カメラのおけいこその⑩復刻版ズマロン28㎜
2017 JUL 14 16:16:15 pm by 野村 和寿
このSummron(ズマロン)28㎜f5.6は、なんと2016年に復刻された最新レンズなのです。全長もわずか18㎜、重量も約165グラムしかありません。ぼくにとっては、ものすごくかわいい小型のレンズです。このレンズはもともと1955年から1963年にかけて全部で6200本製造されたとされるSummron(ズマロン)28㎜f5.6をライカ自社で復刻したレンズになります。
レンズフードは、とても価値のある伝統的なフードSLOOBKと呼ぶフードの復刻版が附属されていました。
しかし62年も前のレンズをライカは何故復刻したのでしょうか?そしてぼくは何故このレンズを入手してしまったのでしょうか? それはライカのもつ、普遍性に触れることにもなりとても大事な点なのです。たんに、オールドファッションが懐かしくて素敵ということではなく、現代のレンズ研磨技術をもってすると、シンプルな62年前には果たせなかったような、特に赤に顕著なあかかぶりなどを払拭しているようにも思えました。
28㎜の広角レンズというのは日本では人気のある広角レンズだそうです。日本では35㎜、28㎜、20㎜というラインナップに対して、欧米では24㎜が主流だと聞いたことがあります.日本ではなかなか24㎜をみかけたことがありませんが、アメリカのライカ好きに出会ったときに、やはり24㎜をつけていました。ぼくは前々から28㎜が好きであらゆるといってよいほどの28㎜を集めに集めてきました。そして2016年11月に発表されたこのズマロン28㎜復刻版を入手するかどうか悩みに悩んだ末に、入手することにし、4ヶ月待ちで2017年3月ようやく入手できました。それは期待を裏切らない素晴らしいレンズでした。たしかにf5.6という現代のレンズではちょっとありえないくらい暗いレンズではあるのですが、現代のデジタルカメラのISO感度をもってすると、十分に実用に耐えられます。
横浜港大桟橋に、豪華クルーズ船にっぽん丸は、驚くほどすーっと着岸してきました。岸壁に幅寄せしていくように、だんだんと岸壁に近づき、エントランス用の乗降口とのドッキングを果たしました。このような、にっぽん丸の横腹とエントランスの状況などなど、情報量の多い写真を撮影するのには、広角レンズは活躍すると思います。
カメラのおけいこその⑨マウンテン・エルマー105㎜
2017 JUL 14 9:09:47 am by 野村 和寿
ポケットに1本望遠レンズをしのばせて、ハイキングに行く。こんなときの望遠レンズは、大きいと邪魔なので極力小さくてしかも望遠というなかなか矛盾したレンズが必要です。1932年生まれのELMAR(エルマー)105㎜f6.3は、製造本数わずか3975本しか作られませんでした。
今の望遠レンズのようにシャープさ一方の感じではなくて、味わいのある柔らかな写真になります。
このレンズはさすがに絞りf値がf6.3とだいぶ暗いので、1932年当時のフィルム感度では、とても使い物にならいとされたせいか、3975本しか製造されませんでした。現在では、デジタルのおかげでISO感度はf値が多少低くても十分使用に値できます。
小型コンパクトの強みは、さっと、レンズを変更して、装着し、撮影できるところにあります。おりから、大桟橋を静かに出航していった豪華クルーズ船飛鳥Ⅱを捉えてみました。ここでも、古い写真のように淡い印象の飛鳥Ⅱになっています。
ライツ エルマー105㎜は、マウンテン・エルマー別名をアルペン・エルまーと呼ばれています。いかにもドイツのアルプス好きなドイツの作ったとても面白い望遠レンズです。
いまに至るも、こんなアルプスの名前のついたレンズなんて聞いたことがありません。
カメラのおけいこ⑧ライカのVisoflex
2017 JUN 13 7:07:14 am by 野村 和寿
今回ご紹介するレンズは、ライカのなかでも、異色中の異色、Visoflex(ヴィゾフレックス 通称ヴィゾ)という一種のミラーボックス・システムです。今から50年前1960年代を中心に1950年から1970年まで、Leicaを出していたLeitz社は、日本の一眼レフ攻勢で、正直なところ、苦境に立たされていました。ライカの製造するM3を中心とするレンジファインダーカメラは、ファインダー部とレンズ部分が、別々にあるために、大きな難点をもっていたのです。
