Sonar Members Club No.36

Since July 2013

昭和99年9月9日

2024 SEP 16 15:15:35 pm by 西 牟呂雄

 恐ろしや恐ろしや。9月1日はかの関東大震災の激甚大災害の日として永遠に記憶される日であるが、私はその前日に喜寿庵に向かった。
 中央道に乗った途端、『カッ』と音がする。何か当たったのかと思ったらフロントガラスの右端に小さなヒビが入っていた。なんだよ、小石でも跳ね上げたのか。まぁ、いいや、とそのまま車を飛ばしたところ、その小さなヒビは見る見るうちに音もなく進んでいくではないか。着くころにはフロントの半分くらいに達していた。
 そのヒビの進行は、どうも車にあるたわみが発生したとき、スッといった感じで数センチくらい進む。このままでは端から一直線に亀裂が生じそうになって慌てた。
 何とかスピードを落としながらたどり着いて事なきを得たが(問題は全く解決していないものの)いやな気持で寝入った。
 翌、9月1日は防災の日である。しかし二日酔いにより昼前まで熟睡していた私は、何かが落下したような大きな音で目が覚めた。屋根でも落ちたのかと周りを見ても何もない。おかしいな、と思いつつボケた頭でテレビをつけると、ローカル・ニュースでちょうど速報が流れた、富士五湖地方で震度4の地震!地震も近いとあんな音がするものなのか。
 関東大震災の震央がどこか、というのはいくつかの説があって、その一つに富士河口湖という説がある。あそこが震源で巨大地震が発生したら、崖の上のここはイチコロ。ましてやそれが富士山の噴火でも引き起こした日には噴火口の向きによってはこの辺全滅だ。宝永の噴火の時は東を向いていたので助かった。
 話は戻って、9月1日は台風通過後の土砂降りだった。桂川は茶色く濁った濁流となり、川幅一杯まで水量が増えた。ここは10m以上ある崖の上だから水害の心配はないものの、ニュースではしきりに土砂崩れを伝えている。多少気になって捨てようとした割りばしを崖っぷちに差し込んでみた。すると気味の悪いことにスーッと刺さってしまうではないか。要するにスカスカな土壌の上にいることになり、地震の衝撃とそれに伴う土砂崩れの二重のリスクにさらされ続けているわけだ。

 ほうほうの体で帰京し(無論ガラスのヒビに注意を払いつつ)どんなものかとディーラーに寄った。因みにここで買った3台を廃車にしてしまい、どうも私のことを秘かに『廃車王』と呼んでカモにしていることを知っている。ナメられてたまるか、と気迫を以て乗り付けた。
『この傷、まだ持つかなぁ』
と白々しく聞くと、待ってましたとばかりにまくしたてられた。
『冗談じゃないですよ。ほっといたら全面ヒビだらけになって真っ白になりますよ。今のガラスは簡単に砕けちゃくれませんからね、運転どころじゃない。しかもこのシトロエン、もう型落ちしてフロントの在庫が国内にあるかどうか・・・。アッ、それどころか車検もう切れますよ。気が付いてよかった。前が見えなくなって事故っておまけに車検切れだったら下手すると交通刑務所行きですね』
 勝負は一瞬にして決まり、車はそのまま引き取られ、又も法外な金を取られることに。

 艱難辛苦はまだ続く。さる事情により仏壇を修理に出すことになった。実は喜寿庵にある古い仏壇を処分して、もっと小ぶりな可愛いものに変えようと考え業者を呼んだのだった。今から考えるとこれが間違いの元と言えなくもない。
 この仏壇は私から3代前の曾爺様が拵えたもので喜寿庵よりも古いから始末に悪い。現れた仏壇屋は抑揚たっぷりにこう言った。
『何ですかこれは。いや驚いた、こんなもん今じゃ作れませんよ。第一職人がもういない。捨てる?冗談じゃありませんよご主人』
『引き取ってもらえませんか』
『お勧めできませんね。これはだれがお作りになったのですか』
『私の3代前ですが』
『ご主人はおいくつなんですか』
『もう古希ですよ』
『では明治時代の造りですね。うん、京都に関係ありますか。これは関東ではできません』
『ありますね』
 しばらくこの調子が続いた。結局仏壇屋さんの熱意に負けて修理に出すことに。
 ご案内の通り、仏壇というのはものすごく重く作ってある。そして、これは知らなかったのだが組み立て式になっていて、全部解体できるのだ。そこで一緒になって解体してヨッコロショッとばかりに取り合えず庭まで運んだ。すると裏側に墨痕鮮やかに『明治廿壱年 〇〇〇〇〇出展』などと書いてある。ここでまた仏壇屋のオベンチャラが始まった。
『ははあ、この年の出展というと江戸期の職人さんが油の乗り切った時代に造ってますから云々』
 もうわかったよ。
 更なる衝撃はその下の台の部分にあった。一番下の台をずらしたところ巨大なネズミのミイラがペシャンコになって姿を現したのだ。一同『アッ!』と声を上げ、今にも動きそうなそのミイラに腰が抜けた。その証拠にそれまで部品を写メで撮っていた業者も私も写すのを忘れた。
 落ち着いてから、なぜこのデカさのネズミでここに死んでいるのか皆で話した。最も恐ろしい仮説は、体の小さかった頃に忍び込んで、クモとかゴキブリを食べて体が大きくなって出られなくなり、それを支えるだけのエサにありつけずに餓死した、というものだった。そうだとすればこのネズミ存命中にこいつに向かって手を合わせてお線香をあげていたことになる。無論不愉快千万だが、ネズミは成仏したことだろう。

 この日は9月9日の月曜日だった。ん?待てよ。今年は昭和換算では99年では。9999の並びとは、あのネズ公はダミアンか。
 その後、仏壇修理代と車の見積もりに苦しめられている。更にこれから・・・・。

「ソナー・メンバーズ・クラブのHPは ソナー・メンバーズ・クラブ
をクリックして下さい。」

Categories:和の心 喜寿庵

▲TOPへ戻る

厳選動画のご紹介

SMCはこれからの人達を応援します。
様々な才能を動画にアップするNEXTYLEと提携して紹介しています。

ライフLife Documentary_banner
加地卓
金巻芳俊