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オカルト近現代史観 天皇不敗仮説 

2025 FEB 19 0:00:00 am by 西 牟呂雄

 幾多の血を流し、飢え、病に侵され、最後に人類の悪夢である原爆に本土を焼かれて日本は敗れた。
 その後占領され、武装解除・人間宣言・新憲法・財閥解体・自由選挙・組合結成・数々の改革と称した洗脳を経ることになる。ウォー・ギルト・インフォメーション・プログラムである。
 物理的には完膚なきまでに負けたわけで、東京裁判批判も含め占領者としてのアメリカの悪意は十分汲み取れる。だが、諸先輩方の巧みな舵取りと努力により多少の危うさを内包しながら今日ではG7の一角を占めている。
 アメリカは占領後もヤバいとなると銀行護送船団方式を破壊し、円高を仕掛け、繊維戦争・鉄鋼戦争・自動車戦争・半導体戦争を仕掛けてきた。今更アメリカ・ファーストもないもんだ。そういう国家であり続けているに過ぎない。
 それでも、資源も無い日本がそこそこやっていけるのは何故か。国民が勤勉だとか多少のIQが優位であるとかでは語りつくせないファクターがあるに違いない。そういう分析無しに円安に振れたとか少子化による労働人口減少に解を求めても大事なことを見失うと筆者は考えている。
 ところが、国会だ官庁だ企業だと見渡してみてもシステムとして日本を下支えしているとは言えず、教育は最近はなはだあやしい。
 以下、文化的に多神教が底流にあるとはいえ宗教的に大らかである、武士道精神を尊ぶ、同調圧力に従順である、どれもしっくりこない。この調子で分析を進めるとしまいには居酒屋でのノミニュケーション文化にまで言及せざるを得ず定量化は断念した。

 石原慎太郎がどこかで聞いてきて書いていた、電車の中での若者の会話の話。余程の無知なるものなんだろうが、日米が太平洋で激突したことに及ぶと『それでどっちが勝ったのか』と聞いたのだそうだ。多分に作り話めいてはいるが、目下の状況から見て(例えばアメリカの製鉄会社を買収するとか)勘違いするバカが出ないとは限らない。
 この話でフト思いついたのは(勿論メチャクチャに負けたのだが)何か負けていなかったものがあったのかもしれないという仮説である。
 そんなものあるのかね、と思いを巡らしてたどり着いたのは、終戦を決めてポツダム宣言受け入れた御前会議の天皇陛下のお言葉だった。活字媒体で拾えた『内外の情勢、国内の情態、彼我国力戦力より判断して軽々に考えたものではない。国体については敵も認めていると思う。毛頭不安なし』のくだりだ。この『毛頭不安なし』に込められた意味を噛みしめると、ボロボロにされ占領されても日本で唯一人天皇陛下だけは負けなかったのではないか、という仮説が頭をよぎった。
 この仮説を実証しようと、敗戦後のお振舞いを追っていくと。
 マッカーサーに単独で面会し,イチコロで篭絡した。彼を自在に操り、全国巡行を打ち出す。GHQは各地で群衆に吊るしあげられると期待したが、結果は逆だった。ただ一人負けなかった昭和天皇は各地で熱狂的に迎えられる。GHQは驚き、慌て、巡行は一時中止させられる。クライマックスは原爆ドームをバックに現れた昭和天皇に向かって数万の群衆が君が代を歌い、万歳を叫んだ。
 後年、外交評論家の加瀬英明が晩年のマッカーサーを訪ねた時に『私が最も尊敬しているのは言うまでもなくテンノーヘイカだ』と聞いている。テンノーヘイカと日本語で言った後は ヒズ・マジェスティ と呼称した。
 天皇陛下の訪米に当たって(マッカーサーは既に没していた)外務省はマッカーサー未亡人との対面をさせようと画策したが、陛下は賛同しなかった。使い切った者は必要なし、ということだ。
 翻って大日本帝国憲法が、第3条天皇ハ神聖ニシテ侵スヘカラス としたが、昭和の始まった時点では誰もが『現人神』と言っても生身の人間であり、万世一系にしてもいささか怪しげであることは知っていた。敗戦・占領を経て高度経済成長の波に乗ると、主として読書階級とでも言う中流レヴェルはGHQの洗脳や進歩的と称する論調に推され一部は反天皇制の風に乗る。旧社会党に投票していたゾーンだ。
 だが結果として昭和天皇は敗戦後の混乱からバブル時代までを勝者の帝王として敬われたのだった。

