Sonar Members Club No45

月別: 2017年5月

インペリアル航空第109便

2017 MAY 31 12:12:26 pm by 野村 和寿

長いこと読もう読もうと思っていましたが、ようやく暇が出来て、1ヶ月かかって読破いたしました。飛行艇ものの冒険小説としては名高い「インペリアル航空第109便」。2段組で403ページという長大な小説です。「飛行艇もの」は、当然、乗客も十数名に限られており、人間関係とそれぞれの事情が色濃く描かれます。飛行艇の旅程も長く、しかも世界中を飛ぶということからミステリーものには大変適している題材です。ちょうど、アガサ・クリスティが「オリエント急行殺人事件」が密室の殺人事件ものというのとどこか似ています。原題はIMPERIAL 109(Arlington Books;1977)著者はリチャード・ドイル。コナンドイルの甥孫(甥の息子)なのです。

インペリアル航空第109便表紙

『インペリアル航空第109便』表紙リチャードドイル 小菅正夫訳 サンリオ刊1981年初版

インペリアル第109便オリジナル版IMPERIAL109 Arlington Books1977(写真左)、IMPERIAL109 Kindle VERSION

IMPERIAL航空で実際に使用された飛行艇 ウィキペディア パブリックドメイン

『インペリアル航空第109便』日本語版より

『インペリアル航空第109便』中表紙より「飛行艇カテリナ号構造図」

舞台は1939年 ナチス・ドイツと英仏のミュンヘン宥和会談直後、オーストリアがナチス・ドイツに併合された後で、ナチス・ドイツによるチェコスロヴァキアに進駐した頃という戦争の足音までもが色濃く反映されています。

インペリアル航空G-ADHO第109便カテリナ号 登場人物もお金もちの乗客も多く、恋の話もあり、途中、機長デズモンドは、エジプト・カイロで自動車レースにまで出場(カイロ→ファイユーム往復 車1924年製イスパノ・スイザ・ブローニュ、好敵手はデステ男爵1938年製ドライエ ル・マン24時間レース1938年優勝)

登場人物は、1930年代に、長距離飛行の乗客なので当然お金持ち、鉱山資本家夫妻、やお金にいとめをつけない男爵夫妻、さらには、お金持ちを付け狙う泥棒、そして時代ということで、ナチスドイツの陰謀まで見え隠れし、ウィーン在住ユダヤ人の国外脱出にまで話しが行きつきます。

登場人物 操縦士 ●デズモンド・オニール(カテリナ機長主人公アイルランド人 冷静沈着な操縦、大西洋横断はこれで6度目。ただいま妻と離婚協議中、新しい恋人とつきあっている。1924年製イスパノ・スイザ・ブローニュを駆り自動車レースに出場)

イスパノ・スイザ・ブローニュ

主人公デズモンドがエジプト王から譲り受けたスポーツカー イスパノ・スイザ・ブローニュ

操縦士●ケン・フレーザー副操縦士(告げ口好き)●ラルフ・ケンドリックス(通信士 元ユンカース機で墜落のトラウマ) ●サンディ・エヴェレット(パーサー客室係)●スチュワート・アンディ・ドレーパー(元客船キュナードの客室係スチュアードだった。スチュアード)

乗客●スチュアート・カーティス(実業家 クラークスドーブ南アフリカ鉱山を経営。しかし自社株がことごとく値を下げており、NYで自社株の速やかな売却をもくろみ、そのために大層急いでいる。)

●シャーロット・カーティス(根っからの金持ち妻 派手好き)

●アルフレッド・デュクロワ(ミセスカーティスのメイド) ●ルカ・デステ(イタリアの男爵 シャーロットと仲がいい。大型のドライエで、シャーロットをのせて、カイロ・ファイユーム自動車レースに出場、デズモンドと競う。)●ジャケッタ・デステ(妻 サヌーシと仲がいい)ローラ・ハートマン(アメリカ人 カーティスの若き秘書

ドライエ

乗客のイタリア貴族ルカ・デステ男爵がレースで使用した車ドライエです。Cabriolet Delahaye 135 MS carrossé par Pourtout

