僕は保守派
2024 AUG 11 21:21:01 pm by 西 牟呂雄
「世界は、絶えざる運動の中にあるのではない。むしろ、それが耐久性を持ち、相対的な永続性をもっているからこそ、人間はそこに現れ、そこから消えることができるのである。言い換えれば、世界は、そこに個人が現れる以前に存在し、彼がそこを去ったのちにも生き残る。人間の生と死はこのような世界を前提としているのである」
思想家ハンナ・アーレントの言葉である。『全体主義の起源』で名高いアーレントの評価は一旦置くとして、このところの筆者にとってこの言葉はズッシリと腑に落ちた。
ここで『運動』と表現されているのは、例えば世界史の潮流として現れる社会運動や思想的流行、更に技術開発に伴う構造変化といったものまで大きく網羅していると考えられる。
例えばグローバル化が進行した、世界は右傾化したといった流れはその時々で観察されるものの、溶液の中の酸化・還元が繰り返されていながら一定の均衡状態を保つようにバランズするごとし、と読み解ける。その中で個人は繰り返し現れては消えていくが、集団としての動的平衡は保たれる。
無論個人の内在する葛藤やら感情はそれぞれだが、ピースの一つとしてアーレントのいう『耐久性を持ち、永続性をもっている』ところに光をあてればいかなる凡人の人生でも光輝く。
即ち、相矛盾する事象といえども現実に共存することはごく自然なことで、人間も社会もそうあることこそ自然体だとも言える。
筆者はかつてそのような考え方について『川の流れの方が流れることによって学習し、流れに潤っている生きとし生けるものは施しを受けているに過ぎないと。流れの水が大地の形から自然の造形を記憶しているのではないか』と表現してみた。
このブログはそれを言語化しようとした失敗作だが、6年前はといえばすでに還暦を過ぎていたにもかかわらず、この程度の考察しかできていない。
それがアーレントの言葉をもって安寧を得た。
障害物に当たった個人は自分と世界の関係を理論化しようとして現実否定のイデオロギーを作り出そうとするが、それは理性の傲慢であり、理性は必ず過去の習慣や先入観に育まれているから、それらを完全に否定すれば方向性をも見失う。それゆえ社会というものは(この場合筆者の好みで言えば保守主義というものは)手入れを怠らずに鍛えに鍛えても漸進的にしか変わらないのだ。
翻って、バブルの崩壊以後、少子高齢化、就職氷河期、財政健全化、非正規拡大、不法外国人労働者、郵政民営化と30年を失っている間に様々な『運動』があったのだが、その間『改革』と称して俎上に上ったもので効果があったのは『異次元の緩和』くらいだろうか。民主党政権や小泉改革とは何だったのか。
議論は色々あろうが、そうであれば故安部元総理を除けばほとんどがアーレントの視点を欠いた小手先の『改革』でしかなかったと言えるのではないか。筆者でさえもその視点を6年前は持ち得なかったのだ。
「ソナー・メンバーズ・クラブのHPは ソナー・メンバーズ・クラブ
をクリックして下さい。」
Categories:遠い光景