Sonar Members Club No45

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赤とんぼとシューマン

2017 JAN 8 5:05:06 am by 野村 和寿

前回のボクのブログで、「夕焼け小焼け」を御紹介しましたが、もうひとつの
「夕焼け・・・」ではじまる童謡「ゆうやーけこやけーの あかとんぼ」。そうです。今回は「赤とんぼ」を中心として、シューマンとの関係を語りたいと思います。ボクは長い間、「夕焼け小焼け」と「赤とんぼ」とを混同して疑いませんでした。申し訳ないです。

「赤とんぼ」は、1921(大正10)年に雑誌「眞珠島」に掲載された三木露風の詞を元に、山田耕筰が1927年に作曲した童謡です。

赤とんぼ(作詞:三木露風、作曲:山田耕筰 1927年)
1, 夕焼け小焼けの 赤とんぼ 負われて見たのは いつのひか
2, 山の畑の 桑の実を 小籠(おかご)に摘んだは、まぼろしか。
3, 十五で姐(ねえ)やは嫁にいき お里のたよりも 絶えはてた
4, 夕焼け小焼けの 赤とんぼ とまっているよ 竿の先

赤とんぼ 由紀さおり 安田祥子(うた)

シューマンの「ピアノとオーケストラのための序奏とアレグロ・アパショナート ト長調 作品54」を聴いてみますと、少なくとも、ボクの聴いた限りでも、
全体の演奏時間13:48のなかでも、2:53、3:06,3:15、4:48、5:47、5:56,7:35,10:31、10:43に山田耕筰の「赤とんぼ」中の「ゆうやーけこやけーの」のメロディーと、瓜二つの部分が登場してきます。
まずは、お時間があれば、この映像で聴いてみてくださいませ。

シューマン ピアノと管弦楽のための序奏と協奏的アレグロ op134
アンジェラ・ヒューイット(ピアノ独奏)、アンドリュー・マンツェ指揮BBC交響楽団 2011年プロムス 8月14日Prom48 Brahms&Schumann ロイヤル・アルバートホールでの演奏です。

よりその部分だけの抜き出した映像もありました。

1981年(昭和56)年4月12日付けの夕刊フジ紙に、作家の吉行淳之介氏(1924大正13年−1994平成6年)が発表した見出し「赤とんぼ・・・シューマンから飛び出した!!ピアノと管弦楽作品聞いていた そっくり旋律18回も」とまるで、スクープ記事のような大見出しの記事を掲載しました。
この夕刊フジの記事の元ネタはの文藝春秋の昭和56年(1981年)9月号に吉行淳之介の寄稿したエッセイからきています。
ボクがシューマンの「ピアノとオーケストラのための序奏とアレグロ・アパショナート」のなかで、数えて「赤とんぼ」のメロディーだと思ったのは9回でしたが、上記記事では18回とありました。
この記事以前にも1963(昭和36)年に石原慎太郎氏がドイツの友人から聞いた話として、ある雑誌で「ドイツの古い民謡だ」と発表し、当時存命中だった山田耕筰の猛抗議をうけています。

▇ボクの推理
山田耕筰(1886明治19年〜1965昭和40年)は、1910(明治45)年から1914(大正3)年にかけて、ドイツ・ベルリン(当時のプロイセン王国)の王立アカデミーに留学して、作曲家マックス・ブルッフ(1838−1920年 チェロの名曲「コール・ニドライ」の作曲者で有名)に師事しています。留学中に日本初の交響曲「勝ちどきの平和」を作曲したりしています。
彼が帰朝後「赤とんぼ」をスケッチして作曲したのは1927(昭和2)年です。

いっぽう、ロベルト・シューマン(1810〜1856年)が、本曲を作曲したのは1849年のことです。
山田耕筰が、ベルリン留学中にシューマンの「ピアノとオーケストラのための序奏とアレグロ・アパショナート ト長調 作品54」を演奏会で聴いたことは、十分にありえるのです。
ボクは、シューマンはドイツの古い民謡からメロディーを採った→山田耕筰はそのシューマンからメロディーを採って「赤とんぼ」を作曲したのではないかと思います。ただ、クラシックの世界では、別の作曲家のメロディーを、ほかの作曲家が、本歌取りするという例はほかにもたくさんあり、それが、悪いといっているのではなくて、クラシック音楽というのは長い間、メロディーをそうやって伝えてきたともボクは、考えています。

