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鈴木貫太郎男に心ふるえる

2017 JAN 21 4:04:14 am by 野村 和寿

ここに2つの新聞の記事を紹介する。1つは1944年4月13日のアメリカ・ワシントン・ポスト紙、もう一つは、同じ日のアメリカ・ニューヨーク・タイムズ紙の記事である。

この記事に先だって第42代首相に、鈴木貫太郎が就任している。わずか6日前(4月7日)のことである。就任したばかりの鈴木貫太郎首相は、敵国であり、交戦中であったアメリカ合衆国大統領フランクリン・D・ルーズヴェルトの突然の死去に際し、なんと敵国にもかかわらず、哀悼の意を表している。しかも、特別に葬送の音楽までつけて。

1945年4月15日付け ワシントンポスト UP(合同) 記事は以下の通り

・・・・

日本首相鈴木貫太郎は、ルーズヴェルト大統領の死去に際して、昨日アメリカ国民に対する深い哀悼の意を表明した。

連邦通信委員会の聴取した放送によれば、新首相は述べている。「ルーズヴェルト大統領の施政が非常に成功を収めたこと、そしてアメリカが今日の有利な地位を占めるに至ったのは、彼のおかげであることを私は認めざるを得ません。その故に、彼の死去がアメリカ国民にとって意味する所の大きな損失を私にはよく同感できるのであります。私の深い哀悼の意をアメリカ国民に向けて送ります」

鈴木はこれに加えて、大統領の死によってアメリカの戦争継続努力に変化が生ずるとは思えない、とも述べた。(訳 小堀桂一郎氏『宰相 鈴木貫太郎』(文春文庫1987年刊)より引用)

ワシントンポスト

1945年4月15日付けのワシントンポスト紙の該当部分

 

1945年4月14日付け ニューヨークタイムズ記事は次のとおり

NY TIMES 19450414

ニューヨークタイムズ紙1945年4月14日の紙面の該当部分です。

・・・・

男爵鈴木貫太郎提督は、フランクリン・D・ルーズヴェルト大統領の死去に際し、アメリカ国民に対する「深い哀悼の意」を表明した。と、昨日、日本の同盟通信社が述べている。

北米向けの英語による無線通信の伝えるところによれば、信任の日本の総理大臣は、同盟の記者に対して次のように語った。「ルーウヴェルトの指導力は実に効果的なものであって、これが今日におけるアメリカの優位な地位をもたらしたものであることを、私は認めないわけにはいかない

そして、付け加えた。「であるから、彼の死去がアメリカ国民に対して意味する大きな損失は私にはよく同感できるのであって、私の深い哀悼の意をアメリカ国民に向けて送るものである」

「転換は起こらぬ」と断言

しかし鈴木首相は「率直に述べた」と、連邦通信委員会で受信した通信は続けて報じている、「自分はルーズヴェルト氏の死去によってアメリカの日本に対する戦争努力に変化が生じようとは考えていない」首相はさらに続けて述べている。

「日本側としても同様、英米の武力政策と世界支配に対抗する全民族の共存共栄のタメの戦争を継続すべく、日本の決意にはいささかも動揺もないであろう」(訳 小堀桂一郎氏『宰相 鈴木貫太郎』(文春文庫1987年刊)より引用)

newyork times1

1945年4月14日付けニューヨークタイムズ紙の該当部分その1です。

 

さらに、ニューヨークタイムズ紙の、記事の後段(下線部分)である。日本の同盟通信によると、とわざわざ断った上で、新任の首相に、なぜ、鈴木貫太郎が選ばれたのか? そして鈴木貫太郎がどんな気持ちで、この難局に臨んでいるのか?」を語っている部分である。

new york times2

1945年4月14日ニューヨークタイムズ紙の該当部分その2です。

・・・・

 

同盟の通信が述べたところによれば、ルーズヴェルト氏の死去という「世界を震撼させた事件」に対する鈴木首相の「思いがけぬ反応」にふれて、その記者は、「ほとんど不意打ちにあったように驚いた」、「しかし記者は、この新首相のごとき度量の大きい人物の口から出た言葉とすればそれも不思議ではないことを、直ちに悟った」、通信はそのあと次のように続いている。

「アメリカ国民の大なる損失に向けての首相の深い哀悼の意の表明こそ、鈴木提督が何故、その高齢にかかわらず、現在の難局を乗り切って国家を導いていくために、国政の手綱をゆだねられたのか、という事情の説明となるものである。同盟の記者が直ちに幹事と田というのはこのことだった。」

「この弔意の表明は、なぜ、彼が、自分は政治に経験がないからと言明したにもかかわらず。結局退任を引き受けたのか、ということの説明にもなる。言い換えれば、彼がこの任務を引き受けたのは日本の戦争目的の達成と、全民族の安寧のために、自らのなし得る限りを貢献せんと志してのことである。」(訳 小堀桂一郎氏『宰相 鈴木貫太郎』(文春文庫1987年刊)より引用)

・・・・

ここで注目すべきは、ワシントンポスト紙、ニューヨークタイムズ紙ともに、東京の同盟通信が北米向けに流した英語放送からの記事であり、確かに、鈴木首相は、アメリカ大統領の訃報に接して、いち早く、弔意を述べたことは確かだということである。

しかし、なぜか、日本側のこうした、鈴木貫太郎が、アメリカに弔電を打ったという事実は、まったく記録がないのだ。これは不思議なことだ。繰り返しになるが、ニューヨークタイムズ紙、ワシントンポスト紙が、同じ日本の同盟通信の傍受からの記事として発表している以上、この放送は確かに存在したのである。

