カメラのおけいこ⑥Nikon、CanonのオールドレンズをLeicaに取り付ける
2017 MAR 1 6:06:32 am by 野村 和寿
今でも、世界のシェアをほとんど席捲しているのが日本のカメラメーカーということができます。レンズ交換式カメラの世界シェア 週刊東洋経済2014年版によると、世界の98.5%が、日本製であり、1位はCanon44.6%、2位はNikonの34,33%3位、以下はソニー、パナソニック、オリンパス、リコーと続いています。
戦後日本でいち早く輸出に貢献したのが、カメラの部門です。とりわけレンズ部門は、LEICAやCONTAXが同じく世界大戦で大きな打撃を被っていたのを背景に、ドイツのレンズの10分の1の価格で、アメリカに輸出され、日本の外貨の貢献に一翼を担いました。
当然ながら、当時最も貴重だったLEICAの35ミリカメラのために、LEICA Lマウントで、レンズが作られていました。
■60年前の日本のCanonの広角レンズ 28mmf3.5Ⅱ
まず最初は、今から60年前の1957(昭和32)年1月に発売されたCanonの広角レンズ28㎜f3.5Ⅱです。Canonは1933(昭和8)年、精機光学研究所が、Kwanon(カンノン)を出したところから始まっています。当時レンズは、日本光学(ニコン)の50㎜f3.5をOEMで供給してもらっていました。
さてCanonの古い広角レンズ28㎜f3.5Ⅱで撮影した午後、JR神田駅の商店街にある「油そば専門店」です。なにか、どくどくとしたアジアン・テイストの色合いです。
「はた!」と気がついたことがあります。この写真はなにか懐かしささえ感じられ、いわゆる「昭和の味わい」を醸し出しているのかもしれません。
ボクが、昔の写真をみたときに、懐かしさを感じるのは、実は「古ぼけた写真」を見たからではなくて、実は、「レンズの描写力だったからかもしれないな」と思いました。今のレンズとは随分と描写力の、重み付けが違うような気がします。まずは、こくのある力強さというような、もっとも大事な部分を骨太にとらえているような。
もう1枚は、神田一ツ橋・學士會館の1928年竣工の古いビルディングです。ビアパブ「SEVEN’S HOUSE」の外観です。この古い建造物をまことに、古そうに描写しているので、すごいなと思いました。
Canon 28mmf3.5Ⅱ単体です。今のレンズと比べると、幾分、癖をもっているレンズで、万能レンズではないのですが、非常にコクのあるレンズだと思います。
製造番号は20325 これを、デジタルカメラLEICA M9に装着してみました。Canonは、当時、Sマウントと称していましたが、LEICA Lマウントと同じマウントです。
CANON MUSEUMによると、1957年1月に発売とあります。価格は、当時25,300円(現在の価格で換算するとなんと141,781円 日銀の物価換算表による)でした。このレンズは京都方面で入手しました。
■69年前のNikon広角レンズ
もうひとつのオールドレンズは、Nikonです。意外にも、Nikonがカメラを作り始めたのは第2次世界大戦後のことです。1917(大正6)年に、三菱財閥の岩崎小彌太の個人出資で設立された日本光学工業は戦前は、主に海軍の光学兵器を製造していました。写真のレンズ名をNIKKORと定めたのは1932(昭和7)年、最初の小型カメラは戦後1946(昭和21)年に製造を開始しています。このNikonの広角レンズは、先ほどのCanonに比べると、さらに古くて1948年発表のW-NIKKOR・C 1:3.5 35mm(3.5cmと表示にあります) No.440587です。
ボクの所有のレンズは、 1948年発表 おそらく1954年5月の87番目の製造ではないかと推測されます。
1951年 19,500円で発売(現在の価格換算で178,605円日銀消費者物価指数による)されました。ボクは、このレンズを、大阪方面で入手しました。
ボクは、Nikonは敬して遠ざけてきた存在であり、このレンズで初めて、Nikonの威力を改めて知りました。レンズは、Nippon Kogaku W-NIKKOR 35mm 絞りf=3.5 No.440587です。
夜の帳が降りる少し前、店を開けたばかりのまだお客さん待ちの九段下のお鮨屋さんです。しっとりとした雰囲気の店内から漏れてくる電灯光。Nikonが戦後すぐ1948(昭和23)年に、出した広角レンズ、広角レンズなので、型番の冒頭に「W」末尾に当時まだ珍しかった「C」がついています。
このレンズは、もともと1939(昭和14)年に逓信省の電話通信回数測定装置のために設計された広角レンズが元になっています。Nikonといえば、戦艦大和や武蔵の測距儀を製作した光学メーカーですが、上にも記したように、戦前は、今ではライバルであるCanonに自社のレンズを供給したりもしていて、興味深いです。戦後になると、これが民生用に転用され技術が実を結んでいきます。
黒澤明の戦時中の『一番美しく』(1944年東宝映画)は、日本光学工業(現・ニコン)の戸塚工場が出てきて、レンズを磨く女子挺身隊の様子が半ドキュメントで撮影されていました。ちなみに3:40からのレンズを磨くシーンで使われている音楽は、なんと敵国アメリカのスーザ作曲のマーチです。このあたりが、黒澤の皮肉でしょうか?
黒澤映画の中でも、戦中に製作された本作品は、戦後上映の機会に恵まれなかったのですが、丁寧にレンズを磨く女子たちの動きを捉えています。ちなみに、顕微鏡をのぞいている女優は矢口陽子で、昭和20年に黒澤明と結婚しています。戦時中に作られたのを忘れてしまうくらいに丁寧な映画です。上のYouTubeは、映画の中にでてくる日本光学の工場のレンズ研磨シーンを、わざわざ抜き出したビデオクリップと思われます。本作に登場するレンズは、日本光学が双眼鏡や砲弾の弾着確認用の双眼鏡、砲弾の弾道計算用の測距器(戦艦武蔵の15メートル測距儀)、ゼロ戦の射撃照準器などの光学機器のためのレンズでした。
Nippon Kogaku W-NIKKOR 35mm 絞りf=3.5 No.440587に話を戻しましょう。とても69年も前のレンズとは思えないしっとり感があります。撮影の日は、午後、突然の驟雨が何度も降る天候でしたが、雲の動きもとても早く、大きな雲が出ていました。強いて言うならコントラスト感が、今のレンズに比べると強すぎで、写真手前のビルの影の部分はかなりアンダーになっています。画面の中で露出が同じような光には、Nikonはくっきりとした写真を結ぶような気がしています。
望むらくは、くっきりとはしているのですが、微妙なディテールの表現となるとまだまだライカの純正レンズには及ばないというのも正直な感想です。
装着したレンズフードは、純正ではなく、最近の作品で「YAMA」という個人ブランドが作っています。フィルター径34.5㎜ねじに装着でき、2分割の構造で、アダプターとフードからできていて、間にフィルター径40.5㎜が挟み込みできます。
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