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プッチーニと「夕焼け小焼け」の関係

2017 JAN 7 8:08:43 am by 野村 和寿

ぼくはオペラを聴くときに、どうしても音楽、メロディーから先に聴いてしまい、ストーリーが後になってしまう傾向があるのですが、メロディーからときどき面白いことに気づかせられることがあります。プッチーニと日本の童謡で誰でもご存じの「夕焼け小焼け」について今回は述べることにします。

ジャコモ・プッチーニ(1858−1924年イタリア)

プッチーニ

ジャコモ・プッチーニ(1858-1924年)最後の作品が『トゥーランドット』です。

といえば、『マノン・レスコー』1893年作、『ラ・ボエーム』1896年作、『トスカ』1900年作、『マダム・バタフライ(蝶々夫人)』1904年作と、立て続けにヒット・オペラ作品を作曲していったが、『トゥーランドット』は、1924年11月彼の死によって未完に終わりました。このオペラを契機に、ロッシーニ、ヴェルディ、ドニゼッティ、レオンカヴァッロ、そしてプッチーニと続いたイタリアのグランド・オペラは一気に衰退していくことになるのですが。
『蝶々夫人』の作曲時に、日本から日本の歌謡の楽譜を大量に取り寄せたことはよく知られていて、「お江戸日本橋」のメロディーが、『蝶々夫人』の中に出てきたりします。

そして歌劇『トゥーランドット』を観ていると、どこかで聞き覚えのあるメロディーが聴こえてきます。そうです。これは童謡『夕焼け小焼け』(草川信作曲中村雨紅作詞1923年)の『やーまのおてらのかねがなる』の音楽部分に非常によく似ています。というよりもそっくり同じです。
この音楽は、プッチーニが、きっとまた、東洋を舞台にした、オペラを作曲するにあたって、中国も、日本も、東洋である一緒に考えていて、中国を舞台にしているのに、日本の「夕焼け小焼け」からメロディーを拝借したと考えてもおかしくないのではないかと思われます。

夕焼け小焼け 草川信作曲 中村雨紅作詞 1923年
1 夕やけこやけで 日が暮れて
山のお寺の 鐘がなる
お手々つないで みなかえろ
からすといっしょに かえりましょ

2 子供がかえった あとからは
まあるい大きな お月さま
小鳥が夢を 見るころは
空にはきらきら 金の星

夕焼け小焼け号

写真は路線バス「夕焼け小焼け」号。歌を作詞した中村雨紅の故郷、東京府南多摩郡恩方村(現在の東京都八王子市)の「夕焼小焼」バス停にて。バスは2006年まで運行されていたボンネットバスが運行されていました。(ウィキペディアより引用)

DATA:プッチーニ(1858-1924年) 歌劇『トゥーランドット』(初演1925年)
1919年作曲にとりかかり、途中1921年から22年作曲が中段されるが、1923年作曲再開1924年11月29日プッチーニの死により未完におわる。アルファーノが補作し1925年4月ミラノ・スカラ座でトスカニーニの指揮により初演。

映像DATA:ジャコモ・プッチーニ 歌劇『トゥーランドット』
トゥーランドット:ガブリエレ・シュナウト
カラフ:ヨハン・ボータ
リュー:クリスティーナ・ガイヤルド=ドマス
ティムール:パータ・ブルチュラーゼ
ウィーン国立歌劇場合唱団テルツ少年合唱団
ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団
指揮:ワレリー・ゲルギエフ
演出:デイヴィッド・パウントニー
収録:2002年8月、ザルツブルク祝祭大劇場

今回は、よりプッチーニの意図に沿った形で、第3幕の悲劇のヒロイン「リューの死」以降をイタリアの現代音楽の作曲家ルチアーノ・ベリオが補作した版をお聴きください。

ぼくが、数えた中でも第1幕13:45 17:30、20:50、34:08 58:12 1:13:04,1:15:50
第3幕 1:31:18と、なんどもなんども・・・
「やーまのおてらのかねがなる」のメロディーが聴こえました。もしお時間があったら、ぜひ、「夕焼け小焼け」を念頭に入れて、このオペラを聴いてみると面白いと思います。
ベリオ補作版でさえも、これだけの「夕焼け小焼け」が出てくるのです。通常のアルファーノ補作版であれば、さらにエンディングにこれでもかと「夕焼け小焼け」がでてくると思います。

さらに調査を続行していくと、思わぬ事が分かってきました。
中国の古謡に「‪茉莉花(ジャスミン)」という曲があり、これを聴いていくと
まさに「夕焼け小焼け」の「やーまのおてらの」にそっくりなのです。この曲は清末から伝わっている曲だそうです。つまり年代から推定すると、「夕焼け小焼け」のほうが、中国の古謡から採っているのかもしれなません。あるいは偶然?

いやいやプッチーニは、日本のメロディー「夕焼け小焼け」から採っているのだとすると、こういう状況証拠もあります。
1900年オペラ『蝶々夫人』作曲時に、当時の在イタリア大使夫人 大山久子から、日本の音楽のレクチャーを受けてとあり、大山久子(大山巌大将の親族で長州藩出身 夫は薩摩藩出身)の紹介で、1902年には、海外公演中の日本の女優川上貞奴にもパリ万国博のときに会って、日本の音楽について取材もしています。そのときの印象があって、日本から新曲1922年作の「夕焼け小焼け」の楽譜を取り寄せたのかも知れません。

また、元に戻って、プッチーニの『トゥーランドット』は、ぼくの頭の中では、いまだに「夕焼け小焼け」で鳴っているのです。

「トゥーランドット」というと、ついつい、「ネッスン・ドルマ[誰も寝てはならぬ]が有名でそこばかりが、クローズアップされがちですが、オペラの楽しみはそれだけではありません。すこしでもオペラを知って欲しいと思いまして書いてみました。

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