいた時、あるアイデアが浮かんだ。うがいだ。それも発砲性の飲み物でやれば少しは助かるのではなかろうか。迷わずビールを頼んだ。そしてその缶を以て畿内のトイレに向かいやってみた。おォ!快感だ。危うく飲んでしまいそうになるのを必死にこらえた。
 だが、当たり前だが即効性はあるものの本質的な渇きの解消にはなるわけがない。丸一日水を飲んでいないのだ。結局このテを使う事3度に及び、3時間程経過した。午前4時頃である。
 すると、忽然と痛みが引いているのに気が付いた。なぜか力が湧き上がって来るような体温が上がってきたような。おそるおそる今度はお湯を頼んでそーっとすこしづづ飲んでみた。飲めた!吐かない!どうやら何事もなく成田に着けそうだ。そう安心したらいつの間にか浅い眠りに落ちて、着陸した。ふー。
 スモーカーのやることはただ一つ。ゲートを出て一服付ける、胃にグーッとくるタバコだった。それからどうしたか?もちろんその足で事務所に行き仕事したさ。ドクター・ポテトに無事を伝えたところ『あーよかった、あの部屋で死なれなくて』だって。

 冒頭述べたように、これは今から四半世紀も前の話である。そして今日はと言うと実は断酒中である。目下緊急事態宣言が発布されているが、実はその日に同じ症状が出たのだ。
 折しも近日中にワクチン注射をする。いい機会だから宣言中は断酒することにした(というよりドクター・ストップがかかった)。懲りないというか何と言うか・・・・。

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