まず近接撮影、接写ができないということです。一番近くに寄れても70㎝まで。また望遠が難しいこと。望遠にすると、ファインダー内の望遠表示がとても小さくなってしまって、とても使い物にならなくなりました。一方、ニコンやキヤノンを中心とする日本勢の一眼レフカメラは、「スルー・ザ・レンズ」という考え方で、レンズを覗くファインダーで実際に撮影しようとするものの大きさを見ることが出来ました。また接写にも強く、望遠にも撮影しようとする対象物に、大きく寄ることが出来ましたから、報道関係、スポーツ関係ともにプロカメラマンは、こぞって日本製カメラに移行するのが早かったのです。このライカが苦境に立たされていた時期に、ライカが考えたシステムが、Visoflexという名前のシステムです。おおまかにいえば、ファインダーの前に大がかりな一眼レフのペンタプリズムを装着して、無理矢理にレンジ・ファインダーのLeicaを一眼レフ仕様へと変えてしまおうという考え方でした。
Leicaのすごいところは、Leicaはあくまでも、レンジファインダー・カメラ。付属物のVisoflexはあくまでも補足製品であり、別シリーズではないということです。この一環したところがすごいです。
そこで、登場させたレンズが、エルマー65㎜、90㎜、125㎜、200㎜でした。65㎜は50㎜標準レンズ50㎜からしますと、すこし焦点距離が長いのですが、これはあくまでも接写用に考えられたものでした。90㎜と125㎜は、M型マウントでライカのM型のカメラにも装着でき、Visoflexとの共用、200㎜は、Viso専用というように色分けがされていました。90㎜と125㎜をM型にもVisoにもどちらにも使用できるという考えもいかにもLeicaらしいと思います。
Visoflexが思わぬ復活をみせるときがきました。Visoを使わなくても、マウンド・アダプターをレンズとカメラとの間にかませることで、Visoレンズを使用できることになったのです。下は、ソニーのミラーレスカメラα7Ⅱですが、Viso→ライカR→ライカM→ソニーEと変換アダプターを駆使することで、ソニーに装着できました。
さらに、面白いのは、VisoflexIは、レンズとカメラのフィルム(今ですとデジタル素子部分)面までの距離のことを、フランジバックと呼ぶのですが、これがVisoの場合、ずいぶんと深い(長い)ために、現在の一眼レフ たとえば、ニコンの現行機種であるD-810にも、変換アダプターを介して装着できるのでした。この場合はとてもシンプルで、VISO→変換アダプター→ニコンと1つのアダプターで取り付け可能です。
Visoflexにはさらに面白いことに、Leitzの望遠レンズエルマー135mmと90㎜が、ある筒のようなものを介して、Visoとしてつなげるのでした。つまり、Visoflex側のピントを合わせる部分(ヘリコイド)は、エルマー65㎜のものを流用しつつ、90㎜レンズの頭部をねじ式にまわして、とりつけ、また、135㎜の場合は、筒を介して取り付けられるのでした。まわりくどいのですが、このまわりくどさが、なかなかマニア心を惹きつけるのです。
まとめますとこうなります。
1,1960年代日本製の一眼レフ攻勢に後れを取ったLeica(Leitz)は、自社のM型レンジファインダーに、ペンタ部分を取り付けて一眼仕様とした。わけても近接接写と望遠というデメリットを、このVisoflexを装着することで、補うような試みだった。
2,ビゾフレックスと呼ばれた本システムには、それぞれにコードネームファインダー部には16499+16479=16498などと)がふられていた。またユニバーサル・フォーカシングマウント(コードネーム16464)を使用し、ときには延長チューブ(コードネーム16471 OTRPO)を使用することにより、レンズをVISO上で共通使用するという、ドイツ人らしい、質実剛健と合理精神の考え方を取り入れた画期的なシステムだった。
3,50年の年月を経た今日、再びVisoに活躍の場が現れた。ミラーレスカメラにマウントアダプターを介してVisoを取り付けることが出来るようになり、
