賛否両論、その3「指揮者と楽曲との相性について考える」
2013 APR 14 5:05:50 am by
人と人との間に「相性」があるのと同様に、指揮者と楽曲との間にも「相性」があるだろうと、軽い気持ちで着想しましたが、考えれば考えるほど、一筋縄では行かない複雑なテーマであることに気付きました。
そこで、あくまで、現段階で感じております事を、それこそ、賛否両論が出ることを承知の上で、書かせていただきます。
今回は「いわゆる名演奏」と「楽曲との相性」との関連で4つに分類するという試論的アプローチです。
1:誰が聴いても「シックリ」来る、曲との相性が抜群の名演奏
一般的な意味で、指揮者と楽曲の相性が抜群というケースです。分かりやすいところでは、ベートーヴェンの交響曲で言えば、「奇数番号」が合うのがフルトヴェングラー、「偶数番号」が合うのがワルターというような分類の仕方が代表例ですが、それに囚われずに「例」を挙げますと、
例1:トスカニーニ指揮のベートーヴェン交響曲第1番、3番「英雄」
例2:ワルター指揮のシューベルト交響曲第5番
他にも多々ありますが、いずれも、抵抗感なく自然な流れの音楽を充分に楽しめる上に感動の度合いも深いものがあります。(指揮者の「私意」が十二分に入っているのに、それを余り感じさせない点で相性抜群と言えます。)
2:曲との相性は、いかにも良くないのに、何故か感動してしまい、考えさせられてしまう演奏
例1:フルトヴェングラー指揮のベートーヴェン交響曲第6番「田園」
まさに個人の主観の世界、賛否両論が多く出るケースでしょう。上記の例も、第一楽章のテンポは全ての演奏の中で最も遅く、第5楽章第2主題のテンポの急加速等、極めて田園らしくない大変異様な演奏ですが、恐らくベートーヴェンが意図したであろう「自然への畏敬や帰依」が非常に良く体現されていると考えます。特に第5楽章コーダは深みのある演奏と私個人は思います。
3:相性云々を超えて「徹底的に突き抜けた」結果、感動的な演奏
上記2のケースに良く似ていますが、指揮者の強い信念の元、相性などお構い無しに、正に正面突破を強行した結果、深い感動を呼ぶ演奏です。
例1:ムラヴィンスキー指揮のベートーヴェン交響曲第4番
冷徹に洞察し切り、透明感抜群の、切れ味鋭い名演と思います。
例2:チェリビダッケ指揮のブルックナー交響曲第9番
チェリビダッケ最晩年、死の約1年前の演奏。この演奏を耳にすると、上記分類の1(相性抜群)に入るであろうシューリヒト指揮の同曲演奏が、すっかり霞んでしまうほど。
4:いわゆる「自然体」の演奏なのに感動が深いもの
指揮者の個人的な解釈を余り感じさせず、楽譜を信じて忠実に曲を再現したもので、嫌う人が滅多に出ないのに、それでいて、単なる平凡で無難な演奏とは、明確に一線を画するもの。ある意味では、最も凄い演奏かもしれません。
風変わりな演奏が好みな私としては、自信を持って例示出来ませんが、ベートーヴェンの交響曲で言えば、コンヴィッチュニー指揮、ライプツイッヒゲバントハウス管弦楽団の演奏や、ニューヨーク滞在中にライブで聴きましたプロムシュテット指揮、ドレスデンSKの演奏は、この範疇に入ると思います。
以上、あくまで試論であります。失礼いたしました。花崎洋
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東 賢太郎
4/14/2013 | 6:27 PM Permalink
演奏家にご造詣の深い花崎さんらしい非常に奥行のあるテーマと拝読させていただきました。演奏の何が感動の源かといえば、リストやパガニーニの曲であれば超人的技巧に人を酔わせる要素があるでしょう。しかし技巧だけで田園交響曲が感動的になるかというとそうではありません。結局、音楽家がその曲にどれだけ感動しているか、それを人に伝えたいと望んでいるかということでしょうか。指揮者が舞台で客と一緒に感動していては仕事できませんし、プロですから譜面さえあれば何でもできてしまう職人でもあります。そういう数多の「それなりの」演奏の中で、指揮者の心に灯った火と熱が伝わるという稀なケースがあり、それに接すると聴衆は感動するのではないでしょうか。あまり頭の整理ができていませんが、素晴らしいテーマなのでこれからご一緒に考えていきたいと思います。特に2.はユニークな切り口ですので、僕なりに例をいろいろ挙げてみようと思います。
花崎 洋 / 花崎 朋子
4/15/2013 | 7:07 AM Permalink
東さん、早速にコメント、誠に有り難うございます。過分にご評価下さり、照れくさくもあり、勿論うれしくも感じております。そう言えば、フルトヴェングラーは「「技巧」は良い演奏を成し遂げるための、単に一条件にしか過ぎないのに、アメリカ合衆国等で技巧が主役となった演奏が増えて来て嘆かわしい」という趣旨の発言を繰り返していたそうです。東さんにからの「ご例示」、たいへん楽しみにしております。
中島 龍之
4/15/2013 | 10:35 AM Permalink
指揮者と楽曲という観点からの分類、面白いです。聴く際に頭において聴いてみます。
東 賢太郎
4/15/2013 | 11:57 PM Permalink