●キング夫妻(アメリカ・アリゾナ州フェニックス在雄の中年夫婦)●ジョンソン夫妻(子連れ)●ドクター ヴァン・シュミット(鉱山技術士 実は泥棒)●イアン・ソーン海軍大尉(アフリカ・シャンベで鰐に襲われて死亡)●パメラ(デズモンド・離婚係争中の妻)

■まきおこる諸問題 ●燃料タンク漏れでアフリカ・シャンベに緊急着陸●若き海軍ソーン大尉がアフリカ・シャンベで大鰐に襲われる●ラシッド・アル・サヌーシ(若きアラブ人で敵デステを狙う。トルコ人アーメッド・ヤルチン・ベイになりすます)が一族の敵をうつため、ルカ・デステ男爵を狙う。●ダーフィト・ヴィーツマン(ユダヤ人ウィーン大学医 学部長)●ジーグレット(ユダヤ人 ヴィーツマンの娘)父娘がナチスの要人(ヒットラー)の出自の秘密を知る為追われローマから本機に乗り込む。●元米陸軍航空隊所属の操縦士だったパット・ジャレットが、ウォーレン湖で積み荷の金塊をねらうべく本機に襲いかかる。

■敵●パウル・リントレン(ナチス・スイスのエルンスト・ペルレル名義のにせパスポート) ●パット・ジャレット(第1次世界大戦に参戦した元陸軍航空隊所属のパイロット 全長27フィートのスーパーマリン機をもつ。ニューハンプシャー・ウォーレン湖で搭載の金塊を狙う )インペリアル航空第109便飛行経路

■旅程 1939年3月10日金曜日南アフリカ(ダーバン)、シャンベ緊急着陸(スーダン) ウガンダ(ポート・ベル)マラカル(スーダン)エジプト(ハルトゥーム・カイロ・アレクサンドリア)、クレタ(ミラベル)、アテネ、ローマ(ブラチアーノ湖)、マルセイユ(マリニョーヌ)、イギリス(サザンプトン)、南アイルランド(シャノン河口フォインズ上空で空中給油)カナダ(ニューファンドランド=ポトウッド・モントリオール)、NY(イーストリヴァー・ラガーディア・マリン・ターミナル)1939年3月16日アメリカ東部標準時16:00約6日間もかかる豪華な豪華な旅行なのです。このあたりは船旅の影響を色濃く残しています。

IMPERIAL航空 ロンドン南アフリカダーバン線時刻表1937年の実際の運行時刻表

SPECIAL THANKS TO HP airline taimetable images
http://www.timetableimages.com

■話のおもしろさ

事件は早々に起きます。燃料タンク漏れで、シャンベ(スーダン)に緊急着陸。ミセス・キングの上陸の際に、上陸用の船を動かそうとした海軍ソーン大尉が河の大鰐に襲われ命を落とすという事件が起きてしまうのでした。飛行艇は空港設備がなくても、大きな海や大きな河、大きな湖など係留設備がありさえすれば、どこでも着水することができます。シャンベにもインペリアル航空の支所が設けられ、給油の手配あ連絡員が配置されています。さらに、1939年当時イギリス軍払い下げの爆撃機を改良して、空中給油も行われていました。なにしろ一時に長距離は飛ぶことが無理なので、大都市に着陸する度に当地の有名ホテルに宿泊し、豪華な食事をいただくこともできました。

カイロ・シェパーズホテル日文研データベース

エジプト・カイロ・シェーパーズホテル「太陽の通路で:地球早まわり日記読本1893年
」日文研データベースより

HOTELリスト

インペリアル航空が実際に提携した停泊地のホテルリスト

■操縦風景 カイロ到着予定は12分後、2千フィートまで降下 速度140ノットまで落とす。回転数2千 風速南西より20ノット 視界良好 スロットル全開 砂埃でわずか数分のうちに弁や空気取り入れ口がつまりたちまちにして複合した出力低下をきたす。エアポケット、400フィート降下 3番エンジンオーバーヒート 700フィート、650、600。デズモンドの眼は高度計に釘付けになった。480,45機首があがりはじめる・・・。/機首 係累索を解く。エンジン始動の準備 4基のエンジンがたてつづけにすばやく息を吹き返す。轟音響き渡る。4分の1フラップ プラッチアーノ湖からイタリア領海をんけだす。マルセイユまでのルート、30分でコルシカ島ロトンド山が見えてくる。高度7千・・・。マルセイユ12時15分前m民間空港マリニョーヌ着水・・・。