*ちなみに、以前「赤とんぼの謎」というCDがキングレコードから2004年に発売されたことがありました。今でも購入可能です。世界40カ国以上で歌われている「赤とんぼ」の謎について集めたテノール・ヘフリガー、バイオリン・カンポーリ、フルート・ランパルまで24種類の音源を集めたCDでした。

赤とんぼの謎

CD キングレコード2004年
9月発売 フルート・ランパル、イ・ムジチ合奏団、バイオリン・カンポーリ、テノール・ヘフリガーなど24種類の赤とんぼが聴ける。

*ちなみに本題から外れますが、シューマンの映像中、ピアニスト・アンジェラ・ヒューイットが弾いているピアノは、ベーゼンドルファー、スタインウェイ、ヤマハといった大メーカーのピアノではなくて、イタリアのFazioliファツィオリというブランドのピアノです。1981年に出来たばかりの新進ですが、最近人気になってきました。音が柔らかで優しい音が特長です。
ピアノ工房はイタリア・ベニスから北へ60キロメートルのサチーレにあります。ご興味ある向きには下記をご覧くださいませ。
社史の映像はこちらから
社史はこちらから
工場ツアー映像はこちらから

*シューマンは音楽評論家もしていたので『音楽と音楽家』(岩波文庫青502 Ⅰ)という興味深い評論集が出ています。ちなみにこの評論集は、音楽評論家の吉田秀和氏(1913大正2年〜2012平成24年)が翻訳し、吉田氏の最初の著作で1941(昭和16)年2月に創元社から出版されました。なんと戦争の始まる年です。今も絶版にはならず刊行中です。非常に面白いです。

音楽と音楽家 シューマン

音楽と音楽家 ロベルト・シューマン著 吉田秀和訳  岩波文庫青502Ⅰ

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プッチーニと「夕焼け小焼け」の関係

2017 JAN 7 8:08:43 am by 野村 和寿

ぼくはオペラを聴くときに、どうしても音楽、メロディーから先に聴いてしまい、ストーリーが後になってしまう傾向があるのですが、メロディーからときどき面白いことに気づかせられることがあります。プッチーニと日本の童謡で誰でもご存じの「夕焼け小焼け」について今回は述べることにします。

ジャコモ・プッチーニ(1858−1924年イタリア)

プッチーニ

ジャコモ・プッチーニ(1858-1924年)最後の作品が『トゥーランドット』です。

といえば、『マノン・レスコー』1893年作、『ラ・ボエーム』1896年作、『トスカ』1900年作、『マダム・バタフライ(蝶々夫人)』1904年作と、立て続けにヒット・オペラ作品を作曲していったが、『トゥーランドット』は、1924年11月彼の死によって未完に終わりました。このオペラを契機に、ロッシーニ、ヴェルディ、ドニゼッティ、レオンカヴァッロ、そしてプッチーニと続いたイタリアのグランド・オペラは一気に衰退していくことになるのですが。
『蝶々夫人』の作曲時に、日本から日本の歌謡の楽譜を大量に取り寄せたことはよく知られていて、「お江戸日本橋」のメロディーが、『蝶々夫人』の中に出てきたりします。

そして歌劇『トゥーランドット』を観ていると、どこかで聞き覚えのあるメロディーが聴こえてきます。そうです。これは童謡『夕焼け小焼け』(草川信作曲中村雨紅作詞1923年)の『やーまのおてらのかねがなる』の音楽部分に非常によく似ています。というよりもそっくり同じです。
この音楽は、プッチーニが、きっとまた、東洋を舞台にした、オペラを作曲するにあたって、中国も、日本も、東洋である一緒に考えていて、中国を舞台にしているのに、日本の「夕焼け小焼け」からメロディーを拝借したと考えてもおかしくないのではないかと思われます。