5,また構造上、なかなかオールドレンズを装着しにくい一眼レフカメラにさえも、Visoは装着可能となった。
しかし、こうしたLeica(Leitz)の努力も、Viso3代に亘り続いた物の、一眼レフの攻勢にはとうとう勝てず、Leicaも一眼レフ(R LEICA REFLEX SYSTEMS)シリーズを誕生させることとなりました。
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カメラのおけいこ⑥Nikon、CanonのオールドレンズをLeicaに取り付ける
2017 MAR 1 6:06:32 am by 野村 和寿
今でも、世界のシェアをほとんど席捲しているのが日本のカメラメーカーということができます。レンズ交換式カメラの世界シェア 週刊東洋経済2014年版によると、世界の98.5%が、日本製であり、1位はCanon44.6%、2位はNikonの34,33%3位、以下はソニー、パナソニック、オリンパス、リコーと続いています。
戦後日本でいち早く輸出に貢献したのが、カメラの部門です。とりわけレンズ部門は、LEICAやCONTAXが同じく世界大戦で大きな打撃を被っていたのを背景に、ドイツのレンズの10分の1の価格で、アメリカに輸出され、日本の外貨の貢献に一翼を担いました。
当然ながら、当時最も貴重だったLEICAの35ミリカメラのために、LEICA Lマウントで、レンズが作られていました。
■60年前の日本のCanonの広角レンズ 28mmf3.5Ⅱ
まず最初は、今から60年前の1957(昭和32)年1月に発売されたCanonの広角レンズ28㎜f3.5Ⅱです。Canonは1933(昭和8)年、精機光学研究所が、Kwanon(カンノン)を出したところから始まっています。当時レンズは、日本光学(ニコン)の50㎜f3.5をOEMで供給してもらっていました。
さてCanonの古い広角レンズ28㎜f3.5Ⅱで撮影した午後、JR神田駅の商店街にある「油そば専門店」です。なにか、どくどくとしたアジアン・テイストの色合いです。
「はた!」と気がついたことがあります。この写真はなにか懐かしささえ感じられ、いわゆる「昭和の味わい」を醸し出しているのかもしれません。
ボクが、昔の写真をみたときに、懐かしさを感じるのは、実は「古ぼけた写真」を見たからではなくて、実は、「レンズの描写力だったからかもしれないな」と思いました。今のレンズとは随分と描写力の、重み付けが違うような気がします。まずは、こくのある力強さというような、もっとも大事な部分を骨太にとらえているような。
もう1枚は、神田一ツ橋・學士會館の1928年竣工の古いビルディングです。ビアパブ「SEVEN’S HOUSE」の外観です。この古い建造物をまことに、古そうに描写しているので、すごいなと思いました。
Canon 28mmf3.5Ⅱ単体です。今のレンズと比べると、幾分、癖をもっているレンズで、万能レンズではないのですが、非常にコクのあるレンズだと思います。
製造番号は20325 これを、デジタルカメラLEICA M9に装着してみました。Canonは、当時、Sマウントと称していましたが、LEICA Lマウントと同じマウントです。
CANON MUSEUMによると、1957年1月に発売とあります。価格は、当時25,300円(現在の価格で換算するとなんと141,781円 日銀の物価換算表による)でした。このレンズは京都方面で入手しました。
■69年前のNikon広角レンズ
もうひとつのオールドレンズは、Nikonです。意外にも、Nikonがカメラを作り始めたのは第2次世界大戦後のことです。1917(大正6)年に、三菱財閥の岩崎小彌太の個人出資で設立された日本光学工業は戦前は、主に海軍の光学兵器を製造していました。写真のレンズ名をNIKKORと定めたのは1932(昭和7)年、最初の小型カメラは戦後1946(昭和21)年に製造を開始しています。このNikonの広角レンズは、先ほどのCanonに比べると、さらに古くて1948年発表のW-NIKKOR・C 1:3.5 35mm(3.5cmと表示にあります) No.440587です。
ボクの所有のレンズは、 1948年発表 おそらく1954年5月の87番目の製造ではないかと推測されます。
