オリ・ムストネンの印象
2018 FEB 11 17:17:18 pm by 吉田 康子
オリ・ムストネン ピアノリサイタル
2018.2.10(土)14時開演
すみだトリフォニーホール
■シューマン:子供の情景 op.15
■プロコフィエフ:ピアノソナタ 第8番 変ロ長調「戦争ソナタ」op.84
■ベートーヴェン:ヴラニツキーのバレエ「森のおとめ」のロシア舞曲の主題による12の変奏曲 イ長調 WoO.71
■ベートーヴェン:ピアノソナタ 第23番 へ短調「熱情」op.57
オリ・ムストネンのピアノリサイタルに行ってきました。彼の名前はピアニスト・作曲家として知っていました。また友人であるチェリスト、スティーヴン・イッサーリスの共演者という存在でもありましたが、演奏を聴くのは初めて。
彼の写真はいつも口を一文字に結んで何か言いたげにこちらを見ているものばかりでしたが、実際にステージに現れた様子は笑みを浮かべて穏やかな表情。
最初の曲、シューマンの子供の情景のは、私も弾いたことのある曲でしたが、美しい旋律を期待していた気持ちは冒頭部分から裏切られました。出だしの音が聞こえないくらい微かなものだったのに比べて3つ目の裏拍がアクセントごとく強打されてビックリ。わずか1ページの短い曲に本来知っていた旋律が違うフレーズと色合いを持っての演奏。腕を大きく回したり、手首をヒラヒラさせながら中に浮かせる様子に客席は戸惑いの空気が漂い、それとは対照的に彼はどの音も確信を持って弾き13曲から成るこの曲集を全く違ったものに聞かせました。
「聴き慣れた作品に新たな光を与えるもの。即興性と刺激に満ち、鋭敏な完成が隅々まで息づき、作品が今生まれたようなみずみずしさを放つ」という評論家の言葉がチラシに添えられていましたが、なるほど上手い事を言ったものだと感心。
続くプロコフィエフは、彼のアプローチがピッタリとハマる感じで鋭利なリズムや複雑な和声が説得力を持って迫ってきました。強靭なタッチと繊細なフレージングは十分な技巧と沢山の音のパレットを持っているのが伺われ、それを存分に駆使しての構築に圧倒されました。
後半のベートーヴェンの変奏曲と熱情ソナタは、もはやベートーヴェンに聞こえない、という印象。これが試験やコンクールだったら?と考えるのは野暮な話なのでしょうか?天才鬼才としての定評があれば、何でもアリで許される?結局のところ彼にとってこれらの作品は、作曲家の意図を汲んで表すものではなくて、自分の表現に置き換える素材でしかないのでは?と思い当りました。そういえばイッサーリスも「彼はいつも新鮮なアイデアを提供してくれる」とは言うものの、ベートーヴェンやショパンを一緒に演奏することは無さそうです。
演奏に際しては、楽譜持参で譜面台に楽譜を置き、しかも脇には譜めくりの人までずっと座っていました。アンコールのバッハも知らない曲に聞こえて不思議な感じがしました。先に読んだ本のランランとは全く違った世界を歩む人として特異な存在であることを強く印象付けられました。
Categories:演奏会
西村 淳
2/11/2018 | 7:12 PM Permalink
ムストネン、CDも何枚かもっていますがちょっと特別な人で、この人の音楽には少なくとも「癒し」の効果はないようです。イッサーリスとはマルティヌーをやっていますね。
やはり「生」ムストネンも同じような印象を持たれたようですが、おそらくCDよりももっと自分のやりたいことを前に出していたのではないでしょうか。バッハは素材として使っても、(ジャック・ルーシェがそうであったように)バッハでしょうけれど、ベートーヴェンは素材になりうるものでしょうか。
東 賢太郎
2/17/2018 | 12:22 PM Permalink
譜面という記号から機械的に読み取った情報と、自分の耳からの感性の導きとをバランスするのはすべての演奏家にとって難題でしょうね。特にテンポは。
私見ですが、メトロノーム指示があってもそれが絶対ではなく、何を表現したいかによってテンポは変わると思います。ということはホールのアコースティックによっても変わると思います。その場で聴いている方々に言いたいことが伝わらなければ意味ないからです。だから楽譜だけから何が正しいかというより、演奏家が何を言いたいか、肝心のそれを持ちましょうという方が大事と思います。言いたいことのない曲を弾くのはナンセンス、政治家の国会答弁みたいなもので聴衆の心を打つなどのっけからあるはずがありません。
古典芸能だから作曲家の意図とかけ離れてはいけないでしょうが、作曲家も人間でストラヴィンスキーのように自作をずたずたに改ざんして平気な人もいます。モーツァルトのピアノ譜は覚書程度の部分もあり自分もそう弾かなかった可能性が見えますが、ベートーベンはその程度は低いでしょう。結局誰の曲かということも含めて演奏家の音楽常識を問われるという事実に尽きます。
ムストネンは94年にグリーグとショパンの1番をブロムシュテットと録音してますが面白いですよ。タッチは常に清々しいほど明快でクリア、なんてことないアルペジオでもペダルでごまかして流す部分が皆無でごつごつして聞こえるかもしれません。装飾音の音価をしっかり弾いたり、スタッカートでリズムを際立たせたり、こだわりの連続です。必然的にテンポは遅めですがフレーズごとに変わりますからオケは慎重について行ってる感じですが、ブロムシュテットも譜読みが同じ傾向の人だからうまく丸めて聞かせてくれます。
グリーグ、ショパンはなんにも考えてない人、テクニックだけ、甘ったるい感性だけで弾いてる人が非常に多く、それでも聴けてしまうから名曲なんですが、ムストネンの録音はそれで終わりの音楽じゃないよというメッセージを持っていて僕は気にいってます。少なくとも録音して後世に残そうというならそのぐらいでないとすぐ飽きられて泡沫で消え去ります。
maeda
2/18/2018 | 11:48 PM Permalink
ムストネンを聴いたこともなくコメントする資格は本来ないのですが、グリーグに反応。グリーグの曲は、すべてではありませんが、例えば、ペールギュント、2つの悲しき旋律について言えば、演奏するのはとても難しいと感じます。あまりに譜面がシンプル過ぎて、情感を作るのは奏者丸投げというか、仕掛けが無さ過ぎます。ホルベルクになると、譜面通り弾いていくと自然と表現が出来上がるのですけれどね。
吉田 康子
2/21/2018 | 11:26 PM Permalink
私の手元にもムストネンの録音はあったかもしれませんが、単純に今回聴いた生演奏の印象を書きました。彼自身が演奏家としてより作曲家としての側面を強く主張しているように思えた点が私としては想定外でした。それを面白いととらえるか、一般的な演奏の常識に沿わないものとして受け止めるかは、「聴く人」と「弾く人」それぞれ立場によって違うものだと改めて思いました。