日本の首相が、敵国の大統領の死去に哀悼の意を表したという事実は、海を越えて、意外な広がりをみせる。

 

ひとつは、スイスのバーゼル報知の主筆で、元外相だったエリー氏が、社説で、この事実をヒトラー・ドイツのひどいいいがかりと比べて、なんと武士道の騎士精神が残っていることだろうとたたえていることだ。社説曰く

・・・・

「日本の首相のこの心ばえはまことに立派である。これこそ、日本武士道精神の発露であろう。ヒトラーがこの偉大な指導者の死に際してすら誹謗の言葉を浴びせて恥じなかったのとは、何という大きな相違であろうか。連日にわたってアメリカ空軍の爆撃にさらされながら敵国アメリカの元首の死に哀悼の意を表することを忘れなかった。日本の首相の礼儀正しさに深い敬意を表したい」(笹本俊二『第二次世界大戦かのヨーロッパ』岩波書店より引用)

・・・・

この新聞の記事の本物は、未発見であるが、当時スイス在住の日本人 笹本俊二氏が、このバーゼル報知のことを著書『第二次世界大戦下のヨーロッパ』(岩波書店)で、本に書き残していることからわかる。

 

もう一つ、ナチスから逃れた文豪トーマス・マンが、アメリカ・カリフォルニアからのドイツ向け放送のなかで、このことを取り上げていること。

・・・・

「あの東方の国は騎士道精神と人間の品位に対する感覚が死と偉大性に対する畏敬がまだ存在するのです」(伊藤利男訳 『トーマス・マン全集』第10巻より 新潮社刊より引用)

・・・・

さらに、アメリカのスポークスマンと自称するザカライアス大佐の、対日本向け宣伝放送のなかでも、この事実が取り上げられ、鈴木貫太郎とザカライアス大佐は、以前知己があったといっていること。

SUZUKI MATOME1

ルーズヴェルト大統領逝去に関するトピックのまとめ。

 

さらに、さらに、ニューヨークタイムズ紙は、駐日英国大使クレーギー氏の発言として、鈴木内閣を単純な軍国主義内閣とはみなかったこと。和平内閣で太平洋の両岸に平和をもたらしてくれる人物という観測をのせたこと、鈴木内閣は、日本国内よりもアメリカ国内に於いて期待が高まっていたと考えてもおかしくない。

これは、小堀氏の著書によると、同盟通信の記者に、鈴木貫太郎が直接命じ、話してきた聞かせたという談話に、同盟通信の記者がえらく驚き、感動して、英語に訳したとされている。4月13日に逝去したばかりの放送だから、時差があったとしても、わずかな時間で、アメリカに放送しているということから、もしかすると、同盟通信は情報局や憲兵隊の検閲をうまくくぐりぬけたか?あるいは、検閲されたとしても、まさか鈴木貫太郎首相自身の談話だからという理由であまり事細かに詮索されていなかったか?で、放送されているのではないか?

そして不思議なことに、鈴木貫太郎のこのアメリカ向け談話について、鈴木首相の内閣書記官長・現在の官房長官にあたる、内閣書記官長 迫水久常の記述のどこにもこの放送のことが触れられていない。そして、鈴木貫太郎の談話を取材して英語に翻訳した同盟通信の記者の名前も、ついぞ判明していない。もしかすると、後々のことを恐れて、同盟通信側でも記者を護る為に、あとあとまで秘匿したという可能性さえある。

これらの事実からみえてくるのは、

確かに鈴木首相のルーズヴェルト大統領の死去に対する弔意はあったこと。

さらに、弔意には、鈴木首相の戦争終結への思いが込められていることを、NYタイムズが報じていること。

アメリカの新聞の論調は、鈴木内閣の出現が、それ自体が平和への序曲と書いていること。鈴木内閣が、ナチス・ドイツがドイツ人に対してより、より多く日本と日本人に配慮する人々であること。

それを勇気をもって放送原稿に英訳した、同盟通信の日本人記者が確実にいたことである。

 

鈴木貫太郎

鈴木貫太郎は海軍大将でありながら常に背広姿だった。

鈴木貫太郎(1868(慶応3)年—1948(昭和23)年・プロフィール

鈴木貫太郎は首相就任当時79歳と高齢であり、耳が遠かったという。

経歴:1888(明治21)年 日清戦争水雷艇で従軍

1903(明治36)年 ドイツ留学

1904(明治37)年 日露戦争出駆逐艦指令でロシアスワロフを撃沈

1905(明治38)年から4年間 在アメリカ駐在武官

1918(大正7)年 練習艦隊を自ら率いて、アメリカサンフランシスコを親善訪問している。

1924(大正13)年 連合艦隊司令長官

1930(昭和5)年 ロンドン軍縮会議時の海軍軍令部長1936(昭和11)年の2.26事件の際には、天皇の側に仕える侍従長として、反乱軍の銃弾を2発受けたが、奇跡的に命を取り留めている。

1945(昭和20)年4月7日から8月15日 第42代内閣総理大臣

宰相 鈴木貫太郎 小堀桂一郎著

1987年文春文庫・絶版 本書を神保町ではなく北海道苫小牧の古書店で見つけた。いい本はこんな所に埋もれているものである。

参考資料 小堀桂一郎著『宰相 鈴木貫太郎』(1982年8月文藝春秋社刊1987年8月文春文庫)。著者の小堀桂一郎氏は、1933年生まれ。執筆当時、東京大学教養学部教授で2004年名誉教授。専攻は日本思想史 本書で1984年第14回大宅壮一ノンフィクション賞を受賞している。近著に『鈴木貫太郎−用うるに玄黙より大なるはなし』(ミネルヴァ書房)2016年がある。

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