1951年 19,500円で発売(現在の価格換算で178,605円日銀消費者物価指数による)されました。ボクは、このレンズを、大阪方面で入手しました。
ボクは、Nikonは敬して遠ざけてきた存在であり、このレンズで初めて、Nikonの威力を改めて知りました。レンズは、Nippon Kogaku W-NIKKOR 35mm 絞りf=3.5 No.440587です。
夜の帳が降りる少し前、店を開けたばかりのまだお客さん待ちの九段下のお鮨屋さんです。しっとりとした雰囲気の店内から漏れてくる電灯光。Nikonが戦後すぐ1948(昭和23)年に、出した広角レンズ、広角レンズなので、型番の冒頭に「W」末尾に当時まだ珍しかった「C」がついています。
このレンズは、もともと1939(昭和14)年に逓信省の電話通信回数測定装置のために設計された広角レンズが元になっています。Nikonといえば、戦艦大和や武蔵の測距儀を製作した光学メーカーですが、上にも記したように、戦前は、今ではライバルであるCanonに自社のレンズを供給したりもしていて、興味深いです。戦後になると、これが民生用に転用され技術が実を結んでいきます。
黒澤明の戦時中の『一番美しく』(1944年東宝映画)は、日本光学工業(現・ニコン)の戸塚工場が出てきて、レンズを磨く女子挺身隊の様子が半ドキュメントで撮影されていました。ちなみに3:40からのレンズを磨くシーンで使われている音楽は、なんと敵国アメリカのスーザ作曲のマーチです。このあたりが、黒澤の皮肉でしょうか?
黒澤映画の中でも、戦中に製作された本作品は、戦後上映の機会に恵まれなかったのですが、丁寧にレンズを磨く女子たちの動きを捉えています。ちなみに、顕微鏡をのぞいている女優は矢口陽子で、昭和20年に黒澤明と結婚しています。戦時中に作られたのを忘れてしまうくらいに丁寧な映画です。上のYouTubeは、映画の中にでてくる日本光学の工場のレンズ研磨シーンを、わざわざ抜き出したビデオクリップと思われます。本作に登場するレンズは、日本光学が双眼鏡や砲弾の弾着確認用の双眼鏡、砲弾の弾道計算用の測距器(戦艦武蔵の15メートル測距儀)、ゼロ戦の射撃照準器などの光学機器のためのレンズでした。
Nippon Kogaku W-NIKKOR 35mm 絞りf=3.5 No.440587に話を戻しましょう。とても69年も前のレンズとは思えないしっとり感があります。撮影の日は、午後、突然の驟雨が何度も降る天候でしたが、雲の動きもとても早く、大きな雲が出ていました。強いて言うならコントラスト感が、今のレンズに比べると強すぎで、写真手前のビルの影の部分はかなりアンダーになっています。画面の中で露出が同じような光には、Nikonはくっきりとした写真を結ぶような気がしています。
望むらくは、くっきりとはしているのですが、微妙なディテールの表現となるとまだまだライカの純正レンズには及ばないというのも正直な感想です。
装着したレンズフードは、純正ではなく、最近の作品で「YAMA」という個人ブランドが作っています。フィルター径34.5㎜ねじに装着でき、2分割の構造で、アダプターとフードからできていて、間にフィルター径40.5㎜が挟み込みできます。
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カメラのおけいこ⑤ライカのオールド・レンズをソニーに取り付けてみる
2017 FEB 15 16:16:37 pm by 野村 和寿
ライカのレンズを、最新のカメラ・ソニーに取り付けてみました。このカメラ詳しくいうと、一眼レフのような姿をしていますが、実はそうではなくて、ミラーレス一眼カメラというカテゴリーに属し、オールドレンズとの相性がいいのです。ソニーは、前回紹介したFUJIFILMのイメージセンサー(撮像素子)がCMOSと呼ばれる素子で、35㎜相当に換算すると、1/1.5の大きさ、つまり、焦点距離50㎜のライカレンズだと、その1.5倍の75㎜になってしまいます。これに対し、ソニーα7Ⅱ(2014年12月発売)はイメージセンサーが、35㎜相当に換算すると1倍、フルサイズなので、レンズの焦点距離が、たとえば、50㎜であれば、そのまま50㎜で使えるというメリットがあります。われわれ、オールドレンズファンにとっては、このフルサイズといところが、実はこのカメラが受けている一番のポイントです。
