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革命のエッセンシャル・ワーカー 

2021 OCT 10 0:00:38 am by 西 牟呂雄

 コロナ禍により、エッセンシャル・ワーカー以外はテレ・ワークを、との掛け声。働き方改革も一段と進むだろう。長短いずれもがあぶり出されていいことづくめのようだが、例えば医療関係者や自衛隊・警察のように絶対にテレ・ワークにならない職業は必ずある。
 ここで突然話が変わるが、子連れ狼という漫画の原作者である小池一夫原作・小島剛夕作画の『首切り朝』という作品に熱中していた。これは山田朝右衛門という幕府の死刑執行人である公儀お様(ため)し役を主人公としたもので、今でいう実にクールな作品だった。山田朝右衛門のモデルは実在の山田浅右衛門で、代々世襲の御様御用(おためしごよう)を務めた。
 それはそれで面白い話はたくさんあるが、興味深いのは体制の変わった明治維新後も「東京府囚獄掛斬役」という役職で、別にクビになるわけでもなく死刑を執行し続けたことだ。山田家は8代目になっていた。そして刑法が死刑は絞首刑と定めたことにより、明治14年に最後の斬首をもってなくなる。しかし体制がどうなろうが役職は残ったのは、誰もやりたがらないポジションだったのだろうか。新政府もさんざん人切りはやっていたくせに、どうにも解せない。穢れた仕事だとの偏見があったのかもしれない。
 そしてそれは洋の東西を問わない。ドイツ人ヨハン・ライヒハートはワイマール共和国からナチス・ドイツを経て戦後の1949年まで死刑執行人であり続け、彼もまた偶然8代続いた執行人の家系であった。
 ナチ党員であったため、戦後は逮捕されランツベルク刑務所にいた。ここはミュンヘン一揆でヒトラーが収監され『我が闘争』を口述させたところでもある。ところが、連合国は裁判を行い、結果不思議なことに「死刑執行人としての義務を遂行したものである」として無罪になる。そして大勢のナチス戦犯を処刑するために連合軍に再雇用され、連合軍が表向き去った後の1949年までその職にあった。3千人を超える執行をしたというから世界記録ではなかろうか。この人もどんな体制でも職務に忠実だった。ただし市民からは嫌われていたらしい。気の毒では、ある。
 そして、ライヒハートの記録に迫っていた、いや彼の出現まで処刑数世界1と考えられていたのは隣のフランスのシャルル・アンリ・サンソン。
 こちらはフランス革命の真っ最中にその職にあったので、彼にクビを刎ねられたのは有名人がザクザク。ルイ16世とマリー・アントワネットをやったのはサンソンである。
 御承知のように革命政府はその精神は別にしてもやたらと内部闘争に明け暮れ、特にロベスピエール・サン=ジュストのコンビは対立したジロンド党のコルデーや、同じジャコバンのダントンまで片っ端から殺しまくった。あまりに死刑執行が多すぎて、従来の大型で鉈のような剣を使っていては間に合わなくなって発明されたのがギロチン台である。従ってサンソンも途中からはギロチンの縄を引っ張るだけで済んだ。挙句の果てにロベスピエールもサン=ジュストもサンソンの手によって断頭台行きとなる。
 死刑執行人はムッシュ・ド・パリという肩書なのだが身分は低く、これまた世襲なのだ。やはり好んでその役職には就くものではないのだろう。シャルル・サンソンはサンソン家の4代目に当たる。同じように山田浅右衛門も公儀お抱えだが、正式な幕臣ではなく浪人の扱いであった。
 ただしその分ギャラは良かったようで、おまけにサイド・ビジネスで大儲けしていた。サンソンはやや怪しげな医者のようなことをし、山田家は人丹を売っていたという。

 彼らはあの激しい革命を潜り抜けてサバイヴした。革命も後片付けは必要ということか。

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Categories:列伝

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