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大森実の『戦後秘史』を読了

2017 JAN 3 7:07:42 am by 野村 和寿

1975年に刊行された、大森実の『戦後秘史』(講談社刊)を、アマゾンで1-5巻まで揃えました。ぼくはこの本を、大学のときに、本当にスゴイジャーナリストがいるもんだと、感動して読んだのを思い出します。それからもうかれこれ30年、再び読んでいます。

古書が揃えられるのは、アマゾン恐るべしです。

大森実著 戦後秘史

戦後秘史料全10巻その1
1975(昭和50)年第1冊講談社より刊行開始

元毎日新聞の国際事件記者 大森実が、終戦直前、終戦直後に、関わった人々に直接取材する時間がないと、精力的に、インタビューを重ねた力作です。

文章は、まるで目の前で事件が起きているように新聞記者の平易な文章で血湧き肉躍ります。各巻には、直撃インタビューが掲載されていて、当事者の肉声が聴けます。その多くは既に鬼籍に入っているので、今や話を聞けない人々ばかりです。

1 日本崩壊 児玉誉志夫(上海海軍児玉機関長)

2 天皇と原子爆弾 阿南綾(陸軍大臣阿南惟幾大将未亡人)

迫水久常 (鈴木貫太郎内閣 書記官長)

松本俊一(鈴木貫太郎内閣 外務次官)藤村義朗(海軍中佐

在スイス日本公使館駐在海軍武官)

3 祖国革命工作 野坂参三(日本共産党議長 参議院議員)

西氏恒次郎・ジョー小出(元アメリカ共産党員)

4 赤旗とGHQ ジョン・エマーソン(OWIスタッフ 元駐日公使)

テオドル・コーエン(GHQ労働部長)

志賀義雄(日本のこえ全国委員長)

鹿地亘(作家)

5 マッカーサーの憲法 鈴木九萬(横浜終戦連絡委員会 委員長)

後藤隆之介(近衛公ブレーン 昭和同人会代表委員)

近衛通隆(東大助教授)いずれも肩書きは本中のもの

6 禁じられた政治

曾禰益(終戦連絡事務局政治部長)敗戦時のポイントを握る外交部長

塚原太郎(GHQ民政局公職審査課適正分析官・元米国陸軍中尉)

反軍国 主義の帰米二世

福田篤泰(第一次吉田内閣総理首席秘書官)吉田茂の最大の事情通

都留重人(GHQ経済科学局アドバイザー、朝日新聞論説顧問)

財閥解体に取り組んだ第一級の経済学者

エリノア・スメドレー(GHQ民政局財閥問題担当官)

財閥解体の精密な証言者

岩崎昶(あきら)(元日映製作局長)

吉田が圧(おさ)えた「日本の悲劇」

7 謀略と冷戦の十字路

鹿地亘(作家)朝鮮戦争と絡んだ運命の変遷

山田善二郎(日本国民救援会中央本部事務局次長)鹿地亘の救出者

9 朝鮮の戦火

カール・バーナード(”タスク”・フォース・スミス戦闘部隊中隊長)

生々しい歴戦の証言者

ヒュー・ブラウン(第二十四師団二十一連隊第三大隊L中隊曹長)

徹底的に戦闘した鬼軍曹

韓載徳(『朝鮮中央通信社』主筆補兼外信部長)

『金日成将軍伝』を口述筆記

呉基完(北朝鮮人民軍第一〇五戦車旅団付政治将校)

三十八度線を突破した北朝鮮軍将校

大森実 戦後秘史その2

戦後秘史第9巻・第10巻 1976(昭和51)年初版。

9 講話の代償

ジョン・アリソン(講和工作当時 米国務省東北アジア局長 次官補を経て

吉田政権の駐日大使)対日講和の唯一の生き残り証人

ウイリアム・ディーン(朝鮮戦争時、米国第二十四歩兵師団長)

三十八度線を越えて生還してきた男

10 大宰相の虚像

リチャード・フィン(米国務省政策立案スタッフ)対日戦略に携わった米

政府きっての日本通

那須聖(毎日新聞元ワシントン特派員)池田・ロバートソン会談の取材秘

▇大森実著戦後秘史 第1巻 日本崩壊(講談社文庫81年8月15日刊)。

巻末に収録された1974年5月25日に東京銀座数寄屋橋の塚本素山ビルで行われた右翼の大物児玉誉志夫(上海・海軍児玉機関長)との、緊迫したインタビューは、大森実の真骨頂でありました。

