プーチンとは何か
2025 JAN 20 19:19:51 pm by 西 牟呂雄

800ページを超える上下二巻の『プーチン』を読了。BBCの特派員としてモスクワ・ワシントン等の駐在経験のあるフィリップ・ショーが綿密な調査を元に検証した評伝である。後述の事情によりロシアとの間合いに苦慮する私にさる先輩が勧めてくれ手に取った。
未だに停戦の目途の立たない不毛の戦争を仕掛けたのは何故か。どう落とし前を付ければ気が済むのか。スパイを平気で暗殺してシラを切り、自作自演のテロをやってまで原理主義者を潰す、政敵を投獄して死に追いやる、ついに他国に侵略を始める、これらのタフな行動は一体どこに由来するのか。ロシアの新ツアーリなのか狂人か。一体どのような経験を潜り抜けてプーチンはプーチンになったのか、興味は尽きない。
筆者はクリミアの占領まではプーチンを高く評価していた。冷戦に負けて国家がデフォルトし、長い行列で細々と買い物をせざるを得なかった故、改革に舵を切ったゴルバチョフはソ連瓦解の序章を司る役目を負った。エリツインは共産党を舞台から引きずり下ろし何度かの政治的危機を乗り越えてみせたが、ソ連は無くなった。その後登場した無名の男は巧みに西側にすり寄って見せつつ何とか国家の体を整え、一時はG8としてロシアを国際社会に蘇らせたのである。
筆者はロシアとの付き合いがあった。技術を出して現地での合弁を立ち上げ、黒字を維持できるレベルまで粘り強く育ててきた。現地スタッフとの友情も育んだ。今から10年前、クリミアに部隊を展開させて住民投票に持ち込んだのは、野蛮な行為ではあったが戦術としては鮮やかだが、パートナーのロシア人達は『何もあんな何もない所を占領することもないだろうに』と言っていたものだった。
一方、今ではすっかり被害者になっているが、筆者の知る限りでは当時のポロシェンコ大統領や美人のティモシェンコ首相の腐敗ぶりは凄まじく、とてもじゃないがまともな国家と言えないレベルであった。
ただしクリミア占領後でも、あのアゾフ大隊が立て籠った製鉄所とは平気で取引ができていた。
それが侵攻作戦が始まって以来、我が国も制裁をせざるを得ず、この10年の苦労は水泡に帰した。パートナーは『恥ずかしい。合わせる顔がない』と嘆いた。飲めば大声で詩を暗唱し、クラシック音楽を愛でるロシア人達が。
危機に際して、できるだけ多面的に長期的に将来を見据えたいところだが、目下は打つ手もない。これはロシアの内在的行動と言えるものなのか。それともプーチン一人の衝動によるものか。何とかヒントが得られないものかと本書を手に取った。
プーチンの曾祖父は革命前の農奴で祖父は料理人、父は革命後の工場技術者、決して恵まれた環境で育ったわけではない。その頃のレニングラードは大戦の痕跡がまだ残り、復興には程遠い街で、犯罪も多い所である。
筆者は東京の下町で育ったが、本書の記述による戦後のレニングラードの方が、地上戦が行われた分だけ大空襲を受けた東京よりもひどい状況だったと思われる。そんな殺伐とした、行ってみればガラの悪い所でプーチンはやや問題児として少年期を過ごす。どうも周りにいたチンピラの影響を受けた喧嘩っ早いワルガキだったらしい。そして小柄な割に強かった。キレると執念深く食い下がる。この悪い癖は成人になってからも治らず、KGB時代に地下鉄でモメた挙句骨折したりしている。要するに優雅な佇まいを身に着けることなく、下品に成長した。
こういうタイプは表の世界では控えめに見せ、放課後にいろいろと画策するのが常だ。後に政界に出てきたときに『目立たない男』『全くの無名』という表現があったが、チンピラのパフオーマンスを知らない評価である。