ソニーのα7Ⅱのカタログでうたっている「35㎜フルサイズセンサー搭載」とあるのは、実は、そういうことをいっております。
ソニーは、マウントがソニーEマウントを採用しているため、ライカのレンズはそのままでは、取り付けることが出来ません。長野県にあるフォクトレンダー・ブランド(株式会社コシナ)の「フルサイズ・Eマウント・アダプター」という製品が出ていて、これでもって、ライカのレンズをマウントアダプターを介して、ソニーα7Ⅱに取り付けることが出来ます。このマウントアダプターは、なにしろ日本製なので、正確に製造されているのでとても重宝できます。しかもヘリコイドといって、ピントの微調整ができるつまみがついているので、レンズのピント合わせをさらに正確にできるがいいところです。
前回、御紹介した1958年生まれのライカのレンズ LEITZ WETZLER生まれのELMAR50mm f2.8 沈胴式のレンズを、ソニーα7Ⅱに取り付けて撮影しでみました。
オールドレンズは、いまの市販されているレンズにはない独特の甘さと柔らかさをもっているのが特徴でして、どことなく、昔の味わいのある写真を撮ることができます。
ただし、デメリットもあります。「逆光にはめっぽう弱い」というレンズなのです。確かに以前、子どもの頃、よく「逆光だとカメラは写らないだよ」ということは、父親に教授され、多くの子どもでさえも、逆光というのは常識でした。
左の写真のように、なんとなくもやがかかったようになってしまいます。
逆にいえば、ライカのオールドレンズは、逆光にさえ、いつもより注意すればよいともいえなくもありません。一方、カメラボディのほうのソニーα7Ⅱは、価格も、ライカに比べると、1/7くらいで、ずいぶんとお安く、しかも、イメージセンサー(撮像素子)がライカと同じフルサイズですから、かなりなお得感はあります。
ぼくは、シャッター音が、ちょっとカメラっぽくないなと思うのと、あまりにも、電気メーカーっぽい電子音なのが少々不満です。
しかしながら、なんといっても、不満の一番は、デジタルカメラの場合、光からの情報をイメージセンサーで取り込んだ後で、「画像処理エンジン」と呼ばれる、一種の画像処理のためのデジタル回路を通るのですが、ソニーの場合、その画像処理エンジンがあまりに、よく出来すぎていて、なんでも、綺麗に写ってしまう点です。
写真は手前味噌ですが、ちょっと今撮影したとは、思えない、何となくふるくて懐かしいところのあるものになっていたらよいのですが。しかし、ぼくにとってみると、上記写真の出来もなかなか満足はしていないのです。それは・・・
ライカのレンズをライカ本体のカメラで撮影した場合と比べると、なんでも綺麗。贅沢な悩みかもしれません。もっとライカの場合、色のコントラストがくっきりと色濃くついて、出るところと引っ込むところがもっとはっきり出てきます。ところが、ソニーの場合、どうも、「平均的な美人」のような、おしなべて普通のようにも思えてしまう。そこが、唯一というか、もっといえば、最大の難点だと思っています。でも、ソニーα7Ⅱはよくできたカメラであることは確かだと思います。ソニーは、1933年から2006年まで続いたミノルタのカメラ部門が、写ってきたメーカーです。どことなく、昔のミノルタのペンタ部分(でっぱった所)が似ていなくもないと思っています。かつて一世を風靡したロッコールレンズ、ライカと提携も果たしていたミノルタのαではじまる、一眼レフが、デジタル時代に、ソニーに移り、α7Ⅱとなっていると、ボクは思っています。
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カメラのおけいこ④ Fujifilmのカメラに昔のLeica・レンズを装着してみる・・・
2017 FEB 14 5:05:59 am by 野村 和寿
夕景の井の頭線・池ノ上駅にてFUJIFILM X-Pro1 LEITZ50mm(35mm相当75㎜)で撮影してみました。 オールド・レンズは最新のデジタルカメラには使えないのでしょうか?確かに、ライカのカメラに、日本のブランドのレンズを取り付けるというのは、ずっと以前から行われてきたことなのですが、ボクの知りうる限り、日本のカメラに、ライカのレンズを装着することはたぶん初めてなんじゃないでしょうか?今やそれだけ、日本のカメラは自他共に認めるくらい優秀で最先端をいっている証だと思います。
