2月12日(火)から旧暦の2月が始まります。
2013 MAR 9 10:10:17 am by
あさっての2月11日(月)で旧暦1月である睦月(むつき)が終わり、翌日12日(火)から旧暦2月である如月(きさらぎ)が始まります。
前回も記述させていただきましたが、旧暦1月の睦月は、季節上は「春」で、日の入り時刻が刻々と遅くなり、陽光も強くなって来ますが、気温は、それほど上がらず、まだまだ冬将軍が頑張っているイメージでした。
そして旧暦2月である如月に入りますと、勿論、一直線に暖かくなるわけではなく、寒さのぶり返しを挟みながらですが、気温がぐんぐんと上がり始め(すでに、この2〜3日、急に暖かくなりました。)、桜の開花という如月のメインイベントを迎えます。
如月(きさらぎ)と桜の花と言えば、歌人である「西行法師」の辞世の歌を直ぐに思い出します。
「願わくば花の下にて春死なん その如月の望月の頃」
言わずもがなですが、「花」とは「桜」、「望月」とは「十五夜の満月」です。
この歌は、まさしく素人的な見方ですが、「韻律」から見ても凄い歌と思います。きつく強い音であるハ行とサ行が連続していて(はなの→したにて→はる→しなん→その と続く)西行法師が死期が近づいたことに気付き、そのことに、ずいぶんと激しい感情を抱いていたのかな、などと推測してしまいます。
もっと凄いのは、この歌の通り、実際に西行法師が旧暦2月、如月の望月の日(15日)に亡くなっていることです。
「満開の桜を愛でながら歿っして逝く」とは、日本人冥利に尽きるのではと思ってしまいます。 花崎洋
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花崎 洋 / 花崎 朋子
3/9/2013 | 11:21 AM Permalink
上記タイトル、2月12日(火)とありますが、勿論3月12日が正しいものです。本文中も、あさって3月11日が旧暦1月の最終日です。単純ミスで、たいへん申し訳ございません。花崎洋
東 賢太郎
3/14/2013 | 11:02 AM Permalink
一面の満開の桜の下・・・これは日本しかない、ほんとうに僕の知る限り世界にも類のない特別の居場所です。その場所で古人はこう読みました。
世の中にたえて桜のなかりせば春の心はのどけからまし 在原業平(古今集 春上 53)
その場所は永くはつづかず、日本人の時のうつろいや世の定めという感覚におおきく影響しているのではないでしょうか。ストレートな英語だと
I would have lived more peaceful life every spring if our world did not possess cherry blossoms at all.
という感じでしょうが情緒ないですね。「のどけ」をpeacefulにしてしまいましたが、美しすぎてpeaceを乱す存在というのは世にあまりないようです。よほどの美女?でもない限り。京都の夜桜を「妖艶」とよくいいますが、そういう感覚があるのでしょうか。ヨーロッパの花は5月に咲きます。Maiという単語がシューマンやRシュトラウスの歌曲にたくさんでてくるのはそのためです。日本の如月とは風情がちがいますが、待ち焦がれてやっと・・・という感じは似ています。MaiはMaiでとてもいい、美しい月です。
花崎 洋 / 花崎 朋子
3/14/2013 | 2:17 PM Permalink
東さん、コメント有り難うございます。在原業平の歌、学生時代に習った時よりも、今の年齢になってからの方が、言わんとすることが良く分かります。そう言えば俳人の小林一茶と大変仲が良かった一瓢という僧侶が、桜に因んで、こんな俳句を読んでいるのを思い出しました。「花盛り神も仏もあっち向け」 まさに妖艶で美し過ぎて心のpeaceが乱れてしまうのでしょうね。ヨーロッパのMai、住んだことも行ったことも有りませんので、想像の域は出ませんが、長く厳しい冬がようやく終わり、暖かくなって様々な花々が咲き始める・・・。とても有り難く感じる季節なのでしょう。花崎洋
東 賢太郎
3/14/2013 | 3:47 PM Permalink
「ロシアの暴虐(ぼうぎゃく)の春、それはたちまちにして起こり、あたかも大地全体がバリバリと音を立てて砕けるようだ」(イーゴリ・ストラヴィンスキー)
ロシアの春はそうやって来るようです。「春のうららの~」の日本と「春の祭典」のロシア。やっぱり日本に生まれてしあわせです。
花崎 洋 / 花崎 朋子
3/15/2013 | 9:03 AM Permalink
ストラヴィンスキーの「春の祭典」、彼自身の指揮によるCDを持っていますが、恥ずかしいことに、ロシアの春の到来を表していることを知らずに聴いておりました。暴虐の春、大地がバリバリと音を立てて砕けるが如く・・・ 日本の春が、断然いいですね。