そんな環境下でも頭のいい子供だったらしく、あちこちトラブリながらも進級を重ね、サンボと出会う。道場で知り合った仲間には、その後犯罪組織に関わった連中も多い。柔道との関わりもあったが、これはプーチン本人から日本向けに喧伝された部分が多いようだ。ただ柔道の山下とは確かに親交はあり『あなたに頼まれたら断れないな』と多少の便宜を図ったこともあった。
競技は強かった。成績も悪くはない。化学の中等専門学校に進学する。
この頃からようやく将来を考えるようになり、至極まともな動機からKGBを志望したらしい。だが、筆者が思うに、共産主義やソ連体制への忠誠心からではない。当時のミドル・クラス以下の青年がマトモな職業について安定した生活をするために最も硬い職業として志望したのではないだろうか。当時のソ連社会の貧しさや不自由な統制とはびこる犯罪者の混沌とした中からエスタブリッシュメントに這い上がる選択肢はそんなに多くはない。チンピラから脱皮して、さて何をしようかという時に目についた『職業』だったのに過ぎない。実際レニングラードKGBを訪問し、就職したいと尋ねたらしい。その時は門前払いだったが、やがてレニングラード大学法学部に進学し卒業時点でKGBスカウトされる(かつての訪問が効いたのかは不明)。
さて、KGBで勤務のかたわらプーチンは結婚をする。紹介されたスッチーだった。この結婚はプーチンにとっては計算ずくだったのだろうが、相手のリュトビラにとっては誠に息の詰まるような思いのするもののようだった。そもそも職業がKGBだとは言わなかった。プーチンの自分を見せない生活態度とロシアの農村風の家長然とした振る舞いはリュトビラには馴染みにくかったに違いない。後に離婚する。
だが、別に珍しいことではない。筆者の知るところではロシアはやたらと離婚率の高い国で、人口千人あたり4~5%だ。これは既婚夫婦の7~8割が離婚する、という先進国ではダントツ・レベルである。富裕層は不倫しまくり下々はサッサと離婚する、という印象だった。筆者と交流のあった中間層はそうでもなかったが、もっぱらDVと性的指向の不一致が多いそうだ。
また、リュトビラは『ある日主人によく似た男が帰って来たが、その男は何がどこにあるのか全く知らなかった』と発言し、これがプーチン替え玉説の根拠になったという話もある。
その後、KGBでの秘密訓練をうけて、おそらく国内での諜報・分析活動をした後、東ドイツに駐留する。この時期は今までよりも充実し(スパイ活動をしていて充実もないものだが)安定した暮らしを手に入れた。このころまでのプーチンの野心は大したことはない。本人もその上を目指す強い意志を持っていたとは思えない。しかし東ドイツにいたことは後のキャリアにとって良かったようにも見える。
なぜなら、その時期の本国はゴルバチョフ~エリツィンと冷戦敗北の大混乱期である。
歴史的考察は省くが、その混乱とはカオスそのもので権力の移動に伴いありとあらゆる裏切り・略奪・暴動からクーデター騒ぎまで起こし、デフォルトに至る三流国家になり果てたのだった。
その後、共産主義からは決別したものの、実態は国家資産のブン取り合いと経済のマフィア化だ。それがすさまじい格差と混乱を増幅して今日に至る。
その時点で帰国したプーチンはサンクト・ペテルブルグで政治デビューを果たし、次第に頭角を現しモスクワ入りする。サンクト・ペテルブルグ時代は改革派市長の右腕だった。
それにしても、本書によるロシア社会の宿痾ともいうべき汚職・腐敗は、おそらくは共産党内も凄かったのだろうが、帝政以来の伝統のように凄まじく、とても根絶できるような代物ではない。今もそうで、これからもひどくなる一方だろう。日本の裏金なぞはカワイイものだ。エマニエル・トッドが外婚制共同体家族 (息子はすべて親元に残り大家族を作る。親は子に対し権威的であり、兄弟は平等である)と分類した中国やロシアは共に共産主義と汚職の親和性が高い。
どうにも立ち行かなくなったエリツインに後継指名された時点で、ロシアはそういう国であった。
