喜寿庵の日没
2022 JAN 16 0:00:53 am by 西 牟呂雄
しばしばブログ・ネタにもしている喜寿庵は、祖父がひいおばあさんの喜寿を祝うために普請道楽で建てた山荘である。凝り性だった祖父は、家相に拘り表門を東に向けるために私道をしつらえたり、庭に大石をヨイトマケで引きずり上げたりと大変な入れ込みようだったらしい。
この祖父はよくわからない人で、京都帝大に学んだ当時のインテリではあったが、奇行で有名であった。満州旅行で仕立てたジナ服や、やりもしない乗馬服で街を闊歩していた。伯父から聞いた話だが、一緒に歩いていて『暑い』といきなり川に飛び込んだり、一時弓に凝ったときは巻藁に幼い伯父を乗せて矢を打ち込んだりしたそうだ。
更に喜寿庵を整理していて最近分かったことだが、理系の高校を出ながら京大は経済学部に入り、しかも中退していた。あくまで推測だが、左傾しかけてひい爺様に辞めさせられたのではないかと睨んでいる。
そもそもなぜこの場所に建てたか、といえば桂川渓谷の借景だと伝わっている。写真は冬至の頃の日没で、ちょうど山の端が重なり合った谷間に落ちる光景に惚れ込んだと。
確かに、夕日が山にかかってからほんの10分ほどはため息が出るほど美しい。様々な思い出が脳裏をよぎる瞬間だ。ただ不思議なもので、この光景を見ながら嬉しさがこみ上げてきたような記憶はない、忘れている。この先どうなってしまうだろう、と途方に暮れたことばかりが残っている。例えば癌を宣告された時とかだ。
更に恥ずかしい話だが、この光景に向かって『チクショー、何が何でも成し遂げてやる』とか『今に見ていろよ』等と高揚したことも全くない。挫折は何度も味わっているが、そっちがダメならコッチにするか、的な気楽さで交わしてしまったように思う。
話は変わるが、法然上人は西方に沈みゆく夕日を見ながら、阿弥陀如来のおわす極楽浄土を観想するという修行をした。日観想という。
今更この年で人格が向上するとも思えないが、この山間に日が落ちている時期に2~3回やってみたが、何も見えてこなかった。思えば努力・我慢・反省とは無縁な人生を送って来たのだ、これではいかん。
そこで今後5年の目標を作ることにした。年ごとに計画を立ててみた。
ある目標を作ってみたが、ちょっと書くのはははかられる。ただ、それにアプローチする方法は、一人でやる、ゆっくりとやるということだ。形が見えてくるのは今から1年後かな。
まず今年。酒を止める・・・、ダメだ。
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Categories:和の心 喜寿庵
中島龍之
1/17/2022 | Permalink
やはり酒を取っては西牟呂さんじゃないですね。無理せず楽に生きましょう。お釈迦様もそれを求めてないでしょう。喜寿庵からの山に落ちる夕日はいいですね。この光景には日本酒ですね。