■本の紹介文

「1939年3月10日 世界大戦の迫りくるころ、インペリアル航空第109便は、200万ドル相当の金塊を摘んで、やがて悪夢へと突入することになる6日間の旅に出発した。インペリアル109は大英帝国の果てから果てへと郵便物や貨物、12人の乗客を運ぶ壮大豪華な飛行艇として知られていた。白く輝く胴体、高く伸びた翼、1000馬力の過給されたブリストル・ペガサス12ラジアル・エンジンを4基搭載し、喫煙室、個室、散歩用デッキや劇場の設備もあり、後宮な乗客を運んでアフリカ全土をナイル河デルタ地帯やカイロを経て、ギリシャ、イタリア、フランス、そしてロンドンを通って目的地のニューヨークまで就航している空飛ぶ宮殿として評判であった。だが、その便には復習の念に萌えるアラブの貴公子、冷たく妖しい美貌で男達を乱す女、冷酷なゲシュタポの手先、偏屈な金銭欲にかたまった億万長者らが同乗し、機長のオニールと乗員ともどもスキャンダルと政治、陰謀と恐怖、破滅と誘惑に巻き込み、やがてニューヨークでクライマックスに達する旅を開始するのである。やがて消えゆく大戦前夜の悦楽と華美のノスタルジックな背景とスリリングで緊張感あふれる物語を対照させてサンデータイムズ紙に評されたエンターテインメント巨編!!(裏表紙の紹介文より)1981年初版刊行当時の勢いが文章に表れています。本書を読みたくなってきましたか?本書はもちろん現在は絶版になっています。しかし好都合なことにアマゾンの古書店で1円から購入することが可能です。

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カメラのおけいこ⑦OLYMPUS PEN今から8年前のデジタルカメラをチェックしてみました!

2017 MAY 1 13:13:29 pm by 野村 和寿

今から8年も前にオリンパスから発売された往年のベストセラーカメラ オリンパス・ペンのデジタル版です。名機の誉れ高いオリンパス・ペンを設計したのは、米谷美久氏(1933-2009年)で、1959年のこと。オリンパス・ペンは、カメラのデジタル化が1988年に始まってもなかなかデジタル版オリンパス・ペンが再登場することがなく、2009年満を持して登場したのが、本カメラ オリンパス・ペンE-P1でした。奇しくも設計者米谷氏が天寿を全うされたその年に発表されたのでした。

2009年登場のオリンパスE-P1 14-42㎜(35㎜カメラ相当28-84㎜)

このカメラを、8年後の今、もう一度、出してきて使ってみることにしました。はたしてどの程度のパフォーマンスを発揮しくれるでしょうか?

 

なんといっても、子どもの頃から欲しかったオリンパス・ペンその最初のデジタル版のオリンパス・ペンでありまして、ぼくはこのところがとても大事に思っている次第なのです。

それでは今使ってみるとはたしてどうなんでしょうか?まだまだ使えるのでしょうか?ぼくは半信半疑だったのでsが、使った後の感じは実に心地よいものでした。

OLYMPUS DIGITAL CAMERA

横浜港大桟橋に停泊中の豪華客船飛鳥Ⅱ。OLYMPUS DIGITAL CAMERA E-P1 14㎜(35㎜相当28㎜)絞りf10 1/400秒 ISO200で撮影しました。

発売当時、店頭展示用ともとることのできる、デジタルならではのいろいろな補正をかけることができますよというのを売り物にしていました。

ボディ左側にあるポジション切り替えここでiAUTOからSCNポジションに変更。

ポジションSCN

SCNポジション1−9です。

SCNポジションその2

SCNポジションその2 10−19です。

ぼくはSCNというポジションには、ボディ左側に、切り替えポジションがありました。iAUTOからSCNにポジションを切り替えて使うのです。

 

 

 

 

 

 

 

このうち、SCN12に、マクロというポジションがあります。SCN13にはネイチャーマクロというポジションを見つけました。(写真下 上から1段目)いわゆる花を撮影するときの接写のモードです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