そんな中でプーチン自身は(無論真っ白ではありえないが)周りのバケモノのような腐敗体質とは一線を画していて、それなりに職務に忠実で、何とか先進国レベルに追いすがろうとする。
折しも9・11の惨事からテロ根絶にアフガニスタンに雪崩れ込んだ米軍には周辺の基地を提供する。NATOとの共存を訴えて『いっそロシアのNATO入りも可能だ』とまで言った。G7プラスロシアとしてオブザーバー参加するところまでこぎつけたのだ。
ところがこれに対し、G7側は領土問題のある安倍総理を例外として実に冷淡だった。
特にマズかったのは、イスラム系テロ集団と対峙したチェチェン問題について、やれ人道的見地だのといった理屈でネチネチ足を引っ張った。あれはワッハーブ派イスラム原理主義者で、おとなしいスンナ派の中にあってとびきり厳格ですぐにジハードを仕掛けたがる過激派である。あのビン・ラディンがそうだった。ちなみにサウジはワッハーブ派を国教とするが、侵略やテロを正当化することを禁じている。
頭にきたプーチンはいまでは公然の秘密となった自演のテロまで仕掛けて根絶に乗り出した。
歴代アメリカ大統領もブッシュからバイデンにいたるまで、ナメた態度をとり続け、ネオコンは陣取りゲームのようにジワジワとロシアに迫って来たのだ。プーチンは焦るとともに落胆したことだろう。その心中は屈辱感で一杯だったはずで、内向的なプーチンの中でマグマとなったに違いない。
このあたりから、プーチンのチェチェンやシリアへの介入は凄みを増す。戦闘員も何もなく皆殺しだ。戦闘をすることそのものが非人道的な行為であり人権もクソもない、の様相を呈し始める。
隣国であるウクライナの振る舞いはさらにプーチンをいらだたせた。すっかり被害者となって国際的な同情を集めているが、ウクライナはその腐敗っぷりといい約束の守らなさといい、決して褒められた国ではない。その国がNATO入りとはプーチンに言わせれば『片腹痛い』だろう。
この間G7唯一のアジアの国である日本は、安倍総理の巧みな外交により関係は良好であった。何しろ同じ月のうちにプーチンとトランプの両大統領と会談することができた唯一の首脳という手練れの総理。しかもどちらもヤバい筋にもかかわらず猛獣使いのように捌く。例えばソチ・オリンピック開会式への参加など、必ずプーチンの心の琴線に触れたはずだ。
筆者はこの頃に安部ートランプープーチンの三者会談が取り持たれていたら、目下の戦争は避けられたのではないかと考えている。
長引く戦闘、思うようにいかない戦況、ブリゴジンの乱、シリア放棄、さすがのプーチンも焦りが出て北朝鮮の支援まで受けた。あんな国に縋らなければならないとは、プーチンの心中はいかばかりか。中国は友好国ではあるが、プーチンは実際には中国人(ロシア語でキタイスキーという)のことを『ハエ(ロシア語でムッハ)』と呼んで嫌っている。あの長い国境の向こう側に2億人のキタイがいて、ロシア側は8百万しかいないから竹槍で来られても防げない。おまけに今の経済規模の差では下手に頼れば飲み込まれてしまう恐怖がある。その中国もインドも行き場を失ったロシア産の石油を安く買い叩く。
果たしてトランプ大統領のディール外交にプーチンは乗るだろうか。
いずれにせよ、ロシアは首都占領というような古典的勝利はあげられず、ウクライナもロシア領内の拠点は確保できまい。どちらも勝ちきれない状態が続く。
無論、戦闘を以て国境を変えるという愚行を実行したプーチンは糾弾されてしかるべきなのだ。
だが、読了後の不快感は執拗に挑発しウクライナを盾に相手国を消耗させるネオコンの悪辣さにも思いを馳せざるを得ない。散々挑発されて真珠湾をやったどこぞの国と被ってないか。
くどいようだが、大日本帝国の愚行を礼賛するつもりもサラサラない。
「ソナー・メンバーズ・クラブのHPは ソナー・メンバーズ・クラブ
をクリックして下さい。」
Categories:ロシア残照
