台湾旅情(国家なるもの)
2024 NOV 5 0:00:37 am by 西 牟呂雄
故宮博物館には何度も行ったが、いつも全部見ることはしない。前回は国宝の青磁のみを見た。
一日かけても全館周ることなどできないのである。展示の前を通り過ぎりだけならできなくはないが、一つ一つの物語につきあっていてはとてもじゃないが無理である。
今回目を奪われたのはこの碧玉屏風。高さ180cmくらいのブルーサファイアに透かし彫りを施した屏風である。
それだけでも気が遠くなる程の逸品だがそれでは済まされない。これはしばらくの間、日本の皇室にあったのだ。
汪兆銘は様々な苦悩の末に蒋介石とたもとを分かち、南京政府を樹立した後に訪日した。その時にこの屏風を持参して昭和天皇に献上したのである。そして戦後に皇室が中華民国に返還したため、我々はここで見られることとなった。美しい屏風を通じて、汪兆銘・昭和天皇と歴史上の巨星の名前を通じ現代史を透かして見ることができる。勿論、その細やかな細部にも驚嘆すべき技が彫り込まれてもいる。
それにしても、頂いた物を『返す』とは戦後賠償の一環だったのだろうか。大英博物館だろうがルーブルだろうが、政体が変わったところで貰ったにせよかっぱらった(この方が多いだろう)にせよ返還したなど聞いたことがない。本来、正倉院にでも保管しておくのが筋かとも思うのだが、この『返還』の経緯は気になる。陛下御自身の判断か、あるいは日本国の良心なのか。
と、こういった具合に故事来歴まで辿っていてはとても1日では無理なのがお分かりいただけただろう。
お次は清朝後期の「雕象牙透花人物套球」。これは細かい象牙細工がつながっているのだが、キモは真ん中の球だ。よく見てほしい。外側の球の中にマトリョーシカのように球があり、その数21個。そして加工後に張り合わせたのではなく1個の球にまず穴を空けそこからL字型のノミを入れて内側から彫り込み細工した物、従って21個は全て回転する仕組みになっている。最深部の球の時は耳かきの様なノミで長い時間をかけて作ったそうだ。
こういう物は皇帝が命じて作ったのか名人が腕によりをかけて作って売りつけたのか、およそ常人の求めの及ぶとことではない。
もう一つ。これは個人的に最も気に入った美しい壺だ。写真は光の関係で色合いが違ってしまったようだが実物はもっと黄色い。
やはり清代の作品だが、この妖しげな光沢はどうであろう。前に立って見ていると引き込まれるなどといった表現では収まらない。
ここまでくれば『贅沢』とか『浪費』というような下から目線の感情はケチくさくて湧いても来ない。
因みに黄色は皇帝の色だそうで、皇帝の外衣である龍袍(ロンパオ)は黄色の生地に龍の文様が刺繍されている。
現在の価値で言えば何千億円もするような嗜好品を作らせるということは、もう国家の意思の範疇と言える。
我が国でもバブルなどと浮かれている時にはこれぐらいの凄まじい『贅沢』な『浪費』をしたら大変な文化遺産となったことだろう。
というのも、故宮の後に話のタネに見に行った蒋介石を顕彰する中正紀念堂(記念堂ではない)に露骨な国家の意思を感じたからだ
1975年に蒋介石が死去した後、5年の歳月をかけて建設された巨大なモニュメントで、面積1万5千平米、高さは70m。蒋介石の享年に合わせた89段の階段を登ったフロアに巨大な蒋介石の銅像が大陸に向って座している。
当時の台湾はまだ貧しく(大陸はもっとだが)民主化もされていなかった時代に、故宮の文物を愛でた国家そのものとも言えるような皇帝の真似でもしたつもりか。そういえば左右の国家戯劇院と国家音楽庁を合わせて眺めてみると紫禁城を連想させる。ついでに銅像のデカさは北の国の指導者の立像の空虚さも感じさせた。これだけのものを作って国威発揚を表現しなくともよかろうに、などという感想はやはり国家の意思とは無縁の庶民のものなのか。
夕暮れが近づくと階段の下にフェンスが置かれて人だかりがして来た。儀仗隊による国旗貢納の時間だ。足を踏み出す時に一瞬動きを止める独特の足取りで左右から進んできた。
儀仗隊の交代というものをアメリカ・ロシア・バチカン・インドで見たことがあるが、それぞれに威厳のあるものであり、この台湾のそれも見劣りはしない。
一概には言えないが、国家のなりわいは悪にもなりうるが故にしばしば軋轢をおこすのであるが、紡ぎ出した文化は後世に残る。故宮の文物は遥か後にまで人々に愛されるだろうが、巨大銅像は滑稽にすら見える。いや、建造当時のこの国の状況を鑑みれば、むしろいじらしいと思えるのだ。
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