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月別: 2014年2月

スポーツを科学の目で見る (上村愛子さんに捧げる ソチオリンピック決勝戦観戦記) 

2014 FEB 22 9:09:24 am by 江崎 淳一

もう10年も前、自分は毎晩同じホールで愛子さんと当事の鰺ヶ沢プリンスで、晩飯食べていました。と言っても、勿論広いホールのなか違うテーブルでですが。毎年オリンピック開催の期間にはオリンピックの無い年でも模擬練習のため、アジア地区の選手を日本に集めオリンピックと同じ規格で大会をするのです。

自分はその大会でVIPの方の会場へスノーモービルで移動させるドライバーをしていました。スキー場のあらゆる会場に限られたアスリートを乗せ、しかも一番盛り上がる試合に行き、必然的に一番いい場所で競技を見ていました。

本番前の2日位は練習日で、初めてモーグルを間近でみました。
当事愛子さんのライバルだった選手は軽く1,2本滑って次の日は練習会場にも出てきていませんでした(この時点では彼女の方が愛子さんよりランキングが上だったはずです)。しかし愛子さんは練習時間中全ての時間を使い滑り込んでいて、その滑りの凄さは真剣にそのものだったのがはっきり分かりました。それでいて、夕食の時間には常に微笑みを絶やさず、他の選手にはない慄然とした雰囲気を漂わせていたものです。

決勝戦彼女は見事金メダルです。ワールドカップやオリンピッククラスに比べれば何てことないレースだと思いますが、愛子さんはひたむきに全力で戦っていました。

今回のソチ、準々決勝からの全試合、全ての選手滑りを繰り返して見ました。コースを正面から見ているとほぼ全ての選手は、コースの中央とほんのすこし左側のラインを使って滑っています。準々決勝の3人のうち二人は、もろにコースに弾かれ敗退。唯一愛子さんのみ3本全て右側のコース、それもポールに限りなく近いライン(ポールに当たれば失格だと思います)、際どく誰もチャレンジしないラインを唯一人滑り、滑るごとにタイムを削り、6人中最速タイムを出しまたのです。決勝レースの他の5人はほぼ中央からちょい左側のラインで滑ったのです。これは実は大変な勝負に出たことになります。

出場者最高齢、毎年変わっていく採点システム。しかし愛子選手はポイント上げる今の滑りではなく、不利にすらなるオールドスクール滑りで、誰も滑らないコースを取り、見事愛子流滑りで最速決勝記録。そこにはポイント狙いで減速していたメダリストとは全く違う滑りだったのです。

自分の信念による自分のスタイルを最後まで貫く。4年前4位で、本当はメダル獲りにきていたけれど惜しくも叶わなかったのですが、彼女には一切後悔はないと思います。自分の集大成の100%満足出来た滑りができた、とのコメントは本物です。あの幸せそうな表情と涙は、真のアスリートの物です。

上海で中国の旧正月を体験(でも旧正月の事、書いてないです)

2014 FEB 20 5:05:34 am by 江崎 淳一

shannhai今頃になってしまいましたが、1月30日から3泊4日東さん共に神山先生のお誘いで上海に行けました。

30日が中国の大晦日、厚さ300メーターはあったスモッグの層の上から上海空港に。 大気汚染でここまで空気が汚れるわけないって頭なの中で信じられなく、その日お世話になった中国に20年駐在なさってる日本人の方にお聞きしたら、実際その日上海の高速の一部はスモッグで通行止めだったそうで、更にひどくなると飛行機も着陸できなくなる日があり、自分たちの飛行機も結構な可能性で着陸できなかったんだーなと。 これだけの大気汚染出る程の工場?発電所?自動車?の爆発的生産力がダイレクトに入国する前から感じられました。 上海で何もかも作っているわけではないとは思いますが、現在世界中の生産工場になっている国といなんだって事は、上海の空気を見るだけで感じました。 もちろん工場や発電所などの規制がまだ緩く空気の汚し方がひどいにしろ、生産量の物凄さそれに伴う国のパワーを、逆に空気の汚れかたで直感的に感じました。

 