戦時中は、上海特務として、戦後の裏面史に見え隠れする児玉の、むしろフランクな天皇観などの意外な一面を、ジャーナリストが浮き彫りにする。緊迫感がいまでも伝わってくる圧巻。児玉機関の金塊が、鳩山に流れ、自民党の結党の資金になったことなど今にもつながる内容でした。

・・・・

それから 半年かけて、元毎日新聞の大森実氏の著書「戦後秘史」全10巻を読了しました。

元新聞記者の筆致は明快で分かりやすく、無駄のない文章で、おびただしい取材によって、戦後登場した宰相から元軍人、共産党の幹部、成金の親分まで、幾多の人物に取材し、その人物像をあぶりだしていました。自分の到底知ることのなかった有象無象に現れては消えていく人物たちが、それぞれの立場でもって、戦後の混乱の中を泳ぎ、そのどの人物たちも「日本」という曖昧で独特な国家を再建していくなかで、懸命に努力し、動いていたことが活写されています。

昭和51年(1976年)の刊行。取材当時は、終戦からまだ30年しか経過しておらず、GHQのニューディーラーや参謀本部の旧軍人や、日本側の終戦対応の人たち、右翼の大物、成金や、左翼の大物など、存命であり、取材ができた最後の年代でした。曖昧模糊とした日本独特の人物の動きは、今と少しも変わっていないように思いました。偶然と偶然が重なり合って、大きなうねりとなり、「歴史」というものの、表裏を構成し、余人の想像とは違った方向に流れていくものだと思いました。この10冊は、後世に残る労作だと思います。

 

「戦後秘史」の中でみつけた、ごく小さいエピソード記事だったのですが、ボクにとって興味深いこと。

日本郵船 信濃丸

1900年英国・グラスゴー竣工、1951年廃船

「日本郵船 信濃丸の数奇な運命」です。

なにしろ、この船1900年に、イギリス・グラスゴーで竣工、シアトル航路用貨客船として、イギリス・グラスゴーで竣工。シアトル航路に、作家の永井荷風が乗船、1904年に日露戦争が起こると、仮装巡洋艦になり、対馬海域で哨戒任務についたときに、なんと、バルチック艦隊の船影を日本海軍として初めて発見し、「敵艦見ゆ」を打電、日本海海戦の勝利につながったのです。

その後、シアトル航路に復帰、乗船名簿に亡命者孫文の名前があります。1930年に日ロ漁業に売られ、太平洋漁業のサケマス船に転用、折からの太平洋戦争中には、陸軍に徴用され、輸送船として活躍しますが、戦没せず活躍を続けます。まんが家水木しげるが、乗船しています。戦役を、戦後まで生き延びます。

戦後、今度は、舞鶴を母港に、引き揚げ船として活躍し、シベリアからの帰還兵の輸送にあたります、作家の大岡昇平が、乗船名簿にあり、1951年にスクラップとなるまで活躍を続けたのです。なんと日露戦争、太平洋戦争と2度の戦役を生き延びて戦後まで活躍した船、船のことを、よく彼女にたとえますが、こんなに長生きでしかも、強い船があったなんてちょっと驚きでした。

▇大森実プロフィール

1922−2010年 神戸生まれ 神戸高商卒業 1945年毎日新聞大阪本社入社 ワシントン支局長、ニューヨーク支局長、外信部長、ベトナム戦争報道でライシャワー駐日大使の不当干渉に屈した毎日新聞社に抗議して1966年退職 UCI(米国カリフォルニア大学アーバイン校常任理事 フリージャーナリストとして、UCLA国際ジャーナリスト賞、ボーン・上田国際記者賞、日本新聞協会賞、ギャラクシー賞などを受賞。カリフォルニア州ラグナビーチに住居をかまえた。戦後秘史 全10巻、人物現代史全13巻

大森実氏の死を報じる毎日新聞

大森実氏の死を報じる2010年6月28日付け毎日新聞特別版

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