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海に眠る魂

2024 AUG 4 0:00:17 am by 西 牟呂雄

 以前ブログでも紹介したことがある。

海の上の人生 ホントかよ

海でしか生きられなかった人、通称『鮫さん』が亡くなった。先日は山荘で知り合った『ヒョッコリ先生』を弔ったばかりでいささか参った。
 鮫さんは遠縁の親族が荼毘に付したが入るお墓が無かったようで、僕たち海の知り合いがホーム・ポートの沖合に散骨することになった。

手作り献花台

 某日、我が艇のスターンに献花台を置いて生前親しく付き合った数名がお別れをした。写真は今から15年ほど前に4人のクルーで大平洋を横断した時のものを飾った。三浦から33日でサンフランシスコに無事着いた記念写真である。

 出艇すると相模湾は快晴の無風.
 献花してもらった花をたくさん積んで沖に出た。
 僕はそんなに深い付き合いではなかったが、あの独特の人柄がこの海から消えてしまったと思えばさびしい。
 ポイントに来ると仲間の船が7~8艇集まって来て、散骨が始まった。

 箱から遺骨を少しづつ海にながしていき、船団が周りを回航しながら花を添えた。広い海の一角に花の渦巻きが出現したようだった。
 鮫さんは下戸だったのだが、ビールや焼酎をトスして、もう二日酔いもしないだろうからたくさん飲んでくれ、と海に落とす。
 一斉に各艇がマリン・ホーンを長音で鳴らす。
 ファーン、という大音量に送られて鮫さんは大好きな海に眠った。痛みも苦しみもない水底に。

 港に戻って思い出話をしたが、鮫さんのプライベートは謎に包まれている。船のオーナーではなく、仕事が何だったのかも誰も知らなかった。一種のプロのヨット乗りとも言えるだろうが、白石康次郎とか斎藤実ほどの職業的なポジションにあるとも思えない。
 最後は自室で倒れているところを発見されて病院に担ぎ込まれ、一時回復したものの退院することなく亡くなった。即ち、自由と孤独の中で天寿を全うしたともいえる。
 この『自由』と『孤独』は表裏一体のようなもので、自由に死ぬ場合には孤独が必要なのだ。
 鮫さんの場合、極端に言ってしまえば病院に行くことは本意ではなく、そこで最先端の延命治療を拒否できなかったのは痛恨の極みではなかったのか。

 散骨ポイントは、実は過去に何回も行われたところだった。古くは麻生元総理の弟さんも海難事故にあって亡くなったあたりである。
『あの辺で釣れる魚は人骨を食べたりもするだろうからカルシウムは豊富だったりして』
『あの人下戸だったけど、今頃は竜宮城で鯛や平目の舞い踊りを楽しんでるな』

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Categories:ヨット

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