1980年代後半、中学卒業後16歳でアメリカにいた当時日本製品が売れに売れどこに行っても日本の家電製品をアメリカ人は買い、免許取りたてのロスの高校生たちの間では、スポーツコンパクトカテゴリーが生まれ日本車に乗りそれをいじって乗るほうが、国産のアメ車乗るよりカッコーいいなんて感じで、もちろん自分も誇りもってHONDAなんかにで沢山のスピード違反チケットを、LAPDから頂いていました。確かにあまりにも日本製品が売れ日本車を、燃やされることまで起こっていました。

 

初年度一年だけウイスコンシン州にいたときは、小学校から高校まで同じ建物で生徒数200人位、それも99パーセント白人のみの町にいました。その街で自分は一人だけの東洋人。一度高校のシャワールームでお互い裸の状態で、一人の子が第二次世界大戦でどうのこうのって絡んできたことはありました。でもこっちも負けず言いかえしそれで終わり。それ以外まったく会話にならない自分に、出会った人達みんな親切でした。いまでもあの時英語が話せたらもっと楽しかったと悔やまれるます。

 

2年目からはLAにいました。そこは全人種好き勝手に自由に各々の世界感でぶつかり人種間での殺し合い当たり前。(当時10代の子供たちはギャング全盛第一世代真っ盛りで高校の入り口で生徒全員金属探知機あてられてました)ほんとに些細なことでいつ何時、殺されるかもの毎日でした。しかしその時毎日遊んでた友達は人種の入り混じってました。人種差別なんて一切なし、英語下手だろうが日本人だろうがまったく関係なくみんな同等に接してくてたしホントに毎日毎日皆で今日はどんな過激な遊びできるかなーだけ考るのみの、それはそれは楽しかったです。

9.11以降アメリカも80年代とは比べ物にならない世界になりましたが、俺アメリカ大好きです。

 

で何でこんなこと書いたかというのは、今回上海で神山先生が話してくれた事の中に、アメリカ 日本に中国人がここ10年位の間に留学して帰ってきていると。アメリカに行って帰ってきた学生はアメリカを好きになって帰ってきてるが、それに比べ日本に来ていた留学生は全員でないにしても日本を好きになって帰ってないとのこと。多分大陸生まれの中国人にしてみると、日本の常識は非常に辛いことの連続だと思います。(とても細かい事に気を遣い自分を押し殺して周りに気を使う、でもそれが日本特有の感覚なのですが) 日本から帰国すると、ほんの些細のことで反日デモなどの、先導者なってしまいやすくなるそうです。 これはホントにやばいなって感じました。この事実は中国と日本の間にこれから長い間影響するはずです。

 

今回も含め神山先生と中国人のお友達との食事に連れて行ってもらい最低2時間は皆で話し合っているのを、まったく解らない中国語なのですが集中して会話を聞いていると15分に一回位は皆一斉に笑うんです。まったく意味は解らないのですが、必ず自分も笑うんです。その笑いが愛想笑いでなく皆心から笑ってるのが伝わり、意味なんか解んなくても自分も微笑み楽しいんです。こんな経験初めてです。でも、そこにいる人はいい人だなーて解るんですよね、心を開いて本心で話してる友達たち。神山先生の友達になる人だからなのかもしれませんが、でもそれが自分が体験させていただいた上海の大切な時間です。

だから俺、上海の人大好きです。

 

国と国の政治的問題はまったく別次元ですが、個人が訪れその国を好きになる嫌いになる、それはほんとに些細なことがきっかけになるのではと思います。どうせなら、お互い皆が訪れた国を、大好きになる世界になれればいいのにな。

 

 