 やがて代替わりとなりバブルは弾けて日本は長い低迷期に入る。平成の御代は多難なスタートだった。バブルの不良債権は10年後には更に増えた、というか今もって総額が分からない程のダメージをもたらした。上皇陛下の天皇在位中に株価は8千円を切った。
 おまけに、これでもかと言うほど自然災害が起こったのである。英明なる陛下はご自身のお勤めを慰霊と被災者への労いに定められたのだろう。天皇になられてまず中国を公式訪問され、その後は海外に出向かれて戦没者を慰めた。
 阪神淡路・鳥取西部・新潟中部・中越沖・岩手内陸、と続いた犠牲者の出る地震。有珠山・三宅島・御嶽山の噴火。そして東日本大震災。平成流と称された被害者の視線まで膝をつかれたお姿は記憶に新しい。犠牲者を弔い、被災者を励まし、その都度日本は蘇った(無論未だ復興途上のところはある)。
 退位を表明された時のお言葉は『国民の安寧と幸せを祈ること。これを全身全霊でできなければ象徴であることは難しい』とまで仰った。 
 実際物凄い密度でのお祈りなのだ。そもそも明治以前には皇室に金もなく、新嘗祭(即位の際は大嘗祭という)と四方拝くらいだったのが、明治以後様々な祭祀が行われるようになった。神道の元締めとしての権威付けとして加えられたらしいが、あまりの多さに明治・大正と天皇は自らは行わず、代拝と言って代わりを立てられることが多かった。昭和天皇も戦後は全てはなさらなかった。
 それが、上皇陛下は80を超えても皆勤である。深夜にも及ぶ祭祀を全てこなされるとは涙ぐましくもある。
 新嘗祭をナメてはいけない。
 神座(黄端の短い畳)、御座(白端の半畳)、寝座(薄畳の重ね敷き)に神饌である稲作物(蒸しご飯・お粥・粟ご飯・粟のお粥・新米で醸造した白酒・黒酒)、鮮魚(鯛・イカ・あわびなど)、干物(干し鯛・鰹・蒸しあわび・干し鱈)、果物(干し柿・かち栗・生栗・干し棗)が供えられる。天皇は鎮魂祭を済ませ、皇太子(あるいは皇后)・天皇の順に斎戒沐浴(さいかいもくよく)して純白の祭服に着替え、侍従が剣璽(けんじ)を、東宮侍従が壺切御剣(つぼきりのみつるぎ)を奉安した後神嘉殿に渡御する。天皇は神嘉殿の神座の前の御座に正座して、秘儀に入られる。御手水ののち、柏の葉に神饌を移し神前に供えて拝礼。ついで皇祖皇宗に御告文(おつげぶみ)を奏上すると、皇太子以下、幄舎に控えていた参列者たちもこぞって拝礼し、神前に供えたものと同じものを食す。
 この秘儀は実際に何が行われているのかは天皇家以外誰も知らないのである。特に新天皇即位の大嘗祭では、寝座に体を横たえ、最も秘儀だとされている所作が行われ、玉体が新天皇に移行する。かような神秘体験を経てこそ備わるモノがあろう。

 現天皇家のDNAには瞬時に時代の流れを読み、なすべき未来が見えてくる能力が備わっているに違いない。上皇陛下は『自分の代は艱難辛苦に耐える世である』ことが読めていたのだ。
 ひたすた祈り、無論負けなかった。避難所で苦労されていた被災者が、時の総理や大企業幹部を罵倒するほど煮詰まっていたのに、陛下のお姿を見た途端に癒されていたではないか。
 同様なことは、近現代の先帝陛下方にも当てはまる。明治帝は富国強兵の政策の元に二度の対外戦争の時代を体現され、大正期は勃興するデモクラシーの風に乗られた。それは作られた物でもあるわけだが、時代に合わせることのできる予知能力と見識がおありだったと解釈できなくはない。
 亡くなられた寛仁親王殿下も何度も癌の手術をされアルコール依存症になっても負けることはなかったと記憶する。
 令和の天皇陛下は筆者よりもお若い。聞くところによれば、祭祀に臨む姿勢は上皇陛下と同じだと聞く。大変に真面目におつとめされると側聞する。とりあえずコロナ禍は他国に比べれば遥かに軽かった。
 何があってもわが国に天皇陛下おわす限り日本が日本であり続けられる。
 太古の昔より伝え続けたこの血脈をもって、更なる研鑽によって鍛えられなければ天皇足り得ないことは明らかで、昨今の女系天皇論は日本を破壊すると言って過言ではない。ジェンダーがどうしたどころの話ではあり得ない。
 旧宮家の皇族復帰に難色を示すムキがあり、いわゆる直親王家が皇統から分かれたのが何百年前だから合理的でない、とか戦後何十年も民間で過ごして今更、といった言説があるが、旧皇族と天皇家は『菊衛親睦会』を通じて親戚づきあいをしていて、お写真などを見ればみなそっくりである。『民間暮らしが何十年』に至っては、2千年の歴史から見れば瞬き一つだ。
 そういう歴史を無視して女系天皇を認めてはならない。あの〇室なんかが天皇になったらどうしてくれる。国連引っ込んでろ!

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