FUJIFILのX-Pro1は、概観が昔のLEICAのようなレンジ・ファインダー仕様だったので、LEICAが昔みたいに元気だったら、こんなデジカメを出しただろうな?と思って、2012年につい入手してしまいました。後で気がついたのですが、FUJIFILMはレンジ・ファインダーではなくて、レンジ・ファインダーのような外観に、電子ビュー・ファインダー仕様です。 さらに魅力をそそったのは、その後になって、LEICA Mマウント、FUJI Xマウントのマウント・アダプターが発売され、うれしくなって2012年6月に入手しました。なぜうれしいかとすれば、切削技術の優れた大手メーカーである、FUJIFILMが、他社であるライカのアダプターを出してくれるなどと言うことは、今までにありませんでしたから、うれしくなったわけです。 これで、LEICAの手持ちのレンズを、FUJIFILM X-Pro1に装着することができます。最初に購入したLEITZ(LEICAは以前はLEITZ社の製品ブランド名)のレンズは、レンズを引っ張り出す沈胴式と呼ばれる方式でした。エルマー50㎜ f2.8は、1978年にLEICAのM3と込みで入手した、ぼくの記念すべきLEITZ初ものレンズです。 LEITZ WETZLAR ELMAR 1:2.8/50 製造番号1932748(1962年製造)の沈胴式のレンズ(LEICA カタログ本・英国HOBE COLLECTION BOOK Leica Camera and Lens Pocket Book 1994による) 早速撮影してみました。FUJIFILMのX-Pro1は、イメージ・センサー(撮像素子)は、23.6×15.6mmのAPS-Cと呼ばれるサイズです。そこで、ライカの35mm用レンズを装着し使うと、焦点距離50mmは、1.5倍の75㎜になります。75㎜といえば、いわゆる標準レンズというよりも、ポートレートなどに使う、中望遠レンズになってしまいます。うまくLEITZを使いこなせるか不安でした。
カメラ本体の右側に、オート・フォーカスの切り替えつまみがあります。マニュアル・フォーカスに切り替えます。ファインダー内に表れるマウント・アダプターのレンズ設定を変更します。 右はマウント・アダプター設定>レンズ6>焦点距離設定>焦点距離入力で、75㎜から85㎜に変更。
X-Pro1のボディ前面にあるフォーカス・モードは、マニュアルにし、メニュー画面から、マウント・アダプター設定は、75㎜、レンズなしレリーズをONにしていざ撮影です。ところが、どうもピントが甘いのです。 はじめ、オールド・レンズ独特のものかと思ったのですが、よくよくファインダーをみてみると、ピントが、後ろにくる(あとぴん というそうです)。そこで、試行錯誤の末、「マウント・アダプター設定」を、75㎜から85㎜に変更してみました。 この設定はこういう時にあるようでした。X-Pro1は、レンジ・ファインダーのようですが、実は、ファイダーは、液晶画面による電子ビュー・ファインダーなのです。かなり精度はいいのですが、純粋な光学ファインダーではなく、ましてやレンジファインダーではないのです。 ピントはどうしても甘くなる。そこで、マウント・アダプター設定がついていたのだと思いました。 X-Pro1 Leitz Elmar 50mmは、どうだったかというと、相性は、ピント合わせがかなりセンシブルであること。しかし、それを考慮すれば、写真は、ぼくのイメージするオールド・レンズのしっとり感や、コントラストのはっきりとしたいわゆる絵画的な描写が少しですが、実現できたように思います。
大井町居酒屋の夕景電灯の色がでています。 ▇ここまでの結論 FUJIFILM X-Pro1にLeitz Elmar50mm(35mm相当75mm)を装着して撮影すると、いままで、FUJIFILM純正では味わえなかったような、まろやかな写真になった。なんとなくピントがあまく写ること。これこそがオールドレンズのよさかもしれないのです。まだまだ、オールドレンズの深みにはまります。 つづきます。 ソナー・メンバーズ・クラブのHPはソナー・メンバーズ・クラブをクリックして下さい。