2月15日からの関東広域の記録的大雪で得た経験

2014 FEB 18 6:06:28 am by 江崎 淳一

上海に出発する前日1月29日まで、自分は北海道にいました。29日千歳空港近くのホテルの駐車場に自分の車を止めたまま、上海に向かいました。

上海帰国後も、その車を取りに帰る暇がなく、天気予報とフェリーの運航スケジュールを見計らい、13日夜に成田ー千歳間を取り14日夕方成田から千歳にはいりました。

帰りの15日昼、フェリーに乗るため予約もなしに(冬の日本海側フェリィーはいつスカスカ状態なので)埠頭の事務所に早めに到着し、乗船申込みをするとなんと「今日は太平洋航路が全滅で、日本海航路に流れて満車です。」との受付のおねーさんに冷たく言い放たれ「キャンセル待ちはできますか?」と聞くと、いかにもめんどくさそうな態度で無事キャンセル待ち1番を出いただき、「19時に戻ってきてくださね。」と温かいお言葉を頂けたのが、14時位でした。

シェボレー(自分の車)は、その日とても機嫌が悪く5時間ふらふらドライブできる様な状態ではなかったので、ダダひたすらフェリー乗り場駐車場の車内の中で待つこと5時間、無事キャンセル待ちを手に入れられ乗船できました。

15日19:30苫小牧16日15;40位が今回乗ったフェリーの行程でした。新潟下船の艦内放送がかかり始めて起こされ、携帯を何気なく見ると朝の6時30分着信履歴とショートメールが(株)アドテックスオーナーの佐藤さんから入っていました。即座にショートメールを開けると、  「群馬県下仁田町で、人が遭難しています。だれか、手を貸してくれませんか」   との簡素な文章の中に込められた内容の重要性に驚き、即座に電話しました、連絡遅くなった後悔とともに。たとえ自分がフェリー中で身動きがとれなかったとしても。

結果遭難した人はその日の午前中にヘリが飛び、無事に救出されたとの佐藤さんのお言葉。しかし2日前から山に取り残されていて前日はヘリがと飛べず何も手がうてなかったので、佐藤さんには「スノーモービルで山に入ってもらうかも。」と15日から、連絡が来ていたそうです。

2年前のお盆明けの夏の盛りに、モービルに乗る際の自分の経験やモービルと自動車の運転メカニズムなど、いつも教えてくれる笠原さんにお願いをして、笠原さんの自宅で初めて紹介してもらった佐藤さん。その日初対面で自分はモービルを使った冬の自然災害のボランティア団体を作りたい、と協力をお願いしたら即座に「それいいよ、やろう。」と即決で賛成していただきました。どうせやるのなら、NPOにすればいいとその場でのアドバイス。今月2月4日の日にも佐藤さんの会社の会議室を使わせてもらいNPO登録の最終打ち合わせを忙しい中、時間を割き夜9時までしていただいてました。

その日から2週間後、佐藤さんの所に遭難救助救の打診がきて、それに一歩も引かずに佐藤さんは行動をなさいました。群馬県のモービル仲間も自分の家の除雪などにてんてこ舞いになっていたり、群馬でも指折りの人命救助が出来る方のエンジンがおしゃかになっていて八方ふさがりの状態(確かに群馬県でも人の住んでいる所で70から100センチ積もれば町中の道が埋まります)、しかし佐藤さんは電話中救助のこと以外自分(プライベート、自分の会社)の状況については語りませんでした。会話は、救助要請が来たこと、へりで無事に助かったこと、今回はモービルで貢献できそうだった寸前までいったこと、それについてちょと悔しそうな感情とに要請が来ただけ前進できたと前向きな考えのみを言われました。

モービルを介し出会い、まだ一度も一緒に乗る機会も出来ていない佐藤さんから心を揺さぶられる意志をいただきました。佐藤さんありがとうございます。

19日ー20日また荒れそうな予報がでてます。今回荒れるのを前提に新潟のモービル置き場で出動準備しています。仲間は平日仕事ですが、自分は一人でスタンバイし出動前提でいます。

(株)アドテックス www.adtex.com  佐藤様

最後にここまでの被害がでた降雪(普段降らずにせ除雪車などの配備がない県)にたいして、その当事者の県また、国の自衛隊要請 対応、の遅さにあきれ果てます。なんのために国民は納税してるのですか? 国民の生命を守生活を守ることは、最重要課題ではないのでしょうか? 3年前の地震のことも、もう忘れてるのですかね?明日19日から、大荒れしないことを切実にねがいます。

 

 

 

 

 

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