夕焼け小焼け 草川信作曲 中村雨紅作詞 1923年
1 夕やけこやけで 日が暮れて
山のお寺の 鐘がなる
お手々つないで みなかえろ
からすといっしょに かえりましょ

2 子供がかえった あとからは
まあるい大きな お月さま
小鳥が夢を 見るころは
空にはきらきら 金の星

夕焼け小焼け号

写真は路線バス「夕焼け小焼け」号。歌を作詞した中村雨紅の故郷、東京府南多摩郡恩方村(現在の東京都八王子市)の「夕焼小焼」バス停にて。バスは2006年まで運行されていたボンネットバスが運行されていました。(ウィキペディアより引用)

DATA:プッチーニ(1858-1924年) 歌劇『トゥーランドット』(初演1925年)
1919年作曲にとりかかり、途中1921年から22年作曲が中段されるが、1923年作曲再開1924年11月29日プッチーニの死により未完におわる。アルファーノが補作し1925年4月ミラノ・スカラ座でトスカニーニの指揮により初演。

映像DATA:ジャコモ・プッチーニ 歌劇『トゥーランドット』
トゥーランドット:ガブリエレ・シュナウト
カラフ:ヨハン・ボータ
リュー:クリスティーナ・ガイヤルド=ドマス
ティムール:パータ・ブルチュラーゼ
ウィーン国立歌劇場合唱団テルツ少年合唱団
ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団
指揮:ワレリー・ゲルギエフ
演出:デイヴィッド・パウントニー
収録:2002年8月、ザルツブルク祝祭大劇場

今回は、よりプッチーニの意図に沿った形で、第3幕の悲劇のヒロイン「リューの死」以降をイタリアの現代音楽の作曲家ルチアーノ・ベリオが補作した版をお聴きください。

ぼくが、数えた中でも第1幕13:45 17:30、20:50、34:08 58:12 1:13:04,1:15:50
第3幕 1:31:18と、なんどもなんども・・・
「やーまのおてらのかねがなる」のメロディーが聴こえました。もしお時間があったら、ぜひ、「夕焼け小焼け」を念頭に入れて、このオペラを聴いてみると面白いと思います。
ベリオ補作版でさえも、これだけの「夕焼け小焼け」が出てくるのです。通常のアルファーノ補作版であれば、さらにエンディングにこれでもかと「夕焼け小焼け」がでてくると思います。

さらに調査を続行していくと、思わぬ事が分かってきました。
中国の古謡に「‪茉莉花(ジャスミン)」という曲があり、これを聴いていくと
まさに「夕焼け小焼け」の「やーまのおてらの」にそっくりなのです。この曲は清末から伝わっている曲だそうです。つまり年代から推定すると、「夕焼け小焼け」のほうが、中国の古謡から採っているのかもしれなません。あるいは偶然?

いやいやプッチーニは、日本のメロディー「夕焼け小焼け」から採っているのだとすると、こういう状況証拠もあります。
1900年オペラ『蝶々夫人』作曲時に、当時の在イタリア大使夫人 大山久子から、日本の音楽のレクチャーを受けてとあり、大山久子(大山巌大将の親族で長州藩出身 夫は薩摩藩出身)の紹介で、1902年には、海外公演中の日本の女優川上貞奴にもパリ万国博のときに会って、日本の音楽について取材もしています。そのときの印象があって、日本から新曲1922年作の「夕焼け小焼け」の楽譜を取り寄せたのかも知れません。

また、元に戻って、プッチーニの『トゥーランドット』は、ぼくの頭の中では、いまだに「夕焼け小焼け」で鳴っているのです。

「トゥーランドット」というと、ついつい、「ネッスン・ドルマ[誰も寝てはならぬ]が有名でそこばかりが、クローズアップされがちですが、オペラの楽しみはそれだけではありません。すこしでもオペラを知って欲しいと思いまして書いてみました。

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