花崎さん、アメリカは歴史がない分そうなったとも言われますが歴史ある国出身のトスカニーニがそういうタイプだった影響もあるようですね。チェリビダッケの練習を見ていた時に、彼の望む音を出すにはまず高度な技巧こそ必要だと思いました。でも要求していたことはせんじ詰めれば正確なピッチ、リズム、フレージングで、野球なら攻走守のようなものであり当たり前といえばあまりに当たり前です。それが彼の耳の許容する水準になるのは大変難しいと、そういう印象でした。その当たり前をハイレベルで達成することこそ「技巧」なのかなと思います(アートとは技巧という意味です)。それと、それがどれだけ「効果」ではなく「音楽」に貢献するものか、です。ここが大事だと思います。それを言葉で説明するのが困難なのでピアニストの例を挙げますと、クラウディオ・アラウの技巧はすぐれてそういうものであると聴くたびに僕は感じておりますが、ホロヴィッツやグールドは並ぶ者のない物凄い技巧なのでしょうがそう僕には聴こえません。逆にウィルヘルム・ケンプは、シューベルトやシューマンの一部の曲などとても素敵なのですが、ベートーベンとなると僕には技巧の問題が聴こえてしまいます。昔こういう演奏を「高い精神性」などともちあげる批評家がいましたが僕は疑問に思います。一方、アルフレッド・コルトーは晩年は技巧に大変問題がありました。あれでバッハやベートーベンを弾かれたら僕はすぐ逃げ出しますが、どういうわけかショパンなら気になりません(むしろショパンのワルツ集はコルトーが一番好きです)。ほんとうに音楽というのは不思議なものですね。
中島さん、新世界を聴き比べられた成果でこの花崎分類もだんだん意味が分かってこられると思いますよ。ぜひ頭においてトライしてみてください。
花崎 洋 / 花崎 朋子
4/16/2013 | 4:16 PM Permalink
中島さん、コメント有り難うございます。「面白い」とおっしゃっていただき、うれしく思います。花崎洋
花崎 洋 / 花崎 朋子
4/16/2013 | 4:23 PM Permalink
東さん、詳しいお話を有り難うございます。アートとは「技巧」のこと、そして、「技巧」が、どれだけ「音楽」に貢献するものか、正におっしゃる通りと思います。
ピアニストの例、たいへん分かりやすく、特に、アラウ、ケンプ、コルトーは、その通りと思います。コルトーのショパンは洒落ていますね。個人的にはコルトーよりもアラウのショパンの方が好きです。本当に音楽とは不思議なもので、だからこそ、決して飽きが来ないのだとも思います。花崎洋
東 賢太郎
4/16/2013 | 5:24 PM Permalink
ショパンワルツ第9番「告別」 変イ長調 Op.69-1 などコルトーは本当にお洒落ですね。ダンディなフランス男の色気です。主部の最後のところの和音のくずしは真似してもどうしてもできません(ダンディでないということですね)。あそこを譜面通りささっと弾かれるともの足りません。中毒と化しています。フランソワのラヴェルもそうです。こういうことはアメリカ人、アメリカに渡った欧州人からはあまり聴いた経験がないように思います。でもこれも技巧のうちですからフルトヴェングラーが言う技巧はむしろ技術と言うべきかもしれません。
東 賢太郎
4/16/2013 | 10:31 PM Permalink
少し花崎さんのブログの本旨からはずれてしまったので、分類2の「相性が良くなさそうなのにいい演奏」と思うものを挙げてみます。
①エドリアン・ボールト/ロンドンpo.のモーツァルト41番
英国人というせいか世界的に無視されていますが僕が最も好きなジュピターの一つです。第4楽章フーガから風格ある終結へ。感動的です。
②アンドレ・クリュイタンス/ベルリンpo.のベートーベン3番
フランス物のイメージが強く偶数番号だけ良いとされていましたがこれも一級品のエロイカです。
③ブルーノ・ワルター/コロンビアSO.のドヴォルザーク8番
美しいです。迫力も充分です。ワルターにスラヴのイメージが合わないせいかあまり知られていません(新世界もいいです)。
④レオポルド・ストコフスキー/ニュー・フィルハーモニアO.のブラームス4番
彼の人生最後のライブ。色物系のイメージがあるストコフスキーですが全くの正攻法。すごいエネルギーの放射で若者の指揮かと思わせます。
花崎 洋 / 花崎 朋子
4/17/2013 | 8:17 AM Permalink
東さん、2つのコメント、たいへん有り難うございます。
フルトヴェングラーの発言は、英語で言えば「アート」ではなく「テクニック」の方だと思いますので、「技術」と言うべきでした。申し訳ございません。
分類2番の推薦盤、有り難うございます。大変興味深い切り口であります。現在は持っていませんが、クリュイタンスの英雄とワルターのドボルザーク8番は聴いたことがあります。特にワルター最晩年の演奏(死の約1年前)であるにも拘らず、8番の迫力に圧倒された記憶が鮮明に残っています。新世界の方は、8番と異なり土臭くなく、モーツアルト的な演奏だったと記憶しております。その点で面白いですね、ストコフスキーの「正攻法」とは正に意外ですし(最後のライブとなるであろうことを舞台上で直感し、完全燃焼を目指したのか?)、ボールトのジュピターも念頭に入れて置きます。現在でも少々残っております、私のモーツアルトに対する、やや苦手な意識を払拭する契機になるかもしれませんので。花崎洋
東 賢太郎
4/17/2013 | 9:32 AM Permalink
モーツァルトがそういうことであれば
カール・シューリヒト/パリ・オペラ座O.の38番(プラハ)
を。先入観なくぜひ。
花崎 洋 / 花崎 朋子
4/17/2013 | 10:04 AM Permalink
有り難うございます。シューリヒト、パリ・オペラ座オーケストラの38番プラハですね。探してみます。