台湾旅情(センチメンタル・ジャーニー)
2024 NOV 2 11:11:41 am by 西 牟呂雄
また台湾・松山空港に降り立った。風が熱い。
随分と苦労をかけた懐かしい友、しばらく会っていない親戚のおじさん、そんな人に会うような気持で大好きな台湾にやってきた。仕事といえば仕事なんだが、マッそこはヤボ用ってやつで。
ところですっかり死語となった感のある故安倍総理が提唱した『自由と繁栄のカーヴ』をご記憶か。僕はその頃、毎月のように台湾・フィリピン・マレーシア・インドネシアを飛び回り、その後中国に工場を稼働させてベトナムにも足を延ばしていた。その間にまず米軍がフィリピンの基地を閉鎖し、大陸は台湾沖に大陸からミサイルを打った(もっともそのミサイルは空砲だったのだが)。
その経験から『自由と繁栄のカーヴ』は日本の産業の海外展開の最前線だという実感があった。まぁその分国内は失われた時間が経過したのだが。
だが、その後国際関係は比べ物にならないほど変わってしまった。大陸は露骨に食指を伸ばし、ロシアは戦争を始めて日本との関係が悪化し、南北の半島は敵対した。まぁ半島は政権が変われ反日をやるだろうからほっといていいが、台湾有事はほってはおけない。すなわち安全保障上の概念においても『自由と繁栄のカーヴ』が可視化された。日本ー台湾ーフィリピンーマレーシアーインドネシアのラインである。
岸田総理は最後にいい仕事をして,護衛艦に台湾海峡を通過させた。台湾有事に日本は黙っているわけじゃないことを示し(いや、戦争するわけじゃないですよ)、元々親日の台湾をグッと引き寄せたのだ。僕が足しげく通っていた頃の台湾の印象は、一言で言えば『いじらしい』に尽きる。李登輝という巧みな指導者の元、毅然と大陸に対峙しつつ民主化のプロセスを進めていた。
先日、中国海軍がぐるりと台湾を囲むような海域で演習をしたばかりだが、街の雰囲気は落ち着いていた。と言うよりはむしろ活気を感じた。下世話な話で恐縮だが、若い女性がキレイだ。以前に比べてファッションが垢抜けたのか、お化粧が上手になったのか。みんな足が長く見えるようなプロポーションを強調するいで立ちで、暑いせいもあるだろうが露出度も大きい。実に健康的で溌溂とした印象。
ヤボ用(お客さん並びに提携先)の相手も、20年前は『日本の技術を教えてもらう』『日本から買った方が安心する』という感じが前面に出ていたが、今は『もう同じことぐらいはできる』『日本だけに頼らなくとも自分たちでできる』と(露骨に口に出しては言わないが)変わって来た印象だ。
事実、TSMCはファウンドリーという独自の事業モデルを進化させ日本に逆上陸した。TSMCは半導体上工程だが、下工程の組み立てラインもコスト競争力では世界一である。
街はきれいになって、昔見かけたスラムなどどこにもない。常宿にしていたリージェント・ホテルの前にあった場所を整理していたが、忽然と鳥居が出現してびっくりした。台湾総督としてこの地で亡くなった明石元二郎陸軍大将台湾総督の墓だと知った。
単なる印象でしかないものの、勢いが伝わってくる実感があり、一人当たりGDPは日本より上かもしれない。
今回は今までほとんどしたことのない観光もやってみた。
まずはレトロ・タイペイの商店街。観光スポットらしく人でごった返している。いきなりこのエリアの守り神的な神様だか仏様があったのでお参り。
おそらくツアー・コースに入っているのだろう。団体の日本人が大勢いて、ほとんどの店で日本語が通じた。自分のためにカラスミを買う。
他にも食材は沢山あって、ニンニクやら果物が山のように並んでいる。驚いたのは『北海道産』とわざわざ表示してある昆布、これは台湾の人が買うのだろう。
熱帯魚のような魚を売っていたが、あれは不味いのじゃないかな。
また、土産物屋ではキンキラの光物とか訳の分からない雑貨を並べていて、一体誰が買うのかと思っていたら日本人観光ツアーで来た若い女性がカエルのおもちゃを買った。どうするのだろう。旅の思い出になるのだろうか。
現地エージェントに頼んで台北近郊のシーフェン(十分)に電車で行く。
台北の混雑を抜けると、途端にのどかな田舎になる。元々平地は少ないので、都心からいきなり山梨か千葉の外房あたりに移動する感じだ。
途中の乗り換え駅では驚くべき標識を見た。
禁止事項が列挙されているが、右の一番上は何だ。
わざわざ禁止しているという事はする奴がいるのか。
まさか日本人じゃないだろうな。
それとも観光客ではなく、地元では普通のことなのか、理解に苦しむ。
さて、単線の電車をおりるとシーフェンの街である。やはり山岳地帯なので線路沿いにへばりついた様な商店街があり、そこでランタン(天燈)を飛ばして遊んだ。お土産屋さんからランタンを購入し、その4面に墨で願い事を書く。
そうして持ち上げていると店の人が下にぶら下げた燃料(良く分からなかった)に着火するとフワリと舞い上がる代物だ。
僕は一人なので他の日本人のお客さんに混ぜてもらった。皆さん諺とかこの地で見つけた標語のような漢文を書いたりしている。隣の人は『仲良きことは良き哉』などと格調高かったが、自分の番が来たら反射的に『金』と書いてしまった。ウッ・・・・情けない。
そして単線の線路に持って行って(道が狭くて飛ばせない)火を付けてもらうと。ランタンは少し上がったところで横風に流されて遠くの谷間の方に漂って行き見えなくなった。夜だったらさぞきれいだろう。やれやれ、やっぱりカネには縁が無いのか。
別のランタンは強風に煽られて民家の二階で燃えていたが、このあたりの人は慣れているのか騒ぎにはならなかった。
(この項続く)
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