このポジションを使って花を撮影してみました。撮影した写真が、これです。

OLYMPUS DIGITAL CAMERA

京王井の頭線・駒場東大前付近の線路端に咲くポピーです。OLYMPUS DIGITAL CAMERA E-P1 42mm(35mm相当84㎜)絞りf8 1/200秒 ISO200

35㎜相当でいえば、84㎜とほぼマクロレンズに相当します。なかなかいい感じで撮れています。ARTというポジションもあります。

ART

ARTポジション

6つのARTポジションおうちで、ART2はファンタジックフォーカスです。このポジションを使って撮影してみましょう。このポジションで撮影すると、シャッターを押してから後に、フィルターがかかって処理中にいったんなりました。これが撮った写真になります。特に後処

横浜の旧英国領事館(現在は開港資料館)。OLYMPUS DIGITAL CAMERA 14mm(35mm相当28㎜)ファンタジック・フォーカス・モード絞りf5 1/160秒 ISO200

 

理はしていないのですが、ソフトフォーカス気味にふんわりと少しですが、ボケ味が出ています。それがファンタジックな所以でしょうか?

横浜港を行き来する遊覧船と、遠くに横浜税関の塔が見えます。OLYMPUS E-P1 SCN3 風景ポジションで撮影 絞りf8,1/320秒、ISO200、OLYMPUS DIGITAL CAMERA

SCNには「3」に風景モードもありましたので、試してみましょう。上がその写真です。遠くに見える横浜税関の古い塔と、手前の休んでいる横浜港の遊覧船の遠近感をすこしですが、強調してみせています。ちなみにSCNやARTはよく使うポジションを1つづつですが、登録することが可能でした。

撮影モードは、JPEGのほかにJPEG+RAWモードも装備していました。(しかしなぜか、このRAWデータ・モードはあくまで簡易モードらしく、MACには対応しておらず、WINDOWSのみに対応していました)結論として、確かにOLYMPUS E-P1は、液晶モニターも今に比べると相当にまだまだでしたし、撮影モードのメモリーも1つづつしかなく、正直まだまだ即座に対応できません。

OLYMPUS DIGITAL CAMERA

横浜・日本大通り沿いにあった花の植え込みです。カメラ OLYMPUS E-P1 レンズ ZUIKO14mm(35mm相当28㎜)f8 1/320秒 ISO200

しかし、店頭モードであったはずの、SCNやARTモードは十分に使うことができました。これはぼくが思うに、OLYMPUSのレンズであるZUIKOのレンズ性能が素晴らしいので、デジタル処理のポジションでも使うことが出来るのではないかと思いました。

主な仕様は次の通りです。2009年7月3日発売のオリンパスのミラーレスの当時世界最小・最軽量のデジタルカメラ オリンパス・ペンE-P1 M-ZUIKO DIGITAL ズームレンズED14-42mm(35㎜相当38−84㎜) f3.5から5.6 当時の価格は、レンズキット付きで10万円前後。デジタルイメージセンサーは、オリンパスはルーミックスとともにフォーサーズ(4/3型の大きさ=インチ 17.3㎜×13㎜)センサーを採用しています。約1230万画素、液晶モニターは3.0型TFTカラー液晶(約23万ドット)、リチウムイオン電池 充電時間約3時間30分。

ZUIKO レンズ

カメラとともにレンズキットとして提供されたZUIKO レンズ14−42㎜(35㎜相当28−84㎜)です。

ちなみに、現行のオリンパス・ペンは同じくマイクロフォーサーズ型レンズ交換式で、4/3型イメージセンサー 約2177万画素、液晶モニターは3.0型2軸可動式液晶(約104万ドット)とスペックだけをながめるとまさにこの8年の間に隔世の感があります。

OLYMPUS

OLYMPUS E-P1 2009年デジタル初のオリンパス・ペンでした。寸法・幅120.5×高さ70×奥行き35㎜・335㌘

 

 

 

 

 

しかしながら、スペックだけでは収まらないカメラへの愛着という点でこのOLYMPUS E-P1はなかなかチャーミングなカメラでした。発売の2009年当時、カメラ・レンズ込みで約10万円でしたが、中古価格市場で8,873円でした。やはりデジタル価格は随分と変わるもので残念です。ぼくはこのカメラ好きです。

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